ニンジャ。今やこの言葉を知らない冒険者はいないだろう。
戦士の戦闘力と盗賊の技を合わせもち、クリティカルヒットで敵を屠る必殺の暗殺者。
しかしこの職業は初めから冒険者に伝えられていたわけではなかった。
そして最初の“ニンジャ”はどのように生まれたのか、その由来を知るものはいない。
これから語られる話がそうなのか、それは各々の信ずるところに任せたい。
その日、彼らは初めてその階に足を踏み入れた。
「あの噂ホントかな」
言い出したのは前衛の戦士だった。
「何がだよ」
「ほら、最近ダンジョンに現れるとかいうアレだよアレ」
「ああ、真っ裸でうろついてる女のことか」
「えらい逃げ足早いんだってな」
「そりゃ恥ずかしいから逃げたくもなるさ」
「そもそも何でダンジョンなんかで裸になるのよ。頭おかしいんじゃないの?」
「冒険者やってりゃ変な性癖がつくことだってあるさ」
「お前もそうなのか?いきなり脱ぎだすとか」
「え〜ムサいオッサンの露出狂とか最悪だろ…」
「しねえよ!」
「………」
移動がてら彼らが話していたのは、ダンジョンに出没するある人物のことだった。
それは一糸纏わぬ全裸の女で、冒険者の目にとまるやいなや即座に姿を消すという。
全裸だと確認できても、顔をはっきり見た者はいない。ただし、長い黒髪なのは確かだという。
最初はゴロツキ冒険者に身ぐるみ剥がされてダンジョンに放置された女性冒険者だと思われていた。
しかし、その身のこなしや何度も目撃されることから、同一人物ではないかと言われるようになった。
モンスターが徘徊する危険地帯で、なぜ何の装備もなく全裸でうろつくのか、当の本人に問おうにも
彼女が冒険者との対話を拒んでいる以上、噂や憶測だけが飛び交う有り様だった。
「もしかして人間とかじゃなくてモンスターの見間違えじゃないかな」
「何人も見てどいつも裸の女だって言ってるぜ?」
「そこが怪しいんだよ。おおかた欲求不満で女とヤること考えてるときにモンスターに出くわして裸の女に見えたんだよ」
「女も見たって言ってるけど、それはどうなの?」
「そいつらも女が好きなんだよ」
「バーカ!」
メンバーがそんな他愛もない話に興じている中、ただ一人無言の男がいた。
(くだらねえ…)
男は心の中で悪態をつく。できるものならそう言ってやりたかった。
だが男にはできなかった。
なぜか。それは男が声を出せない身体だったからだ。
男の名はケイン。パーティーの盗賊を務めている。
彼は腕の良い盗賊であったが、数ヶ月前にトラップ解除に失敗し猛毒のガスを大量に吸い込んでしまった。
命こそ助かったが、ガスから受けたダメージは完全には癒えず、ケインは声を失ってしまった。
それ以来、ケインは身ぶり手ぶりか魔法の使えないスクロール紙でしか意志疎通ができなくなってしまった。
もっとも、ケインは毒舌で皮肉屋だったから喋れなくなったところで誰が困るわけでなく、必要最低限の
対話さえできれはよかったので、ケインを気の毒に思う物好きはいなかった。
ただ、声を失ったケインだけが悪態を飛ばすこともできず、苛立ちを抱え込むばかりだった。
(何が裸の女だよ、バカバカしい!そんなヨタ話にホントもクソもあるか!)
