*** ***
「うーむ…」
開いた手紙を読みながら坊主頭の男は難しい表情をした。
「山路(ヤマジ)様、その手紙に何か問題でも?」
「問題、か。拙僧もずいぶんアテにされたものだな。読んでみなさい」
山路と呼ばれた坊主頭の男は手紙を目の前の少女に渡した。
頭の後ろを小さく纏めた短髪の少女は、山路から受け取った手紙をさっそく読んだ。
「………」
「美桜殿は一体どういうつもりかな、縫火(ヌイ)?」
「どうもこうも手紙の通りだと縫火は思いますが」
縫火と呼ばれた少女は淡々と事務的に答えた。
「確かに烈道討伐もままならず、芳しくない状況なのは確かだ。我々も伊南殿を失ってしまった。だが……」
山路の渋い声が絞り出すように言葉を紡ぐ。それを縫火は黙って聞いている。
「西方の人間を、しかも口の訊けない盗賊を我らの仲間にしろとは美桜殿は一体何を考えているのか。
しかも今日だ。これから件の迷宮に向かう時に余計な揉め事を持ち込むとは、実に厄介なことよ」
「なら断りますか?」
無表情のまま山路に訊ねる縫火。
「いや。美桜殿は戯れでこのような難事を頼みはすまい。ここは拙僧が弁を振るうしかあるまい」
正座していた山路は膝をポンと叩くと、スッと立ち上がった。
「ケイン、か。美桜殿に推されるとは如何なる男かな」
腕を組みながらまだ見ぬ男に思いを巡らせる山路。
(ケインですか……)
縫火もまたケインという人間に興味を抱きつつあった。
回りだした運命は彼らを導き、宿命へと誘っていく。だがその行き先に何が待つかは、誰も知らないのだ。
*** ***
泥の中にいるような微睡みから、ゆっくりと意識が浮かび上がる。
目覚めたケインの目に飛び込んだのは、窓からの柔らかな日差しだった。
(いないな……)
裸の女はすでにベッドから去っていた。
夕べはあんなに激しくヤり合ったのにつれないなと思うケインだったが、目覚めてすぐ横であの女に
「おはよう(はぁと」と言われるのは何だか心臓に悪そうなのでやっぱりいなくていい、ということにした。
ケインはベッドから飛び起きると、すぐに身仕度を始めた。
これからやる事はたくさんある。強要されたとはいえ、これから彼は冒険者に戻らなければならないのだから。
(そういやアイツの名前聞いてないな……)
裸の女がニンジャなのはわかったが、ニンジャ女と呼ぶのはなんか違うなとケインは思った。
「おやおや〜?声無しのケインじゃないですか〜!?」
チェックアウトのため1階に降りると、ソバカス面のホビットがカウンターからケインを見てニヤニヤ笑っていた。
「昨日はお楽しみでしたねぇ〜〜、いつの間にオンナ引き込んでたんですかぁ〜〜?ウヒヒヒw」
宿の外にまで聞こえるような大声でホビット野郎が訊ねてくる。
「しかもアンアンアンアンすごい声上げてマジたまんねーwwもしかしてあの声ケインの声?
だったらマジキモいんだけどwwwなんてwwwうえっwww」
汚いソバカス顔のホビットのニヤケ面は何もかもが不愉快で目障りだった。
(…死ねクソガキ!)
ケインは宿代である二枚の銀貨を指先に挟むと、巧みな指捌きでホビット野郎の鼻の穴にねじ込んだ。
「ほげェエ゙エ゙ェエ゙エ゙━━ッッ!!!!」
悶絶し、のた打ち回るホビット野郎の絶叫など知らん顔でケインは宿を後にした。
それから約30分後。
(まあこんなもんかな…)
冒険者の店にて、買い込んだ装備一式を身に着けながらチェックを行うケイン。
ラフな格好から装いを改めた彼は、すっかり半年前の冒険者の姿に戻っていた。
こうしていると、冒険者だったころの思い出が脳裏に浮かび上がってくる。
もっとも、それはケインにとって辛く苦い思い出ばかりであったが。
店での用事を終えると、ケインは足早に立ち去った。
「………」
そしてその後を、一つの影が静かに追っていった。
(この道を行けば北の正門に早く着く、今ならダイジロウより早い!)
息を急かしながら人気の無い路地裏を駆けるケイン。
装備のために有り金を使い果たし、行き着けの宿のクソガキを半殺しにしてまで来たのである。
ここでダイジロウを取り逃がしたら苦労が無駄骨どころか、本当にあの女に殺される。
いや、ダイジロウも殺されるかもしれない、ケインは自分の命以上の重みを感じながら必死に走っていた。
と、その時である。
「──やはりここを通りますか、ケイン」
突然、ケインの行く手に一人の少女が立ちはだかった。
(?! なんだコイツ!?)
思わず足を止めたケインは、いきなり現れて自分の名を呼ぶ少女に警戒と苛立ちを覚える。
年の頃は14〜5歳か。ショートの髪を後ろで小さく束ね、動きやすそうな着衣を纏い、
短めのスカートの下から伸びる両脚を薄手の履き物がぴったり覆っている。
その姿に、ある記憶がケインの脳裏に浮かび上がる。
(そうか…こいつ昨日ダイジロウを迎えに来たガキだ!)
昨夜、ケインとダイジロウが飲んでいるところにやってきて、彼女に帰るように諭されて
ダイジロウは酒席を切り上げたのだ。
その時、ケインを一瞥した彼女の表情を思い出す。
少女は無表情で淡々としていたが、その眼差しには明らかに蔑みの色が表れていた。
そして今、その時と同じ眼でケインを見据えながら、少女は彼の前に立っていた。
(コイツ、一体なんのつもりだ…?)
思わぬ足止めを食らい、焦るケインに少女が話しかける。
「まさかミオ様がアナタを推すとは思いませんでした。でも……」
そこまで言った瞬間、少女の姿が目の前から消えた。
(なッ!?)
驚いて後ずさったケインの頭上から少女が飛びかかってきた。
ケインは身体をそらし、ステップを踏んで少女の攻撃をかわした。
「いい反応ね。でも期待外れだわ」
そうつぶやく少女の手には奇妙なナイフが逆手に握られていた。
刀身と柄が一体になったような、柄の端に丸い輪の付いたナイフ。
そのナイフと少女の身のこなしに、ケインは驚愕した。
(コイツ、ニンジャか!)
昨日ダイジロウからニンジャのことを聞かされ、夜中は裸の女に再会し、今はニンジャ少女に襲われている。
続くニンジャとの因縁の連鎖に戦慄するケイン。
そこへ、少女の蹴りが飛んできた。
ドスッッ━━!!
「ッッ!!」
みぞおちに衝撃を受け、ケインの体勢が揺らぐ。
そこへ間髪入れずに足払いを食らい、ケインは仰向けに倒れてしまった。
(く…クソが…!)
立ち上がろうとするケインだったが、踏みつけてきた少女の足が上半身を地面に押さえつけた。
「…!…!」
「……まったく、骨がないですね。この程度じゃただの足手まといだわ」
冷たい視線がケインを見下ろす。
(ふざけんな!)
ケインは腰のショートソードを抜いたが、すかさず少女の足がショートソードを蹴り飛ばした。
ドスッ!!
「カハッ!!」
「見苦しいですね……なんでこんな男をミオ様が推したのかわかりませんが、ここで終わりにしましょうか」
腹を踏みにじられ、たまらず息を吐いたケインの耳に少女の言葉が響く。
(ミオ…?ミオ様…?)
