城塞都市の路地裏、冒険者として登録したばかりの少年、レリスタはじめじめした石畳の上
で横たわっていた。自分を物陰に引きずり込んだ集団に、登録時に受け取った金も、最低限の
短剣やら皮鎧やら装備も奪われ、足腰が立たなくなるくらいまで袋叩きにされてしまった。
「っ…………」
 身体中がきしむ、骨まで響く痛みのせいで立ち上がることすらできない。石畳の冷たさが、
苦痛をさらに増幅させる。
「はあ、これから……どうしよう……」
 当面の路銀どころか、今夜の宿代もない。物乞いでも死体漁りでも何でもしないと死んでし
まう……レリスタの心中は焦りに埋め尽くされつつあった。鉛色の雲、レンガ造りの建物、そ
して身を凍らせる冷たい風……この街には寒さを感じさせるものしかなかった。その光景から
逃げようと思わず目を閉じる。
「……おい、大丈夫か?」
 近くから聞こえる、高めの、鈴を鳴らしたような声。目を開けると一人の少女が顔を覗き込
んでいた。遠くに死を思わせる薄暗い路地裏の中で、たった一つだけ見つけた生命……大げさ
だと内心苦笑しながらも、少女の顔を見ていると、生きている実感を取り戻すことができた。
「うん、なんとか……いててて……」
「誰かにやられたのか? 災難だったな…………名前は?」
 起き上がったところで、少女が小瓶を差し出した。促されるままにそれを飲むと身体が少し
軽くなり、何とか立ち上がることができた。
「レリスタ、ついさっき冒険者登録をしたばかりなんだ」
「私はフィルリス。ちょっと前に登録したばかりだ、よろしくな」
 助けてくれた少女、フィルリスに改めて目をやる。全身のラインを隠す外套と背中にしょっ
た不釣合いに大きな長剣……いや、剣が大きいのではなくフィルリスが小柄なだけだと、彼女
の顔が自分の胸下あたりにあることからすぐに気がついた。
 小さな身体にふさわしく、顔立ちもあどけなくとても冒険者には見えなかった。色の白い肌、
ふっくらとした頬、目は吊り気味で視線には前衛職らしい鋭さも見え隠れしているものの、目
元はあどけなく、瞳も宝石のようにくりくりとしていた。丸さを残す鼻と、尖り気味で厚め
の唇は典型的な美少女とは違うが、バランスはよく、愛嬌たっぷりに見えた。髪は栗色で、
まっすぐの長い髪を頭のすぐ後ろで一つにまとめている。
「ん、どうした……ああ、私は人間じゃない、ドワーフだ、ハーフだけどな……それより、私
についてきてくれるか?」
 三角形に尖った耳に視線を移したところで、見上げるフィルリスが怪訝な声を上げた。ごめ
んと一言謝ろうとしたところで、いきなり手を掴まれる。身体の割には大きめな、皮膚の厚い
手のひらはレリスタの冷え切った手を温めてくれる。
「どこにいくの?」
「お前、盗賊なんだろ? これで二人目……迷宮に行くにはあと4人か」
 属性、職業識別用の粗末な指輪に目をやるや否や、手を取ったまま走り出すフィルリス。心
の準備もできないまま、温かくてやわらかい手の感触を追うようにして、レリスタも一緒に走
る。

「……だめか、レリスタ、そっちはどうだ?」
「いや……こっちもだめだ」
 勇んで酒場で仲間集めをしたはいいものの、実戦経験のないレリスタに声がかかるはずは無
かった。フィルリスのほうも結果は芳しくないようだった。
「ガイドの空きくらいあると思ったんだが、当てが外れたな」
 ぎらついた照明、酒と煙草の臭い、酔いを深くした冒険者たちの喧騒……場違いな気がして
外に出ようとすると、フィルリスも後を追ってきた。
「そうだったんだ、でも……どうするの? 6人いたほうがいいんでしょ?」
 大通りは、昼時を過ぎたばかりだからか、人通りはほとんど無かった。外套もない、布服だ
けのレリスタには寒さがつらかった。
「基本的にはな、だが……浅い階層なら2人だけでも何とかなるだろう。レリスタがいれば、
宝箱も開けられるし」
 薄暗い通りとは対照的に、フィルリスの調子は明るく、可憐だった。桃色の、艶を帯びた唇
から発せられる声を聞いているだけで、これまで女性に縁がなかったレリスタの胸は高鳴って
しまう。

「でも、俺戦ったこと……それに装備も無いよ」
「そんなもの私が買ってやる、戦い方も教えてやる。だから…………」
 レリスタが尻込みしたのを見て逃げられると思ったのか、フィルリスは頭を下げて、すがる
ような上目遣いのままレリスタに顔を向けた。このままフィルリスと別れても当てが無いのは
わかっているのでもちろん逃げるつもりなど無かったのだが。
「あ、あ……うん、俺も、フィルリスとパーティー組めればって思ってたから……」
「そうか、よかった……」
 安心した様子で笑みを浮かべるフィルリス。黒い長いまつげと、貝型の瞼が、子供じみて見
えた。

