リルガミンで初めて“ノーム”を見たものは、他の国家でノームにでくわす
とひどく驚く。その逆もまたしかりだ。リルガミンに住まうヒューマンの多くは
ノームをドワーフの出来損ないだと考えているが、他の国家ではノームはホ
ビットの親戚だと思われている。ノームたちにしてみれば、自分たちの許可
も得ずに母なる大地をレイプする愚鈍なドワーフや、機械に対して不信感を
抱く頑迷なホビットなどと同類にされるのは言語道断、失礼極まりない侮辱だ
と憤慨するところだろう。彼らの主張ではドワーフと最も近しい種族はエルフ
であり(いうまでもなく、この説はドワーフ、エルフ両種族の識者から顰蹙を
買っている)、ホビットはヒューマンから分岐した忘れられた種族の一つだ。
ところで、リルガミンと他国でなぜこれほどまでにノームに対して全く異なっ
た見識がなされているのだろうか。理由は簡単だ。ドロウ(ダークエルフ)しか
知らない“地下”の住人に、サンエルフやウッドエルフを見せて、『これはエル
フだ』と言っても笑われるのと同じことだ。つまり、この街が、本来ある世界の
分布と大きく異なることが問題なのだ。
現在知られているノームの氏族は二つある。機械と薬をこよなく愛し、他族
の斜め上なユーモアのセンス有する快楽主義者のロックノームと、信心深くて
勤勉真面目、機械には目もくれず、祖先から伝わる風習を頑なに守り続ける
禁欲主義者のディープノームの二族だ。
一般的にノームといえばロックノームのことを言うのだが、それはディープ
ノームたちがあまりに内向的すぎて家の外に出たがらないせいだ。ノーム族
は生涯の住居と決めた場所からはほとんど離れずに生活をするが、ディープ
ノームはその傾向がロックノームよりも強く、生涯に数えるほどしか日の下に
姿を現さない。数十フィート以上も地下にある頑丈な家屋が崩壊するほどの
天変地異か、外部からの干渉がないかぎり、ディープノームが故国を捨てて
冒険者になることなど決してありえない。
しかし、リルガミンでノームといえばディープノームのことを指す。リルガミン
は、日差しの下でディープノームを拝むことができる数少ない地だ。なぜこれ
ほど多くのディープノームたちがいるのだろうか。一部の噂によれば、この国
で行われた一大事業のために、住処である北辺の地から強制連行されてき
たのだということだが、当の本人であるディープノームたちはそのことを他族
はおろか、近親種のロックノームたちにすら一切口外にしない。だが、彼らの
ほとんどが、故郷の永久凍土に憧れを抱いているのは事実だ。
大君主が魔術師討伐令を発令した当初、この街に住まうノームはディープ
ノームしかいなかった。わずか数年の間に、ディープノームとロックノームの人
口比率は、同数とまでは行かないにせよ、まばらに(ノームと縁が無い者に
とってはごく稀に)ロックノームの姿を見かけるまでにいたった。二つの氏族が
混交するにつれ、この街で初めてノームを見た他の種族の者たちから、ノー
ム族は種族ぐるみで虚偽性障害を患っているのではないかと思われ始めた。
人類学に興味のない人々は、この異なる二つの氏族の特徴を混同してしまっ
ているのだ。
ロックノーム、ディープノームの骨格はヒューマンの赤ん坊に酷似しており、
頭部が大きく、脚は短い。ノームの男はヒューマンの赤ん坊に比べて若干だ
が腕の長さが長い。骨格は似ているが、頭骨の形にはそれぞれ特徴があり、
二つの氏族を並べて見れば、その違いは一目瞭然だ。体格はディープノーム
の方が一回り大きく、額の部分が大きく隆起している。ディープノームが男女
