この地で終身刑を言い渡されたキーパーたちは、望まぬお勤に嫌々従事さ
せられていると考える人間ばかりではない。一昨年、流感で死んだシモなど
は、この仕事にありつけたことを心から喜んでいた。故郷で樵をやっていたシ
モは、森に住むヒューマンには珍しく8ポイントという高いI.Q.を誇り、樵であり
ながら二十歳を過ぎて指が両手合わせて六本も残っていた。背丈も五フィート
を超え、僻地からの出稼ぎ冒険者のなかではまれに見る優れた頭脳と体躯
の持ち主だった。
 シモは生前、新人を捕まえては、よく自分の身の上話を語っていた。当時、
この行事はこの地にやってきた新人へのひとつの通過儀礼でもあった。新人
たちは、肥溜めの蠅も気絶するほどの集中ブレスを喰らいながら、酷い吃音
で延々と同じ話を繰り返す薄気味悪い小男を目の前に、いずれこうなるのか
もしれない自分の姿に戦々恐々としたものだ。
 シモは相手の反応など気にしていなかった。痴呆の進んだ老人のようなこの
男は、会話ができる相手なら誰でも構わなかった。新人がやってこない時期
が長く続くと、シモはコボルドを相手にした。シモの話に三度目以降付き合っ
てくれるのは、聾か獣ぐらいだった。シモはどこからか傷ついたコボルドを拾っ
てきて、パンと水とを分けあった。無論近隣の住人からは苦情がきたが、シモ
は取り合わず、三フィートの『おチビちゃん』を大事に可愛がった。
 化け物をペット代わりにしようとしたのは何もシモが始めてではない。これま
でにも大勢いた。しかしそういった例は、養うほうでは情が湧いても、養われる
方は恩など感じるわけも無く、いつもお決まりの結末に落ち着いていた。シモ
の場合も例外ではなかった。献身的な看病のおかげで、程なくしてコボルドは
全快し、そのお礼にシモの残っていた中指を第一関節から噛み千切って逃げ
出した。
 以来、新人がやってこない時期の彼のお相手はもっぱらハンク――時報係
の気の触れたホビット――が勤めた。シモはハンクの時報を相槌に、あの世
に旅立つ一週間前まで会話を続けていた。

 この職に就けたことを喜んだのはシモだけではない、故郷でもっと悲惨な生
活をおくっていたものにとってこの地は天国だ。ここを地獄だと考えている者
ですら、長年居座ってしまったものたちは、逃げる機会を与えられても、もは
やここを離れては生きられなくなっている。一月もいれば、外の世界を忘れ、
次の飯と、旦那の機嫌をとることばかり考えるようになる。生きて再び太陽を
拝みたいと願う古参兵は少数派だ。そして、彼の教育係であったガヴェイン
は、その“少数派”の一人だった。

 二年前のある日、ガヴェインはこの地下囚人の集落から姿を消した。彼は、
ガヴェインが姿を消すその日まで、毎日かかさず行商を行う姿を見ていた。牢
屋の中でおこなわれるごっこ遊びの商売などたかが知れていると思われるか
もしれないが、ガヴェインは文字通りのよろず屋だった。当時の彼はいぶかし
んだものだ。いったいこいつは何処でこんな品物を仕入れてくるんだろう? 
いくら親切な旦那だからといって、女の下着などそう何十枚も仕入れてこれな
いだろうし(まさか、パーティの女司教にその場で脱げと言えるわけでもあるま
い)、子飼いのキーパーのためにわざわざマーケットのジャンクショップや、ギ
ルガメッシュの屋根裏に溜まっているゴミ漁りをするとも思えない。そうではな
く、ガヴェインは旦那以外の地上へ通じるパイプを、何本ももっていたのだ。

 地下に住まう隣人たちの内訳は、ドワーフとヒューマンがほぼ折半して全体
の八割をしめ、あとはナッツの少ないクッキーのようにノームとホビットが点在
している。“お世話役”のメイドを除けば、ほとんどが男だ。エルフはほとんど
いない。いてもほぼ全員がドロウで、ゴールドエルフ(ハイエルフ)やウッドエル
フの姿は見られない。正確には、ドロウ以外のエルフもこの流刑地にやってく
るのだが長続きしないのだ。繊細すぎる自然博愛者たちにはこの仕事は辛す
ぎる。二週間に一度は旦那方から施しをもらえるといっても、慢性的に女日照
りのつづくこの地では“レイプ”も盛んだからだ。この地に閉じ込められた罪な
き受刑者の中には、女日照りが続くことにとやかく苦情を言わない――あるい
は言わなくなってしまった――人種もいる。数日に一度は誰かが行方不明に
なり――断じて『死亡』ではない。たとえオークの集団に攫われた現場を百人
に目撃されたとしても、永遠に『行方不明』になるだけだ――その度に優しい
旦那様が、訓練場を出て間もない十代後半から二十代前半、時には十代の
前半の獲物を授けてくれる。そういった新参者の多くは、無用心にも、人ごみ
の中で不自然にぽっかりと空いた場所を住居にしたばかりに、翌日には下着
に大きな赤い染み付け、鈍痛に耐え、茫然自失としているか、ときには泣いて
いるかもしれない状態で尻をかばいながら床に座る羽目になる。深く物事を
考えすぎていしまう繊細な人種ならば、三日と経たずにアミュレットを使って空
に舞い上がることになるだろう。

 とにかく、この内訳だけ見ても解るとおり、地下住人の半数以上が、何かし
らの嗜好品依存症を先天的に抱えている。そしてこの依存症患者のなかに
は、今すぐグラス一杯の酒か、ひとつかみのタバコか、きついミントをくれるな
ら、隠し持っていた故郷の思い出の品を手放しても構わないと思うものもいる
のだ。
 マーケットに出せばそこそこの値のつく純金の装飾品、魔力の込められら貴
重なアイテム、刻印の入った金貨そのものを、ガヴェインは品物と引き換えに
手に入れた。こういったすぐ金に変えられる、あるいは金そものを使って、ガ
ヴェインは『上の住人』である右も左もわからない新米の冒険者たちを手懐
け、様々な品物を地上から輸入していた。
 意外に思われるかもしれないが、ガヴェインの雇い主は、自分のキーパー
が地下で行商していることを黙認していた。それどころか、自分の奴隷の道楽
のために、わざわざ品物まで調達してきていた。もちろん、ガヴェインが自分
たち以外の地上とののパイプを持っていたことまではわからなかったようだ
が。
 彼は、まだ頭が正常に働いていた時期に、ガヴェインに向かって、雇い主と
の奇妙な関係についての疑問をぶつけてみたことがある。あんたの旦那方
は、自分の子飼いのキーパーが錬金術の達人だと思っているのだろうかと。
ガヴェインの見解はこうだった。
『銀貨一枚の品物を、袋いっぱいの金貨と交換できる燭台に変えるなんて
しょっちゅうさ。だけど坊やの見立ては違うな。旦那方にとって、おれの稼ぐ金
貨なんか端金なんだ。旦那方がおれに品物をくれるのは、ただの娯楽さ。面
白い芸をする変わったペットへのご褒美なんだ。おもちゃさえやってりゃ、絶対
に逃げ出さないと信じてるんだ。籠の中で止まり木に足を打ち付けられた、オ
ウムみたいにね』

 彼の知る限り、ガヴェインの地下生活は語るにつらいものではなかった。ガ
リガリだったが、少なくとも便所の鼠よりは元気だった――ここにいるキー
パーのほとんどは精気に関しては鼠以下だ。食料は自力で現地調達だった
が、食べ物には気をつけていた。壊血病に悩まされることもなく、病気らしい
病気もほとんどしていない。歩けなくなることもなかったし、頭もしゃんとしてい
た。薄気味悪いほど底抜けに明るく冗談好きだった。だが、たとえ一度たりと
も、ジョークでさえも、彼の前で、この良き牢獄を褒めたことはなかった。
 二年前のある日、不正が発覚し、ボルタックから解雇された男が彼らの一
員に加わった。その男がきて間もなく、ガヴェインは姿を消した。

 笑えないことに、彼はほんの数ヶ月前まで、このことが頭の中からすっかり
抜け落ちていた。ガヴェインの名前も、そんな人間がいたことも、完全に忘れ
ていた。彼はここに長く逗留しすぎていたし、五ヶ月前までの彼にはパイプも
無かった。だが五ヶ月前に、彼は一本の地上との連絡口を見つけた。そのパ
イプは、細く、頼りなく、ともすれば、彼はその価値もわからずにうち捨ててしま
うところだった。
 五ヶ月前、といったが、もっと厳密に言えばおよそ百六十二日前のことだ。
どうしてこんなに細かい数字がわかるのかというと、彼はその日以降、簡単な
日記を付けていたからだ。日記は、数年前にソーニャという、頭のおかしな尼
僧から貰ったものだ。ありがたいことに、ソーニャとはそれ以来会っていない。
噂によれば、老婆を殺して流刑判決を貰った囚人の付添人として極寒の僻地
に行ったらしい。
 扉に二千年ほど前の新興宗教の神の言葉が書かれている白紙の本は、
うっかり捨てるのを忘れて、彼の荷物袋の底に眠っていた。書くものは、一緒
に貰った粗悪な黒鉛棒しかなかったが、一日半ページ、その日の出納帳を付
けるには十分だ。何度も繰ったせいで、最初の頃のページはぼやけてる。八
十一枚の紙の先頭には、書いた本人でしか判別できない字でこう書いてあ
る。