――――――――――――――――――――――――
 冒険者御用達の商店へと向かい、レリスタに皮鎧と短剣、そして傷薬を3、4つ購入する。手
痛い出費だったがこれで宝箱が開けられると思えば安いものだった。
「ありがとう、こんなにしてもらって」
「気にするな……その分働いて返してもらうから」
 レリスタのほうを見て笑いかけると、ぱっと弾かれたように目を反らされてしまう。まだ警
戒されているのか……と少し残念な気持ちになったが、冒険者としての最初の一歩で転ばされ、
追い討ちをかけられたのだから無理もないだろうと思考を切り替えた。
「………………」
 買い物を終えて、長身の、薄手のローブをまとった細身のエルフとすれ違った。おそらくは
魔術師だろう、彼女を見たことで、自分のスタイルの悪さを強く意識してしまう。
 フィルリスは、ドワーフと人間のハーフとして生まれた自分の身体にコンプレックスを持っ
ていた。人間やエルフと比べるとあまりに小さい身長、さらに、同族に比べると小さな鼻と細
いウエスト、人間に比べるとこぼれそうな肉付きという中途半端なスタイルも劣等感に拍車を
かけていた。どっちつかずの自分はきっと誰からも相手にされないだろう、そう思い、外を歩
くときは常に外套やマントを着込んで、身体のラインを隠し続けている。
 中には、自分に対して不躾で淫猥な視線を向けてくる男もいたが、それはそれで不快なだけ
だった。城塞都市の鉄の掟として、冒険者への強姦はたとえ迷宮内でもご法度とされているた
め、手出しされたことがないというのが唯一の救いだった。
「……フィルリス、どうしたの?」
 気がつけば、レリスタが不安そうに目を向けていた。指をもじもじさせながら、ごまかすよ
うに前を歩く。
「なんでもない……行くぞ」

「次はどうするの? もしかして、早速…………」
「ああ、だがその前に、もう少しいろいろ案内しようと思うんだが……来たばかりなんだ
ろ?」
「うん、そうか……じゃあ、お願いしようかな」
 色よい返事をもらえたので、城塞都市にある施設の案内をすることにした。もっとも、小さ
な街には寺院、宿、酒場、冒険者訓練場、広場、あとは生活のための商店街と歓楽街ほどしか
なかったためたいした時間はかからなかった。
 あれこれ説明している間、フィルリスはレリスタのころころと変わる表情に目を向け続けて
いた。剣や鎧よりも本が似合いそうな繊細な表情、背は自分よりもずっと高かったが、身体は
細く、指や手もドワーフより小さくて、質のよい装飾品を思わせる作りだった。
 顔立ちも整っているが、どこか人を知らない純粋さも見え隠れしており、誰かに騙されても
無理はないな……と思ってしまう。
「ありがとう、フィルリス。助かったよ」
「いや、このくらいのことは……」
 屈託のない笑み、もうフィルリスを警戒している様子はない。だが、その笑顔に見入ってい
るうちに、妙にレリスタのことを意識してしまう自分に気がついた。
 冒険者として登録してからろくな男に会っておらず、馬鹿にされて見下されるか、露骨に性
的な目線を向けられるかのどちらかだった。レリスタもそうなのかと思っていたら、彼は違う
……頼れる先輩とでも思っているのか、優しさのこもった瞳には尊敬の念も混じっているよう
な気がした。異性から対等、もしくはそれ以上の存在として扱われることがほとんどなかった
から、どうしてもレリスタを特別視してしまう。

 レリスタを助けたのは、一歩間違えれば自分が同じ目に遭うかもしれないという同情から
だった。スカウトしたのは彼が中立の盗賊で善の戦士である自分とパーティーを組むことがで
きるから、少ない手持ちから装備を整えてあげたのはそれ以上の利益を見込めるから。ただ、
素直で人当たりがよく、心優しい彼に、単なる仲間意識だけではなく、それ以上の友情や好意
じみたものも感じていた。
「……しばらく歩けば迷宮の入り口だ、夜までには帰りたいからな、急ぐぞ」
 街の案内までしたのは、そういった気持ちからだった。

「ここが…………意外と小さいんだな」
 歩き続けるうちに、街の外れにある地下へと続いた洞窟にたどり着いた。初めてということ
もあってか、レリスタは口を開けた底知れぬ暗渠に目を奪われている。
「中は広いぞ、勝手にふらふらしたらはぐれるからな、気をつけろ」
 階段を下りると取り出したたいまつに火をつけてレリスタに持たせる、炎の暖かさに安らぎ
を覚えるが、気持ちの鋭さを保ったまま、一歩、一歩とゆっくり前に進んだ。レリスタは落ち
着かない様子で左右に目を向けながら後ろを追ってきていた。
「…………い、いきなり襲われたりとか、しないよね」
「心配するな、ここにいるのは足音を殺せない獣ばかりだ、油断しなければ簡単に死にはしな
い」
 レリスタの呼吸が少しゆっくりしたものに変わる、フィルリスの一言に安心したようで、短
剣を握り締める手や表情からもぎこちなさが薄れていく。最初のうちは足を引っ張られるかも
しれないが、それは覚悟の上だった。
「………………」
 奥から吹き込んでくる風が炎を揺さぶる。冷たく湿っぽい風はどこか血の臭いがして、否応
なく神経が研ぎ澄まされてしまう。血糊のこびりついた地面、片隅に寄せられた何かの骨、錆
びた剣、朽ち果てつつある鎧……次にああなるのは自分かもしれない。浅い階層には一人で何
度も潜り、何匹もオークやらコボルドやらスライムを倒してきたが、それでも死への恐怖がな
いわけではなかった。
 レリスタはどう考えているのか……同じ光景を見ているはずの彼に目を移した。そこにあっ
たのは、恐怖と戸惑い、そして興奮だった。大人しそうな彼でも、フィルリスと同じく富や名
誉を夢見ているのだろう。炎に照らされ、赤みを増した横顔からは高ぶりに彩られた少年の感
情の渦巻きが見て取れる気がした。
「来るか……?」
 そこまで考えたところで、敵の気配を感じる。まだ遠くだが、それは2人の気配を察知した
か距離を詰めてきている……気づかれたか、とフィルリスはレリスタを一歩だけ後ずらせた。
「フィルリス…………」
「前から来る、離れるなよ」
 フィルリスの予感は当たった。しばらく歩くと、前から荒いうなり声とやかましい足音が聞
こえてきた。数は3匹あの鼻息はオークだろう……炎の明かりから、すでにこっちには気づい
ている可能性が高い。音はさらに大きくなる、剣を抜き待ち構えると、間合いすら計れない奴
らは2人を目視した瞬間に飛び掛ってきた。
 