少女が二度も口にしたある名前がケインの中で引っかかる。
このニンジャ少女が様付けで呼び、ケインを推したと言っている、この“ミオ”とはまさか……
「さようなら。これも運命だと思って諦めて下さい」
少女が慣れた手つきでナイフを持ち直す。
ケインに向けられた刃が冷たく輝き、振り下ろされそうとした、まさにその時だった。
『縫火!!何をやっている!?』
突然、上がった男の怒声に少女が硬直した。
(こ、今度は何だよ!?)
寸前で命拾いしたものの、更なる事態にただただ困惑するばかりのケイン。
少女に踏まれて動けない中、急いた足音がケインと少女に近づく。
『儂はケインとやらを知らないからお前を迎えに行かせたのに、どういうつもりだ、この馬鹿モノ!!』
『も、申し訳ありません…』
『儂が話をつける、さっさと下がれ!』
『はい…』
彫りの深い顔の壮年の男が少女を怒鳴りつけると、少女は恐縮しながらケインから離れた。
なお、2人の会話はヒノモト言葉だったため、ケインにはさっぱりわからなかった。
「大丈夫ですかな、ケイン殿」
壮年の男がケインをいたわりながら起こす。
「さっきは使いの者が失礼をして本当にすまない。
私はヤマジと申す。あの娘ヌイに代わって先程の無礼、お詫び申し上げる」
そう言ってヤマジを名乗る男は、ケインに恭しく頭を下げた。
その頭はツルツルに剃られた丸坊主であった。
(別にあんたに謝られてもなぁ……)
ケインがチラッと見ると、襲ってきたヌイとかいう少女はしれっと澄ました顔をしている。
コイツ、絶対悪いなんて思ってねえ。ケインは怒りを募らせつつもヤマジの話に付き合う。
「昨晩、儂の下に文が来ましてな、差出人はミオとあった。
ミオ殿は我々の同士で、この異国の地で何かと協力してくれる素晴らしいお方だ」
(ああ、さっきのガキも言ってたな、ミオ様ミオ様って)
「そのミオ殿が言うには、ケイン殿をダイジロウ殿の仲間に加えてほしい、ついては
その手伝いを儂にしてほしいとのことであった」
(結構な念の入り様だな、さすが“ミオ様”)
「ミオ殿が推したとなれば無視するわけにもいかぬゆえ、どうか儂とともにダイジロウ殿のもとに来てくだされ」
ヤマジの頼みにケインは頷いて応えた。
ヌイが言っていたこととヤマジの話からして、ミオが裸の女なのはほぼ間違いないだろう。
ミオ本人がケインを応じさせたからこそ、ダイジロウの仲間にも根回ししてきたのだ。
どうしてそこまで自分をダイジロウの仲間に入れたいのか、未だミオの思惑がわからないケインであったが
仲間になるからには、盗賊は盗賊にできることをするだけである。
「では、参りましょうか」
ケインとともに、さっそくダイジロウのもとへ向かおうとするヤマジとヌイ。
だが、ケインはすぐには動かなかった。
彼は背中のバッグから一枚の板を取り出すと、それに指で何かを書いてヤマジに見せた。
「なっ!」
「…!」
板に貼り付けられた魔法の羊皮紙に書かれた文章に、驚愕するヤマジとヌイ。
【ヤマジさんよ、ダイジロウはそのガキがニンジャだと知ってるのか?】
「ケイン殿は忍者と戦ったことがあるのか!?」
ケインはヤマジの問いにうなずいて答えると、また新たな文章を書き連ねた。
【半年前ニンジャに仲間を殺された。助かったのは俺だけだ】
「………」
ケインからの予想外の問いかけに、ヤマジはしばし困惑する。
ミオからの手紙にはケインは声を出せない熟練の盗賊とだけしか記されていなかった。
しかしこの男は先ほどの襲撃でヌイが忍者であることを見抜いてしまった。
ケインの指摘した通り、ヌイは忍者である。理由あって彼女の正体を知るのはヤマジだけなのだ。
もしヌイの正体をダイジロウが知ったら、決してタダでは済まないのは目に見えている。
ケインを仲間にしなければならないが、ヌイの正体は隠さねばならない。
ヤマジは思考を整理すると、ケインに話し始めた。
「ケイン殿の申すとおり、ヌイは忍者だ。このことは儂とケイン殿しか知らない」
「ヤマジ様!?」
「黙っていろヌイ。これは勝手をしたお前の落ち度でもある」
正体をばらされ物言いしかけたヌイをたしなめると、ヤマジは話を続けた。
「ヌイは理由あって忍者であることを隠してダイジロウ殿に同行している。
だが、忍者は本来サムライと敵対する存在ではない。ヌイはれっきとした我々の仲間だ。
あんな目に遭って虫のいい願いだとは思うが、どうかヌイのことは内密にしてくだされ」
(………)
頭を下げ懇願するヤマジを前にケインはしばし思案する。
ニンジャを追う旅にニンジャが正体を隠して同行しているのはどうにも怪しいが、ヤマジやミオ、ダイジロウの話を
聞いた限りでは、サムライと敵対しているニンジャはレツドウとかいう奴が率いている連中だけだろう。
もっとも、先ほどのヌイといい半年前のミオといい、やたら殺意に満ちたヤツばかりなのはどうかと思うが
ヤマジさえいればヌイはうかつな真似はできないし、ミオは協力を申し込んだ手前、危害は加えないだろう……たぶん。
それにケイン自身、後ろめたい過去や隠しごとを持つ身である。
余計な詮索をしてかえってヤマジにこちらのことを探られるのは色々とマズい。
ケインは魔法の羊皮紙から文字を消すと、新たに一文を書いて見せた。
【わかった。ヌイのことはバレないよう気をつける。仲間入りの件はよろしく頼む】
「かたじけない」
ヤマジは安堵の表情を繕いながら礼を述べた。
お互いの疑問や不安が晴れたわけではないが、共通の秘密をもったことで
これからの協力関係を結べたのだと、ケインとヤマジは各々自分を納得させた。
だが、ヌイの方はそう割り切れてはいなかった。
(まさか忍者を知っていたなんて……厄介ですね……)
ヌイとしてはケインの力を試すつもりで本気で殺すつもりではなかったのだが、そのせいで
ケインに秘密を知られてしまった。まさにヌイの落ち度そのものなのだが、だからといって
ケインを信用できるかは別の話である。
(もしものときは……)
3人がようやくダイジロウのもとへ向かう中、ヌイは危険な考えを巡らせていた。
それから約5分後。
「ケイン…? それにヤマジ殿にヌイまで、なんで一緒なんだ!?」
街の北門の前にて、ともに現れた3人に困惑するダイジロウと、その後ろにいる2人のサムライ。
「ダイジロウ殿、突然で申し訳ないが、このケインを我々の仲間にしてほしい」
「な…何だと!?」
驚くダイジロウに、ヤマジは更に話しかける。
そこへ2人のサムライが加わり、ヒノモト言葉での言い争いになった。
どうも2人のサムライはヒノモト言葉しか話せないらしく、話の合間にケインに
嫌悪の眼差しを向けたりするものの、直接物言いすることはなかった。
ダイジロウは終始平静であろうと務めていたが、彼もケインの参加には難色を示していた。
やがてヤマジの説得に2人のサムライが渋々引き下がって、ヒノモト言葉の論戦は終わった。
そしてダイジロウはケインに尋ねた。
「なぜだ、ケイン。お前が冒険者だったことは知っている。
だが、なぜ俺の仲間になろうと思った?俺なら入れてくれると思ったのか?」
(………)
厳しい顔で問い質すダイジロウ。
ケインはバッグから魔法の羊皮紙を貼り付けた板を出すと、指で文を書き、ダイジロウに見せた。
【ニンジャが仲間の仇だからだよ】
「!!……」
驚いた風のダイジロウだったが、内心ではやはり、と思っていた。
酒場で忍者の写し絵を見た時の反応から、ケインは忍者に遭っていると察していた。
この西方で忍者に遭遇するということは、大方の場合において血生臭い結果をもたらす。
そして、忍者に遭遇して生き残ったと語る西方の冒険者をダイジロウはまだ知らなかった。
「ケイン、お前に何があったのか詳しく教えてくれないか」
ダイジロウに言われ、ケインは魔法の羊皮紙にて自分とニンジャとの因縁を語りだした。
かつて俺は仲間たちとともに西方のダンジョンを冒険していた。
約半年前、あるダンジョンに入った俺たちパーティーは黒ずくめの集団に襲われた。
連中はあっという間に仲間たちを殺し、俺と女メイジだけが残された。
連中は俺と女メイジを取り押さえると、俺の目の前で女メイジを犯し始めた。
連中は代わる代わる女メイジを犯し続け、やがて飽きたのか、女メイジを殺すと俺もすぐに殺された。
後から来た別の冒険者に俺たちの遺体は回収され、蘇生させられたが、生き返ったのは俺だけだった。
俺はダンジョンであったことを他の冒険者たちに伝えたが、誰にも信じてもらえず
蘇生や遺体回収の費用をふっかけられ、一文無しになってしまった。
冒険者を続けようにも声の出せない盗賊を仲間にするパーティーなんかいなかった。
俺は黒ずくめの連中から逃げるようにあちこちをさまよい、この街にたどり着いた。
だが昨日、ニンジャのことを聞かされて黒ずくめの連中がニンジャだと知った。
俺は非力だ。どんなに憎んでも何をしてもニンジャにはかなわない。
それでも仲間の仇は討ちたい。ヤツらがたびたび口にしていた“レツドウ”が何者か知りたい。
ニンジャと戦えるなら何があっても構わない、お荷物なら捨ててもいい、死んだら放っといていい、俺も連れていってくれ!