『拾った』

 * * *

 その日の朝は、キーパーたちにとって、永遠に続く限りなく起伏のない日々
の一つである、いつもの朝だった。穿ったところを強いてあげるならば、その
日は彼らの仲間の一人が主人から正式に解雇を言い渡された日だった。
 お役御免になったのはウィリアムという名前のヒューマンで、ウィリアムの反
応は、これまでに解雇を宣告されたキーパー同様、月並みなものだった。
 街中を歩くような軽装のファイターが、自分たちは大君主様の訓練メニュー
の次の段階に入った、もうここへは来ない、アミュレットはくれてやるから、あと
は故郷へ帰るなり野垂れ死ぬなり好きにしろと言い、ウィリアムの方はと言え
ば、一度も顔を見たことがない親戚が危篤になったという知らせを受けたとき
のように、ぼんやりとした顔でじっと話を聞いていた。
 ファイターが話し終えると、突然ウィリアムは主人の膝にすがりついた。後生
だから何とか考え直してください、わたしからこの仕事を取り上げないでくださ
い、もし考えが変わらないのでしたら、せめて違う主人をわたしに宛がってくだ
さいと必死の形相で訴えた。
 ファイターは面食らったような顔で足にへばりつくウィリアムの顔を見ていた
が、アミュレットを持っていけば五万ゴールドにはなる、とだけ言い、追いすが
るウィリアムを蹴飛ばしさっさと地上へ引き上げていった。蹴り倒され、床に転
がったウィリアムは痛みと、腹から沸きあがった感情のために唸り声をあげ
た。ほとんど反射的に、右手が首に下げられたアミュレットを握り締めてい
た。
 ファイターが階上へと姿を消した途端、ウィリアムは拳骨で床を打ち、あらん
限りの声で暴言を吐き散らし、そのあとで、床に突っ伏して泣き出した。見兼
ねた隣人が声をかけたが、ウィリアムの痩せた老人のような拳骨に追い払わ
れた。
 ウィリアムは彼よりも三つ年上で、彼より二年早くこの地を訪れていた。まだ
三十にもなっていない。しかし、ウィリアムがまだ四十前だといっても、信用す
る者はいなかったろうし、六十といっても通用する身形だった。かつてダーク
ブラウンだった髪はすっかりごま塩になり、前髪と頭頂部の毛はほとんど抜け
落ちていた。いつだって目の下に袋なりの隈をこさえていて、頬髯の隙間から
見える肺病患者のように赤い頬には皮膚病のような褐色のしみが点々とあっ
た。髭に隠れている口は、喋ると極端に右側に釣り上がっているのがすぐわ
かる。うなじと背の境目には、クレバスのような深い皺が刻まれていた。手足
はひょろひょろしているが、年中座り通しのせいで下腹だけは異様に突き出て
いる。おまけに始終脱腸に悩まされていた。中背だったが、いつも老婆のよう
に背を丸めていたせいで小男のように見えた。夏だろうと冬だろうと、起きて
いるときも寝るときも、手持ちの服を全て着込み、肩に外套を引っ掛け、その
くせ、いつもぶるぶる震えていた。
 やっと顔を上げたウィリアムは、頬にべたつく涙も鼻水もそのままに立ち上
がり、足を引きずりながら北に向かって歩き出した。すぐ脇を通り過ぎたの
で、彼もこの幸運な同僚の顔を見ることができた。ぼうぼうの髭の間に見えた
ものは、退屈と憤懣に精神を食いつぶされた老人の顔だった。口の中に残っ
ている二本こっきりの奥歯をカタカタ鳴らし、小突かれただけでも折れてしまい
そうな腕を振り懸命に歩いている。五分と歩き続けられないような様だった。
この数年間で、五万の金貨よりもっと貴重なものを、ウィリアムは失っていた。
その五万の金貨でさえ、このなりでは地上に出てから一日と経たずに、屈強
な後輩や、城下の元気な乞食どもに奪われてしまうに違いない。
 ハーマンが鎮座する集落の北辺までやってきたウィリアムは、懐から旦那用
のアミュレットの入った袋を取り出した。ウィリアムはアミュレットを一つ一つ、
通路の闇に向かって放り投げた。精一杯の力で投げているつもりだろうが、
六歳の欠食童子が投げた石のように、アミュレットは短い軌道を描いて石床
に落ちた。甲高い金属音が、彼のいるところにまで聞こえてきた。全てのア
ミュレットを投げ終えたウィリアムは、来たときと同じように足を引きずり、彼の
脇を通り抜けて、ゆっくりと引き返していった。その様子は、手に持っていた袋
と同じ、中身を抜かれた空っぽの抜け殻だった。
 ウィリアムは地下生活が長かったが、温厚な性格で、近隣の評判もよく、新
人にも親切だった。貴重なランプオイルを旦那から頂いたときも、周囲の要望
があれば惜しまず使い、困っている同僚がいれば気軽に持ち物を分け合っ
た。

「ビル」
 ウィリアムが席まで戻ってくると、最初に声をかけたキーパーが話しかけた。
「あんたここに残らないか? そのう、食い物はおれがなんとかする。バートや
リロイとも話したんだが、協力してくれるってよ……ああ……なんだ、折角のあ
んたの出所にこういうことを持ちかけて済まないと思ってるよ、だが」
「ありがとうリプレー、とても信じられんほどいい話だよ」
 ウィリアムは相手の目を見ず、リプレーの肩を軽く二回たたいて手を振っ
た。
「でも、もう誰の世話にもなりたくないんだ」
 空洞に風が吹き抜けるような虚ろな声だった。ウィリアムは隣人たちがはら
はらしながら見守る中、出立のための身支度を始めた。二三人が手を貸そう
と腰を上げたが、ウィリアムはできるだけ快活に笑ってお礼を言った後、やは
り断った。酷く長い時間が掛かったが、二三度鼻を啜る音が聞こえただけで、
静寂のうちに荷造りは終わった。
 出立のとき、しばらくの間ウィリアムは荷物を持ったまま階段の前に立ち
尽くした。そのまま、振り返らずに、ゆっくりと階段を上がっていった。もしもこ
の時、冒険者か誰かが上から降りてきたのならば、ウィリアムは階下まで駆
け下り、野垂れ死ぬまでここで暮らしていたのかもしれない。しかし、平らな地
面を歩くときの倍以上の時間をかけたのにもかかわらず、ウィリアムは階段を
昇りきった。階段の出口から深く息を吐く音が聞こえ、それを最後に、この地
にウィリアムがいた痕跡は跡形もなく消え去った。

 * * *

 冒険者様の朝のラッシュが終わって四時間後――ウィリアムが姿を消して
から二時間後――彼は、今日はもう旦那方は降りてこないだろうと高をくくり、
昼寝でもするかと、羊毛の外套に包まりうつらうつらしていた。
 ところが、まどろみかけた彼は、腹に鋭い一撃を受けて目を覚ました。彼は
目を疑った。目の前にはキースの姿があった。
 近頃では、食料やアミュレットの受け渡しは、コーンという名の気弱なシーフ
の役目だった。稀にダンが、もっと稀にブレットが、その役を務めることがあっ
たが、キースやジッドは決して彼に触ろうとはしなかったし、声すらかけたこと
も無かった。
 キースは白い布にくるまれた三フィートほどの大きな包みを、腕に抱えてい
た。言葉を使わずに、キースは身振りだけでアミュレットを渡すよう指図した。
お替りの一撃を貰う前に、彼はいそいそとアミュレットを差し出した。荷物を
持ったまま、キースは彼の指に触らないようにアミュレットを二つだけ受け取る
と「残りは奴らに渡せ」と言って、彼の前から退いた。
 キースの背後から四人の男たちが現れた。甲冑で身を固め、面頬を上げた
前衛職の者が三人、ローブを纏ったエルフの男が一人。誰一人、彼の見知っ
た顔は無かった。後になって気付いたことだが、このローブのエルフは『祈祷
師』という商売を営んでいる者だった。前衛の三人も、このエルフと組んで商
売をしている同業者だ。
 祈祷師とは、メイジや、極々稀に高位のビショップが手っ取り早く金を作るた
めに行う商売の通称で、メイジスペルの第七階位にあるMAHAMANを使うとい
うリスクの高いものだ。この呪文は神――CANTの僧正どもが祭り上げている
怪しげなご本尊――に祈りをささげ、術者の力と引き換えに人智を超えた奇
跡を引き起こすもので、その呪文が引き起こす奇跡の中には、たとえどんな
に悲惨な状態であろうとも――それがたとえ切り刻まれていようと、遺灰しか
なかろうと、人として生存可能な部位が一そろい揃っているならば――必ず蘇
生させることができるというものがある。プリーストスペルの第五階位にある
DI、第七階位にあるKADORTOにも、寿命を使い切らずに命を落とした死者を
蘇らせる力はあるが、この二つの呪文は、賽の目次第でファンブル(失敗)の
可能性があるし、仮に成功したとしても、蘇生させた者の生命力を著しく消費
させるという欠点まである。生命力の乏しい者は成功する確率自体が低いう
えに、たとえ成功しても、ゾンビのような意思の無い生ける屍になってしまうこ
とさえあるのだ。MAHAMANによって起こされた奇跡はそうではない。対象の
生命力を削ることなく、しかも必ず成功するのだ。神は気まぐれで、術者の目
当ての奇跡を起こしてくれるとは限らないのだが、何度も繰り返して使えば、
いつかは目当ての奇跡を引くことができる。もちろん、呪文を唱えるたびに、
術者は奇跡の代償として己の力の一部を神に支払うことになるが、祈祷師へ
はそれ相応の報酬が約束されている。まさに、ここが魔法の街だからこそ成
り立つ商売だ。