問わず、ドワーフ程ではないが、がっしりした体格なのに対し、ロックノームは
筋肉が少なく、皺も髭もない女にいたっては、ヒューマンの子どもと見間違え
るほど貧弱な体躯の者もいる。
食性も習慣も性格も異なる二氏族だが、歴史や宗教など、彼らの間で共有
しているものは多い。滑舌の悪さと美的感覚も、彼ら二氏族が共有しているも
のの一つだ。彼らの感性では、男女問わず肥満していることがひとつのステ
ータスとなり、男ならば体格が大きく髭の濃いものほど、女ならばより丸みを
帯びた(身も蓋もない言い方をしてしまえば、ひどく肥満した)顔立ちほど美し
いとされている。つまり、ヒューマンの子どもやホビットに似ているロックノーム
よりも、ドワーフに似ているディープノームのほうが、彼らの美的感覚ではより
美しいのだ。
祖先を敬う風習も、彼ら二氏族共有の文化だ。だからこそ、奴隷時代の暗
い歴史から排他主義となったディープノームも、共通の祖先を持つロックノー
ムたちとは交流をつづけた。迫害を免れ丘に逃れたロックノーム(丘ノーム)
も、ディープノームに対して敬意をもって接しつづけてきた。同じく迫害の歴史
をもつドロウ(ダークエルフ)やデュエルガー(灰色ドワーフ)たちが、今もなお
同族からも忌み嫌われるのとは対照的な文化だ。
多くのノームたちと親交のあったシーフの少女は、一般的な街の住人より
はノームに対して理解があった。今彼女たちが連れている小娘がロックノー
ムだということは出会った当初にすぐわかったが、どうにも引っかかるものが
あった。
本来ロックノームは高い知能を持ち、生き物よりは機械に話しかけるほうが
好きだが、見知らぬ者にたいしても表面的には社交的であり、良く言えば開
放的な人種――率直にいえば殺意を伴うほど馴れ馴れしく目障り――で、信
仰心が非常に希薄だ。会話の節々で機知と悪意に富んだ返しをするのもこの
種族の特徴だが、それが彼らの滑舌の悪さと対比して余計に腹立たしいもの
になる。しかし、この小娘にはどうにもその特性が、一部当てはまらないような
のだ。
シールドドワーフの中にもガリガリでひ弱な知恵者がいるように、あるいはハ
イエルフにも力自慢の豪傑がいるように、いかなる人種にも、変わり者や英
雄、あるいは落ちこぼれというものがいる。地下で置き去りにされたノームの
輸送を引き受けたシーフは、依頼主の身の上話を聞こうと商売抜きで親身に
語りかけていた。ところが依頼主の話を聞くうちに、どうもこのノームの幼子の
ような仕草が、ベッドワーカーを生業とする女の演技ではなく、人語の話せる
コボルド並の知能のせいではないかと疑いはじめて(というよりほぼ確信して)
いた。
ノームが二人に言った数字は何一つあっていなかった。シーフはノームを抱
き上げたときに、この小人の背が二フィート十インチしかないだろうということ
を見抜いていた。二人に見せた有り金は金貨四枚だけ。お客の有り金を見た
時の相方の表情にシーフはうろたえたが、小娘は悪びれることなしに、これは
「じゅうにごーるど」だと真顔で言い返した。生年を訊いても答えられずに、
“じゅうはっしゃい”という年齢を繰り返すだけだった。くノ一の手で輸送されて
いる間も、小人は自信たっぷりに二人にこういって聞かせた。
『おっちゃん、そういえっておちぇえてくれたよ。ちゃんとおぼえてゆもん。もる
ぐ、とっちぇも“ものぼえ”いいの』
しかもこのノームは、祖先から受け継いだ神ではなく、この国の大君主と同
じ一神教を信奉していた。このノームの神に対する信仰心はなかなかのもの
で、感嘆符代わりに神の名前を口にする二人に向かって、憤慨しながら『かみ
