酒場の名はギルガメッシュという。砂漠の城塞都市の中心部にあって、
昔日には店の名は交易路を行き交う旅人達の集う場として知られたが、
昨今、都市の荒廃とともに旅商の足も途絶えると、代わりに流入する流れ者の現在は溜まり場のようになっている。
店に出入りする客は帯剣し、胸甲具足を鎧ったままの者も多い。
「冒険者」とは彼ら自身の言うところの称ではあるが、出身種族も身分を示す風体もまちまち。
酔っては一様に語気荒く、各地の方言、卑言をまじえてテーブル越しに殺気をまき散らす流れ者どものありさまは、
あたら老舗も野盗か、ごろつきの群れに占め切られてしまったよう。
だが、ギルガメッシュの酒場とは元からこうであった、とする説もある。本来、殺伐であるべきとの。
この夜、酒場の奥のテーブルには、四人の冒険者が早くから飲んでいた。
薄暗い照明に当てられ、各々に沈鬱な表情を突き合わせていた。
中肉中背、無骨な髭面の男。子供に見える小柄な少年。金髪の若い娘。黒髪の東洋人。
雑踏する店内をよそに、そこだけ雰囲気も重苦しく、時刻はいまだ宵の口ながら、
テーブル上にはすでにかなりの数の酒瓶が空いて並んでいた。
城塞都市アルマールの郊外に、領主ウディーンの命のもと続けられていた古代遺跡の発掘は、
悪夢のごとき崩落事故ののち、全市を恐怖に突き落とす事態へと進んだ。
発見されたプレートに刻まれていたのは遅すぎた警告。いわく、これは墓所なり。
かつて闇の力と結び地上に帝国を築きし魔道皇帝ハルギスここに眠る。墓所の封印に振るることなかれと。
――案の定、ハルギスの亡霊は復活し、死者達は立ち上がり、墓穴からは瘴気と呪詛とが溢れて城塞都市に迫ったが、
また同時に、ハルギスの墓所に挑み、数千年のいにしえより蘇りしかの悪党討伐をもくろむ勇者達も、
領主の布令する高札と褒賞の噂に釣られて悪疫のごとく押し寄せた。これまでの数か月の経緯である。
ぐはーっと下品に息を吐くとホビットは盃を叩きつけ、ぎしっと椅子の背にもたれて天井を仰いだ。
裸足の両足をテーブルに載せてそっくり返る、まるで体格は子供にしか見えないが、やることと口ぶりは大人並みである。
「まさかによ、ラスタスの爺さんがくたばっちまうと思わなかったぜ! 殺しても死にそうにねえ爺いだった」
「土に根の張ったノームとて不死身ではないのじゃな」
ドワーフの髭面が分別げにうごめいている。愛飲するのは北方種族の故郷のエールだが、
テーブル上に空け並べている酒の数はそれ限りでない。砂漠のオアシスの地酒は椰子酒で、
アルコールの強さは引けをとらぬ濁酒。地中海のワインもあり、東の草原の馬乳酒もある。
髭のドワーフの言うようでは、カント教団の儀式手数料は妥当だとの説もこれある。いずれにせよ、
もしも蘇生に成功していればその時は被術者自身の生命力と幸運に依るところであって神に感謝などしないのだから、
あえて坊主をとがめるほどの我々でもあるまい。運命よ、運命。
今はただ別れの盃を酌み交わし、去りゆく友を称えよう。当節にまこと稀なる有徳の士であったラスタス、
われわれのラスタス翁、滅びゆく英雄の魂よ。
てまあな、今日びそこらに有徳はともかく癒しの業に長けた聖僧なんざすぐさま代わりも調達できねえってのに
――僧侶なんて死ぬときぁ簡単におっ死んじまいやがる――といってこの際僧侶なしで迷宮に潜れる命知らずはいないぜ。
迷宮探索も皇帝討伐も今や競争段階の折から、今ごろ訓練所に問い合わせてみにゃあならんか?