そこまで語ると、ケインはヒノモトに伝わる交渉術の最終奥義“ドゲザ”を使った。
「「………」」
ケインとダイジロウの間に沈黙が流れる。
ケインとその仲間たちに起こったことは悲劇だが、同情や感傷で仲間を決めてはいけない。
しかし、ケインが聞いたという“レツドウ”という言葉がダイジロウの心を大いに揺さぶったのもまた確かであった。
『父上、大二郎はあの痴れ者を仲間にしますかね』
『フン、連れていったところで忍者か魔物に殺られるのがオチよ、こないだの伊南みたいにな』
『まったく戦いのおこぼれを漁るしかないコソ泥が何をトチ狂ったのやら』
『まあ生きた楯くらいにはなるだろうさ』
ケインとダイジロウのやりとりを眺めている二人のサムライがヒノモト言葉で話し合う。
二人は父子らしく、父親は痩せぎすでヤラレ役の似合いそうな顔をしており、息子は父親とは全く似つかぬ男前であった。
この二人のふてぶてしい態度やケインを蔑んだ物言いは、彼の仲間入りを躊躇わせるには十分であった。
『………』
そんな二人の会話を不愉快な思いでヌイは聞いていた。
伊南(イナミ)とはダイジロウの討伐隊にいた女法術師で、西方で言うところのメイジである。
年上であるイナミは、何かとヌイに親身にしてくれ、仲の良い相手だった。
しかし彼女は先日ダイジロウたちと赴いたダンジョンにて、忍者の罠にかかり、そして殺された。
そもそもイナミが罠にかかったのはサムライ父子のせいなのだが、彼らはそのことを全く悪いとは思っていなかった。
二人はダイジロウには詫びたものの、本心でないのは明白だった。
この父子には忌々しい思いを抱く一方、ヌイはケインという男に否定的であった。
尊敬するミオが推したとはいえ、ヌイが知るケインは博打代をダイジロウにせびり、酒色に浸るようなロクデナシである。
そのうえヌイが忍者だと知られてしまった。はっきり言ってヤマジとの約束を守る保証などどこにもない。
(なぜ美桜様はあんな男を伊南さんの代わりに……)
ヌイの心中で疑問と不安が入り混じる中、ようやくダイジロウが口を開いた。
「ケイン、顔を上げてくれ」
ダイジロウに促され、顔を上げるケイン。その目はまっすぐダイジロウを見据えていた。
「先に言わねばならぬが、我らが忍者を追うのは仇討ちだからではない」
ダイジロウは険しい表情のまま、話を続ける。
「ヒノモトで非道を働いた輩はここ西方に逃れてなお、無法を犯している。
お前の話からもそれはよくわかった。おそらく我々が知らないだけでも
かなりの人々が忍者どもの犠牲になっているはずだ。ケイン、すまない、本当に申し訳ない」
そう言って、ダイジロウはケインに頭を下げた。
(おい、待てよ、なんでお前が謝るんだよ?)
ケインが内心とまどう中、ダイジロウはさらに話を進めた。
「お前が聞いた“レツドウ”という言葉は忍者どもを束ねる首領の名前だ。
すべての忍者どもはレツドウの指示を受けて動いている。
冒険者を襲うのもレツドウの考えあってのことだろう」
(………)
「レツドウの思惑や目的はわからない。だが、ヤツを早く討たねばいずれ最悪の事態になる。
西方の国々も忍者と我々サムライの存在に気づいているはずだ。レツドウの悪行が続けば、その怒りの矛先は
西方にいる我々サムライや忍者ども、いずれはヒノモトに向けられる。
その先にあるのは……戦(いくさ)だ」
(……!)
ダイジロウの語る話は、もはや一介の冒険者の事情を越えた深刻な問題であった。
レツドウという悪党をこのままのさばらせたら西方とヒノモトが戦争になるかもしれない。
それは双方にとって絶対避けねばならない事態である。
「ケイン、これは我らヒノモトの者が片付けなければならない問題だ。
ヒノモトでヤツらを討てなかったことで迷惑ではすまない酷いことになってしまった。それは心から謝る。
だが、お前が首を突っ込んで命を捨てることはない。
レツドウも他の忍者もすべて殺す。それでお前の仲間の仇もとれるはずだ。
だからケイン、俺はお前を連れていくわけにはいかな…」
突然、ダイジロウの話が遮られる。
それはケインがダイジロウの襟首を掴んだからだ。
「ケイン!?」
怒りの形相のケインは襟首を離すと、魔法の羊皮紙に何かを書き殴ってダイジロウに突き出した。
【ふざけんな!!】
「え…」
ケインは文字を消すと、再び何かを書き連ね、ダイジロウに突き出す。
【よそ様の土地で好き勝手しやがってそれを黙ってみてろだと!?いったい何様のつもりだお前ら!!】
「……」
ケインの怒りのこもった文言にダイジロウはしばし言葉を失う。
西方からすればサムライもニンジャもよそ者である。西方の人間であるケインからすれば
勝手に乗り込んできたよそ者たちのいざこざに巻き込まれて怒りを覚えるのは当然であった。
しばしの間をおいて、ケインはまた新たな文章を書き連ねた。
【レツドウとかいうヤツが元凶なら、ソイツの最期を見届けてやる。
それまで俺はお前たちの後をついていく。イヤならその腰のカタナとかで俺の首を落とすんだな】
「………」
「………」
険しい顔でにらみ合う二人の男。
北門を行き交う人々が何事かと、横目でチラチラ見ている。
『山路様、人目が…』
『しばし待て』
往来からの視線に困惑するヌイを抑えるヤマジ。
このにらみ合いはケインとダイジロウの言葉なき対話である。
言葉を尽くしたいま、ケインとダイジロウの二人にとって互いの心を測ることが最後の対話なのだ。
果たしてどれくらいの時が経ったか。
時間にすれば数分であるが、いつまでも続くかと思えたにらみ合いは、ようやく終わりを迎えた。
「……わかった」
ダイジロウが口を開いた。
「ケイン、お前を我らの道中に加えよう。ただし命の保証はしない。それでもいいなら付いてこい」
厳かな声で仲間入りを許したダイジロウに、ケインは頭を下げ、魔法の羊皮紙に文を書いた。
【ありがとよ。無理を言ってすまなかった】
「いいさ。西方の人間がいるのならそれなりに言い訳にもなる。レツドウを討つまで生きていれば、な」
そうケインに応えたダイジロウの表情は、いつしか穏やかな人のよい顔になっていた。
『大二郎殿、儂からも礼を申す。かたじけない』
ケインとダイジロウのやりとりを見届け、ヤマジがダイジロウに礼を述べる。
『山路殿も内心では心苦しかったでしょう。これで少しは気が楽になられましたかな』
『ええ、大二郎殿こそ儂とケイン殿の無理を受け入れてくれるとは大した度量ですな。感服致した』
と、ダイジロウとヤマジが互いをねぎらっていたその時である。
『大二郎!!おぬし、気は確かか!?』
突然怒鳴り込んできたのはサムライ父子の父であった。
『御不満ですか、義父上(ちちうえ)?』
『当たり前だ!我らの使命を何と心得る!こんな卑しい盗賊なんぞを連れて使命を果たせると思っているのか!?』
ダイジロウに義父上と呼ばれたサムライは口角泡飛ばしながらダイジロウに詰め寄った。
『先程は私の判断に任すと言われたはずですが』
『こんな馬鹿な判断をするとは思わなんだからそう言ったのだ!!
