暗い通路で彼女は待っていた。
仲間の皆が戻ってくるのを、独りで待っていた。
キャンプを張って魔除けの陣の中にいる限りは、彷徨うモンスターに出くわす心配はない。
しかし逆に言えば、一歩でもここから出ようものなら、いつ襲われてもおかしくはない。

それに彼女はどこへも行く訳にはいかなかった。
戦闘ひとつしたことのない僧侶が、ひとりで迷宮を探索するのは自殺行為だろう。
安全な街へと続く出口はすぐそこにある。
しかし彼女はそこから迷宮の外へ逃げ出すことを、仲間達から禁じられていた。
もっとも果たして彼らが本当に仲間と言えるかどうかも怪しいものではあったが…。



彼女は故郷のノームの村を出て、一昨日この城下町に着いた。
そして昨晩、酒場で仲間を見つけた。
煌びやかな防具の君主、刃物のように鋭い目付きの侍、そして知的な雰囲気の司教だった。
全員が見るからにレベルが高そうな人間で、実際、司教の男は既に全呪文をマスターしているとのことだった。
未だ冒険らしい冒険をしたこともない彼女にとって、三人は雲の上のような存在だった。
そんな彼らに声を掛けられては断ることも出来るはずがなく、彼女はただ頷くことしかできなかった。
人数が足りないのが気になったが、何でも戒律の問題とかで残りのメンバーとは地下迷宮で待ち合わせとのことだった。

「何も心配することはないから気を楽にしてね。
君が前に出て戦うことはありえないから、手ぶらで来てくれた方が助かるよ」
君主のその優しい言葉を信じて、今朝、彼女は迷宮の入り口にやって来た。
戒律の異なる者が、ここで待ち合わせるのはよくある話だと彼女も酒場で聞いていた。
そして彼女が着いた時には、既に昨晩の三人以外のメンバーが待っていた。
そこに立っていたのは周囲に恐るべき威圧感を振りまくドワーフの戦士と氷のように美しいエルフの司教だった。
そして二人の影に溶け込むように、ホビットの忍者が心荒む笑みを浮かべていた。

「え?6人揃っている?」
未経験者の彼女が根拠など知る由もないが、パーティメンバーは6人までという慣例は知っていた。
そんな戸惑う彼女をひとり残して、6人はパーティを組み直した。
そしてエルフの司教が、すれ違いざまに小さな護符を彼女に向かって無造作に投げて寄越した。
「貴方、その魔除けを持ってなさい。そこを動いたり、余計なことをしたりしては駄目よ」
続いて黒い鎧の戦士が割れ鐘のような声で言った。
「間違っても街に戻ろうなんて考えるんじゃねぇぞ。問答無用でそいつを回収されちまうからな」

気圧されて一歩下がった彼女の耳に、背後から隙間風のような声が囁いた。
「万一持ち逃げなぞしたら、お前がどこに逃げ隠れしようと見つけ出して殺す。そして生き返らせて、すぐまた殺す。
百回でも千回でも生き返らせてすぐ殺す。お前という存在がこの世から消滅するまで何度でも殺す」
彼女はギョッとして振り向くが、そこには誰の姿も見えなかった。
そしてもう一度前を向き直ったときには、既に仲間達は彼女を残して冒険に出発していた。



仕方なくそれ以来、彼女はこの何もない場所で待ち続けていた。
もう一時間は経っただろうか?それとも既に半日以上経ったのだろうか?
昼も夜もないこの迷宮では、もうどれだけの時間が過ぎ去ったのかが分からない。
それでも彼女には待っていることしか出来なかった。
時おり人か魔物かも分かりはしないが、遠くから断末魔の悲鳴が聞こえてきた。
暗くて良くは見えないが、魔除けの陣のすぐそばを、魔物の群れが通り過ぎていくのも何度となく感じた。
そんな魔物の巣窟の中でただ待ち続けるのは、初心者の彼女にはあまりにも恐ろしいことであった。

流石にもう彼女の心が折れそうになった頃、ようやく数人の人影が闇の中から浮かび上がってきた。
安堵のあまりに膝が崩れそうになりながら、彼女は魔除けの陣からまろび出た。
そのまま駆け寄ろうとした所で、彼女は人違いだということに気がついた。
それは華麗な法衣や漆黒の鎧とは似ても似つかない、薄汚れた服をきた胡散臭げな5人の男達だった。
そして彼らは立ちすくむ彼女に気づくと、逃げ道を塞ぐように取り囲んだ。