ケインにとってはダンジョンを徘徊する裸の女など謎でもなんでもなかった。
(どうせダンジョンで裸でハメてたか、犯されて身ぐるみ剥がされた女だろうよ、くだらねえ、ホントにくだらねえ)
実際、ケインはダンジョンで恥態を晒したり悲惨な目に遭った女を知っている。
冒険者の世界は、極端に言えば力がすべての弱肉強食の世界である。
強者は弱者を犠牲にして生きている、例えば財宝を奪うためにモンスターを殺戮するように。
それが同じ冒険者に向かえば暴行、略奪、陵辱、何をしようとダンジョンでそれを咎める者はいないのだ。
噂になっている裸の女も、結局はそういった暴力の犠牲者なのだろうとケインは考えている。
ケインは善人ではないが、そんな哀れな被害者をヨタ話で笑いものにすることに嫌悪感を抱いていた。
(お前らは自分がそうならないと信じてんのか?お目出たいなまったく…)
飽きもせず裸の女の話をしているメンバーたちに内心ウンザリするケインであったが、この後に襲い来る
悲惨な運命を彼らはまだ知らなかった。
*** ***
(く……痛てぇ……)
うっすらと意識を取り戻したケインが感じたのは、背中を刺す鋭い痛みだった。
うつ伏せになった身体にダンジョンの地面の感触が当たっている。
目を閉じたまま周囲に耳をすませると、女の叫び声が飛び込んできた。
「ぃぎィイイイッッ!?ひぎッ!!ぎぃッ!!あがああああ━━━!!」
声の主はパーティーの女メイジであった。
(カリーナかよ…ったくキンキンうるせえな、クソが…)
叫び声を聞きながらそんなことを思ったケインだったが、女メイジが尋常ならざる状況なのは察していた。
気づかれないよう、うっすら開けた目に映ったのは異様な装いの男たちと、彼らに囲まれた中で
男たちの一人に組み伏せられている女メイジの姿だった。
床に落ちた松明に照らされた女メイジはほぼ裸で、引き裂かれた着衣らしき布切れが散らばっていた。
その女メイジの両脚の間に入り、腰を使っている男がいる。
顔を布でマスクのように覆い、ローブとも違う奇妙な着衣を纏った男たちの姿を見た、ケインの脳裏に
意識を失う前の記憶が甦ってきた。
それは突然の出来事だった。ダンジョンの闇の中から“奴ら”はいきなり襲いかかってきた。
前衛の戦士3人はなんとか凌ごうとしたが、奴らの繰り出す奇妙なナイフに急所を突かれ、次々と絶命していった。
プリーストは“バマツ”の呪文を唱え、女メイジは“ラハリト”で数人を焼き払ったが、数が違いすぎた。
プリーストが喉を掻き切られた直後、ケインは背中を刺され、気を失ったのだ。
(クソ…まったくついてねぇ…しかしコイツら一体何なんだよ…)
“奴ら”がケインが死んだと勘違いしたのは不幸中の幸いだったが、状況は決して芳しくなかった。
背中に負った傷は深く、早く手当てをしなければ本当に命を無くしかねない。
ケインは万が一のためにルビーのスリッパなるアイテムを持っていた。
ルビーのスリッパは使った者をダンジョンから転移させる魔法が込められているアイテムだが、もしうかつに
動いて生きてることを知られたら確実に殺される。深手を負った体はいつものように動けないのだ。
「フン、フン、フン!」
女メイジにのしかかって腰を使う男の息づかいが荒くなり、急いた動きになる。
そして引いた腰を思いっきり突き出して唸りを上げた。
「がはッッ!? あ…あ…いやぁ……」
腰を突いたままビクビクと打ち震える男の下で女メイジが戦慄く。
やがて一息ついて男が立ち上がると、男の股間から精液を滴らせた一物がダランと垂れた。
「ああ ああ ああ」
陵辱と中出しのショックに狼狽する女メイジ。
開いた白い太ももの間に見える秘所が、破瓜の痕も生々しく精液を垂れ流している。
しかし“奴ら”は彼女に打ちひしがれる暇など与えてはくれなかった。
女メイジを犯していた男が下がると“奴ら”の中から二人の男が出てきた。
「あぐっ!」
男の一人が女メイジを蹴飛ばして腹這いの姿勢にさせる。そしてビンビンに勃ち上がった自身の一物を取り出すと
女メイジの白い尻をつかみ、秘所へ一気に突き入れた。
「ぎひィイイイイ━━!!」
女メイジの悲鳴に混じって、ズンズンパンパンと肉のぶつかる音が鳴る。
もう一人の男も一物を出すと女メイジの頭のそばに膝を着き、彼女の髪をつかんで顔を上げさせた。
そして戸惑う女メイジの口元に勃った一物の先を突きつけると、くわえるよう仕草で促した。
当然のごとく女メイジが嫌悪と拒絶の反応を示すと、首筋に奇妙なナイフの刃を当ててきた。
「ひぃ…!」
死の恐怖に屈した女メイジは目の前の男の性器をおずおずと口にし始めた。
しかしたどたどしい口淫がもどかしかったのか、男は女メイジの頭をつかむと強引に一物をねじ込んだ。
「ぉぶっ!?ぶふぉッ!!ぉぼぉおおッッ!!」