「レリスタ、よけろ!」
 1匹目の散漫な動きを盾で受け流す、レリスタも何とか初撃を回避できたようだ。折れた短
剣を構えもう一度飛びかかろうとするオークを、間合いに入った刹那に剣を振り下ろし、肥え
切った腐臭を放つ醜い身体を真っ二つにしてやった。
 肉を、骨を切る感触が身の丈に合わない長剣越しに伝わる。これがたまらないと自慢げに話
をする戦士に会ったが、フィルリスにとってはただ気持ちが悪いだけだった。背骨からきっち
り左右に分かれたオークを尻目に、レリスタに再撃を仕掛けようとするオークに狙いを向ける。
「下がれっ、あとは私が」
 紫色の体液でぬらついた剣を2匹目のオークに突きつけ、奴の目がフィルリスに引き付けら
れたところで、ぶよぶよと揺れる胴に切っ先を突き刺した。だが致命傷にはなっていなかった
か、濁った呻き声の後に繰り出した体当たりを思いっきり食らってしまう。
「っ……こいつ!」
 一撃食らったフィルリスはよろけただけで、すぐに返す刃でオークの腹を横に裂き切る。手
で開いた傷口を押さえたまま倒れ、しばらく痙攣してそいつは動かなくなった。
 3匹目を追撃するフィルリスから分厚い外套がばさりと落ちる。どうやら留め金が外れたよ
うだ。戦闘中にもかかわらず、その圧倒的なボリュームの身体に見とれてしまう。胸当てに隠
された乳房は彼女の頭ほどに大きく、紐が肩に食い込んでおり、今にもはちきれそうだった。
 お尻もむっちりとしており、フィットするスカートから大きな丸みがくっきりと浮き出てい
た。その下にスパッツをはいているため下着のラインは見えなかったが、下着が見えない安心
感からかスカートはかなり短く、屈み込めばお尻が覗きそうなほどだった。

 ぼんやりとフィルリスに見とれていると、いつの間にか戦闘は終わっていた。
「……こんなに強かったんだ、すごいな」
「このくらい、慣れれば簡単だ、そのうちできるようになる……それに、レリスタの仕事は罠
の解除だろ? その……無理して戦わなくても、最後まで死ななければそれでいい」
 剣についた血を拭きながら、視線を動かさないままフィルリスは事も無げに語る。彼女の言
葉から、自分のすべきことを思い出し、横たわる死体の近くを探すと、鍵のかかった小さな宝
箱を見つけた。
「できるか?」
 フィルリスが隣に座る、触れてしまいそうなすぐ近くに取ってつけたような爆乳が……胸当
てがガードしているのが残念だったが、すべすべとした柔らかそうな肌からふんわりと漂う汗
と石鹸の匂いに気持ちが高ぶってしまう。指先が震えそうな高揚を必死に押さえつつ、罠を解
除して宝箱を開ける。中には数枚の金貨と、魔力のこもった巻物が入っていた。
「……こんな簡単に開くのか、どれだけやってもだめだったのに」
 大きな目でこっちをじっと見つめているフィルリスの感心した声に、認められたような気分
になり、少しうれしくなった。
「いや、このくらいだったら……」
 フィルリスを身近に感じたことで、彼女の洗い髪の香りや、吊り気味だが優しげな眉や柔和
な目元が頭から離れない。さらに、たいまつをかざすことで丸いお尻がぷりぷりと動くのが見
えてしまい、すぐ隣に死が待ち構えているという状況にもかかわらず、股間ものが熱く盛り上
がりつつあった。