「こんなに怯えちゃって、可愛いねぇ。もしかしてここは初めてか?」
「ノームかぁ。背がちっこい割りにはいい乳してやがんなぁ」
「安心しろ。持ってる物全部よこせば、命まで取りはせんぞ」
「まぁお前自身は皆でマワしてから、娼館行きだけどな」
「女ァ、久しぶりの女ァ、早くシテェ」



魔物の巣窟である迷宮の中にまでは官憲の手は届かず、力こそ正義の無法地帯となっている。
それだけに悪の戒律すらも踏み越えて、人の道を外れる輩もここには少なくない。
冒険者の中には剣の道、魔の知識を窮めんとするうちに、それ以外を見失ってしまった者達がいる。
また、生きのびる為に戦っていたはずが、気づけば動く物全てを惨殺するようになっていた者達もいる。
そして物欲に負け、他の冒険者を襲って安直に金を稼ごうとする者達もいる。
もっとも彼らのように浅い階層で初心者を狙って小銭を稼ごうとする者は、大した実力を持たない者ばかりだ。
ローグと揶揄される彼らにとって、彼女は絶好の獲物に見えたことだろう。

「おっと、逃がしゃしないぜ」
振り切って走り出そうとする彼女の手首を、野盗の節くれだった手が捕まえた。
別の男が反対の手首も掴み取ると、彼女一人の力ではどうしようもなくなった。
「いやっ、離してっ!誰か!誰かお願…ん〜っ!ん〜っ!…」
すかさず後ろから伸びた手が、叫ぶ彼女の口を塞いだ。
「黙れ、うるせぇぞ」
「ここだと他の奴らも通る。もっと奥の方に連れて行こうぜ」

助けを求める彼女に、応える者は誰も居なかった。
しかし応える「物」ならばあった。
それは彼女の右手に握られた、小さな護符だった。
彼女の握り締められた白い指の隙間から、黒い光が漏れ出した。
するとがっしりと彼女の手首を掴んでいたはずの男の手が、ヌルリと滑るように抜け落ちた。
石壁もグニャリと歪み、硬いはずの床は泥沼と化して、彼女の足はズブズブと沈み始めた。
再び掴み掛かる男の手は、幽霊のように彼女をすり抜けた。

「な、何が起こってる?」
「このアマっ!アイテムか何か使ってやがるぞ」
男たちのくぐもった声が、やけに遠くに聞こえた。
右手から溢れ出した闇に飲み込まれ、彼女は虚空へと放り出された。
何も見えず、何も聞こえず、何も触れない絶対の無の中で、彼女はパニックを起こした。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに彼女は再び硬い石の床に立っていた。
そして気が付けば周囲の様相は一変していた。
男達の姿はなく、通路に居たはずが、かなり大きな広間の中央に彼女はポツンと立っていた。



「一体何が…まさか空間転移…」
手の中の護符を見つめて呟いた彼女は、僧侶であって司教ではない。
しかし司教ではない彼女だったが、その護符の正体には気づいた。
いや、誰であれその圧倒的な魔力には気づかざるを得ないだろう。
先ほど無造作に投げ寄越されたそれこそは、全ての冒険者が夢見る品だった。
「アミュレット…オブ… …ワードナ…」

これを城へと持ち帰れば、狂王トレボーより莫大な報酬を与えられた上で、名誉ある地位が約束される。
そもそもこれを手に入れる為にこそ、彼女は村を出てこの恐るべき迷宮に足を踏み入れる決心をしたはずであった。
善の戒律を守る彼女でさえ、このままこれを自分の物にしたい誘惑に一瞬負けそうになった。
しかしすぐに、かさつく声が脳裏で再び囁いた。
『万一持ち逃げなぞしたら、お前がどこに逃げ隠れしようと見つけ出して殺す…』

彼女は甘い誘惑と恐ろしい囁きを頭から振り払った。
それは唯のこけ脅しではなく、彼らは言ったとおりのことを造作もなくしてのけるだろう。
何しろあのワードナを倒しているのだ。
数多の冒険者を呪文ひとつで消し飛ばし、無数の魔物を率いて一国の軍隊を退け続ける魔王…
その恐るべき魔術師ワードナ以上の実力を、彼らは持っているのだ。