背後から、前から、二人に犯される女メイジの苦悶の叫びがダンジョンに響き渡る。
弱者は強者に屠られ嬲られる。女メイジの生き地獄はまだ始まったばかりなのだ。
(マズいな……)
生き地獄を味わっているのは女メイジだけではなかった。
“奴ら”が女メイジを犯している様子を眺めながら、ケインは徐々に迫る死の予感に苛まれていた。
できるものならさっさとルビーのスリッパを使ってダンジョンから逃げ出したかったが、“奴ら”の関心が
もっと女メイジに向けられなければアイテムを使うチャンスは無い。
そう、ケインは女メイジをエサにして逃げるつもりなのだ。
堪えられなくなった女メイジが悪あがきをして始末されてくれればいいのだが、彼女は命惜しさに
“奴ら”のなすがままにされている。もしかしたら延々と“奴ら”全員の相手をするかもしれない。
はっきり言ってケインにはお楽しみが終わるまで待つ余裕などない。こうしている間にも彼の命は削られているのだ。
「ぉぶッ!?ぶぇえ゙え゙ッッ!!ブッハッッ!!」
口内に射精され、たまらず女メイジが咽せる。
続いて背後の男も女メイジの中に存分に精を注ぎ込んだ。
女メイジを犯した二人が下がると、また二人の男がやってきて女メイジを引き起こした。
背後の男が女メイジの両脚の太ももを抱えて股を開かせると、前からもう一人の男が女メイジの秘所を貫いた。
「ッッ…! くぅ…!」
挿入も3度目となると悲鳴は上がらなくなった。
男が腰を使い奥を突き上げても、女メイジは固く目をつむり唇を結んで堪えていた。
快感は覚えてなくとも男を受け入れることに順応していったのだろう。助かりたいがために必死になっているのは
女メイジも同じなのだ。
だが、そんな彼女の苦悩など“奴ら”には楽しみを味わうスパイス程度でしかない。
突然、背後の男が女メイジの身体を前の男に預けた。女メイジは思わず前の男にしがみつき、その両脚が
前の男の手に抱えられたその直後、女メイジの尻を男の手が押し広げた。
「??!!」
驚く女メイジの肛門に熱くみなぎった男の性器が突きつけられる。
「ああダメ、そこだけはダメ、ダメだからあああ!!」
慌てて制止を訴える女メイジの叫びも空しく、背後の男は女メイジの肛門に己が一物をねじ込んだ。
「ぐッ!?がッ!?あ゙があ゙あ゙あ゙あ゙あ゙━━━ッッ!!!!」
女メイジの上半身が反り返り、見開いた眼が激しく乱れる。
前後から二人の男が彼女をがっちり押さえ、秘所と肛門をズブズブと責め立てる。
処女の純潔を破られて間もなく、肛門までも犯され、女メイジは堰を切ったように泣きわめいた。
「ゔあ゙あ゙あ゙あ゙イヤあ゙あ゙あ゙ー!!もうイヤああああー!!ゆるしてゆるしておねがいだからああああ━━!!!!」
二人の男に犯されながら恥も外聞もなく泣き叫び許しを乞うその姿からは、メイジとしての
知性や誇りはとうに消え失せていた。
(ああうるせえ、ギャアギャアギャアギャア傷に響くじゃねぇかこのクソアマ!)
女メイジの醜態に心の中で毒づくケインだったが、事態は彼にとって良い状況になりつつあった。
目の前で行われる陵辱に欲情を刺激された“奴ら”が女メイジの周りに徐々に集まりだしたのだ。
あろうことか周囲を警戒していた者までも、陵辱の輪の中へ入ろうとしていた。
たとえ冒険者やモンスターに出くわしてもこの数なら余裕で血祭りにできる、そういう驕りが“奴ら”にはあったのだ。
ゾロゾロと向かう“奴ら”を見ながら、ケインはルビーのスリッパを使うタイミングを計っていた。
その時である。ケインのそばに何かが転がってきた。
(───!!)
ゴロゴロと視界に入ってきたそれを見たケインは思わず出ないはずの叫びを抑えてしまう。
それは男の生首だった。
だが、生首といっても殺害されたパーティーの仲間でもなければケインの知ってる顔でもない。
となれば、これは“奴ら”の中の一人である。ケインの中に戦慄が走る。
(“奴ら”よりヤバいヤツが来ている!)
仲間が殺されたのにまだ気づかないのか、“奴ら”は女メイジの周りに群がっていた。
中にはズボンを下げ、股間を締め上げる奇妙な下着から一物を出して扱いているヤツもいる。
精を放った男の唸り声が上がり、入れ代わりに別の男が女メイジを犯している。
誰もケインに気づかない状況はアイテムを使う絶好のタイミングであったが、ケインは動かなかった。
いや、動けなかったのだ。
視界の向こうではおぞましい陵辱の宴が続いていた。
“奴ら”の群がる中から上がる、女メイジの呻きとも喘ぎともつかない声。
訳のわからない言葉ではやし立てる“奴ら”の声。
床の松明に赤く照らされたその光景は終わらない悪夢のように思えた。
と、不意に松明の火が揺らめいた。風もないのに。
すると次の瞬間、“奴ら”に向かって無数の銀色の閃きが飛んでいった。
ドスドスドス!!
