濃密な暗黒の霧の中、彼らは危機に瀕していた。

「やれやれだぜ。呪文封じにダークゾーンと落とし穴の連携、こいつはなかなかに厄介だな」
「さすがに脱出を考えねばなるまい。私も、もう体力が持ちそうにない。アブドルのタクシーを
使うか?」
「魔術師が言ってんのって、あの親父かぁ? でもよ。あの髭、なーんか胡散臭いんだよな。
それによお。前にも一回乗ったけど、おれはどうもあの浮遊感は好きになれないんだよなぁ」
「まあ、魔法も使えん状況では背に腹は代えられん。わしもそろそろ限界じゃ。さっきあやつ
と会ったのは、どの辺りじゃったかの?」
「確か、一旦、回れ右してから三ブロックほど先を左ですよ」
「じゃあ、案内は僧侶に任せるわ。行きましょう」

「ようこそアブドルタクシーへ」
 ダークゾーンの中、そこだけが急に闇が途切れた空間の中。冒険者たちの視界に映ったの
は、引き馬のいない馬車、とでも形容すべきだろうか? 黄色く塗られ、丸みをおびた形をした
奇妙な箱形の四輪車だった。そして、その脇に立つのは、黒いフードを被り口元をフェイスベー
ルで覆い隠した一人の女。
 濃いアイラインで縁取られた大きな目がエキゾチックな印象を与えるその女は、黒地に金の
刺繍の入った衣装を纏っていた。その乳房のみを覆うホルターのトップスは見事な胸の谷間
を殊更に強調し、深く腰までスリットの開いたスカートは腰から膝の辺りまでピッタリとフィット
して、その美しい脚のラインを惜しげもなく晒している。
 しばらく前にここで会ったアブドルとは似ても似つかない、どころか、性別すら異なる褐色の
美女。だが、その女からは、どこかしら彼と同じ異国の空気のようなものが感じられた。
「てめえは誰だ。なぜここにいる」
「ですから、アブドルタクシーでございます」
 予想していなかった光景に、思わず身構える冒険者たち。だが、そんな彼らの様子をよそに、
女はあくまで礼儀正しく返事を返す。
「ああ、いやそれはわかったが。しかし、これは……」
「うむ。グンバツな脚をしておるの」
「いや、そうじゃなくってですね」
「さっきここで会った時には、確かに髭面のターバンを巻いた男だったはず」
「ああ。それに、あれがタクシー? 前に乗ったのとは随分違うようだが」
 女には聞こえないように呟いた戦士に魔術師が同意した。
 彼らは以前、迷宮の第三層を探索している時に、一度だけ、アブドルのタクシーを利用した
ことがある。二人のやり取りを聞き、仲間たちはそれぞれにその時のことを思い出していた。


 アブドルのタクシー。その外観は、リルガミンより遙か南の地方ではリキシャとも呼ばれて
いる、いわゆる一つの人力車である。ただ、最大六人の冒険者を乗せるため、その大きさは
大型の二輪馬車ほどもあった。
 料金を支払って六人全員がタクシーに乗り込むと、アブドルとは別の痩せた男が、それを軽
々と引っ張って走り出した。しかし、その向かう先は迷宮の石壁。慌てる彼らを尻目に、猛然
と壁を目掛けて走るタクシーは勢いもそのままに石壁に激突し、全てが木っ端微塵に砕け散
った――

 ――そう思った瞬間。彼らは空の上にいた。

 空中を走るタクシーは、緩い放物線を描いて下降しつつ進んでいく。後ろを振り返ると、天
にそびえ立つ梯子山の岩壁が凄まじい速度でどんどんと遠ざかっていくのが見えた。
 どれぐらいの時間、タクシーに乗って空中遊泳をしていただろうか。しだいに速度を緩めた
リキシャは、ふわりと地上に着陸すると、軽く横滑りをしながら停車した。そこは、ニルダの杖
が作り出すリルガミンの結界のすぐ外。草原の中、そこだけ草一つ生えていない円形の空き
地の中心だった。

 
 