しゃまのなまえ、“みらり”にとなえる、とっちぇもよくない。わゆいこと。ごめん
なしゃいしろ!』と迫った。
ヒューマンの三歳児ならば微笑ましいかぎりだが、“じゅうはっしゃい”のロッ
クノームとなると完全に狂人だ。このことに関しては、シーフは小人の頭に
あった大きな傷を思い出し、どうもあれが臭いと目星を付けていた。
輸送を引き受けた当初、シーフはすぐにノームを地上へと連れて行くつもり
だったが、くノ一がお冠にさせたパーティとの恐怖の体験を数時間で忘れられ
るほど彼女は記憶力が貧弱ではなかったし、当の相方も乗り気でなかったた
め断念した。これから半日間のスケジュールについての話し合いは、始めた
直後から歯車のかみ合わない意見の応酬が続いていたが、とにかく、一箇所
でじっとしていることだけは避けようということだけは二人の意見は合致してい
た。一時的な移住先の案はいくつかあった。
安全面を考慮したうえで、シーフがまっ先に挙げた第一候補は地下一階
だった。しかし一階は人通りも多く、どこにいても人目につく。人の口に戸は立
てられない。冒険者という人種は総じて自分の見知った知識を人にひけらか
すのが大好きだ。さらにその情報に懸賞金が賭けられているのだとすれば、
普段の十倍は口が軽くなる。あの恐怖のパーティたちの情報網がどれほどの
ものか二人は理解していなかったが、仮にあのメンバーのうちいずれか一人
のモルドール・チャージが手に入り、そのカードで街のマーケットプレイスで一
週間ぶっ続けでショッピングしたとしても、クレジットの預金残高にさしたる影
響がないことは楽に想像できた。次に安全なのは二階だが、事件現場と同じ
階層に留まるのは得策ではないし、なにより精神衛生上よくない。
話し合いは長期戦にもつれ込むかに見えた。たまたま背負い込んでしまっ
た厄介な荷物に対して早期決着を図りたいくノ一は、地下七階を廻る案を提
示した。それも、ちょっとそのあたりを散歩するていどの軽い口調でだ。シーフ
はこの子はナイトストーカーにほんの少し触られただけで肉の籾殻になってし
まうと言おうとしたが、そんなことは最初から百も承知の上でエルフが主張し
ていることは見え透いていた。
シーフは誰よりもこの相方の性格のことを知り抜いていた。こんなときの相
方になにか意見するのは無駄なことだと良く分かっている。だから、大声を立
てて反論を述べることはせずに、残念そうな顔をして独り言でもいうように呟
いた。今日はついていない、バックポジションでのチェストの開錠のみの仕事
と思って重い鎧は着てこなかった、このままでは横暴な相方のために寺院で
一泊する羽目になりそうだ、いやひょっとすると、昼ごろには自分の死体が
ピットの中に放り込まれているだろう。
くノ一はシーフの言葉にくすくす笑っていたが、地下三階を周回するコースに
変更することを自分から言い出した。それどころか、探索の間中、足が赤切
れだらけの依頼主のノームを、抱いたまま移動するとも約束した。くノ一も、こ
の相方のことを知り尽くしていた。このホビットが、本当はなんと言いたかった
のかも良く分かっていた。彼女はイービルの戒律を持つ者だが、このホビット
の相方のことを同業者として心から尊敬していたのだ。
一人で歩くことがやっとな相方を気遣って、活きのいい荷物の荷担ぎを引
き受けたくノ一は、(彼女としては)細心の注意を払い神経をすり減らし、多
大な努力で窮地を切り抜けていった。が、当の荷物のほうはといえば、能天
気に喜び、時にくだらないことで苦情をいい、あげく散々罵倒したくノ一の腕
の中で船を漕ぐ始末だった。