――――――――――――――――――――――――
 炎をさっきよりも遠くに感じた、振り向けばレリスタとの間に距離ができていた。迷宮探索
に慣れるのに精一杯であろう彼がそんなことを考える余裕はない、きっと自分が早足過ぎるの
だろうとあえて歩を遅め、レリスタに近づいた。実際は豊満な身体つきを意識してのことだっ
たが、考えはそこまで回らなかった。
「すまない、もう少しゆっくり歩こう……」
「あ、ああ……」
 短剣とたいまつを力強く握り締めているのか、指頭の色が白く変わっている。不意を突かれ
なければいいのだから、そこまで緊張することも……と苦笑しかけるが、初めて一人で潜った
ときの自分はもっとぎこちなくなっていたな、と思い出してしまう。
 その後も、探索を続けていると何度か敵に襲われたが、アンデッドコボルドやバブリースラ
イムやら、たいしたことのない魔物ばかりで、数も少なかったこともあり苦戦を強いられるこ
とはなかった。レリスタも、敵との遭遇を繰り返すたびに、戦闘時の立ち回りにも慣れてきた
のか闇にまぎれて背後から一撃で倒してしまうなど、素質を見せ付けてくれた。
「……だいぶ慣れてきたんじゃないのか?」
「そうかな? まだちょっと怖いけど」
 恐怖を口にしながらも、レリスタの肩の力が抜けているのは明らかだった。そしてそれを見
たフィルリスも自分では気づかないうちに油断してしまっていた。本来なら扉を開ける際には、
向こうに敵の気配がないか見極めた上で、相手が待ち構えているようならルートを変えるか、
警戒を解くまで気配を殺して待つか、どちらかをするのが原則だったのが、フィルリスはそれ
を怠ってしまっていた。
「あ、危ないっ!!」
 扉を開けた瞬間、鎧を着込んだ男が剣を振りかざしてきた。とっさに盾を構え受け流そうと
するが遅かった、風を切る音の後、逃げる間もなく肩口に狙いを定めた刃が迫る。だが次の瞬
間には身体が宙に浮き、そのまま仰向けに倒れ込んでいた。近くには皮鎧を切り裂かれ、肩か
ら腕にかけて血を流しているレリスタが……
「大丈夫? 間に合ってよかった……」
「……何でそんな無茶を……」
「話は後にしないと……ぐうっ!!」
 男はしゃがみこんだレリスタの腹に蹴りを入れる。鉄靴での一撃が致命傷になったか、吹き
飛ばされてそのまま動かなくなってしまった。次は自分の番だ、そう思い、立ち上がって構え
たところで、鎧の男はプレートアーマーの重厚さからは信じられないほどの速さで、フィルリ
スを突き殺そうと片手剣を前に出した。初弾を盾で防ぐ、金属同士がぶつかる鋭く甲高い音が
玄室内にこだました、盾も剣も落としそうになるほどの強い痺れにめまいを覚えつつも、相手
と間合いを取り、二撃、三撃が届かない位置まで下がることができた。

 目線や身体の揺らぎから相手の隙を窺うが、動きを止めて構えている今、それは皆無だった。
男が攻撃を仕掛けたタイミングを狙うしかない。覚悟を決めたフィルリスは、じりじりと近づ
いてくる男の前に立ち、剣先の動きを逃すまいと全神経を集中させて見据えた。
 地下一階にいる敵は、本能のままに愚鈍に動く、初めて潜った冒険者の命すら奪えないよう
な弱い魔物ばかりだった。だが、この男は違った……なぜここにいるのか理由はわからないが、
鎧を身につけているとは思えない身のこなし、重たく、力強い一撃……何もかもが他の敵とは
比較しようがないほどの実力者だった。
「………………」
 足がすくむ、勝てるかどうかはまったくわからない、今すぐにでも逃げたかった。それでも
背を向けなかったのは、レリスタがいるから。初心者を置いて逃げたと他の冒険者に知られた
ら、誰からも声はかからなくなるに違いない。それに、レリスタを死なせたくなかった、彼を
置いて逃げたら一生後悔しそうな気さえしていた。その思いが、フィルリスを戦いに赴かせる。
 額や手のひらに汗がにじむ。相手は互いの距離を測りながらゆっくりと歩いてくる。気ばか
りが焦る中、踏み出してしまいそうな足を必死になって踏みとどめていた。まだだ、まだ早い
……呼吸は浅くなり、身体は熱くなる。行き過ぎた緊張は頭を締め付けるような不快感へと変
わっていく。
「今だっ!!」
 相手も焦れてしまったのだろう、先に切りかかってきたが踏み込みが弱く、わずかに下がる
だけで攻撃をかわし、体勢が崩れたところでフィルリスは全力で切りつけた。刃が運よく鎧の
隙間に食い込み、深い傷を負わせることに成功した。
「………………!」
 傷口をかばいながら、なおも攻撃を仕掛けてこようとする男、しかしその動きは散漫で、容
易に見切ることができた。フィルリスはとどめと言わんばかりに兜の隙間から目を、頭を直接
狙った。肉を切り裂き、骨を砕く生々しい感触、思わず剣を落としそうになった。
「ふう、何とか勝てたか…………こいつ、どうしてこんなところに……」
 引き抜いた剣には赤い鮮血がたっぷりとこびりついてた。男はピクリとも動かない、ぎりぎ
りの勝利に安心したところでレリスタのことを思い出し、考えるのは後だと彼のほうに駆け
寄った。