「あー。やっぱり、おれ、あの感覚駄目だわ」
「そう? 私は凄く楽しかったけど」
 以前使ったタクシーを思い出し、その感想を改めて口にする冒険者たち。そして、記憶の中
のそれと、目の前にあるものを見比べて、再び首を傾げるのだった。
「確かに、前に乗ったのとは全く違うもののようだ」
「まあ、どうでもいいじゃないですか。タクシーはタクシーでしょう」
「そうだぜ。あんな髭のおっさんよりは、こっちの方がよっぽどいい」
「タクシーも使う者が少ないから、サービスの向上を計っとるんじゃないかの」
「女性になっても私は別に嬉しくないけどね。まあいいわ。ともかく送ってもらいましょうか」
 そう言って、君主は懐から金貨を入れた革袋を取り出した。
「では、六名様で四万八千ゴールドになります」
 ベールの女の言葉に、一同全員が耳を疑った。
「はァッ!? いくらなんでもボリ過ぎだろ! さっきは五千ゴールドって言ってたぞ?」
「いえ、正規料金でございますが?」
 戦士の抗議に対し、しれっとした顔で女は返事をする。 
「また、随分と足下を見た値段設定ですね」
「くそっ。だが万一があって全滅でもしては意味が無い。おい、みんな。今いくら持っとる?」
 彼らが迷宮に入る際には、その万一を考えて、パーティー資金のほとんどをギルガメッシュ
の酒場で待つ司教に預けている。そのため、一人一人が数万もの金を持ち歩くことなどはほ
とんどない。
 だが、今回の探索では財宝に金貨ばかりが多かったことが逆に幸いした。仲間全員の持ち
金を集めてみると、合計で六万四千を少し越える十分な額が手元に揃っていたのである。
「じゃあ、これでいい?」
「少しお待ちを……確かに、頂戴いたしました」
 女が、受け取った金貨を車に付いた箱に入れると、その上に付いた数字の板がクルクルと回
転して、その合計金額をはじき出す。
「ほう。これは、どんな原理で動いてるんだ?」
「高く付いたわい。全く、いい商売をするのう」
 四万八千ゴールドを料金として支払い、男五人が千五百ずつ、残り全てを君主が預かって、
冒険者たちは金の分配を終えた。

「じゃあ、送ってもらいましょうか」
「では、お一人ずつ順にお送りしますので、行き先をお選び下さい」
「は?」
 その女の言葉に、一同は困惑の表情を浮かべる。
「いや、お前さん、なにを言っとるんだ? わしらはリルガミンに戻りたいんだが。それに、一人
ずつとはどういうことかな?」
 さすがになにかが妙だと思い始めた一行は、一斉に武器を抜き放つと、女を警戒して身構え
た。だが、それでも女はその冷静な態度を崩すことはなく、そこで初めて気が付いたかのように、
ポンと一つ手を打った。
「ああ、わかりました。お客様方、勘違いなさっているようですが、私どもはアブドルのタクシーで
はなく、アブドルタクシーでございます」
「え?」
「ですから、私どもは『ABNORMAL DREAM WORLD TAXI SERVICE』略してアブドルタクシー。
つまりは『ABDUL'S ETHEREAL TAXI SERVICE』であるアブドル“の”タクシーとは違います」
「ハァッ!? それって、名前を語った詐欺じゃねえのか? なんだよ“の”って!」
「その前に、アブノーマルってなんなのよ。アブノーマルって」
「私たちは街に帰りたいだけなんだ。そんな、いかがわし気なサービスはいいから、払った料
金を返してもらおう」
「はあ。詐欺とは聞き捨てなりませんが、まあ、仕方ありませんね。私どもはきちんとした商
売をしておりますので、お間違いになられたというのなら、お受け取りした料金はお返しいた
します」
「当然だ」
「でも、本当によろしいのですか?」
「なにがだ?」
「私どもは、不定期に無作為な場所でしかお客様を拾わないので、遭遇する機会は滅多にご
ざいませんよ。いくら私どものサービスを望んでも、その機会を得られぬまま一生を終えられる
方々も大勢いらっしゃるというのに」
「いや、だからおれたちは今それどころじゃ――」
「折角、どんなアブノーマルなプレイでも楽しめる環境をご用意しているのですが。勿論、夢と
銘打ってはいても、決して幻術の類ではございません。この現実の世界に於いて、如何様な
アブノーマルな夢の世界にでもご案内するのが、アブドルタクシーの売りでございますから」
「……」
「……」
「……その。それは、どんなアブノーマルなプレイ内容でも?」
「ちょっと、なに聞いてるの戦士」
「はい。社会的にはとても大っぴらにできないような性癖にも対応しております」
「例えばどんな?」
「ちょ、盗賊も乗らない!」
「そうですね。軽いところなら、目隠し愛好・猥褻語多用癖・疑似獣姦・体臭愛好・露出願望・
臀部愛好・無毛嗜好・少――」
「いや、十分だ」
 女の言葉を遮った魔術師にホッとした表情を浮かべた君主だが、その表情は一瞬にして崩
れ去ることになる。
「もっと、アブノーマルな……とりあえず中級あたりを聞かせてくれ」
「なにを言ってるのあなたまで!」
「中級なら、そうですね……眼球愛好・矮人嗜好・幼児性愛・妊娠性愛・母乳愛好・毛髪性愛・
浣腸愛好・嗜尿症・睡眠愛好・処女凌辱症――」
「も、もう止め――フグゥッ!?」
「もう一つ上を聞かせてもらいたい」
 叫ぼうとする君主の両腕を戦士二人が押さえ、彼女の口を塞いだ盗賊が、その更に先を促す。
「さすがに、私の口から言うのは憚られますが……まあ、これも仕事です。仕方ありませんね」
「それで?」
 むしろ、その女の口からそれを聞きたいとばかりに、僧侶が身を乗り出した。 
「では。肉体欠損嗜好・埋葬愛好・低酸素愛好・嗜糞症・吸血症・死体性愛・食――」