 キースは彼に、いつも通り人ごみから外れたわかりやすい場所で待機する
よう指示した。彼から返事が聞こえなかったので、もう一発爪先で彼の腹に痣
をつくり、同じ言葉を繰り返した。うずくまった彼は、鈍器で頭を砕かれるまえ
に、しゃがれ声で返事をした。

 * * *

 昼過ぎ、夢の中でワイン風呂に入っていた彼は、がさがさという物音で目を
覚ました。コボルドが脇をすり抜けたのかもしれない、と彼は鉛の詰まった頭
で考え、夢の続きを見ようとすぐまた目を閉じた。しかし、楽しい夢とは得てし
て出会いがたいものである。極上のワインの中で溺れ死ぬ場面の続きを見る
ことはできなかった。彼の夢を上演する興行師は、お客の期待を裏切って、
次の芝居を始めた。

 夢の中で、彼は騒ぎ声を立てる生き物の群れを見ていた。二本の角とトカゲ
のような尻尾をもち、鱗状の固い皮膚に覆われた毛むくじゃらの小人――コ
ボルドだ。コボルドの大群だ。夢の中に彼の姿はない。地に足が着かず、視
点は妙にふわふわしている。迷宮の中にいるのはわかるが周囲が妙に明る
い。
 三フィートたらずの小人どもは、石畳に転がっている何かに群がっていた。
ふわふわ浮遊しながら彼は小人の群がっているすぐ傍にまで近づいた。小人
どもの真ん中にいたのはブレットだった。ブレットは裾の長いひだのあるドレス
を身に着け、小人どもの真ん中で膝を立てて座っている。はだけたドレスの裾
から、彼の腕より長い爬虫類の尻尾が何本も突き出ていた。小人どもは尖っ
たぎざぎざの歯でくすぐったくなるような音をだして、ブレットの肉を削ってい
る。ブレットは歯を見せて笑いながら、おねだりをするように腰を突き上げてい
る。ブレットの横では、素っ裸のダンが同じように狂気じみた笑顔のままで小
人どもに去勢されていた。四本角のとびきりでかいコボルドが、硬い皮膚に包
まれた尻尾を金鞭のようにひゅうひゅうならしながら、包皮がめくれて勃起した
ダンの一物をむしりとった。化け物はピンク色の亀頭を牙の隙間から突き出
して、飛び跳ねていった。がさがさというくすぐったい音はそこかしこで聞こえて
いた。ここは地下十四階だ。何も気兼ねすることはない。ここは地上から遠く
離れたところなのだから。
 コボルドの一匹が、ふいに彼のほうへ振り向いた。それを合図に、すべての
小人どもがこちらを向いた。内臓を取り合っていたものも、じゃれあっていたも
のも一匹残らず。コボルドどもは姿のない彼のほうへ向かって、一斉に飛び
掛った。

 視界がぐらりと傾き、彼はふわふわした夢の世界から、現実の床に叩き落さ
れた。大量の汗か、あるいはゆるくなった尿道から漏れ出た何かで股座の辺
りがなま暖かく湿っていた。彼は気にもかけなかった。失禁はやっかいなこと
だが、それ以上の面倒を経験した彼にとって、下の不始末というカテゴリーの
なかでは後始末の楽な部類だ。
 やっと正常な視野を取り戻した彼の眼に、石畳の床、何処まで続いているの
かわからない闇の回廊が映った。最初はこれが現実だと気付くことができな
かった。ややあって、彼は額の汗をぬぐい、ごろりと大の字に寝転がった――
彼はそれほど人垣から離れた危険な場所にいたのだ。頭と床が接触する刹
那の間に、彼は夢の中でも聞いたがさがさという音を耳にした。

 彼の背後で、ふみしだかれた犬のような、甲高い、情けない悲鳴が響き、固
い床に打ち付けられると思っていた背中に柔らかい感触があった。彼は肝を
つぶして飛び起きた。
 とっさに鉄鍋の下敷きにしてしまった鼠かゴキブリの死体を見る女のように、
彼はこわごわ自分のふみつぶしてしまったものに振り向いた。

 それは馬車に轢きつぶされた蛙のように、腹ばいになって床に張り付いてい
た。大きさはコボルドより一回り小さいほどで、頭に赤黒くて長い毛の塊を付
け、赤茶けたボロの塊を纏っていた。新参の同業者――少なくとも、人語の通
じる生き物――かもしれないと思った彼は、びくつきながらも、“それ”がなん
なのか確かめるために目を凝らした。彼が腹ばいになった“それ”を手でひっ
くり返す前に、“それ”はあの甲高い声で呻き、両の腕を前に突っ張らせて顔
を起こした。
 その途端、彼は差し出していた手をあわてて引っこめた。そのおぞましい姿
に、彼は危うく叫びだしそうになった。悲鳴を押さえるのに、歯が折れそうにな
るほど強く掌を口に押さえつけなければならなかった。『これは、オークとコボ
ルドの合いの子のゾンビだ』と彼は確信した。
 頭を赤黒く染めていたのは大量の血だった。ぺったり張り付いた髪の分け
目には、陥没した頭骨にできた赤い血の沼が闇の中でてらてらした鈍い光を
反射していた。頭から流れた血は顔や体にまで垂れ、丸太で殴られたように
顔面は腫れあがっていた。前髪の隙間から見えた瞳は死人の目だった。腫
れた鼻や口からも血が噴き出ていて、意味の解らない言葉をたえず口ずさん
でいる。顔中が、赤みがかった泡と血と吐瀉物にまみれ、腐りかけたゾンビ
のように見えた。着ていた服は、おそろしい力をもった巨大な獣の爪で引き
裂かれたようで、前から見ると、下腹部より下はほとんど丸出しになってい
た。おかげで、水をつめすぎた水筒のような不気味に膨らんだ腹が嫌でも目
に付いた。三フィート程度の小さな体には、服を引き裂いたのと同じ獣の噛
み跡や引掻き傷が無数にあった。この生き物が生きていること自体不思議だ
った。
「あああああ」
 と、突然それは叫びだし、片腕を彼のほうへ突き出し腹ばいのまま迫ってき
た。それは立ち上がろうとしてバランスを崩し、床に転がったが、それでもな
お彼のほうへ這い寄ってきた。
 彼は半狂乱の態で、後ろへ――人垣とは反対の闇へと続く通路のほうへ
――逃げ出そうとした。目の前のオークとコボルドの混血児は、一層高い大き
な声をあげた。駆け出そうと振り向いた彼は、そこで初めて怪物の一団が間
近に迫っていたことに気がついた。
 十フィートと離れていない距離にコボルドの集団がいた。
 彼は死に物狂いでベースキャンプのほうへと逆戻りした。腰は抜けたまま
だったので、獣のように四足で駆けた。
 その時、なぜそうしたのかはわからないのだが、彼は目の前にあった障害
物――あの不気味な混血児のゾンビ――を抱えたまま、ベースキャンプに転
がり込んだ。今までずっと鳴り続けていたらしいハーマンの拍子木の警報が
その時になってやっと耳に入った。
 ベースキャンプは騒然となっていた。コボルドの集団がやってきた上に、集
落のはずれで眠りこけていた間抜けな同僚が、なんだかよくわからない不気
味な生き物を連れ込んだからだ。彼が人垣から蹴りだされたなったのは、運
が良かったとしか言えない。北端の最前列にはかつてファイターだった者たち
が食事に使う頼りないナイフや金物の食器を手にとり、後列にはスペルユー
ザーたちが待機した。

 闇から現れたコボルドどもは、ただよう血の匂いに興奮して、ぎゃあぎゃあ
わめきたてていた。火球が一発、前衛の背後から放たれ、一匹のコボルドの
足を焦がした。さらに数発の火の球がコボルドどもの周囲にばらばらと降り注
いだ。
 コボルドどもはしばらくうろうろしていたが、どうにも手出しできない事がわか
ると、喧しい音を立てながら元来た道を引き返していった。