――――――――――――――――――――――――
「っう…………フィルリス……」
 目を覚ますと、後頭部に柔らかい何かを感じた。すぐ近くにフィルリスの悲痛な表情を浮か
べた顔があったことから、太ももの上に頭を乗せてもらっていることにすぐに気がついた。
「大丈夫か? 一応血は止まったみたいだが……」
 起き上がろうとすると、全身に痛みが走る。路地裏で殴られたときよりも傷自体は深かった
が、フィルリスがそばにいてくれるということもあってか痛みは不思議なほどに和らいでいた。
「……うん、何とか、まだ痛いけど」
「よかった、傷薬が効いたみたいだな…………でも、あんな真似は二度とするなよ」
 咎めるような言い方だったが、眉の間に険は無く、瞳の光も、子供を見守るような目つきに
近い柔らかなものだった。フィルリスは、静かな微笑を向けながらも、瞼を潤ませ、今にも泣
き出さんばかりの顔をしている。自分のことを心配してくれたフィルリスをありがたく思いな
がらも、冒険者としてあまりに未熟な自分をレリスタは恥ずかしく思った。
「そうだね、俺も死にたくないから…………やっぱりすごいな、フィルリスは……あんなに強
い奴にも勝っちゃうんだから」

「運がよかっただけだ、一歩間違えれば私だって危なかった……」
 そう語るフィルリスの表情は穏やかだった。だが引き締まった口元からは彼女の緊張感が窺
えた。穏やかさの中にある深い悲痛、寂しい覚悟……冒険者になるというのは命をチップにし
たギャンブルのようなものだ、以前誰かから聞いた言葉を今更ながら深く実感し、鈍い痛みの
中、死という隣人に生々しい恐怖を抱き始めた。
「…………怖くなったか?」
「いや、さっきのは俺も油断してたから……これからは気をつけるよ」
 その一方で、レリスタは漠然とした高揚感がこみ上げてくることに気がついた。それは勝利
の美酒によるものか、甘美な黄金の輝きによるものか……それが何なのかわからなかったが、
命を代償にしてでも求めたい何かがうっすらと浮かび上がった。
「………私も、もう少し気をつけていれば……すまない。それと……ありがとう、助けてくれ
て」
「フィルリス…………」
 涙の跡か、レリスタを見る大きな目は艶を帯びていた、それをじっと見続けていると、次第
に奇妙な感覚に包み込まれた。楚々としているが、荒風にも屈さないといわんばかりの力強さ
が見て取れる顔立ち、若々しく濡れた声……自分の15年の人生の中で、異性、それも愛らしさ
が残るかわいい女の子と二人きりになったのは初めてだった。レリスタも男の端くれであるり、
興奮は募るばかりだった。
「………………」
 熱を溜め込み続けている内心を読まれたくなくて、レリスタは押し黙ってしまう。鉛色の重
い沈黙が流れるが、太ももの柔らかくも弾力ある触り心地のおかげで不思議と気まずさは無
かった。

「あのさ…………っ!」
 話を続けようとしたところで下腹部に強烈な痛みが、大根足に近い、しかし筋肉と脂肪の均
整が取れている引き締まった脚の感触も忘れてしまった。顔をゆがめ、苦悶の表情が前に出る
と、フィルリスが心配そうに覗き込んできた。近くにある頬は、剥き卵を思わせる光沢を放っ
ており、肉感的なきめの細かさも感じられる。
「どうした? どこか痛いのか?」
「あ、ああ……ちょっと下腹と腰のあたりが、急に……」
 痛い部分に手を添えると、彼女のふんわりとした厚めの手がその周辺を這い回った。ズボン
越しに伝わるふっくらとした柔らかさはレリスタの腰から、ペニスのほうにまで伝わってきて
しまう。フィルリスの幼い容姿とは裏腹の、あまりに豊満な肉体を見せ付けられ続けたという
こともあり、痛さよりも興奮が勝ってしまい、ペニスがむっくりと起き上がりそうになった。
「脱がすぞ、まだ傷がふさがってないのかも」
「え、そ、そ、それは…………」
 止める間もなくズボンを脱がされてしまう、さらに勢い余って下着まで……フィルリスの眼
前に、天井を向いた勃起した肉棒が突きつけられる。
「…………おまえ、こんな時に……!」
 フィルリスの頬に急に赤みが差して、少し声が荒っぽくなる。逆立てた眉と、射るような鋭
い眼光に穴があったら入りたい気分になった。
「こ、これは……その、そうだっ、ここも痛いんだよ……だから、怪我したせいで大きくなっ
たわけで、何か変なことを考えていたとか、そういうわけじゃ……」
「怪我? 確かに赤くなっているな……待ってろ、薬塗ってやるから」
 しどろもどろになっていると身体を起こされ、どこか粘着質な、しっとりとした指先と分厚
さを持ちながらもふっくらした手のひらがレリスタのペニスを包み込んだ。握力は強く圧迫感
を覚えたが、怪我した部分を探ろうと絡みつく指先が射精感を一気に増幅させる。
「あ、待って! いいよ、自分で塗るから……ほら、手も動くし」
 本当は肩やひじの辺りも痛かったが、あまり触られるわけにいかないので、痛くも無い部分
に適当に薬を塗りつけた。