相方のくノ一が見せた小人への冷徹な眼を忘れられないシーフは、ホビット
族の誇りにかけてくノ一と袂を別つつもりでいた。しかしシーフは、生来の相棒
であるハイエルフとロックノームの掛け合いを真剣な顔で聞き続けられるほど
暗い人間にはなれなかった。三階の“トラップ看板”を周回する頃には、会い
方のエルフと縁を切ろうとしていたことなどすっかり忘れてしまい、ホビット族
の性のために、この愉快な搬送の間中冗談をとばしつづける羽目になった。
三階から二階へ通じる階段を昇る時分には、壊れた壷をゴミ捨て場まで運
搬する丁稚のような顔をしたくノ一が、背後から抱えるような不器用な抱き方
で、小さないびきをかくノームを運んでいた。ノームの両手には、口を縛られた
金属のカエルがだらしなくぶら下がっていた。重みで始終ずり落ちてくるので
シーフがバックパックにしまおうとしたが、そのたびに、小さな腕の中では大人
しくしているカエルが暴れだし、ノームが泣きだしそうな寝言を立てるので、仕
方なくくノ一が腕で押さえて人形をノームの胸に磔にした。何度やっても、この
一匹と一人は暴れだすので、シーフは試しに小娘の目蓋をちょっと返してみ
た。娘は完全に眠り込んでいた。起きる気配もまったくない。
「こんな図太いガキは始めてよ」
くノ一はシーフに向かって忌々しそうにノームの頭に顎を押し付けて見せた。
小さい唸りが聞こえたが、すぐに規則正しい寝息にかわった。シーフはくすくす
笑った。
「あんたの赤ん坊の頃より大分ましだよ」
「失礼ね。姉妹の中じゃ、私が一番おしとやかだったのよ」
「あんた兄弟いたの? アハァ! こんなのがうじゃうじゃいたんじゃ、あんた
の実家のお隣さんはさぞやお気の毒なことだったろうね」
「お隣の“お兄ちゃん”はそう思ってなかったんじゃないかしら?」
気分を害したような声でくノ一は答えた。
調子づいていたホビットの顔が、火が消えたように暗くなった。舌から飛び
降りる寸前だった言葉も、喉の奥まで駆け戻った。一呼吸の間をおいて、
シーフは怖々言って返した。
「“お隣お兄ちゃん”……て、ひょっとして、あの、“あれ”……キースのこと?」
「彼とは同郷だって前に言ったでしょ? 幼馴染で、子どものころは毎日一緒
に遊んでたっていうことも。忘れちゃった?」
もちろん覚えている。パーティの契約をしたその日の晩にくノ一が話してくれ
たことだ。約二年の間、同じパーティでキースと行動を共にしていたシーフは、
当時のくノ一の話に驚きをもって耳を傾けていた。その日の晩のくノ一の話
は、今でも蝋燭の明かりに照らされて語るくノ一の姿とともに、ありありと思い
出すことができる。キースがかつて人見知りの激しい少年だったことも、くノ一
が三歳から九歳までの間、彼女にとって一番の親友だったことも、動物が好
きで沢山の生き物を“代わる代わる”飼っていたことも、特にお気に入りだった
のがパフィン・ドッグの雌犬で(名前も聞いていたがそれは忘れてしまった)、
彼女とキースが森で遊ぶ時にはいつも付いてきていたことも、その思い出を、
くノ一が心から楽しそうに話していたことも。
「こんなこと訊くのもなんだけど、あいつって昔から“あんな”だったのかな?」
シーフは、ずっと疑問に感じていたことを思い切って口に出してみた。
「最後に遊んだのは私が九歳のときよ、わかるわけ無いでしょ」
「あんた、あいつと五歳違いだよね」
シーフはそれ以上言葉を続けることなく口をつぐんだ。くノ一は少しの間シー
フと顔を見合わせた。
「ええ確かに、からだを触られたこともあるわ。それがきわどい部分だったこと