「疫病神め」
 一人のホビットが、うずくまっていた彼の背中に蹴りを入れ、素早く人ごみの
中に消えた。蹴りを喰らった彼は、鈍い音と共に床に額を打ちつけた。彼の眼
に赤黒い星が見えた。
 しばらくの間、ゾンビの子どもを腹に抱えたまま、彼は床に突っ伏していた。
殴られた衝撃もあったが、それよりも久々に激しい労働をさせられた四肢が
悲鳴をあげ、少しも体を動かすことができなかった。
 腹に抱えたゾンビの子どもが、低く唸った。彼はやっと、顔を上げた。もう集
落はいつもの様相を取り戻していた。コボルドどもはたちさった。窮地は脱し
たのだ。
 危機が去った途端、彼は抑えがたい笑いの発作にみまわれた。それまで、
忌々しさと腹立ちのこもった視線を送るだけだった近所の住人が、今度は薄
気味悪そうに彼と距離をとった。が、彼は意に介さず、血だらけの混血児を抱
えたまま「よくやった、よくやった」と言いながら子どもの背中を叩き、狂ったよ
うにゲラゲラ笑い続けた。
 彼の抱えていたゾンビの子どもは、「あああ」という音のついた溜息のような
ものをもらし、それっきり、しばらくは口を利かなかった。

 * * *

 その後、彼の取った行動は、今にして思えば実に奇妙なものだった。小さな
右手の甲に焼きこまれていたマークのおかげで、この生き物がオークかコボ
ルドのゾンビではなく人――それもなんと成人の冒険者――だということはわ
かったが、もし彼の精神が正常に働いていたのならば、たとえ人だろうが、こ
んな薄気味悪い物はさっさと処分するに限ると、とどめの一撃を加えた上で
通路に放り出していたはずだ。しかし、当時の彼が取った行動はそれとは正
反対のものだった。その薄気味悪い生き物を介抱してやったのだ。コボルド
の襲来を気付かせてくれたお礼のつもりだった、というのならば実に感動的な
理由になったのだろうが、ただ単に『その時期の彼が狂っていただけ』という
のが、今の彼と周囲の住人の出した結論だった。なにせ当時の彼は“退屈”と
いう名の長年の重労働ですっかり呆けていた。自分でもそう思っていたし、ま
わりにもそう思われていた。
 頭の打ちどころが悪かったのか、元からなのか、アミュレットの力で傷を塞
いだあとも、その小人は片言でしか喋れず、数も四つまでしか数えられなかっ
た。
 アミュレットの力で傷の癒えた小人がまっ先にしたことは、彼の手にゲロを
ぶちまけたことだった。彼は驚きこそしたが、怒りもせず、ケタケタと狂人じみ
た笑いをして、手についた吐瀉物を、貴重な飲み水で洗い流し、ついでに血だ
らけだった小人の頭と顔も洗ってやった。その時の彼は鼻歌さえ唄っていた。
これには周囲のキーパーたちも彼が完全に狂ってしまったものだと思い、余
計に距離をとった。
 彼は、まるで子犬をもらった少年のように、小人の身繕いをしてやり、ボロボ
ロだった服の代わりに自分の着古しを着せてやり、まだ状況を飲み込めてい
ない小人にいろいろ優しい言葉をかけてやりながらパンと水を食べさせてやっ
たりした。シモがそうだったように、キーパーたち――とりわけ地下生活が長
引きすぎた者たち――の中には、傷ついた化け物を介抱してペットにしようと
する輩がいる。今の彼には理解できないが、当時の彼にはそんな者たちの心
理が良く理解できた。起伏のない、それでいて重荷を背負わされて延々と歩
かされているような苦しい生活が続くと、何か心の慰みになるようなものが欲
しくなるのだ。
 徐々に食欲を見せはじめた小人をみて、彼は心から愉快そうに笑った。荷
物袋に残っていた最後のパンを取り出して、まだ先の分をかじっている小人
の前に置いた。
「すきなだけ食えよ。でも、少しはおれの分も残しておいてくれ」
 それだけいうと、羊毛の外套を引っかぶり、小人が食事をしている横で、ぐう
ぐうと昼寝をはじめた。

 * * *

 昼寝をしている間も、彼は肌理の粗いヤスリの上に腰掛けているようなちく
ちくした痛みを尻のあたりに感じていた。激痛ではなかったが、耳の周りで蚊
が騒いでいるような不快感があった。
『コボルドにケツを噛まれたせいかもしれない』
『ほおっておくと尻にこぶし大の大穴が空くぞ。そのまえにアミュレットを使わな
きゃならん、アミュレットをつかわなきゃ、あみゅれっと――』
 それでも彼は眠り続けた。眠りは浅く、夢と現実の白線の上を歩んでいるよ
うな不安定なものだった。
 はっきり目が覚めたのはそれからさらに数時間がたった後だった。彼は何
か固いもので膝をつつかれたような感触に起こされた。目を開けると、ローブ
を着たエルフがスタッフを彼のほうへ突き出そうとしているところだった。その
場にいたのは、そのエルフと前衛職と思しき三人の男たちだけだった。
 朦朧としていた彼は、どうやらこの冒険者様たちが勘違いをなされているの
だと考えていた。この“見ず知らず”の冒険者様はどうして自分の前にいるの
だろう? 旦那様、わたくしはあなたの下僕ではありませんよ。
 彼は差し出された五つのアミュレットにも手を出さずに不思議そうな目でじっ
とエルフの手を見つめていた。

 祈祷師のエルフは彼がアミュレットを受け取らない理由を、キースがいない
ことを不審に思っているせいだと解釈して彼にこう言った。
「事故にあったんだ。君の旦那はカンカンになって“近道”で先に帰ったよ。わ
たしたちはキースの旦那から君にアミュレットを届けるよう言付かったんだ。
術式は上手くいったんだよ、だからわたしたちに落ち度があるわけじゃない」
 エルフの声には苛立ちが混ざっていた。彼に話しているというよりは、鬱憤
を晴らすために一人で喋っているような調子だった。
「不注意で患者が逃げ出してね。蘇生したての患者は、混乱しているものなん
だ。まあ、あんな待遇を受けた後であんな死に方をした後なら、まともな精神
だったとしても旦那の顔を見れば逃げ出すだろう。わたしだって金に困ってな
きゃこんな仕事は請けなかった。あのサディストの変態め、同族の面汚しだ
よ、奴は――」
 そこまで喋って、初めて彼の存在に気がついたように、エルフは口をつぐん
だ。彼は黙ってエルフの言葉を聞いていた。ボケきってしまった彼の頭では、
このエルフが昼前に見かけた男だということには気づけなかったが、エルフの
口からキースの名前が出てきたので、ようやく、このエルフがキースの“知り合
いかなにか”ではないかと考え始めていた。まだボケ面のまま自分の顔を見
つめている彼に、エルフは肩をすくめて、彼の膝の上に五つのアミュレットを
落とした。帰り際、捨て台詞のように彼に言った。
「前金を取っておいてよかったよ。まったく、ひどい目にあった」
 エルフとその仲間が行ってしまった後で、彼は膝の上にアミュレットのほか
に一口だけかじったパンがのっていることに気がついた。それを見て、彼は
やっとペットを拾ったことを思い出した。見当たらないので逃げられたのかと
思ったが、外套の中にちゃんといた。彼の背中の後ろあたりで丸まって、寝息
をたてていた。まだ幾つかの傷跡が、盛り上がった赤黒い線を作っていたが、
丸太で殴られたような顔の腫れは大分引いていた。そのときに初めて、彼は
自分が拾った小人が、思いのほか可愛らしい顔立ちをしていることに気がつ
いた。アミュレットでふさいだ傷は、ブロンドの巻き毛の中に隠れて見えなく
なっていた。
 彼はしばらく、血でべとつく巻き毛の上からふさいだばかりの傷口をなでてい
た。相変わらず尻に伝わるちくちくとした痛みは続いている。
 膝の上のアミュレットを荷物袋にしまう段になって、彼はようやく微弱な鈍痛
を与える原因を探り当てた。クッション代わりに敷いていた小人のボロボロの
服に、何かが入っていたのだ。尻の下からひきだした拍子に、引き裂かれた
服のポケットから、彼の首にぶら下がっているのと同じ、太陽の縁取りのある
黒いメダルが転がり出た。
 それを見た途端、彼の中で神経の糸を寄り合わせる糸車が、にわかに動き
出すような気分がした。糸車の動きは緩慢で、いまだ全力疾走とはいかない。
彼の頭にはいくつ者言葉が浮かびあがっては消えていった。
『坊や、どこのキーパーだ?』
『あのぺド野郎のか!』
『不注意で“患者”が逃げ出してね』
『同族の面汚しだよ、奴は――』

 なぜその言葉が浮かんだのかは彼にはわからなかったが、彼は小人の服
からでてきた黒い太陽に、なにか不吉なものを感じ取った。こいつをもってい
ると、何かよくないことが起こりそうだ。
 彼は小人の持っていた“アミュレット”を通路に向かって投げ捨てた。その日
から一週間、旦那方は降りてこなかった。