――――――――――――――――――――――――
 とっさに自分がすると言ってしまったが、よく考えればそれはペニスに触れてしまうという
ことであり、レリスタに拒否されて助かった思いだった。
「そうか、そうだよな。動けるならそのくらい自分でしろ」
 何事も無い、あくまで落ち着いた様子を見せながらも、本心では初めて見た勃起状態の男性
器に強い興味を抱いていた。上を向いたそれは自分の指二本分くらいの長さで、上のほうは丸
く膨らんでいた。傷薬がまぶされることでぬるぬると照り光り、よくわからないがひどくいや
らしいものに思えてくる。
 色は若干浅黒く、亀頭は半分くらい皮に覆われていた。手のひらで簡単に包み込めそうな細
さだったが、ひくひくと痙攣するそれは、愛くるしい小動物を思わせるたたずまいだったが、
反面生命力に溢れ、今にも襲い掛かろうとする獰猛な獣にも見えた。
 あれが自分の中に……男根を見続けることで淫靡な妄想が胸のうちを占める。空想の中では、
裸になった彼に、同じく何も身につけていない自分が抱かれてしまっていた。年頃の男女がど
ういうことをするのか本で少し読んだだけだったので、具体的でリアルな妄想はできず、もや
もやとしたものが頭の中に残る。
「…………あっ」
 レリスタと視線がぶつかった。向こうが照れ笑いを浮かべると、変なことを考えていた自分
が恥ずかしくなり、フィルリスは頬を硬く、とげとげしくしながらそっぽを向いた。頭の中に
は、さっきまで見ていた肉棒でいっぱいだったが。
「どうしたの?」
「何でもない……さっさとズボンをはけ」
「そ、そうだよね。ごめん……」
 感情が揺らいでいるのがわかる。もし、レリスタではない他の男のそれを見てしまったら、
嫌悪感や拒否感が前に出てくるだろう。しかし、さっきのやり取りで戸惑いや焦りは感じたも
のの、あまり嫌な感じはしなかった。むしろもっと見ていたかった……本来、そそり立ったそ
れは性の象徴であり、力強くも荒ぶるものであるはずだが、フィルリスが直感で感じ取ったの
は、ある種の神聖さや優しさだった。
 だから、ズボンをはき終わったことでペニスが隠されてしまうと、少し名残惜しい気持ちに
なってしまう。
「…………立てるか?」
「もう少し、このままでもいいかな……? フィルリスにこうしてもらってると、すごく楽だ
から」

 膝を枕にしていると、後頭部からレリスタの熱が伝わってくる。今日会ったばかりの男と肌
を寄せ合っているにもかかわらず、緊張や狼狽、不快感はほとんどなく、もう何年も親しくし
ているような気安ささえ抱いていた。
「………………」
 目を落としレリスタを見ると、目を閉じてじっとしていた。自分と同じくすっかり落ち着い
た雰囲気だった。探索中も、外にいるときも顔を硬くしていることが多かったが、彼と一緒に
いることで和やかな気持ちになったからか、今は笑みがこぼれそうになる。
「どうした…………?」
 フィルリスの手が不意に掴まれた。感触のするほうを見れば、手を握られていた。触れられ
ることで、さらにレリスタを近くに感じた。寄り添った二人が溶け合い、一つになるような…
…肉体だけではなく、お互いの心が触れ合っている、くっついた手のひらの温かさは彼の心の
温かさに違いない、そんな気までしてきた。
「ごめん……何か、つい…………」
「……少しだけだったら、いいぞ……」
 謝って手を離そうとするレリスタ、もちろんそれを許さずしっかりと握り返す。人間の手は
ドワーフの手よりも少し冷たくて、皮膚も薄かった。いかにも器用そうな細い指先に自分の無
骨な指先を絡ませながら、照れくさそうに小さく笑うレリスタに、フィルリスも口の端と目元
だけで微笑を前に出した。
「………………」
 顔や手足が火照り、汗がにじんでいるのがわかる。胸は高鳴る一方で、身体の動きも若干ぎ
こちなくなっていた。感じたのはいたたまれなさに近い恥ずかしさと、今までに感じたことの
ないうれしさ、そして安心感だった。一言で例えるなら、恋をしたときのような……ここまで
考えてフィルリスは首を振った、ありえないと。しかし、本当にありえないだろうか、こんな
気持ちになったのは生まれて初めてで、レリスタに対しては、間違いなく単なるパーティーの
仲間として以上の気持ちを抱いていた。
 コーヒーにミルクが溶けていくような、二つの異なる気持ちが混じり合うことで、新しい何
かがふつふつと芽生えつつあった。
――――――――――――――――――――――――
 フィルリスの葛藤など知らず、レリスタはうとうととした眠気と戦っていた。スカートとス
パッツを隔てた先にある、骨を感じさせない太目の脚と、甘ったるい汗の匂いが興奮を誘いな
がらも、プレッシャーから解放させてくれ、残った疲労に瞼のあたりが急に重くなり始めてい
た。
「………………」
 うっすらと目を開けると、目の前に、丸々と膨らんだ風船と見間違えるほどの乳房があった。
胸当てに覆われているとはいえ、目のやり場に困ってしまう光景で、そこから逃げる形で、無
表情の、しかしどこか憂いを含み温かみのあるフィルリスの顔を見上げた。それは今にも咲き
ほころばんとしている花のような楚々としたものでありながら、高名な芸術家が精魂を込めて
作り上げた細やかでバランスの取れた美しさも併せ持っている。
 彼女の顔を見ているだけで、心臓の鼓動は早くなる。呼吸も心なしか荒くなり、このまま見
続けているとまたペニスが勃起してしまいそうだった。
「今度は何だ?」
「いや……重くないかなって」
「心配するな、このくらいだったら……」
 目を閉じてもフィルリスの顔がすぐに思い浮かぶ。妄想はすぐにエスカレートし、笑顔の彼
女が不意にうつむいたかと思うと、精一杯背伸びをして自分にキスをしてくれた。小さな、子
供じみた身体を抱きしめると、結んだだけの、それでいてあでやかな光を放つ栗色の髪がふわ
りとなびいた。唇を重ねれば甘い香りが口中に広がり、舌を貪れば、縮こまったそれが逃げな
がらも自分の舌に絡み付いてくれる…………
 フィルリスとキスができたら、どんな気分になるんだろうか……想像をするうちに本当にキ
スがしたくなってきた。どんな感触、どんな匂い、どんな味……自分の乏しい経験を総動員し
て、イメージをリアリティで肉付けしようとする。しかし、そんなことをしていたら男性器が
熱を持ってしまうのは当然で、硬くなり始めたところで慌てて起き上がる。
「もう、いいのか?」
「あ、ああ…………あんまり、痛くないから」
 フィルリスの眉がかすかに曇る、向こうはなぜか少し残念そうな顔をしていた。自分と同じ
でもっと手を繋いでいたかったのだろうか……いや、フィルリスみたいなかわいい女の子が自
分なんかと……と、思考が左右から引っ張られてしまう。