しかし彼女はここで途方に暮れてしまった。
あの約束していた場所に居なければならないのに、どうやって戻ればいいのか分からないからだった。
もう一度、護符の力を借りることも考えたが、すぐに諦めた。
高レベルのパーティが空間転移の呪文を失敗し、石の中に飛び込んで消えた話を彼女は以前に聞いたことがあった。
その時は彼女も鼻で笑ったのだが、さきほどの虚空を体験した今では、それが生々しく思い出されてきた。
そして結局自分の足で歩いて帰るしかないことに、彼女は思い至った。



現在地すら分からない以上、どちらに向かって行けばいいのかすら分からない。
しかし分からなくても、進むしかない。
初心者の彼女には、まともに戦闘する術がない。
モンスターに出会ったら、とにかく逃げるしかなかった。
待ち構えている部屋を、どうしても通らなければならない時には、何度も出入りを繰り返した。
繰り返しているうちに、モンスターが友好的な時を見計らって走り抜けた。

それでも何度か逃げるのに失敗したり奇襲を受けたりして、彼女は身体のあちこちに怪我を負った。
本来ならば、彼女はすぐに力尽き、倒れていたことだろう。
しかしまたしても護符が彼女を救った。
護符から溢れ出る力が、傷つく以上の速さで彼女の傷を癒してくれたのだった。

そしてもう扉をいくつ抜けたか分からなくなった頃に、それは起こった。
とある小部屋に入った瞬間、待ち受けていた者の棍棒が唸り、彼女の右手が強く打たれた。
彼女は激痛に顔をしかめながらも、弾かれた護符を目で追った。
するとカラカラと音を立てて石床を転がる護符を、暗がりから伸びた手が拾い上げた。
「よう、可愛い子ちゃん。また会えたな」
それは先ほどの野盗の男の一人だった。
振り向けば彼女は、既に5人の男達に完全に囲まれていた。

… … …

「へっ、ふへっ、へっ」
「えぐっ、ひぐっ」
男の荒い息と女のか細い嗚咽が部屋に響く。
「ふへっ…また、いく、ぞっと…」
「いやぁ。もう、いやぁ」
「うっく、うぐ…ふひぃ…」
女に覆い被さった男は、犬のように振りたくっていた尻を痙攣させて動きを止めた。

「おいおい、アイツ4発目だぞ」
「元気だな。俺は2発で限界」
「あんなザーメン塗れの小汚ねぇ女は、1回で十分だっての」
周りにいた男達はその様子を横目で見ながら呟いた。

「みんなもう満足したか?終わったら、その女は処分するぞ」
「え?売り飛ばすんじゃなかったのか?」
「そんな女の売値なんぞ、このお宝に比べりゃゴミだ。
そんなことより、街へ戻れば俺たちは近衛兵サマサマだぞ。
余計なことを知ってるヤツを、生かして置く訳にはいかんだろ?」
「そう言われりゃ、そうだよな」
「そんならもう使い潰しちまってもいいんだろ?俺、最後にもう一回ヤってくる。」
「5発目かよ」



彼女から離れたばかりの男が再び戻ってきた。
そして痛ましく腫れ上がった娘の股間に指を差し込むと、中から男達の精を掻き出した。
ドロリと零れ落ちる白濁には、破瓜の名残の朱色が混じっていた。
「うわぁ、出る出る。こりゃ10回孕んでも釣りがくるぞ。
まぁガキの心配なんぞ、もうしなくていいけどな。うひゃひゃ…
そんじゃま、これが最後だからな。遠慮なくやらせて貰うぞ」
男は腰紐をほどくと、再び股間のモノをさらけ出した。
そしてぐったりと横たわる娘に、覆い被さろうとした。

その瞬間、どこからか冷たく澄んだ声が聞こえた。
「LAHALITO」
「ぐぎゃああぁぁぁぁぁ…」
視界が突然紅蓮の炎に埋め尽くされた。

男達は燃え盛る松明と化して、絶叫を上げながら暴れ、床を転げ回る。
そして10数える間もなく、次々に動かなくなった。
ただ一人辛うじて火を消して生き残った男が戸口を振り返った。
そこには一人の物憂げな表情の、女神のように美しいエルフの女が立っていた。
しかしその血のように赤い唇から零れたのは、魔女の如き冷淡な言葉だった。