 * * *

 彼が正気に戻るまでさして時間はかからなかった。尺取虫が大樹をよじ登る
ような歩みではあったが、ひとつの方向に向かって順調に事は運んでいった。
 躓きかけたのは一度だけ、彼が気を利かせて、仕事しやすいようにと、小間
使いの腹の出っ張りを治してやったときだけだ。小間使いは逃げ出し、丸一
日帰って来なかった。翌日の遅く、彼もあきらめていた頃にひょっこり帰って来
て、以来二人の間に問題は起きていない。
 彼は当初、小間使いが稼いだ金を元手に、ガヴェインのように行商をするつ
もりでいた。ところが、最初の品物を輸入するまえに、小間使い自体が、元手
なしで利益を生む、いわば金の卵を産む鵞鳥だったことに気がついたのだ。

『十万ゴールド』
 小間使いが働くところを遠目で見ながら、彼は考えていた。
『十万ゴールド、オイルの正規価格。あの骸骨野郎はそういっていた、ボル
タックをクビになった丁稚も、そう言っていた』
 彼の右手は、腹の下にかくした金貨を無意識に服の上から撫でた。
『あと二万かそこらってところか』
 彼は天上に目を向けて、頭の中で呟いた。
 随分早いな。いや、長い時間だった。最初の三ヶ月は酷い日照りだった。あ
そこで、ガキが一人のボンクラを引っ掛けてくるあの日までは。この地にあつ
まる冒険者は、皆が狡猾で非情な切れ者ばかりではない、判断力が馬並み
の金持ちなうすのろもいるのだと、そのとき気がついた。あれ以来、善人ぶっ
たお堅そうな聖職者や、手入れの行き届いた身形の良いエリート(上級職)
――それも鎧を身に着けていない間は、整髪油で撫で付けた前髪を始終弄っ
ているようなボンボン――ばかりに眼を付けてガキに稼がせにいかせた。今
では一目見ただけでも目の前の男がお客かそうでないのか大体察しがつく。
今回こそとちったが、このところの的中率はなかなかのものだ。今考えれば、
行商に手を出さずに良かった。自分に商才がないことは、最近になってよく分
かった。おれは博打屋にもなれなければ堅実な人間にもなれない。ただ、こ
のクソ牢獄生活のおかげで人間の目利きなら一日の長がある。今回の“事
故”を除けば、あれ以来、万事うまくいっている。
 彼は空想した。「根拠のない皮算用は商売人にとって、決して行ってはなら
ないタブー」とガヴェインは言っていたが、ここまでうまく事態が進めば、希望
を持つなと言うほうが無理な話だ。なにより、彼は商売人ではなかった。
『もし順調に事が運べば、あと一月――いや、二月のうちにはここをおさらば
できる。多少時間がかかっても余分に金を作っておくべきだ。そうすりゃ、あの
クソガキを後腐れなく処分することができる』
 彼は不意に浮かんだこの言葉に笑いを浮かべた。
『“クソガキを処分する”、か。いい考えだ。売りとばす必要なんかない、そんな
ことをすれば足がつく。それより、あのチビとはここで片をつけておいたほうが
いい。あのチビの腐った頭を思いっきり蹴り上げてやる』
『あいつの軽いオツムの中身を床にぶちまけてやるぞ』

 ハンクが新しい時刻を集落に告げた――魔術師の事務所閉店の時間だ。
召使が戻る前に昼飯をすませようと彼は荷物袋をかき回した。そのとき、足
音も立てずに横をすり抜けたホビットの影には気がつかなかった。

 * * * 

 地下の住人たちがハンクの時報をあてにできるのも、迷宮の出口には常に
警備兵の姿があり、冒険者のために香が焚かれ、四六時中、時刻を知らせ
る軍太鼓が打ち鳴らされているからだ。聴覚の鋭敏なエルフならば、出口か
ら百ヤード離れた地下壕からも今の時間を聞き分けることができるし、迷宮
の入り口のすぐ真下にいる気のふれたホビットにもそれは聞こえる。
 ハンクはこの集落の中で――おそらく―― 一番の古株だ。いつここにきた
のか誰も知らないし、ハンクとまともに話ができたものも誰一人いない。どの
旦那に仕えていたのかさえ誰にもわからなかった。ハンクを雇った冒険者は、
ハンクをここに残したまま何年も前に蒸発してしまった。どんな古株に訊いて
も、自分が地下に落とされたときには、ハンクはすでにイカレていたという答え
しか返ってこない。もう誰にも気兼ねすることなく堂々と表に出てもいいのだ
(保障はないが、おそらくそうだろう)と言い聞かせても、ハンクは頑なに時報
をやりつづけた。気がついた同族が食べ物を持ってくるとき以外、ハンクが時
報をやめるのは眠るときと、冒険者が降りてきたときに限られていた。

 そのときもハンクは時報を止めて、カチカチに固まった兎のような不自然
な動きで階段を仰ぎ見た。ハンクの時報が止まったのをきっかけに、他の
キーパーたちも上を見上げたが、すぐに興味を失ったように自分たちの生活
に戻った。真新しいローブを纏った後衛職とおぼしきひとりのホビットが、おぼ
つかない足取りで慎重に階段をおりていただけだ。
 フードを目深に被った小人は、すぐに通路には向かわずに、集落を見回し
て、心許なさそうに辺りをぶらつきはじめた。明るい地上から突然真っ暗な地
下に降りてくる際の冒険者の慣例だ。特にヒューマンやあまり夜目の利かな
いホビットには必要不可欠な儀式だ。周囲の原住民たちがいだいた感想は、
このホビットは、大方パーティのドワーフやノームに、HALITOを誤射してどや
されないよう、少し早めに降りてきたメイジかビショップなのだろう、といったも
のだった。
 キーパーたちはなにも全ての冒険者を恐れているわけではない。自分と大
差ない、ともすれば数を頼めるこちらが打ち負かすことのできる新参者の冒
険者に気を使うものはいない。なれない足取りで、顔を隠したフードのしたか
ら、せわしない視線をおくるこのホビット相手に大仰に道を空ける者はいな
かった。面を上げて小人の顔をよく見ようとしたものもいなかった。たとえ自分
たちと大差ない脆弱な冒険者様とて、目を合わせるのはキーパーの間ではタ
ブーだ。自分たちの目の前で行き倒れになるかもしれない者の顔を覚えてい
たいと思うものはいない。なまじっかまじまじと見ていたために、薄闇でぼんや
りとしか見えないはずの死人の顔が鮮明に見えてしまうのは気分のいいもの
ではない。この地下で、きれいな死体というものに遭遇できるケースは稀なの
だから。

 ホビットは北を目指すふりをして人ごみを掻き分けながら、そっとあたりを伺
い続けた。程なくして、彼女は目的のものを見つけた。
 自分よりも一フィート背の低い小さな娘。その娘が、一人のヒューマンの膝
の上でにこにこと会話する姿。

『こいつが、あの“おっちゃん”か』
 シーフはフードを目深に被りなおした。そっと手袋をはずし、外側から順に指
を折り曲げた。初めてピックポケット(スリ)をしたときのように胸が高鳴り、落
ち着けようと静かに息をはいた。

 * * * 

 彼が目を向けたとき、小間使いはオズローという小太りのヒューマンの膝の
上に居た。
 彼は旦那方から贈り物が届く前に、小間使いを使って、稼げるだけ稼ごうと
していた。が、正直なところ、旦那から贈り物をいただいた後でも、小間使い
の行き先はあった。小児性愛はなにも金持ちのインテリだけの特権ではな
い。この集落に限っても、そういった性的趣向をもつ者がそこそこの数はい
る。このオズローも上客の一人だ。
 彼にしてみれば、『携帯型全自動マスかき機』程度――想像力を働かせれ
ば官能的に見えなくもない絵画と右手、それから適温に冷ました蒸しタオルと
ほぼ同等、あるいはそれ以下――の性能しかもたない小間使いを好んで使
おうとするヒューマンの存在は、実に奇妙で、滑稽なものだった。もちろん、同
性同士で金鉱を掘り合うよりはよほど健康的な思想だとは思っていたし、旦那
からの贈り物として十四週連続でドワーフ女を放り込まれた時期を経験した
彼にとっては、好みなど所詮その場の条件によって変わる流動的なものだと
いうことは理解していた。しかし、彼にとってこの種の人間が滑稽なものである
ことには変わりない。
 個人的な感想はどうあれ、とにかく彼にとってオズローは『よいお客』の一人
だった。支払いはいいし、小間使いが一仕事終えたすぐあとでも喜んで買って
くれた。
 彼とオズローはほんの一瞬だけ目が合い、互いに、窃盗団がやるような横
目の挨拶を交わした。それは紳士的なものだった。ポン引きと客との間で取り
交わされるごく紳士的な。