「今日はもう帰るか……その傷じゃ、これ以上戦うのも難しいだろ?」
「うん、そうしてくれると助かるかな。ごめん……」
「謝らなくてもいいぞ、あれだけやれれば上出来だ」
 歩いていると、やはり痛みが身体中を駆け巡り、途中で何度も止まってしまいそうになる。
フィルリスはそのたびに不安の目を向けてくるが、心配ないといわんばかりに引きつりながら
の無表情で返す。だが、そんなことをしてもフィルリスにはお見通しだったようで、遠回りに
なっても玄室をあえて通らずに、戦闘を避けてくれていた。そして、たとえ徘徊中の魔物と遭
遇しても、レリスタを後ろに下げて一人で戦ってくれた。その、自分を守ろうとしてくれる気
持ちが何よりもありがたかった。
「温泉、か…………入っていくか? もしかしたら傷にいいかもしれないぞ」
 突然立ち止まるフィルリス、追いついたところで彼女の目線の先をたどると、どうやら扉の
先に温泉があるみたいだった。地下迷宮ではたまにあることだと、前に聞いたことがあった。
「……せっかくだから、入ってみようかな」
 扉を開けると真っ白な湯気が視界を封じる。簡単な脱衣所の先に、石で囲まれた白い濁り湯
の温泉が見えた。

――――――――――――――――――――――――
 レリスタが服を脱げるように、フィルリスは背を向けて扉のほうに進んだ。
「……外で待ってるから」
 しかし、取っ手に手をかけたところで足が止まってしまう。一緒に入ってみたいという気持
ちもあった。水中探索用の水着を持っているので、肌を晒すことなく湯に浸かることができる
から心配はない。
「…………どうして……」
 フィルリスが一番疑問だったのは、そもそもなぜ一緒に入りたいと考えてしまったのか……
ここだった。ここは公衆浴場とは違い、男女に分かれていない混浴である上、広さも4、5人で
入ればいっぱいになってしまいそうなほどの小さな温泉だった。いくら水着を着ているとはい
え、身体のラインを全てさらけ出してしまうのは、太目のスタイルにコンプレックスを持って
いるフィルリスにとって、到底受け入れられないことのはずだった。
「でも、湯気もあるし、お湯も濁ってるから……」
 見えないはずだ……レリスタは怪我もしているし、もし溺れたり、のぼせたりしたら厄介だ、
これは彼を心配しているからであり、決してやましい気持ちからではない……独り言を口にし
たところで、自分の本心が何かと理由をつけてレリスタの後を追おうとしていることがわかっ
てしまう。もっとも、それを知ったところで考えは変わらず、いくつも理屈を積み重ねたとこ
ろで、フィルリスは水着に着替えて温泉へと向かった。

「レリスタ…………わ、私も一緒に入っていいか?」
 返事を聞く前にお湯に浸かる。浴場の透明なお湯とは違い、わずかに粘り気のあるそれは、
身体にゆるゆるとまとわりついて心地よかった。熱さもちょうどよく、戦闘でかいた汗が冷え
たことでもたらされる不快感を全て洗い流してくれた。
「え、ど、どうして…………」
 慌てて股間を隠そうとするレリスタが湯気にまぎれておぼろげに見えた。少し近づくと、額
に汗を浮かばせた、彼の整った顔がはっきりと目に映る。目線を落とせば、濁り湯の中に細身
のシルエットが、大事なところまで見えず、ほっとする一方でなぜか残念な気分にもなった。
「……お前が心配だから来た。気にするな、湯気で何も見えてない…………こっちは水着を着
てるから大丈夫だ」
「だ、大丈夫って………………こっちは、大丈夫じゃ……」
 レリスタはちらちらとフィルリスの横顔を覗き込んでいる。お互い意識しあっているという
のは誰の目にしても明らかだった。さらに近づくと、浮かんだ汗の流れる様子まで手に取るよ
うにわかってしまった。
「フィルリス…………」
 戦闘時とはまた違う緊張感、手足の指先まで火照るのは、お湯の熱さのせいだけではないだ
ろう。もう一歩だけ距離を縮めると、肩が触れるか触れないかの所まで来てしまった。離れて
ほしくなかったので、レリスタの手を握る。好きなのか、恋をしているのか……そんなことは
どうでもよく、彼ともっと一緒にいたい……その一心がフィルリスを大胆にさせていく。
 