瞬く間に“奴ら”がバタバタと倒れてゆく。
その額や首筋にはナイフよりも小さな刃物が突き刺さっていた。
刃物が刺さっても生きていた者もいたが、彼らも苦しみ悶えながら絶命していった。
どうやら刃物には毒が塗ってあるらしい。
「テキシュウ!テキシュウ!」
変な言葉を叫び、奇妙なナイフを構え迎撃に動き出す“奴ら”だったが、そこへ人ほどの大きさの何かが投げ込まれた。
それは首の無い死体だった。その奇妙な着衣からして首を落とされた“奴ら”の一人に違いなかった。
すると突然、死体の着衣の間から白煙が吹き出した。
白煙は周囲に立ち込め、“奴ら”をたちまち覆い隠してゆく。
(何だ?一体どうなってる!?)
白煙に視界を奪われ動揺するケイン。
まさかこの煙は毒ガスなのか、そんな不安が頭をよぎったその時、何かの足音が駆けていった。
靴や履き物の足音ではない、あえていえば動物、それは“奴ら”に真っ直ぐ向かっていった。
「ギャー!」
「グワー!」
「ギャー!」
「グワー!」
白煙の中から次々と上がる断末魔。何かが“奴ら”を次々と倒しているのだ。
ケインはただ息を殺し、殺戮が終わるのを待ち続けた。
やがて断末魔が途絶えると、視界を遮る白煙も徐々に薄くなっていった。
開けた視界に見えてきたのは、無惨な骸となって転がる“奴ら”の姿だった。
首の無い死体とそうでない死体が入り混じり、床に転がっていた。
そして遂に現れた殺戮者の姿にケインは驚愕した。
(マジかよ!!??───)
それは衣装はおろか糸すらまとっていなかった。
絹のような柔肌には傷一つなく、魅惑的な曲線に象られたその肢体は鍛えられた肉体と女性としての艶めかしさを
合わせ持ち、表情を殺した美貌の後ろでは長い黒髪を根元と先端の二カ所で束ねて留めていた。
それはまぎれもなく噂で語られる“裸の女”だった。
ケインが聞いた足音は裸足の彼女が立てた音だったのだ。
「ア…アア…」
怯えて震える男の声がした。
声の主は“奴ら”の最後の一人だった。しかしその姿にケインは眉をひそめた。
何と男は腹這いになった女メイジを抱え、変な声を上げて腰を振っていたのだ。
正体不明の何かに襲撃され、仲間が次々と殺されているこの状況で。
「チクショウ!ヌケナイ!ヌケナイ!」
(……何考えてんだこのバカは…)
こんな状況でも女メイジを犯すのを止めない男の浅ましさにケインは心底呆れかえった。
実は女メイジが膣痙攣を起こしたせいで一物が抜けなくなり男は非常に焦っていたのだが、そんなことは
ケインにも裸の女にもわかるわけがないし、どうでもいいことであった。
裸の女は女メイジの目前まで歩み寄ると、背後の男めがけて神速の蹴りをお見舞いした。
秘所が露わになるのも構わずに放った一撃は男の首から上を見事に吹っ飛ばし、ダンジョンの壁に
血しぶきと脳味噌の汚いペイントをぶちまけた。
こうして“奴ら”は全滅した。たった一人の裸の女によって。
(終わった……のか…?)
一部始終を目の当たりし、そんな思いがケインの脳裏によぎる。
ヨタ話のネタに過ぎなかった裸の女は実在した。しかもパーティーを全滅させた“奴ら”を皆殺しにしたのだ。
想像や理解を越えた事態に、ケインは自分は夢を見ているのではないかと疑ってしまう。
だが夢でないことはケインを苛む死の痛みが現実だと確かに告げている。
“奴ら”の敵ということはこっちの味方かもしれない。ふとそう思ったケインの考えを、彼の中の何かが強烈に否定した。
“あの女は味方じゃない!気づかれたら殺されるぞ!”