できればどっかから引き抜くか。どこからそんな契約金――
「今そんな話、やめてよ。ラスタスが可哀想だよお」
金切り声を上げる少女は、肩を怒らせて立っても華奢な細身が哀れを誘った。
この店の無法者同然の冒険者にしては、ひどく脆くみえる、綺麗な娘で、可愛らしい顔立ちに大きな瞳を潤ませている。
目の端はこれまでにもうひとしきり涙に腫らしていて、今もまた訴える端から頬を赤くしていた。
一行を束ねた聖僧ラスタス師を亡くし、今はパーティの残員が、何らなすこともなく飲んだくれるざまを晒す。
地下迷宮にて死亡し、遺体として運ばれたラスタス師の蘇生を試みたカント僧院は、
蘇生失敗の後には不手際を詫びもせず高額の儀式手数料だけを収めて引き上げていった。
悪坊主どもが……に始まり、これからどうするの、そもそも此度の敗戦の反省はと蒸し返し始めると、
同じ話をまた誰もが、誰が悪い、誰のせいだと喧々諤々に、きゃんきゃんを混じえて罵り、わめいた。
ドワーフ、ホビットと、エルフ娘の、いずれも享楽的な種族柄ゆえ、まるで頭が物事を深く考えるようにできていない。
考えなしの悪態が飛び交い、とりとめない談義のループするテーブルを挟んでひきもきらず酒瓶が回った。
この場の残りの一名、この場でただ一人ともいえる、通夜の席らしい沈思に耽る黒髪の青年は、
その容姿服装は武士階級に属するとも見え、異種族混成の仲間達とも一線を画してむしろ孤狼とも言うべき、
寡黙のうちに盃を傾けている。彼だけは仲間を気にかける以前に、端から自分ひとりの物思いに沈みきっている。
(シュゼン……)
今も、心はさまよっている。
仇の名を忘れる日はなかった。
遠い日の記憶、燃え落ちる城郭、血に染まった故郷。卑劣な裏切りに遭って父と兄が死に、
彼は独り敵を追って海を渡った。それから幾年、異なる大陸をさすらった。
いつか遥かシルクロードを越え、この城塞都市に至る彼の遍歴の目的は、
砂漠の迷宮にひそむ皇帝の亡霊を打ち払うため、あるいは、その討伐に約束された莫大な賞金ではない。
彼、東方人の青年ザンガのここにいる理由は、シュゼンなる名の、その男を討つためであり、
ここで迷宮探検者の集団に混じっているのも、地下迷宮で聞かれるという噂、
近頃それらしき特徴の鎧武者についてのあるともないとも頼りない情報を追ってのことにすぎない。
恩賞はおろか、墓所には山と秘蔵されるという副葬品の財物にも無関心に、地下迷宮にただ強敵のみを求め、
一途に武芸にのみ専心する彼の姿勢はギルガメッシュ一般の冒険者たちとはあまりに異質なだけに、
この地でたまたま行を共にすることとなった現在の仲間達との絆も、いくらか長い付き合いの今も希薄に思えた。
羊肉のシチューが運ばれ、三人の妖精族は酒盃と交互しつつがつがつと食らった。
肉を食する、異風の生活にもいつしか慣れたが、ただ、この弔いの席には彼のみ肉食は控えている。
人間族の士族の自分がこの場では場違いに思いながら、ミステリアスに仲間達を眺める。
東洋の侍は故国の伝統をしたがえ、彼なりに東洋的正義感を有する、熱血漢でもあった。
むしろ無教養で常にちゃらんぽらんな連中に対しては異邦の倫理観から時に辛辣な皮肉も呟いたが、
そんな仲間達を自分が率先してまとめてゆく質でもない。
戦友の死を悼み、静かにその魂を送るのは武士の礼と思う。
若くして多くの死をみとってきた彼の、風のような心に根づくただ一つの規範はそれだったかもしれない。
あの日から、国々を移り歩いては剣を頼みに生きてきた。
絶えず続く戦いと、戦いの後に生き残った者の責務を思うこと。
この地アルマールでの、聖僧ラスタス師との短い交誼と、彼から得た教えには恩義を感じてもいた。