あの盗賊に何を吹き込まれたか知らんがヤツを連れていくことは許さん!!とっとと追い返せ!!』
『それはできませんな』
『何だと!?』
ダイジロウに要求を拒否され、サムライ父の顔がますます怒りに歪んでゆく。
『大二郎殿、父上に逆らう気か!』
『そうだ、儂は義父なのだぞ、それが義父に対する態度か!』
サムライ息子も加わり、サムライ父子がダイジロウにくってかかる。
しかしダイジロウはたじろぐどころか毅然とした態度で二人に対峙した。
『此処でそれを持ち出しますか。ですが誰のおかげで此処にいられるのか、もうお忘れか?』
『なっ!?』
『お二方が此処にいられるのは私が同行を許したからであって、もし私のやりように御不満でしたら
お二方だけで使命を全うなされればよいでしょう』
『な、何を言っておる、我ら親子抜きで戦えると思っておるのか大二郎!』
『そうだ父上の言うとおりだ!己の強さに増長して我らを蔑ろにするのか!』
まったく、ああ言えばこう言う。
さっきヤマジを交えて決めたことさえ平気で反故にするサムライ父子にダイジロウは心底ウンザリする。
だが、討伐隊の長としてはここで彼らを黙らせなければならない。鬼の覚悟をもって、ダイジロウは声を上げた。
『伊南殿を見殺しにしたお二方がまともな戦力とお思いか…?』
『『なにぃ!?』』
思わず叫んだサムライ父子の声が重なる。
『お二方の迂闊な振る舞いで伊南殿が罠に掛かり、忍者どもに嬲り殺しに遭ったことをどうお考えですかな』
『な、なんで今さらそのことを蒸し返すのだ!?あのことはもう済んだことだろうが!!』
『忍者どもに殺されたとはいえ、山路殿が蘇生に成功さえすれば
伊南殿は助かっただろうに、我らを責めるのはお門違いだ!!』
ダイジロウからの詰問にサムライ父子はうろたえながら必死に反論する。
『やはり反省も後悔もしてませんか。これでは伊南殿も浮かばれませんな』
『話を逸らすな!儂はその盗賊を追い出せと言ってるんだ!』
『そうだ!!伊南殿のことは関係ないだろう、父上の言うとおりにしろ!!』
『 い い か げ ん に し ろ !! こ の 馬 鹿 ど も が !!!!』
『『ッッ!!』』
ダイジロウの気迫に満ちた怒号が、耳障りな暴言を圧倒する。
『後衛を守りきれず貴重な戦力を危険に晒しておいて、よくそんな口が叩けたものだな。
伊南殿が死んだのは貴様らのせいだ。助けようとした山路殿を責めるなどそれこそお門違いだ』
サムライ父子へのダイジロウの叱責が始まった。
『だいたいこの一年余り、貴様らは何をしていた?
忍者討伐に赴く以外は宿に籠もりきりか、色町に繰り出すかだ。
我らは西方で戦っているというのに、西方の言葉も文字も学ばず
忍者どもの情報を探しもせず、親子して酒を飲みながら愚痴をこぼしてばかり、迷宮に赴けば各々勝手をしては
山路殿や縫火の手を焼かせる始末、そのあげく伊南殿を失ったのだ』
ダイジロウの言うとおりだった。
サムライ父子は戦力云々以前に冒険者としての心構えが著しく欠けていたのだ。
『山路殿があの者を推してきたのは元はといえば貴様らの失態のせいだ。
追い出せという資格など貴様らにはない。それが納得できないというなら、今すぐヒノモトに帰れ!!』
『『………』』
怒りに満ちたダイジロウの前に、サムライ父子はただただ恐縮し、沈黙するしかなかった。
『大二郎殿、もうそこまでになされよ』
ようやくここで、ヤマジがダイジロウを諫める。
『お二方は大二郎殿の義父上と義兄上(あにうえ)、なぜ討伐隊に加わっているか大二郎殿もわかっているであろう?』
『………』
『確かにお二方は至らぬところはあるやもしれんが、ここでヒノモトに帰っても武士の面目が立つまい。
ならば大二郎殿がお二方を厳しく律するがよかろう。さすればいずれ性根が直るかもしれん』
『山路殿がそう仰るなら…』
『それに先程の叱責でお二方もわかったであろう、ケイン殿のことはもう心配めされるな』
『あいわかった』
『いささか時間を食いましたな。では出立しますか、大二郎殿』
『うむ』
こうしてやっと、サムライたちの諍いは終わった。
(やっと終わったか…)
突然始まったヒノモト言葉の言い争いに、ケインはこっそり下がって終わるのを待っていた。
「待たせてすまないな、ケイン」
(いいってことよ)
ケインはダイジロウにヒラヒラを手を振って返す。
「では行くぞ、各々気を引き締めよ!」
先頭を行くダイジロウの後をヤマジ、ヌイ、ケインが続き、サムライ父子が気まずそうについてくる。
こうしてミオの思惑通り、ケインを加えた忍者討伐隊は動き出した。
向かうは北西のとあるダンジョン。
様々な問題や不安を抱えながらも、彼らはようやく歩き出したのであった。
*** ***
「さっきの一体なんだったんだろうな」
「知らない言葉で怒鳴りあったり、にらみ合ったり…」
「なんか盗賊みたいなのが来てからモメてたな」
「新メンバー絡みのゴタゴタかよ、東方の奴らは気難しいや」
北門にて起きたケインとダイジロウ一行との一悶着は、酒場にてちょっとした話のネタになっていた。
もっとも、誰もヒノモト言葉などわからないし、彼らの事情を知らないから憶測や想像で好き勝手言ってるだけだが。
しかし、そんな噂話に耳を立てている者がいた。
(そっか…あの連中、今度は盗賊を雇ってダンジョンに行ったんだ…)
壁を背に口元のグラスを傾けながら、そのエルフと思しき金髪で眼鏡の女性は耳を澄ませる。
彼女は雑音と会話を分けながら、聞こえる会話の内容を吟味していた。
(しかし報告するにはまだまだ情報が足りないなぁ……ここでめぼしいネタがなかったら……)
グラスを上げ、中身を一気にあおる。
(ドラゴンの巣に飛び込むつもりで行ってみますか!)