「――きいちぇる?」
 色の白い小さな娘が、くしゃくしゃのブロンドを揺らしてオズローの膝の上で
むくれてみせた。桃色に染まった頬が片っぽだけぷうっとふくらむ。
「ああ、きいてるよ」
 オズローは癖のあるブロンドをなで、その手が肩を滑り小さな肩甲骨をな
ぞって腰のあたりにまできた。小さな尻ぺたを腿の付け根までだきよせ、もぞ
もぞと指をうごめかせている。
「“ちぃ”したいの?」
 膝の上の少女が笑いとも怯えともつかない顔でオズローに訊いた。オズロー
の喉がかすかに上下した。
 実のところ、小振りな尻が股座の近くでむずむず動き回っている間にも、膀
胱から排水要請が何度もあった。しかし、オズローは本能の要請を素直に叶
えてやれるような性格ではなく、むしろ忍耐強い男だった。だからこそ、顎と股
間に髭を生やして以来身についたこの性癖ともうまく折り合いをつけていた
し、故郷にいる間もトラブルに巻き込まれずに済んでいた。これまでに二回、
目の前にある小さな唇に尿道から直接温水を吸いだされたが、未だこの行為
に及ぶまでに彼の中で強い決心が必要だった。
 オズローからは返答も露骨な仕草もなかったが、膝の上の少女は、表情で
オズローの返事を読み取ったようだ。
「わかっちゃあ」
 少女が膝の上からぴょんと飛び降りようとするのを、オズローはあわてて制
した。
「いまじゃなくていいんだ。それより、お腹すいてないか?」
「ぺこぺこ!」
 オズローの言葉に、娘は文字通りとびついた。首っ玉に抱きついた小さな頭
に手を回し、オズローは反対の手で荷物入れから白パンをつかみだした。ま
だやわらかいパンの塊の大きさをみた小さな娘は手でラッパを作り、内緒話
をするようにオズローの耳に囁いた。
「あのね、もるぐ、たべものものはね、おっちゃんとはんぶんこしなきゃだめな
んだよ」
「かまやしないよ」
「ひとりでたべちゃ、だめなんらよ」
 少女はしょんぼりした顔で、下唇を突き出して抗議していた。
「おっちゃん、とおおっちぇもおなかしゅいてるっちぇいっちぇたもん」
「三日もろくに食ってないんだろ? まずはチビのご飯からだ」
 彼女の雇い主が、彼女の不在の間に何を食っていたのか、どれだけ食料に
余裕があったのかオズローは知っていた。だが、さすがにここでそれは持ち
出さなかった。雇い主が娘をどう扱おうと、こればかりは雇用者と労働者の問
題であって、彼が踏み入ってはいけない領分だ。
「心配するなよ、おっちゃんの分はちゃんと後で渡してやるから」
「だって、やくしょくしたんらもん……」
 娘は相変わらず一歩も引かない。
 オズローは膝の上の娘にも見えるように、彼女の雇い主のほうへ千切った
パンを掲げて見せ、それから娘を指差してみせた。店主は掌を上に向けて頷
き、“どうぞお好きなように”とジェスチャーしてみせた。元々断られることなど
ない、なにせ客はオズローの方なのだ。
「ほうらチビ、許可がおりたぞお」
 オズローはそういうと、大きく一口パンを噛み切った。そして黄色い頑丈な臼
歯で咀嚼され、たっぷり唾液でふやかされたパンを口の隙間から見せつけ
た。小さな喉がごくりとなる。次の瞬間、無精髭の中にかくれた薄紫色の唇
に、赤い唇が重なった。

 十フィート離れたところでそれを目の当たりにしたシーフの両手は拳になっ
ていた。と同時に、シーフは今までの自分が、同じ『女の目』からどう見えてい
たのかを思い知らされた。シーフの視界を長身な影が一瞬遮り、彼女が背伸
びをして体の向きを変えている間に、オズローは二口目のパンをかじりとって
いた。
「もうお腹いっぱいか?」
「もっと」
 少女はぶんぶん首を振って言うと、すぐにオズローと口を重ねた。長いこと
蛸のように吸い付いていたが、二三度「くふっ」という短い息が漏れ、眉根を寄
せた少女が口を離した。
「とろかない」
 頬をピンク色にして、また片方のほっぺたを膨らませる。オズローは渋い顔
の少女にパンののった舌をベロっと出してみせる。すぐに少女は、笑顔でそ
れにしゃぶりついた。

 もうたくさん。シーフの口から吹き出た息は溜息にはならなかったが、その
息には熱い怒りが混じっていた。
 シーフにとって、この様な場面に遭遇するところは珍しいことではない。“デカ
ブツ”には幼い少女にしかみえない小人と、ヒューマンやエルフの男たちとの
こういった行為は、街にあるどの酒場ででも見られる光景だ。もっと過激な行
為も、人目につかない酒場の席や大通りからすぐ一本裏に入った路地で見る
ことができる。どちらも、彼女自身にも経験のある行為だった。彼女は他の少
女――あるいは自分自身――がそういった行為に及んでいる現場に出会う
たびに、感情を腹に押し込み、そ知らぬ素振りをするのが常だった。しかし今
度は違う。自分は、どうしてもこの小人を地上へ連れ帰ると固く心に誓ってい
た。
 ところが、息を荒げて止めに入ろうとした彼女は、次の場面で石のように凍
りついた。
「そろそろおれにも施しをくれないかな」
 オズローは膝の上に立つ少女の尻を服の上からまさぐり、片手を素早くバン
ドの下にすべりこませた。
「まらおなかすいちぇるよう」
 少女はがくがくと頭を上下に揺らしてオズローの肩をゆすったが、オズロー
は「あとでぽんぽんくちくなるまで食べさせてやる」といって少女を黙らせた。
 オズローは少女の首に巻かれた布を外し、小さな体を覆うだぶだぶのリン
ネルの布をゆるやかに持ち上げた。小ぶりの、ぷりっとした尻がシーフの目
の前にあらわになる。このときのシーフは知る由も無いが、横にまわれば、産
毛もろくに生えていない割れ目に突き刺さっている凶悪な玩具と、しまりなくに
たにた笑うはげかかった小太りの男の横顔と、そして、肌蹴た少女の胸が見
れたはずだ。
 すぐに男のズボンから赤黒い肉の延べ棒がとびだすと思っていたが、シーフ
の予想に反して、男の膝に立つ小さなジョッキーは第一レースには出走せ
ず、ぴょんと男の腕の中に飛び込み、まるで母親から乳をもらうあかんぼうの
ような格好になった。オズローはそのまま、少女の脇の下まで服をまくった。
 シーフは絶句した。幼げな少女の股間に押し込まれていたものに、ではな
く違うものに目を奪われた。

 ヒューマンと大差ない大きさで生まれてくるドワーフと違い、ミジェット(成長し
ない小人)は生まれた時から体が小さく、成長が止まる年齢も早い。ホビット
やノームの女たちは、一時期を除けば、成人してもヒューマンの幼子のような
未発達な体つきのままだ。だからこそシーフは驚いた。小さな突起でしかない
はずの少女の乳房は、出産直後の雌犬の乳房のように脹らんでいた。

 “通過儀礼だ”
 シーフの頭の中に、懐かしいひとつの声が響いた。かつての彼女の仲間の
声。ひどい訛りの、低く、力強い声。彼女の脳裏に、昔の光景が思い出され
た。彼女の頭の中で、その声の主であるノームのジッドは、間に挟んだビ
ショップを空気のように無視して最後尾の魔術師のエルフと会話をしていた。

 “能無しの民には誤解されているが、われわれ地霊(ノーム)は、ミゼットだ。
 生まれて数年の最も穢れなき時期の姿のまま、年を重ねていく。女は特に 
 そうだ。急激な変化があるときは、そう、通過儀礼をすませた直後だけだ”

 そういって、すぐ前を歩く彼女にも聞こえよがしに“それは、妊娠したときぐら
いだ”と囁いて見せた。最後尾にいる魔術師のキースは、ノームの話に聞き
入っていたが、しかめ面で後列の様子を見ていた彼女の目線に気がつき、急
いで興味の無いふりをした。
 シーフは慌てて首を振って、いまの考えをふりおとそうとした。
『うそだよ! ばかいってんじゃない、こいつはなんかの冗談だよ! だって
……だってそうじゃないか! この子はつい最近まで“あいつ”のところにいた
んだよ? あいつが、あの“キース”が、あんなに胸が脹れるまで、“腹のお荷
物”をほっとくなんて考えられる?』