だってあったかもしれない。でも十代の坊やなんて、ワレメちゃんに興味を
持って当然の時期じゃない」
「やけにあいつの肩もつじゃないか」
シーフは下唇を舐めて、エルフの顔をじっと見つめた。
「で、その……“きわどいこと”になったの?」
「いいえ」
間を置かずにくノ一は答えた。
「おたがいの家で何度も遊んだし、二人だけで森の奥にも行ったし、沢で一緒
に泳いだこともあったわ。みんなでお祭りのヤドリギをとりに木登りもした。か
らだを触るなって言うほうが無理じゃない。でも、『当時の』彼はいつだって紳
士的だったわ。積極的だったのは私のほう。三歳のころからお兄ちゃんが大
好きで、彼の行くところならどこにでもついていってたの」
「あーあー……あーそう……」
下を向いて二三歩ぶらぶら歩いたあと、シーフは気を取り直してくノ一に訊
いた。
「それで、あんたのお家には、あんたそっくりの凶暴な山猫が何匹いるのかな」
「十一……ううん、十二人かな」
シーフの足が、石畳の上で上滑りした。
「じゅ……はあ? なに、もう一度いって」
「姉が二人、それに妹が九人」
シーフの少女は、目を丸くして首を横に往復させた。
「うそだろお?」
「ほんとよ。それから私がここに来る前に、お腹の中に十人目の妹がいたの」
シーフは「なんでわかるんだよ」と顔を背けて笑ったが、すぐ咳払いをして真
面目な顔で言った。「あんたのパパ、あきらめ悪すぎ」
「姉さんから言ってあげて」
「やなこった。なんであたしが、あんたの実家の会計士やらなきゃいけないん
だよ」
「だって、私のお姉ちゃんじゃない」
うんざりした顔で、シーフは寄りかかってくるくノ一を遠ざけた。
階段を昇りきったところで、くノ一は手の中の荷物を浮かせて持ち直した。
小さな頭ががくんと揺れ、その拍子にノームは目を覚ました。はっとしたノーム
は深刻な顔で辺りを見回して小声で何事か囁いた。シーフの耳には届かな
かったが、くノ一は意外そうに首を傾げて見せた。
「あら、なかなかきれいな発音じゃない。今までのお喋りは商売用の演技だ
ったのかしら」
くノ一の声にノームが反応した。目を額の向こうにむけて、シーフにも聞こえ
る大きな声をあげた。
「あっ、ばかえるふ」
間を置かずにくノ一が荷物を抱える腕に力をこめた。
「いちゃいいちゃい、くゆしい、もゆぐおきゃくしゃん、おきゃくしゃんは“カメサ
マ”、とちぇもえらいひと! “カメサマ”になにをしゅゆ!」
シーフのわき腹はここ一時間の重労働ですっかり鍛えられていたはずだ
が、引き攣りを起こすほどこれまでに無く笑い転げた。くノ一の膝で小突かれ
てやっと笑いが収まったシーフは、むくれる二人をなだめて他愛無い世間話を
はじめた。
* * *
“ カツン ”
ハーマンの手から胡桃が落ちた。彼はちらりと見るだけにするつもりだった
がハーマンの目は彼のほうを凝視していた。膝の上にあるボードには次の言
葉が書かれていた。
『あんたは変わったよ』
彼がよそ見をする前に、ハーマンはすぐあらたにチョークで書き入れた。
『愛想がよくなったし、良く話すようになった。前は日付を聞いても、返事すら
かえってこなかったが、このごろは違う。体を動かしているところも良く見かけ
る。不自然なくらいにな』
余白を使い切ったハーマンは、手でボードの上の方の字を消して、速記で書
き込んだ。
『いや、一番不自然だったのは、あんたがあの子を助けたことだ』
「おれがあいつを助けたのは、自然な善意からさ」
彼の答えにハーマンは笑って首を振り、逆手でボードに書いた。
『あんたは悪人だよ、根っからのな』