エルフの女性は空のグラスを掲げ、黄色い声でウェイトレスを呼んだ。
「おねーさーん!ワインのおかわりくださーい!」
*** ***
大陸において西方世界と呼ばれる広大な地域の東の端に、その街はあった。
その名はイースタリア。東西を行き交う商人や旅人によって栄えた街であり、東西の文化の交わる場所でもある。
そのイースタリアの北の向こうには山脈が連なり、そのふもとにダイジロウ一行が向かうダンジョンがあった。
しかしながらそこは徒歩で気軽に行ける距離ではなく、片道で丸1日はかかると言われている。
なぜそんなところに彼らは向かうのか。
それはそのダンジョンに忍者どもが潜んでいるか確かめるためである。
「そこまでしてもらわなくとも、別に我々は構わないのだが…」
「いえいえ、盗賊たちから助けてくれたことに比べれば大したことはありませんよ、どうかご遠慮なく…」
「わかった。御好意感謝する」
ダイジロウは商人と思しき男に頭を下げると、仲間たちに子細を話し、そして全員が荷馬車に乗り込んだ。
ダイジロウ一行は北門から出発して、街道を進んでいた。
それから約2時間経ったころだろうか。彼らは異様な光景に出くわした。
それは盗賊の集団に襲われている荷馬車の隊列であった。
護衛らしき冒険者たちが応戦していたが、見る限りでは彼らは劣勢にあった。
「助けに行くぞ」
ダイジロウは一行を引き連れ、盗賊団に戦いを挑んだ。
結果、盗賊団の撃退に成功し、荷馬車を率いていた商人から途中まで
馬車に載せてもらえることになったのである。
「しかし凄かったな、あんたの戦い方は。ヤツらがまったく手も足も出なかったんだから」
「その腰に下げている剣はエラい切れ味だったな。俺らの使っている剣とは違うみたいだが、それが東方の剣なのか」
「東方にはあんたみたいな戦士がまだまだいるのか、俺らも腕上げねえとな」
荷馬車の中では、ダイジロウが同乗していた他の冒険者たちから賛辞を浴びまくっていた。
負傷者こそ出たものの、死者を出さずに荷馬車隊を守りきったことで、冒険者たちはダイジロウの強さに
すっかり感服してしまったのだ。
しかしダイジロウは浮かれるでも畏縮するでもなく、毅然と彼らに応対していた。
(大人気だなあいつ…)
やれやれといった感じで眺めていたのは戦いであまり活躍しなかったケインである。
一応ケインもショートソードを抜いて応戦したのだが、とても戦士系のようにはいかなかった。
ダイジロウの強さは言うまでもないが、あのサムライ父子も戦士系だけあって
それなりの腕前で、盗賊たちを次々と倒していった。ただ、サムライ息子は
ケインと他の盗賊の区別がつかなかったのか、何度もケインを斬ろうとしていたが。
(…あの野郎いつか殺す!)
胸の内でサムライ息子への殺意をたぎらせるケイン。
ちなみにサムライ父子はダイジロウを横目で見ながらコソコソ陰口を叩いていた。
しかし何より、ケインが気になっていたのはヌイの戦い方であった。
盗賊団との戦いでは、ヌイは荷馬車の上に駆け上り、敵の頭上から弓矢を射っていた。
その腕前は見事で、ほとんどの矢を相手に命中させていた。
だが。ケインはその戦い方に違和感を感じていた。
ダイジロウのもとへ向かう途中で襲いかかってきた際のあの身のこなし、隙なく
繰り出された攻撃、あれが本来のヌイの戦い方ではないのか。
ケインが感じたところでは、ニンジャとしてのヌイは
ダイジロウやミオには及ばないが、あのサムライ父子より間違いなく強い。
にもかかわらず、ニンジャとして戦うことができないヌイに、ケインは少しだけ彼女を気の毒に思う。
(まあ俺があいつのことをどうこう言えやしないしな…)
ケインが実はおおやけにできない事情でダイジロウ一行に加わったように、ヌイにも
正体を明らかにできない事情があるのだろう。
興味がないわけではないが、別に知らなくてもいいか、ともケインは思う。
たとえ知ったところで、人はしょせん自分の狭い了見の中でしか理解できないチンケな生き物だから、だ。
ケインは考えるのを止め、腕を枕に目を閉じた。
時が経ち、西の空に夕陽がさしてきたころ、荷馬車の隊列はとある小さな村に着いた。
そこは商人の目的地の1つであり、今晩はここで夜を明かし、明朝出発するという。
ダイジロウ一行もこの村で一晩過ごすことになった。
(あーやっぱ馬小屋か…)
案内された宿泊先はケインの予想通りだった。
サムライ父子はグダグダ文句を言っていたが、ダイジロウとヤマジに何か言われておとなしくなった。
ヌイはさっそく寝床になるであろう場所を調べ、寝られるように敷き詰められた藁を整えている。
なお、彼女が用意している寝床は5人分で、そこにケインの分は入ってない。
(仕方ねぇな、俺は“新入り”だしな)
そう心でつぶやきながら、ケインも自分の寝床の準備をする。
馬の臭いがほのかに残る藁草を直していると、ふとケインの脳裏に昔のことが思い浮かぶ。
駆け出しだったころは6人で馬小屋に泊まり、寝る場所で揉めたり、馬の糞の始末に辟易したり……
しかしケインは思い出を振り払う。彼らはケインが捨てた仲間であり、ケインに彼らを懐かしむ資格はない。
全滅した場所を記したメモを残したから、彼らは冒険者に死体を回収されて生き返らせてもらったかもしれない。
だが、助かっていようといまいと、ケインが彼らのもとに戻ることは二度とない。
如何なる理由にせよ、仲間を捨てて逃げるということは、決して簡単に許されることではないのだ。
その晩、ダイジロウ一行と護衛の冒険者たちは村の広場に大きな焚き火を設けて、それを囲んで夕食を始めた。
それぞれ持ち寄った食事や酒に舌鼓をうち、昼間の出来事を肴に語り合う。
もっとも、冒険者たちと話しをしているのはダイジロウとヤマジであり、会話のできないサムライ父子と
声の出せないケインは早々に退席したが。
そしてヌイはというと、酒席の面々に酒を注いでいたが、ヤマジに命じられ
寝床に引っ込んだサムライ父子に酒と食事を持っていった。
(あー!虫うぜえ!)