 オズローは少女の白い腹に指を這わせ、すべすべとなでまわした。
「おう、だいぶきれいになったじゃないか」
「うん」
 少女は言って、オズローの上着の端をちょっとまくり、親指にくるりと巻きつ
けた。
「おっちゃんのおかげら……おきゃっ!」
 言い終わらないうちにオズローの指が小さな腹を転げまわり、少女が仰け
反るくらいまでくすぐりまわった。
「まあたおっちゃんかあ。チビはそんなにおっちゃんのことが好きか?」
「きゃっ、きゃはっ、うん、だいしゅきいぃ、きゃあ」
 オズローはその言葉を聴いて少し残念そうな顔をした。それでもくすぐるの
はやめずに、少女の一番の弱点である脇の下にまで指を入れた。
「そうかあ、だけどなあ、あのおじちゃんはとっても悪い人なんだぞう?」
「きゃっ、きゃぁっ、うっ、ああっ、ちがう、もん、ううっ、おっちゃん、わゆい、ひ
とじゃ、ない、もん……うっ、ほんちょは、とっちぇも、いいひとらもん……」
 少女が泣き出したのを見て、男はくすぐるのをやめ、おろおろしながら頬に
こぼれた涙を親指の付け根でごしごしこすった。
「泣くなよ、なかないでくれチビ、なあ、おれが悪かったから」
 少女はすぐに泣き止んだ。頬はまだ涙でぬれていたが、腕の中からオズ
ローに笑いかけ、親指を、巻きつけた布ごとしゃぶった。
 そのときにはもうオズローの片手は少女の乳房をもみほぐしていた。にたに
たした、あのしまりのない顔も戻り、その顔のまま、指の先でパンパンに中身
の詰まったの乳房の頂点にある桜色の乳首をつまんだ。小さな乳首から白い
液体がぴゅっととびだした。
 シーフの背筋をぞわぞわとした空気が包み、彼女は嫌悪で顔をゆがめ下を
向いた。もしここが人海の集落でなければ、喉が胃液でがらがらになるまで嘔
吐していただろう。
 オズローは小さなピンク色の突起に覆いかぶさり、ぱくりと口で包み込んだ。
そのまま、赤子なら絶対出せないような音をたてて乳房を吸った。少女はその
間何度も、怖気づいた子犬のようなかぼそい鼻声をあげた。シーフがその場
面を直視できるようになるまでに、オズローは少女の胸のふくらみを、どちらも
一回り小さくなるまで吸いたてていた。
「もうでないよう」
 母乳が出なくなった後も、オズローは小さな突起を舌の先でしつこくねぶりま
わしていた。
「まだこりこりだぞ」
 オズローは掌で膨らんだ小さな乳房を覆って、こね回して見せた。
「きゃっ、きゃ、も、もう、れな、いんらよう」
 くすぐったそうに身をよじって、少女は指に巻きつけたオズローの服を引い
た。
「のどからからなんらもん」
 やっとくすぐるのをやめたオズローの腕を振りほどいて、少女は床の上に飛
び降りた。膝の上で真向かいに座りなおした少女は目を赤くしたまま、赤い唇
の内側をつかってにちゃっという音をたて、いかに口が渇いているのかを示し
て見せた。オズローはいかにも同情した手つきで、少女の頭を撫でた。
「水は残ってねえんだ。お前が酒飲めたらなあ、チビ。酒なら腐るほどもって
んのによう」
「“ちぃ”でないの?」
 少女が下から探るような目つきでオズローの顔を覗き込み、それから物欲し
そうにオズローの股間に熱いまなざしを向けた。オズローの喉仏がぐいと下
がった。少女は両手をオズローの股座に出来たテントの左右に置き、そのま
ま膝の間にテントの支柱を挟みこんだ。
「じゅーちゅのみたい」
 小さな両の手がテントの外張りを這い、支柱の頭をやわやわと撫で回した。
「おずろーのじゅーちゅのみちゃいよう」
 支柱を押さえつけていた膝頭が締まり、小さな両手に体重が乗った。
「ああ……いいぞ、チビ」
「やっちゃあ!」
 少女はオズローの首に腕を回して飛びついた。不器用な手つきでベルトを
外し、ボトムスを引き下ろして、剥き出しになったオズローの亀頭にうれしそう
に頬擦りをした。
 シーフは意を決したように、二人のもとへ歩みだした。残り八フィート、七、
六、五……しかし、そこまでだった。シーフはなるべく穏便にことを運ぼうとして
いたが、怒鳴り込まずに二人を引き離すすべが見つからない。胸がむかつい
てしょうがなかった。
 シーフにはベッドワーカーを生業とする同族の知り合いがいた。それより数
は少ないが、同じ業種で身を立てるノームの知り合いもいた。彼女たちが仕
事を行う姿も目の当たりにしたこともある。しかし、その時には怒りは一切わ
いてこなかった。むしろ、彼女たちの演技力に敬意すら抱いたほどだ。シーフ
は彼女たちが普段どんな仕草をし、どんな言葉遣いであるかを知っていたし、
同じように、彼女たちも、客が自分たちにどういった仕草を求めているのかを
熟知していた。ことに、知人の一人であるロックノームのマーサの演技などに
はシーフも舌を巻いた。冗談好きなこの娘は、からかい目的のためにわざと
現場に鉢合わせになるようシーフを呼び出し、間一髪で鉢合わせだけは避け
たシーフに、クローゼットの中で仕事風景をたっぷり見学させ、客を送り出して
から、それこそ料理の味を尋ねるようにシーフに感想を求めた。マーサのこと
はよく知っているつもりだったシーフも、その時ばかりは流石に言葉もなく、た
だ苦笑いをするのが精一杯だった。なにせ無垢で幼げな三歳児にしか見えな
い――同性や子供をよく知る人間の目には怪しいが、『こういった店を利用す
る異性』相手にはそう見える――娘が、突然いつものマーサに戻り、乱れた
髪をひっつめに結いながら、小気味のいいウィットに富んだ口調で客の手際
を辛辣な言葉で批評し始めるのだ。彼女が娼館の稼ぎ頭だということも心か
ら納得した。
 しかしシーフは女であり、子どもとは縁が無かったわけではなかった。目の
前の少女の浮かべた表情は、嫌々仕事をさせられる小人の顔ではなく、別に
後ろめたいことをしているわけではない、まるでパパや親戚の人と面白い遊
びをしているあどけない子どもの顔でしかなかった。頭は悪いが、パパの言う
こと――それとパパの“したい”こと――なら何でも聴く小さな子どもにしか見
えないのだ。
 少女が子どもらしい素行を崩さなかったのはあの頭の傷のせいだとわかっ
ていたし、この少女が迷宮の入植者の下僕になるまえからすでにこんな生活
を強いられていたのだろうこともシーフは分かっていた。十中八九、いや、絶
対に、この小人の少女は、彼女の“かつての仲間”のところから逃げ出してき
たのだと彼女は確信していた。脳に修復不可能な傷を負わされたのも、その
ときかも知れない。シーフはどうあっても、この小人を救わなければならないと
いう使命感に駆られていた。だから、“じゅーちゅをくれゆ”おっ勃ったピンクの
肉棒を少女が咥えるまえに、陰茎をやっと両手でつかめるほどの小さな手
を、自分のほうに引き寄せたかった。
 そうこうしているうちに、またもあの長身の影の主が彼女と二人とを隔てた。
忌々しいと思うより前に、シーフの聞きなれた声が彼女のすぐ目の前で
「チビちゃんめっけ、わたしのゴール」
 と言うのが聞こえた。

 呆気にとられる間もなく、彼女の視界を塞いでいたフードからさらりとした銀
髪がすべりでた。シーフの視界に入らないところで、高い悲鳴があがった。
「手間かけさせて。私をこんなに怒らせといてどうなるか、覚悟はできてるんで
しょうね?」
 銀髪のエルフが鋭い声で少女に言った。集落は静まり返り、エルフの声は
端にいる住人の耳にも聞こえるほどだった。いまくノ一の目の前にいる男の顔
がみえるのなら、水でふやけたボロボロの皮袋のような情けない表情をしてい
るに違いない。
「あら、同族のろくでなしかと思ったら、人の良さそうなヒューマンのご僧侶様
じゃない。ねぇ、おチビさん、これでもヒューマンはいい奴で、エルフは悪者?
あなたみたいなフィンガー・ポケットに無理やり突っ込もうとするヒューマンは
いい人で、二階で兎の餌になりかかったあなたを助けてあげたエルフは悪い
人なの?」
 そう言って、くノ一は後ろを振り返り、呆然と現場を眺めているシーフにウイ
ンクして見せた。