「あら、生ゴミが燃え残ってたようね」
「畜生っ!このクソアマが舐めやがっ…」
「DALTO」
襲い掛かろうとした男は一瞬にして凍りつき、走る勢いのままに床へと倒れこむ。
そして陶器が割れるような音を立てて、バラバラに砕け散った。

女はゆっくりと歩みを進め、凍った男の左手の指を踏み砕いてから、護符を拾い上げた。
そして床に這う娘に向かって、侮蔑に満ちた視線を投げかけた。
「無様な姿ね。あなたには動くなと言っておいたはずなのに、何でこんな奥にいるのかしら?
何にせよ、荷物持ちも満足に出来ない役立たずには、もう用はないわ」
「お願い、助け…」
「MALOR」

助けを求める言葉を最後まで聞くこともなく、エルフの司教は姿を消した。
そして男達の死体に囲まれた娘は、暗闇の中にただ一人取り残された。
護符の助けがない以上、もはやこの迷宮から抜け出すことなど、とても無理な話であろう。
そもそも抜け出そうという気力すら、彼女には残ってはいなかった。



彼女は今日初めてこの迷宮へと、足を踏み入れた。
先ずは暗闇の中、たった一人で神経をすり減らしながら延々と待ち続けることになった。
次に野盗に襲われ、多くの魔物達から逃げ惑った挙句、結局はまた野盗に捕われてしまった。
聖職者として守り続けた純潔を無理やり奪われ、次々に輪姦され、口にも出せないような辱めを受けた。
そしてやっと助けに来てくれた仲間には、いともあっさりと見捨てられた。
己の信仰心だけを頼りにして、田舎から出てきたばかりの朴訥な娘には、とても耐え切れる体験ではなかった。

「いっそのこと、もう死んでしまいたい…」
暗い天井を見つめ続けた娘が、ポツリと呟いた。
その時、床につけた耳に、静かな足音が聞こえてきた。
「ヒタヒタヒタ…」
靴の音ではなく、何かの動物のような足音だった。
横たわる彼女が目をやると、暗がりから三つの人影が現れてきた。

ノームの彼女と大差ない背丈、毛皮に覆われた身体、犬のような頭…それはコボルドだった。
ボロ布を腰に巻きつけ、錆の浮いた蛮刀と粗末な板切れを掲げ、警戒をしながら近寄って来た。
そして周囲に転がる黒こげの死体を足で転がしては、間違いなく死んでいることを確認していた。
しかしコボルドの一頭が、彼女が生きていることに気づくと、短く唸り声を上げた。
直ぐに残りの二頭も彼女に振り向いた。



「これで楽になれる…」
彼らが全てを終わらせてくれると、彼女は確信した。
全てを諦めた彼女は目を閉じて、振り下ろされる蛮刀を待った。
しかしいつまで経ってもその瞬間は訪れず、彼女は再び目を開けた。
見ればコボルド達は興味もあらわに彼女を見つめ、首を傾げていた。
逃げ回った時に遭遇した群れとは違い、いきなり襲って来る様子はない。
「こんな時に友好的か…」
自嘲的に彼女は呟いた。

だが友好的というには少々様子がおかしかった。
手に掲げた武器を下ろしたのはいいが、立ち去る訳ではない。
むしろジリジリと近寄ってきている。
コボルド達は鼻をヒクつかせ、歯をむき出したままだった。
もしかするとそれは威嚇ではなく、彼らなりの笑顔なのだろうか。
口の端ではヒラヒラと舌が動いては、流れ落ちるヨダレを舐め取っていた。

その時、床から見上げる彼女は、コボルド達のボロ布の不自然な膨らみに目を止めた。
モゾリモゾリと蠢きながら、その股間の膨らみは確実に大きくなっていく。
その意味する所にようやく気づいた彼女は、残された力の限りに叫んだ。



迷宮の中では、しばしば魔物や冒険者の絶叫が聞こえる。
しかし聞こえたからといって、それを気にする者などここには居ない。