それは瀕死のケインの幻聴だったのか。
その答えは間もなく明らかとなった。
「…す…けて……」
微かに掠れた声がした。
「たす…けて……たすけて……」
それは女メイジの救いを求める声だった。
床を這い、裸の女にとりすがろうとする女メイジの背中に首の無い死体が乗っかっている。
「たすけて…たすけて…」
女メイジのそれなりに美貌だった顔は恥辱と苦痛に歪み、こびりついた精液と涙と鼻汁に汚れて、実に痛ましいものだった。
普通なら裸の女を警戒なり怪しむなりするはずだが、今の女メイジには“奴ら”の陵辱から解放してくれた
救世主か女神に見えたのだろう。
「……」
そんな女メイジを裸の女は黙って見下ろしていた。
何かためらっているような感じだったが、やがておもむろに身をかがめ片膝を着くと、女メイジの顔に手を伸ばした。
「ああ」
両手に顔を包まれた女メイジが安堵とも歓喜ともつかない声をもらす。
これを同性からのいたわりだと思ったのだろう。女メイジの表情がたちまち和らいでゆく。
しかし彼女は見落としていた。裸の女の表情が全く変わっていないことを。
女メイジに触れた両手が顔をしかとつかんだ。
そしてしばしの間を置いたその時だった。
べギッッ!!
それは首の骨をへし折る音だった。
その瞬間、ケインは懐のルビーのスリッパを掲げ、強く念じた。
(“ロクトフェイト!”)
たちまちケインの周囲の風景が歪み、輪郭や色彩が崩れていく。
転移魔法を使った際に生じる空間の捻れが見せる現象である。
だが、すべてのモノが色や形が曖昧に混じってゆく中、一つだけ形を留めている存在がいた。
それはあの裸の女だった。
しなやかな獣のような裸体が、冷たい美貌に確固たる殺意を宿した眼差しが、ケインに向かっていたのだ。
時間にすれば一秒ですらないのだが、ケインにはとてもスローなものに感じられた。
女の足が地を蹴り、全身を伸ばしてケインに飛びかかってくる。
絶対の死をもたらす指先がケインの目前に迫る。
1メートル。50センチ。10センチ。
そして数センチを切ったその時、女の形が歪んで、消えた───
*** ***
(…く……空、か…)
鮮やかな空の青にケインは思わず目を伏せる。
鼻腔を通る空気はあのダンジョンの、臭いのこもった湿っぽいものではなかった。
そこは町外れのダンジョンに向かう街道だった。
「おい!アンタ大丈夫か!?」
誰かが呼びかけている。ケインは返事の代わりに弱々しく手を振った。
人の気配が次第に集まり、ケインを見て何やらささやいている。今のケインの身なりを見れば当然の反応だろう。
「アイツなんで裸なんだよ」
「ダンジョンで身ぐるみ剥がされたんじゃね?」
「いきなり空中から出てきたってよ」
「ロクトフェイトを使ったのか…」
「とんだ物好きもいるんだなぁ」
ルビーのスリッパに込められた魔法、ロクトフェイトは使った者を地上に帰すのと引き換えに
装備やアイテムや所持金を失うというデメリットがあった。
ゆえに、ロクトフェイトで帰還する冒険者は非常に珍しいのだ。
(ゴチャゴチャうるせえよクソが…)
見物人の喧騒を聞きながら、ケインの意識は闇に沈んだ。
それからカント寺院に搬送されたケインは奇跡的に一命をとりとめた。
ケインの生への執念と強運が死の絶望に打ち勝ったのだ。
しかしその代償として、ケインはパーティーの仲間と治療費としてヘソクリの大半を失った。
ケインの帰還を知り、パーティーに縁のある連中がケインに事情を尋ねてきたが、彼はこう答えた。
【よくあることさ】
魔力を失ったスクロール紙にそう記してそれ以上は何も伝えなかった。
その意味を問い質そうとする者もいたが、ケインが話せないのを知ってるだけにしつこく
問われることはなかった。そしてケインも本当のことを語るつもりなどなかった。
いきなり現れた裸の女が謎の連中を一人で皆殺しにしたなんて誰も信じるわけがないし、ましてや仲間の女メイジが
犯されるのを黙って見ていたあげく見殺しにして逃げ帰ったなんて、馬鹿正直に話す必要があるのだろうか。
それから間もなく、ケインは逃げるように町から去っていった。
死んだ仲間を放置して逃げるなどとパーティーにあるまじき行為だが、ケインにしてみれば裸の女に
再び出くわしたくなかったのだ。次に会ったら必ず殺される。そんな確信がケインにはあった。
メンバーを募って死体を回収しに行ったとしても“奴ら”はともかく、あの女を相手に戦えるのか。
そんな冒険者はケインの知りうる限りでは存在しなかった。
【×階層の○○、××にアイツらはいる】
ケインが去った後にこんなメモが残されていた。
運があれば他のパーティーが助けてくれるかもしれない。それは彼なりのせめてもの償いであった。