――――――――――――――――――――――――
 近づいたフィルリスに、レリスタの思考はすっかり硬直してしまっていた。手を握り返した
だけなのに異常なまでに興奮していた。握り返した手から伝わる温もり、絡ませた指先からは
自信なさげな媚びの色さえも感じられる。もし、この手がペニスに触れてしまえばたちまち射
精してしまうだろう……気持ちよさはそれほどのものだった。
「その……のぼせたり、溺れたりしないか、心配だったから……べ、別に、一緒に入りたいと
か、そういうわけじゃ……」
 口調はわずかに鋭かったが、濡れた長い睫の奥にある黒く大きな瞳は、満足げな影をまとい、
妖しい光をたたえていた。そして次に見せるのは恥ずかしそうな笑み、それは美しく染め上げ
られた目元と相まって、何とも淫らがましく思えた。
 唯一惜しかったのは、水着を着ていたことだったが、こぼれんばかりの肉付きのせいで大き
な胸やお尻は今にもはちきれそうになっていて、つるつるとした布地はしっかりと柔肌に食い
込んでいる。それが逆にいやらしさを引き立てていた。
「そうなんだ…………」
 返事をしただけで、言葉を次につなげることができない。目はむっちりとした耳の裏、湯に
染まり、雫が伝ううなじ、そして透き通った白い肌と熱に染まる赤い頬、白と赤のコントラス
トに向けられたまま離れない。二の腕ににじむ汗は、フィルリスが肩まで沈むたびにわずかに
粘っこさを持つお湯に流され、肩を出すと、それがゆっくりと腕や胸のほうに向かって垂れて
いく。彼女の全てがほしい……熱くなった身体は頭に血を上らせてしまい、次第に理性を失っ
ていってしまう。
「………………」
「…………ん、お、おいっ……!」
 フィルリスの非難する声にも構わず、レリスタは顔を近づけて彼女の唇を奪った。水を含ん
だ花びらのような唇に自分の唇を合わせると、そのまま吸い付いてしまう。口の中いっぱいに
広がるのは花の蜜を思わせる甘くねっとりとしつつも、どこかさわやかな味。フィルリスを抱
き寄せつつ、厚みがあるが小さい唇を啄ばみ、ひたすら唾液をすすり続ける。
「ん、ぅっ…………」
 後ろに回した手は肉のついた柔らかい腰から丸く急カーブを描いた巨尻へと滑らせる。前衛
職らしく、引き締まった感触かと思ったが指が沈むほどに柔らかい。蕩けるような肉は濁り湯
の温かさに解れたか、ぷよぷよとしたスライムを思わせる触り心地だった。
 求めるほどに満たされなくなり、手はますますエスカレートしようとする、唇を寄せるだけ
の優しいキスでは物足りなくなり、いよいよと舌をフィルリスの口内にねじ込もうとすると、
軽く突き飛ばされてしまった。
「おいっ、いい加減にしろっ…………!」
 目を潤ませながらも、感情の揺らぎを表に出すように眉をひそめるフィルリス。いきなりの
行動に怒ったのか、そのまま湯船から上がってしまった。ここでレリスタも我に返る、とんで
もないことをしてしまったと。

「……………………」
「ごめん、調子乗りすぎた」
 帰り道、頭を下げて謝るが……フィルリスは向き直ることもなく、ひたすら早足で歩き続け
ていた。あまりに気まずい沈黙だったが、自業自得だと下を向いたまま歩を合わせた。
「……あんなところで、誰かに見つかったらどうするつもりなんだ?」
「嫌だったよね……もう二度としないから」
「そ、そんなこと誰も言ってないっ……」
 ここでフィルリスが振り向いた、湯から出たての彼女はほんのりと頬が桃色に染まっており、
例えようのない色気を放っている。唇に目が移ると、キスしたときの感触が蘇ってきた。
「え、それって…………」
「ああいうことは、結婚してから……違う、そうじゃない。えっと、その……とにかく、二度
とするなよ、いいな!? あれ、そうじゃなくて……何て言ったらいいんだ…………」
 洗いざらしの髪は束ねていなかったので、前に戻った瞬間、背中いっぱいに溢れる髪がふっ
となびいた。二度とするなと言い含めたフィルリスの顔は、困ったような、すねたような……
しかし何かをねだるような顔つきで、もしかして嫌ではなかったのでは、なんて都合のいいこ
とまで考えてしまう。
 温泉での出来事が、レリスタを積極的にさせていた。気がつくとフィルリスの隣に並んで手
を握ろうとしていた。
「……っ、許したわけじゃ、ないからな」
 怒っているみたいだから振り払われるかも……と思ったが、意外にも受け入れてくれた。し
かし、なまじ許されたことでキスしたい、いや……それ以上のこともしたいという気持ちが強
くなりすぎてしまい、外に出るまでの間、噴き出してしまいそうな強い衝動と戦い続ける羽目
になってしまった。