だからこそ、ラスタスに先に去られてしまってはやるせない思いがあった。
この俺と、彼らとは違う。ザンガは冒険者達を見ながら思う。
士族たる彼と、家柄も主君ももたない漂泊の浮浪者に近い冒険者達とはもとより身分がちがうのだが、
異国の地で一時の戦友を得たことが、今また心の傷を深めている。
ドワーフのガズ、盗人ジャック、エルフのファン。仲間達の輪に、彼は居たたまれなかった。
(何かを得てもまた失うばかりだ。なぜいつも救えず、守れないのか)
今日の収入は今日中に飲んでしまい、いつも貧困と背中合わせのような彼らだ。
博徒と冒険者稼業に明日はなく、粛として身を慎しむなどという概念は彼らにない。
きっとラスタス師がこの一座におれば彼自身が笑い飛ばしただろう。
ファンが間近に見上げている。彼はふと目をやり、その目のやり場にも悩ましいものをおぼえた。
彼女の普段、服装は、魔法使いのローブといっても学者やスーフィーの粗衣のようでは全然なく、今夜のそれも、
色こそ喪に合わせて着替えてきたらしいが、やはり彼女好みのお洒落を凝らした衣装。肩の出た、
裾が透けそうな軽羅を重ねたブラウスにスカーフ、スカートは通りの劇場に出演中の俳優でも通りそうに思える。
豊かな金髪には銀の細工。ネックレスの鎖は首すじに流れて胸元に落ち、
その大粒のエメラルドには薄暗い通夜の席にも目を引いて自重するところがなかった。
加えて持ち前のサファイアの瞳の美少女に涙目で見つめられ、ザンガはわずかに当惑して眉をひそめた。
とはいうものの、とはいって彼女になんら慰め言を与えるでもなく、それきり目を逸らし手元の盃に目を落とした。
静かに盃を傾ける東洋の謎めいた横顔には取り付く島もなくて、無視されたエルフ娘の頬にぼろっと大粒の涙がこぼれた。
ぐすっと鼻をすする。
「それにルーリエも」
「あいつこそ、死んだのか」
「わからん。あれで生きとると思えんがの」
迷宮での、最後の戦闘の光景を思い浮かべ、さしもの無法天の仲間達もぶるっと身震い。
「生きてるなら救けに行かないと。行くんでしょ?」
「誰が」
三人の視線は侍に集まったが、あいかわらず侍は思いを盃に浸すように、
そのじつ何も考えていないのではと見える黙想を続けるのみ。
今宵の通夜を飲み明かしたら現在の彼らの懐も寒貧なのだから、酒代も宿代も明日はや危うく、
早急の入用のため次の迷宮行に挑むことにはつべこべもないのであるが――
その時だった。酒場の喧騒が急に失われた。
店の戸口に立つ男がおり、それが原因だった。店中の冒険者達が、奥の四人も、不審に振り返り、それを見た。
その男の美貌。それはなんという髪の色か。黄金と漆黒とが合い混じり、闇の中の炎とも見える。
その肌の色はなんという白か。そして瞳は――
衆人環視を一身に集めながら、人間族の男は戸口近くのテーブルに歩み寄り、持っていた皮袋の中身をそこにぶちまけた。
無造作に、山と積まれたのは全てが金貨。大量の、法外の金額に、ギルガメッシュの冒険者の誰もが唾を飲む。
「仲間を求めている」容姿に劣らぬ美しい声音で男は言った。
男の麗容、美声と、ともに噂にたがわぬ。いずれその名を知らぬ者もおらぬ。
ヴァル、と。
魔術師ヴァル。アルマールの迷宮界隈では新顔ながら、絶大な魔力と深甚な知識でもってあっという間に深層に到達。
いまやヴァルの組といえば、皇帝ハルギス討伐に最有力と目される強豪と語られる。
そのヴァルが、新たな仲間を? それも、これほどの報酬を眼前に示されれば――
「戦士と盗賊だ。腕利きならば種族は問わぬ。人間、ドワーフ、ノーム、ホビット、そのどれでも。だが――」
美貌の男は金貨を積んだテーブルの席に腰を下ろし、そして最後にこう付け加えた。
「エルフは俺に近づくな」