まとわりつく蚊を払いながら、ケインは虫除け草を入れた香炉に火を焚いていた。
季節はまだ夏であり、森に近いこの村では夜間になれば蚊の類が飛んでくる。
もちろん馬小屋にも蚊は入ってくるため、虫除けの草を焚いてその煙りで蚊を払わなくてはならない。
ケインは必要分の香炉に火を焚くと、馬小屋に向かった。
(これでよし、と…)
吊り下げ式の香炉をすべて設置し、一息つくケイン。
数分もすれば不快な羽音は馬小屋からいなくなるはず。だが……
「ンゴォー…」
どこからか聞こえてくるイビキの声。
そのイビキの主は、藁の寝床に横たわるサムライ父子だった。
寝る直前まで飲み食いしてたのか、食べかすの残った食器と空になったグラスがあった。
(やれやれ、起きたら蚊に食われて顔がパンパンだぜwざまあw)
ランプの灯りに照らされ呑気に寝入る2人の顔を見ながら鼻で笑うケイン。
と、その時である。
冷たく光る鋭い切っ先が、ケインの首筋に突きつけられた───
(!!……)
「ケイン、話しがあります。おとなしく私と来てくれませんか」
冷や汗をかくケインの背後から聞こえる、事務的で淡々とした少女の声。
それはヌイの声だった。
(ヤマジのおっさんもダイジロウもまだ酒盛り中だったか…やられたぜ…)
後でどう言い訳するか知らないが、ヌイを抑える者がいない今、ケインを始末するには絶好のチャンスだろう。
ケインはふぅ、とため息をつくと、ヌイに言われるまま馬小屋から出た。
しばらく歩き、ケインとヌイが着いたのは村外れの納屋の前だった。
普通、村人というものは大事か急な用事でもなければ夜間に外出なんかしない。
それを考えると、こんな夜中に村外れの納屋に村人が来ることはまずないし、冒険者が納屋に用事なんてあるわけがない。
まさに暗殺にはうってつけのシチュエーションである。
「止まって、こっちを向いて」
その声と同時に、ケインの首筋から刃先が引いた。
ケインは足を止めると、回れ右で後ろに向いた。
(!……)
ほのかな月明かりがヌイを照らす。
その姿に思わずケインは目を見張った。
*** ***
「ははあ、そのようなことが…」
「なるほど、それは物騒ですな…」
さて、ケインが絶体絶命の状況にあったそのころ、ダイジロウとヤマジは
冒険者たちと酒を酌み交わしながら雑談に興じていた。
冒険者にとってはお互いを労う憩いの時間であるが、ダイジロウとヤマジにはもう一つの目的があった。
それは冒険者との会話を通じての情報収集である。
忍者討伐において先んずるはその探索なのだが、忍者はかつて呼ばれていた「忍びの者」の名のとおり
潜伏に長けており、広大な西方世界で彼らを探し出すのは極めて困難であった。
いくら足を使ったところで、探索できる範囲と時間と、それに費やす路銀には限りがあるのだ。
そこで助けとなるのが冒険者たちからもたらされる情報である。
西方の冒険者たちは忍者を知らないが、各地を回ることで様々な情報を知っている。
その情報を聞き出し、整理し、分析と推測を重ねることで、忍者たちの動向をある程度
探るのが情報収集の目的である。
それはこのような酒席の場であったり、荷馬車での相乗りであったり、色町での噂であったり。
当然、西方の言葉や文字に通じてなければならず、さらには会話力も要求されるため、情報収集には
ダイジロウやヤマジ、生前のイナミに場合によってはヌイも携わっていた。
ただしサムライ父子は除く。
そして集められた情報を整理、吟味し分析するのはヤマジの役目だった。
ヤマジは熟練の僧侶であるというだけでなく、世俗に通し情報を読むことにも長けており、ダイジロウ一行が
旅を続けてこられたのもヤマジの助けに依るところが極めて大きかった。
もっとも、イナミの蘇生に失敗したのは彼の汚点になってしまったが。
「それは本当か!?」
酒宴の最中、ある冒険者の話にヤマジが驚きの声を上げた。
「その話し、くわしく聞かせてもらえないか」
「あ、ああ、」
ダイジロウに催促され、その冒険者が語ったのは以下の通りである。
西方のとある領内にて、旅人や行商人が襲われる事件が相次いだ。
被害者は皆殺しにされ、証拠も残らなかったため襲撃者の正体は皆目つかめなかった。
増していく被害に領主は一計を案じ、罠を張った。そして襲撃者を捕らえることに成功したという。
襲撃者はみな黒ずくめの奇妙な衣装を纏い、奇妙なナイフを所持していたという。
「で、その捕まったやつらはどうなった?」
「さあね。他の冒険者から又聞きしただけだからくわしくは知らないな」
「何はともあれ物騒な連中が捕まってよかったぜ」
「ああ、まったくだ」
「………」
謎の襲撃者が退治されたことに冒険者たちは一様に安堵していたが、ダイジロウとヤマジはそうもいかなかった。
さっきの冒険者が語った襲撃者の容姿は西方の人間が認識する忍者の姿そのものだ。
そして彼らは捕らえられた。正確には殺されて死体となったと言うべきか。
当然死体は検分され、尋問のために蘇生された者もいるはずである。
これがもしレツドウ配下の忍者だとしたら、それがどのような影響を及ぼすのか。
西方にはダイジロウ一行だけでなく、他にも幾つもの忍者討伐隊が動いている。
彼らはヒノモトのサムライであるが、西方から見れば東方から来たよそ者でしかない。
そこに忍者かサムライかの区別はなく、レツドウ配下の忍者たちの悪行の疑いをかけられ
西方中から追われることになったら……
ダイジロウの脳裏に、出発前ケインとのやりとりで語ったことが思い浮かぶ。
そしてヤマジは確信していた。これはレツドウの企みの内であると。
((───厄介なことになったな……))
「どうした二人とも?急に黙りこくって?」
「あ…!」
「おっとすまんすまん、しばらく顔をみない弟のことを考えていたわい」
二人の様子を怪訝に思った冒険者に話しかけられ、ダイジロウは我に返り、ヤマジがその場を取り繕う。
ダイジロウとヤマジは再び冒険者たちの談笑の輪に加わったが、笑顔とは裏腹に
その心中は決して穏やかではなかった。
*** ***
夏の夜空にほのかな輝きを宿した月が浮かぶ。
その月明かりの下、ケインは一人の少女と対峙していた。
彼女の名はヌイ。ダイジロウ一行に付き従い、彼らの身の回りの世話や雑用を行うのが彼女の役目である。
しかしその正体はニンジャであり、唯一正体を知っている僧侶のヤマジとは主従のような関係らしい。
どうも彼女はケインが気に入らないらしく、一度殺されかけたが、ヤマジのおかげで命拾いした。
そして彼女は同じニンジャであるミオ?に特別な感情を抱いているらしい。
そして今、彼女は本来のニンジャとしての姿でケインの前にいた。
(コイツは黒ずくめか…)
これがヌイの姿を見たケインの第一印象である。
全裸でもなければ長い薄布で裸身を隠しているわけでもない。
黒ずくめと言えば黒ずくめだ。しかし……
最初に目に入ったのは首もとのマフラーだった。
紫色で大きめのマフラーは引き上げれば目元まで隠れそうである。
そしてその下は身体にぴったりフィットした軽装というべきなのだろうか。
袖のない両腕は肩から素肌を晒し、両手に手袋をしている。
黒い布らしき何かを身体中に巻きつけ、下半身にフィットした薄手の履き物は
太ももまで覆い、膝からブーツまでの間は素肌だった。
(あいつが裸なのは趣味なのか?)
同じ女ニンジャでもミオとは違うな、などと考えていたケインにヌイが話を切り出した。
「単刀直入に言います。今すぐ私たちの前から消えてください」
(………)
本当に単刀直入である。
このメスガキは今日入ったばかりのパーティーから出ていけと言っている。
相手や周りの心情も都合も考えない一方的な物言いは、ミオに似てるなとケインは思う。
もちろん言いなりになるつもりはない。ケインの唇が動き、声のない言葉を発した。
『できるわけねえだろクソガキ。それともオマエに追い出されたってミオ様に言ってやろうか?』
「!!」
ケインが言い終わる寸前、無表情だったヌイの顔が動揺に強張った。
まるでケインにマズいことを言われたかのように。
『ニンジャなら俺がなに言ってるかわかるだろ?