* プツン *

「いい加減にしろぉッ! この変態のビチグソ野郎どもッ!!!」
 これまでその口から発せられたことの無い口汚い言葉を発しながら、君主が男二人を壁に叩
き付けた。彼女はそのままツカツカと女の方に詰め寄り、その胸ぐらを掴んだ。女のホルターが
捲れ上がり、その美しい形をした乳房が露わになる。
「あなたもあなたよ。仕事だからって、女がそんな、そんな言葉を次々と並べ立てて!!」
 だが女は、そんな君主の剣幕にも臆することなく、腰帯に挟んでいた一枚の羊皮紙を取り出
し、それを君主の顔の前にスッと差し出した。
「女性の方向けには、このようなメニューもございますが?」
「なにが女性向けのメニューよ! こんなも……のッ……え? 本当に…………嘘ォ!?」
 女の胸ぐらを掴んだ手を離して羊皮紙を受け取ると、君主は目を瞬かせながら、その文面を
食い入るようにして読んでいる。そんな君主を尻目に、女は乱れた着衣を整えて男たちの方に
向き直った。
「ちなみに、お時間は四時間のコースとなっております。さて、いかがいたしましょうか。お・きゃ・
く・さ・ま?」
「よろしくお願いします!」
 君主も含めた六人全員が、異口同音に同意の言葉を叫んだ。
「ご利用、ありがとうございます」
 タクシーの扉がゆっくりと開き、ベールの隙間から覗く目を弓形に細めて、女は初めての微笑
みを見せるのだった。
 
* * *

 アブドルタクシーから最後に出てきた君主は、ポーッと熱に浮かされたような夢見心地の表
情を浮かべていた。すでに車の外で待っていた男たちも、一様に心ここにあらずといった様子
で、思い思いの場所に座り込んでいる。

 順に一人ずつが車の中に入り、中で待つ女に行き先を告げると、アブドルタクシーは走り出
す。そして到着地点で、乗った時とは逆の扉を開くと、そこはもう自分の望んだ夢のような現
実世界。四時間の間なら、どんなアブノーマルなプレイでも思うがまま。追加料金として、一
時間につき一人千五百ゴールドを支払うことで、三時間までなら延長も可能である。
「では、今回のご利用、真にありがとうございました。お客様方に幸運があれば、また、お会
いすることもあるでしょう」
 ベールの女は指を揃えて深々と頭を下げる。
「ところで、あんたとのプレイはできないのか?」
「私はあくまで案内役ですので」
「おれも彼女となら、すぐにでもお願いしたいんだけどな」
 誘いをかける戦士を軽くあしらう女を眺めて、もう一人の戦士が残念そうに言う。
「そもそも、もう料金が払えないだろう。それに私は今すぐにはちょっと無理だ」
「一体、どんな激しい変態プレイをしたんですか魔術師?」
「それを言うなら僧侶もじゃろ。多分、お前さんが一番、普通じゃないわい」
「それはあなたも一緒でしょう。ちなみにぼくは霊――」
「やめて、聞きたくない。それより、早くアブドル“の”タクシーを見つけて帰りましょう?」
「そうだな。とりあえず宿に帰って寝たいわい」
 君主の言葉に同意して、男たちも重い腰を上げる。