 突然、オズローが奇声をあげてくノ一の腕から小人をもぎ取った。
「この子に手を触れるな!」
 赤ら顔の禿かかった男は、大きく目を見開き喘ぎながら叫んだ。
 くノ一は、驚くより呆れたような顔で、男の顔を見下ろした。男の顔色は今に
も失神しそうな真っ青な色だった。
「この子に指一本触れてみろ、ただじゃおかないぞ」
 すっかり腰が引けているが、それでも腕の中の娘を庇うように、オズローは
真っ直ぐくノ一の目を見ていた。くノ一は首を軽く傾げて、薄く開けた目でオズ
ローを見ていたが、軽く溜息を吐くと、オズローのに向かって手を伸ばし、そろ
りと頬を撫でた。オズローは蛇の舌で顔を舐められたように頬の筋肉を引き
攣らせたまま動けなかった。くノ一は息が吹きかかるほど顔を近づけ、くすぐ
るよな声で囁いた。
「ただの冴えない娼館通いだと思ったら、とても果敢な人だったのね。今夜の
ディナーに招待したいくらい」
 オズローが頬をなぞっていたくノ一の腕を弾いた。
「さわるな、この売女」
 くノ一は一瞬目を見開いて驚いた顔を見せ、次の瞬間には彼女の鼻柱のす
ぐ横に軽く握った拳をあてて噴き出した。
「あなたがペドファイルでとても残念よ」
 笑いながら、くノ一はオズローから身を離した。一連の流れを見ていたシー
フは胸騒ぎを感じ、急いで距離を詰めた。
「ごめんなさいね、いま私とても虫の居所が悪いの」
 言い終わらないうちに、ローブからつき出た白い腕が振りかぶった。シーフ
はくノ一の腕に飛びつこうとした。しかしそれより速く、小さな影が白い腕に飛
びかかった。
 もしくノ一が本気を出して殺しにかかったのなら、腕にひっついた小さなノー
ムごと男は素手で切り刻まれていたかもしれない。しかし、このときただ悪ふ
ざけをしていただけ――ちょっと力が入りすぎたせいで相手の顎が吹っ飛ん
でしまっても構わないと思う程度の悪意のこもった悪ふざけではあったが――
の彼女は、この咄嗟のできごとに短い悲鳴をあげ、腕に鋭い犬歯をつきたて
る強力なノームの顎を引き離そうともがくだけで精一杯だった。
 一瞬、くノ一がノームの引っ付いた腕を頭の上まで振りあげ、シーフに石床
の上で陶器人形のように砕ける小さな頭のことを思わせた。しかし腕は勢い
よく振り下ろされることはなく、代わりに手の腹でノームの腹を殴りつけた。
「売に出すんだから」
 ようやく引き剥がした少女にむかって叫びともとれるほどの声でくノ一は言っ
た。
「傷をつけるわけにいかないのよ」
 腕の中の少女に向かって言うというよりは、自分に向かって言い聞かせて
いるような言い方だ。
 顎を押さえつけられた少女がくノ一の顔に赤い唾を飛ばした。くノ一の表情
がこわばり、シーフの背筋が凍りついた。
「ばけもの!」
 涙が頬を伝っていたが怯えより怒りが先にたった声で少女は言った。
「ばけもの! おまえ、えるふだけど、い、いいやつ、も、もっと、いいやつ、お
もっちぇたのに、に、や、やっぱり、やっぱり、えるふ、みいんな、ばけもの、ご
主人様とおんなじ!」
「ねえ、あなた」
 今度こそ、シーフが素早い身のこなしで相方の腕に飛びつき、二人の間に
割って入った。
「ひょっとして、あなたキースのところにいたんじゃない?」
 小人の少女はきょとんとした顔で、青い目を一杯に開きシーフを見返した。
「ご主人様、しっちぇるの?」
 その一言で全て了解がいった。シーフは小人の娘を腕に抱きしめると、彼女
の相方に向かって叫んだ。
「もしこの子を酷い目にあわせてごらん。あたしも、あんたとは縁を切るよ」

 * * *

 彼は一部始終を見ていた。客が殺されかかるところも、彼の雇い人が殺さ
れかかるところも、二人は殺されなかったが、最悪の結末を迎え事も。胃の中
にこぶし大の氷の塊を押し込まれたような気分だった。階上へ向かう三人を、
絶望感と腹立たしさのこもった目で見送った。

 ところが、階段を昇る直前に銀髪のエルフが、彼の小間使いとホビットを先
に行かせ、急に向きを変えて、一人だけで北の通路に向かって歩き出した。
 張りつめた空気が、電流のようにキーパーたちの間に伝播した。気まぐれな
エルフのために、即興で道ができた。周囲の住人たちも事の仔細を見ていた
せいか、人垣でできた道の幅は普段よりもずっと広いものだった。
 通路に向かって直進するかと思ったが、彼女はほんのわずかだけ東よりに
向かって歩いていた。エルフが数歩とない距離まで近づいてから、彼はやっと
気がついた。
 この女はまっすぐ自分のいるところへ向かっている。

 彼は脇のほうへそろそろと移動した。くノ一も向きを変えた。そのまま、彼は
尻を上げてずっと後ろのほうまで後ずさる。くノ一も彼の後を追いかける。

『殺される』
 エルフの目を見た彼は確信した。思い当たる節はいくらでもある。彼女にた
てついたくそったれなチビガキの雇用主は彼だ。彼女の足に小さな火傷を作
ろうとしたのも彼だ。彼は塵溜まりに住む人型の屑鞠、あちらにおわすは天下
の冒険者様。有罪判決を受けるには十分すぎる状況証拠が揃っている。彼
が陪審員を務めたとしても有罪に一票入れるだろう。
 彼女が一瞬で事を終わらせるタイプならいいが、もし彼の主人のエルフのよ
うに拷問の名手なら、いますぐアミュレットの力で上空に舞うか、石の中に飛
び込む必要がある。だが、自分は決してそんな真似はしないと彼にはよくわ
かっていた。あの小間使いを奪われれば、彼は一生この土地に縛り付けられ
るだろう。それでも、たとえ一生ここを出られなくても、死にたくなかった。じわ
じわなぶり殺しだろうと、ギロチンで一瞬だろうと関係ない、どんな惨めな姿で
生き続ける羽目になっても構わない、死にたくないのだ。もう小間使いのこと
や、腹に隠した金貨や、脱出計画のことなどどうでも良くなっていた。この恐ろ
しいエルフが、彼の見えないところに行ってくれさえすればそれで十分だ。
 そこでふと、彼は自分の持っているアミュレットが、簡易自殺をするための
道具としてだけではなく、“MALOR”の力を持っているマジックアイテムでもあ
ることを思い出した。咄嗟にアミュレットを握り締めたが既に遅すぎた。くノ一
は、彼の目の前に座っていた。
「こんにちは、女郎屋さん」
 くすぐったい息の塊が、彼の耳元を吹きぬけた。歌うような爽やかな声、節
も旋律もないのに、言葉がまるで音楽のように口から転がり出た。
 彼はうつむいたまま顔を上げなかった。ただの人違いで、今の事件も、彼女
が連れ去ろうとしている小間使いも、自分には無関係なのだと思わせようとし
た。
「おもしろいものを見せてもらったわ。こんな地下街でも、オークションがある
のね」
 彼は悟った。ごまかしは無駄だ。このエルフは、最初から見ていたのだ。彼
が競を行っているところを、初から終わりまで。
「惜しい人材ね。肝心な時にやりそこなわないメイジなんてそういないもの」
 言いながら、彼の骨ばった手を取り、彼女の目の高さまで持ち上げた。絹の
ように滑らかで柔らかい、同時に恐ろしい武器でもある女の手の感触が、手
のひらに伝わってくる。
 くノ一の言葉に彼は噴き出した。恐怖の目盛りが完全に振りきってしまい、
自分が何をやっているのか良くわからなくなっていた。へらへらした、泣いてい
るのか笑っているのかわからないしまりのない顔で、女の顔を見上げた。目と
鼻の先に、聖堂の壁画でしかお目に掛けられないようなエルフの顔があっ
た。こういう時でなければ、こういう状況でなければ、実に魅力的な光景だった
にちがいない。
「そう、どうもありがとう」
 彼は歯を見せてお礼を言った。彼女も彼に笑い返した。
「やっぱりあなただったの」
 素早い手つきで、くノ一は骨ばった手の甲を引っ張り、彼の腕を真っ直ぐ前
に突き出させた。
「よくもやってくれたわね」

 次の瞬間、斧が風を切るような音がした。直後に爆発したような痛みが彼の
全身を駆け巡った。彼はあらん限りの声で絶叫した。仰向けに倒れようとした
が、白い手に襟首をつかまれ叶わなかった。
 くノ一は彼の襟をつかんでいないほうの手で、砕いた肘の先にぶら下がって
いる彼の手を揺らし、吊るし看板のようにぶらぶらさせて彼に微笑んだ。
「私は人攫いや拾得物の横領はしたくないの。ちゃんと持ち主の許可を頂い
てから貰い受けるつもりよ。ねえ、どうかしら?」
 彼は答えない。口から出る言葉は意味のない絶叫か、絶叫の狭間に聞こえ
てくる呻き声だけだ。
「返事をしたくないの? よっぽど大事なおチビさんだったみたいね。でも、私
もあのおチビさんをどうしても手に入れたいのよ。あの子のおかげでこんなに
素敵なマークを付けてもらったんですもの。ちゃんとお礼をしたいの」
 くノ一はローブを二の腕までまくって、泣き叫ぶ彼に巨大なウッドチャックに
噛み付かれたような赤黒い傷跡を見せ付けた。
「あなたにもそれなりの謝礼も支払うつもりよ。今回のことは見逃してあげる。
どう、この条件? 悪くない相談だと思けど。ねえ、お兄さん、『うん』と言ってく
れないかしら?」
 そう言って、砕けた彼の腕をフレイルのように振り、それで彼の額をゴツンゴ
ツンと打ってみせた。
「やるよ!」
 やっとの思いで彼は声を絞り出した。
「やる、やるよ、やるよやるよやるよ、くれてやるよ! あんなくそがき、くれて
やる! だから手を離して、お願い、もう、もうやめてくれええ!」
 エルフは満足そうにうなづき、彼の肩に手を置いた。
「ありがとう、お兄さん。お礼にあなたのタマでカスタネット作るのだけは勘弁 してあげる」
 そう言うと、ふきだした汗と涙で湿った頬にキスをして立ち上がった。
「おチビちゃんは大事にさせてもらうわね」
 彼はもう何も聞こえていなかった。一声高く絶叫をして、それから気を失っ
た。