出てってほしいならまずミオ様に話しをつけろって…』
「黙りなさい!!」
怒声とともにヌイの放った蹴りが、ケインを後方へ吹っ飛ばした。
蹴られた瞬間ケインは後ろに飛んだため、ある程度威力は落ちたが、それでも蹴りのダメージは強烈だった。
そしてケインは自分のある予想が正しかったと確信した。
(コイツも唇で相手が話していることがわかるんだ……)
痛みに堪えながら起きようとするケインにヌイが言う。
「ケイン、やはりアナタには消えてもらいます。これも任務ですから」
奇妙なナイフを逆手に握って構えるヌイ。
淡々と告げながらも、その声色からは明らかに怒りが感じられた。
ヤマジもダイジロウもサムライ父子すらいないこの状況はヌイにとって有利であり、ケインを利する要素はどこにもない。
それでもケインは顔を上げると、臆することなく声無き言葉を発した。
『なにが任務だ見え透いたウソ言ってんじゃねえよ!この裏切り者!恥知らず!』
「なんですって…!」
ケインの罵倒に、ヌイの表情が険しくなる。
「私が裏切り者とはどういうことですか……しかも恥知らずとか、そんなに死にたいのですかケイン」
『本当のことだろ。オマエはミオ様やヤマジのおっさんを裏切り、隠れて俺を始末して
何食わぬ顔でダイジロウのところに戻るつもりだろうが。これが裏切り者で恥知らずじゃなくてなんなんだ?』
「……忍者の何たるかを知らない下郎が知ったふうなことを…!」
『ニンジャの何たるかなんて知るかよ。でもな、もし俺に何かあったら俺の女が黙っちゃいないぜ?』
「は…? 何故アナタの女が?」
ヌイは武器を構えたまま嘲りを込めた口調で聞き返す。
「馬鹿馬鹿しいですね……冒険者くずれの情婦になにができるんですか、、、」
『俺にダイジロウのことや読唇術について教えてくれたのは俺の女なんだがな』
「なっ…!?」
『さらに言うとな、俺にダイジロウの仲間になれと頼んできたのもヤマジ様に根回ししたのも俺の女だよ』
「!!……」
ケインの話す内容に、ヌイは絶句したまま固まってしまった。
ケインの言うとおりだとしたら、ケインの女に該当する人物は一人しかいない。
だがそれはヌイにとって決して認めたくない、認められない、認めてはいけないものだった。
逡巡、葛藤がしばしヌイの中でせめぎ合う。そして彼女の出した答えは……
「…ケイン、まさかレツドウと通じていたとは驚きました」
『はぁ!?』
ヌイの発した結論にケインは思わず唖然とする。
そんなケインに、ヌイの斜め上の暴論が襲いかかった。
「アナタはレツドウに女をあてがわれてその女から私たちについて教わったのですね。
そしてダイジロウ様にうまく近づき、ミオ様をも欺いてまんまと仲間になった、これですべて辻褄が合います」
『なんだそりゃああああ!!ふざけんなああああ!!』
「内部の不穏分子の排除、それはミオ様やヤマジ様の指示がなくとも私の判断で行うのが私の任務です。
茶番はもう終わりですよケイン、恨み言はあの世で好きなだけ言ってください、声が出せるなら」
奇妙なナイフを逆手に構えたヌイがケインに迫る。
丸腰のケインに抗うすべはなく、忍者の脚から逃げられるはずもなく。
(クソ!!こんなとこで終わるのかよ!!)
迫る理不尽な殺意を前に立ち尽くすケイン。
そしてヌイのかざした刃が振り下ろされようとした、その時───
チィイ━━ン!!
いずこからか飛んできた何かが、甲高い金属音を立ててヌイのナイフの刃を弾いた。
弧を描いて地面に突き刺さったそれは、なんとヌイが握っているものと同じ奇妙なナイフだった。
「苦無(クナイ)!?ケイン、アナタ何をしたんですか!?」
『俺が知るかぁ!!』
思いもよらぬ事態にうろたえるヌイに戸惑うケイン。しかし、彼らの混乱はそこまでだった。
「──何をしてるの、あなたたち…」
『!!』
「そ、そんな、まさか…!」
それはヌイにもケインにも忘れられない声。
やがて暗闇の中から、声の主が姿を現し始める。
闇より濃い黒髪をなびかせ。
その肌は闇の中で白く鮮やかに映えて。
凛と立つ肢体は艶めかしくも獣のようなしなやかさを感じさせ。
裸身に纏うのは一枚の薄布。長い薄布は乳房や秘所を覆うように裸身に巻きつき締め付ける。
冷たさを感じさせる美貌に表情は表れなかったが、その眼差しには明らかに怒りが宿っていた。
「ミオ…様……」
ヌイの顔が蒼白に染まり、見開いた瞳が怯えて揺れる。
ナイフを構えることもなく、力無く立ち尽くすヌイ。
(来てたのかよミオ様……)
ケインがバツの悪そうな複雑な面もちでミオを見つめる。
昨夜は死を覚悟し、今夜は命を救われたケインだったが、その心中に安堵の思いなどなかった。
一人の盗賊と二人の女忍者、三人の危うい夜が始まった。
*** ***
「………」
「………」
『………』
夜空を流れる薄雲が月にかかり、地上に様々な陰影を映し出す。
月明かりのグラデーションが流れる中、ケインは緊迫した空気の真っ只中にいた。
原因は彼の前にいる少女と女だ。
黒づくめの衣装を纏った少女、ヌイに村外れへ連れ出され、パーティーから出ていけと言われ、拒否したら殺されそうになった。
それから救ってくれたのが、長い薄布を纏った半裸の女、ミオだ。
女はケインに名乗っていなかったが、これまでのヌイとヤマジとの会話から、そして先ほど女を見たヌイが
“ミオ様”とつぶやいたことから、女がミオなのは間違いない。
(しかしなぁ……)
ケインは困惑していた。
ミオがケインとヌイの前に現れ、ヌイがケインを襲うのを止めたまではよかった。
が、それから三人は距離をとってそのまま立ち尽くしたままなのだ。
ミオは形の良い乳房の下で腕を組んだまま、目を伏せて黙っている。
ヌイは視線を下に向けたままミオを前にすっかり縮こまっている。
さっき言った自分の任務とやらに自信があるなら、こんな情けない様になるわけがない。
つまり、ケインの排除はヌイの独断でありミオの意志ではないのだ。
だが、ケインはまだ助かったとは思ってなかった。
この争いにおいて非はヌイにある。ケインはミオとの約束を守ろうとしただけだ。
しかし、、、である。
今ここでミオが心変わりしないと思っていいのだろうか。
ヌイもそうだが、ニンジャという奴らはいったい何を考えてるのかイマイチわからない。
そもそも、なぜミオはケインを殺さずにダイジロウの仲間になれと命じたのか。
そのうえ、さんざん人でなしと罵ったくせに、そのケインと体を重ね、一晩抱き合ったのだ。
まあそれは手付け金のようなものかもしれない。もしミオのような女を抱こうとしたら
そこらの娼婦に支払うような代金では全然足りないだろう。
命惜しさに従ったとはいえ、あんないい思いをさせてもらったら、裏切ろうとかいう気になれないのも事実である。
ゆえにケインは命を危険にさらしながらもヌイに逆らった。
だがしかし、、、
先程までのケインとヌイのやりとりを見たミオが、ケインがパーティーでやっていけないと判断したら?