「じゃあ、行くか。あ、でも、実はおれ、延長したからすっからかんなんだよな」
「帰ってきた時間がほとんど一緒なんですから、みんなわかってますよ。最初に戻ってきた人
がどうだったかはわかりませんが」
「最初はわしだ。しかし、わしも延長したから、文無しだな」
「と、なると全員が延長したのか。最後に戻ってきたということは、なにげに君主も延長したん
だな。まあ、君主には八千五百ほどは預けてあるから問題あるまい」
「あ。その、えっとぉ。私……さ……間」
 なぜだか、後ろめたそうな様子で、もごもごと言葉を濁す君主。
「ん、どうした君主?」
「だから。……私、三時間、延長しちゃったからぁ、もう四千ゴールドちょっとしかお金が残って
無いの!」
「はい? え、お前、あんだけ言っててそんなに楽しんできたのかぁッ!?」
「だって! しょうがないじゃない、あんな、あんなこと」
 自分のしてきたプレイの内容を思い出したのか、君主は顔を真っ赤にして顔を隠した。
「今更、恥じらうなよ!」
「せめて、二時間までにしとけば、最低限必要な五千ゴールドは残っただろうに」
「だって、誰か一人ぐらいは延長せずに戻ってくるかと思ったから!」
「いや、それ以前におかしくないですか? 君主が戻ってくるのに、我々とそれ程に時間の差
があったわけじゃありませんよ」
「あ、それなのですが」
 と、まだその場に留まっていたタクシーの窓からベールの女が顔を出す。
「タクシーの行き先で起こったことは、紛れもなく全て現実なのですが、あの空間そのものは
魔法的な空間ですので、ここと時間の流れは違いますよ」
「もしや、あちらで過ごした時間と、こちらで経過する時間には食い違いが出る。と、いうこと
なのかな?」
 瞬時に女の言いたいことを理解した魔術師が質問をする。
「ええ。といっても、ご安心下さい。向こうでの一時間がこちらの一年などということはございま
せんから。むしろその逆で、あちらの一時間はここでの五分に過ぎません。特に問題は無い
だろうと思って、事前にはお伝えしなかったのですが」
「な、じゃあ。君主は本当に三時間延長したってえのか。羨ましいィィィィーッ! 俺も、あとた
った三千ゴールドあれば、もう二時間あんなことやこんなことができたのに!」
「いや、そんなこといってる場合じゃないでしょう」
「では、ごきげんよう皆様。またのご利用の機会があることを願っております」
 と言うやいなや。女が乗り込んだタクシーはダークゾーンの中を、どこへともなく走り去って
いった。そして、辺りは再び重苦しい闇に包まれた。

「さて、ぼくたちはどうします?」
「どうするもなにも、足らずの千ゴールドを稼ぐしかないじゃろうな」
「私も盗賊も運が悪ければマハリト一発で死ねますね」
「なあ、君主。いきなりだが、お前に一つ頼みがある」
「え? 頼みって……それ、今じゃなきゃいけないわけ?」
 突然、深刻な声音で語りかけてきた戦士に、君主が怪訝そうに返事をする。
「ああ。今、言えなかったら悔いが残るかも知れないからな」
「なによ。とりあえず聞いてあげる」
「もしおれたちが無事に街に帰れたら――」
 男は手探りで君主の両肩に手を置いて、彼女の体をグッと自分の方に引き寄せる。
「帰れたら?」
 いつになく真剣な戦士の声に、思いがけず胸が高鳴る君主。
「――お前がしたプレイの内容を事細かに聞かせてくれ」
「…………。ば、馬鹿じゃないの!? そんなこと言えるわけないでしょう!!」
「いいじゃんかよぉ。お前だけ、おれたちより二時間も延長したんだろ? タクシー代が無いの
も、言ってみればお前のせいじゃないか」
「まあ、それもそうじゃの。それに、それぐらいの目標があれば、これからの戦闘にもやりがい
が出るってもんじゃ」
「ぼくも君主がどんなアブノーマルな性癖を持っているのか気になりますね」
「それが我々で実現可能なことなら、なんならもう一度体験させてあげるのもいいだろう」
「異存はない」
「ハッハッハッ。そりゃいい。それなら君主も文句は無いじゃろ」
「おい。なんだか君主がプルプルしてるぞ。また怒らせたんじゃないか?」
 実際、彼女は拳を握りしめて、全身を小刻みに振るわせていた。擦れ合う鎧の金属がカタ
カタと鳴る音が暗闇に響いている。
 マズい、これは調子に乗りすぎたか。と、男五人がそう思った時だった。
「……き……ろ」
 呻くような声で君主がなにごとかを呟いた。
「どうした? ごにょごにょと君主らしくもない」
「せ……え……ぶろ」
「だから、なんだと言うんじゃ?」

「精液風呂ッ! せ・い・え・き・の・お・ふ・ろ!!! それが私のしてきたプレイ!」

「ハアァァァァアァァ〜〜〜〜〜ッ!?」
「い、言ったからには、みんなで無事に帰って、絶対に実現してもらうわよ! ほら、なにをボ
サッとしてんの! 残り千ゴールド、どうやってでも稼ぐんだから!!」
「オ、オイ。引っ張んなって」
「あやつ。なんか、フッ切れたの」
「ああ。完全にフッ切れたな」
「よし、やるぞ。なんだか生き残れそうな気がしてきた」
「ぼくもですよ。彼女をどろどろにせずに“R.I.P”なんて死んでも死に切れませんからね」
 意気を上げて二人の後を追う四人。その前方ではすでに剣戟の火花が散り、君主の発する
甲高い気合いの声が闇を裂いて響き渡るのであった。


〜 了 〜