現にさっき、パーティーの一員であるヌイに殺されかけた。
同じくパーティーのメンバーであるサムライ親子がケインを嫌っているのは最初のゴタゴタからして明らかだ。
味方と言えそうなのはダイジロウとヤマジくらいだが、彼らがいつもケインを気にかけてくれるわけではない。
ヌイとサムライ親子がその気になればケインを殺すチャンスはいくらでもあるのだ。
そんな、いつ殺されてもおかしくない男を推したのは間違いだったとミオが考え直したら?
さっきケインを助けたことと矛盾しているが、助けたと思ったら殺したなんてことをケインは前にも見ている。
今の状況はケインの生殺与奪権がヌイからミオに移っただけにすぎず、ケインの命はミオの胸三寸しだいなのだ。
(それにしても……)
ケインはミオをチラッと一瞥した。
ミオは澄ました顔で黙ってたたずんでいた。
官能的で艶めかしく、それでいて獣のようにしなやかで引き締まった白い裸身は薄布だけを巻きつけていた。
おそらく一枚の長い薄布は乳房を締め、股間をしっかり隠している。
まったく全裸というわけではないが、服とも下着とも言い難い異様な装いに、ケインはある疑念を覚える。
(こいつ、いつもこの格好なのか?)
今のミオの格好は昨晩ケインの部屋に来たときと同じ姿である。
ミオの正体を知らず、こういう状況でなければサキュバスに負けないくらい扇情的でそそられる姿であった。
だが、これが普段の格好だとしたらどうだろうか。
ダンジョンのときとは違い全裸ではないものの、裸みたいな格好の女が公道を追っかけてくる姿を想像し、ケインは内心
大いにドン引きしてしまった。
と、そのときである。ミオが長い沈黙を破った。
「……ヌイ。最期に言い遺すことはないかしら…?」
「ッッ…!」
死刑宣告としか思えない言葉に、ヌイの表情が絶望に染まる。
ケインは知らないが、忍者の世界では上からの命令は絶対であり、逆らうことは許されない。
これに背いた者はその多くが死をもって断ぜられる。わずかな例外にしても、待っているのは厳重で過酷な刑罰である。
ましてやミオは忍者の間では有名な屈指の手練れにして、非情なる殺戮者だ。
そのミオに背いてケインを殺そうとしたのだから、ヌイの運命はもはや決まったも同然だった。
『美桜様……』
ヌイが絞り出すような重い声を上げる。
『美桜様の命に背き誠に申し訳ありません……すべて私の落ち度であり覚悟はできています……』
「ああ…そう…」
『……ですが私は決して美桜様を軽んじたり侮ったわけではありません……ただ……』
ヌイは一旦言葉を切ると、ケインを睨みつけ、そしてミオを向いて言い放った。
『私はあの下賎な男が大っ嫌いです!!あの男の何もかもが穢らわしくて疎ましくて我慢できません!!』
ヌイのヒノモト言葉が、ケインを思いっきり悪し様に罵った。
ケインはヒノモト言葉がわからないが、ヌイの口調と態度から自分への罵詈雑言だと察した。
(このガキ…!)
怒りを覚えるケインの前で、ヌイは更にヒノモト言葉でまくしたてた。
『耐え難きを耐え、忍んでこそ忍者だとわかっています!でも私にはどうしても耐えられなかった!!
それはあのクズが美桜様を自分の女だと言ったからです!!
何をトチ狂ったのか下賎の輩の分際で美桜様と通じ合ってるようなことをほざいたんですよ!!
美桜様はこの任務が終わればくの一で初の上忍になられるお方、私たちの憧れで希望なんです!!
それをあの虫ケラは……!』
憎しみに満ちたヌイの目と、怒りに据わったケインの眼差しがかち合う。
わずかのあいだ互いに睨み合い、それからヌイはミオに向かってこう言った。
『美桜様、あのゴミクズが何の役に立つかわかりませんが、始末するなら早めにすべきです。
このまま同行させてもどうせダイジロウ様の足手まといになるだけです。だったらいっそいま殺すべきです!!』
「……それはあなたの命を捨ててもやるべきことかしら…?」
『美桜様に背いたからには致し方ありません。でもあの男は死ぬべきです!それは譲れません!』
「そう……」
ヌイの話が一段落すると、ミオはケインの方を向いた。
「ところでケイン……私はいつあなたの女になったのかしら? たかが一度抱いたくらいでずいぶん馴れ馴れしいのね」
やはりそこはツッコむか。ケインはため息をつくと、声の出ない唇を開いた。
『誰が好き好んでそんなこと言うかよ。お前が俺の女とか冗談じゃない。文句は躾のなってないあのクソガキに言え』
吐き捨てるように答えるケイン。
事実、ミオがヌイの上の存在であると察したケインはミオの権威を利用しようと自分の女だと言っていたにすぎない。
そしてミオは事の一部始終を最初から見ていた。
ヌイがケインを村外れに連れ出し、言い争いの末、ケインを殺そうとするまでを。
更に加えるなら、ケインが宿を出てからの行動をすべて見張っていたのだ。
だからこそヌイの不穏な行動を察し、ケインを助けられたのだ。
そしてそれまで誰にも気づかれなかったのは一流の忍者の為せる技、である。
「…ねぇ、ケイン」
再びミオが話しかける。
「ヌイはあなたを始末できるなら自分も死んでもいいと言ってるわ。これをどう思うかしら…?」
『美桜様!?』
『バカじゃねえの。嫌いなヤツとなんで一緒に死ななきゃならないんだ?
ニンジャの理屈は知らねえけど、ニンジャの命はクソみたいに安いんだな』
「何ですって!?ゴミクズの分際で知ったふうなことを!!」
「ヌイ。止めなさい──」
ケインの言葉に激昂したヌイをミオがたしなめる。
ヌイは不満げに押し黙ったが、ケインも怒りを堪えている様子であった。
ミオは一息つくと、ケインとヌイに向かって厳かに告げた。
「……正直、今のあなたたちをこのままにはできないわ。
特にヌイ。私に逆らうことがどういうことか、わかってるわよね…?」
『はい……覚悟はしています。美桜様の思うままに』
姿勢を正し、淡々とミオに応えるヌイ。その言葉はヒノモト言葉だった。
「そう……いい心構えね」
そう言った直後───ミオの姿が消えた。
(??!!)
驚くケインが再びミオを見つけたのは、突然ヌイが倒れてからだ。
地面に倒れ込んだヌイのすぐ背後に、片手を手刀に構えたミオが立っていた。
『殺した…のか?』
「いいえ……気絶させただけよ」
なぜだ、と言いたい気持ちを抑え、ケインはミオの言葉を待つ。
「ケイン、あなたこの子を躾のなってないクソガキって言ってたわよね…?」
『ああ』
「こんなことになってしまったけど、ヌイは真面目で優秀な子なのよ。
あなたは忍者の命は安いと言ったけど、忍者は自分から簡単に命を捨てないのよ……」
『だから殺さなかったのか?』
「それもあるけど、やはり躾が足りなかったようね。だからケイン、あなたにやってほしいの……」
何をやれというのか、怪訝に思うケインにミオがささやく。
「ヌイをシツケてちょうだい。あなたのやり方で、ね…?」
『……はああああ?!!!』
予想外のミオの提案に、ケインの当惑が驚愕に変わる。
雲が晴れ、夜空の月が煌々と光を放つ。
月明かりに照らされながら、ケインは思った。
(ニンジャって一体なんなんだよ……こいつら、本当にわけわかんねえよ……)
夜空からの光が少女と女を照らし出す。
未だ気を失ったままの少女を両の手で抱き上げる、半裸の女。
少女を抱えながらケインに歩み寄る女の顔は、美しくも妖しく、淫靡な笑みをたたえていた───
(第四話、終わり)