「今日はよく喋るじゃないか、法話でも始められますか、サー・ビショップ?」
ハーマンの顔から笑いが消えた。
『わたしがビショップだったのは昔の話だ』
ハーマンは顔全体で嘲り笑いをする彼の目を覗き込んだ。二人の間で言葉
が途絶えた。彼はハーマンから視線をそらし、再び通路に目を向けた。ドワー
フの視線を無視するのは多大な努力を要するものだが、それでも彼はしばし
の間、無言の圧力を黙殺し続けた。
黙って闇を睨んでいる彼の左腕に、ホーンボードの角がぶつかった。肘をさ
すって、彼は突きつけられたボードの中を覗き込んだ。
『わたしの目には、あんたが生きいきしているように見える。あの穴蔵小人は
あんたに脱出口でも教えたのかい?』
相当に力を入れて書いたのか、字の所々でチョークが切り立った小山を
作っている。彼は相変わらず、あの笑顔のままハーマンにボードを返した。
「おれはここから出たくない。いまさらシャバにでられたところで、一角の人間
になれると思うかい? あんたの真似をして唖のタマ無しになるのは御免だ」
彼は重々しく、だが明るい口調で言った。
「コボルドのフェラチオはどうだった?」
『相変わらず悪人だが、あんたは変わったよ』
彼の言葉を無視して、ハーマンは力をこめてボードに書き込んだ。よどんだ
空気にチョークの粉が舞い上がった。
『いや、元に戻ったといったほうがいいかね。抜け殻に魂が戻ったみたいだ。
元通りの元気な悪人にな』
『あの小間使いは、あんたにヒントを与えた。逃げ道が見つかって、あんたは
正気に返った。そうじゃないのかね?』
「ここを逃げ出そうとする奴は気狂いだ、ハーマン、あんたみたいな奴のこと
だよ。おれがあいつを働かせるのは、こういうものを手に入れるためさ」
彼は酒瓶を押し付けてハーマンに言った。
「おれがあんたに頼んだのは通路を見張ること、これがお代」
ハーマンからは胡桃の合図も、ボードの伝言もなかった。だが彼が差し出し
た酒瓶は受け取った。
* * *
「それじゃ、あなたに仕事をするようすすめたのはその“おっちゃん”なのね?」
後ろ手に手を組んだシーフの少女が、ふらふらした頼りない後歩きをしたま
まくノ一の腕の中にいる小人に尋ねた。くノ一に後ろから拘束されたまま移動
中のノームが頷いた。
ノームは腕の中の金属のカエルをしきりにいじっていた。カエルは小さな手
に弄られるがままにおとなしくしていたが、時折、猿轡をかまされた口を後足
で蹴るような動作をした。ノームはカエルがむずがるのをみて、紐を解こうとし
たが、その都度シーフの手によって止められた。ノームは残念そうにカエルに
話しかけると、頭をなでつけてやっていた。
「おちゃん、えらいひと。くいぶちのとりかた、おちぇえてくえる。ごはんもくれ
る。おっちゃん、とっちぇもあたまがいい。『オキャクサマハカメサマ』、『ハダカ
ザルモノクウベカラズ』、『ホシガリマセンカウマデハ』、いっぱいいっぱい、た
あくしゃん、おちぇえてもらった」
「餌で買収されるなんてまるで犬ころね」
ノームには“犬”という単語程度しか理解できなかったはずだが、彼女を怒ら
せるにはそれで十分だった。頬を膨らませて、小さな両足を揃えておもいきり
振り、くノ一の腿にかかとをぶつけた。
「ねえ、お姉ちゃん、あたしの代わりにこのクソガキの顔に手形付けてくれない
かしら?」
両腕をしめて小さな頭に顎を押し付けながらくノ一が言った。大げさな悲鳴
をあげて、小人はいよいよ激しく足を打ちつけた。ニヤリとわらってシーフが答
えた。
「おろしてやりゃいいじゃない」
「もう追いかけっこはごめんよ! あの一回でこりごりよ、ここまで運んどいて
運び賃踏み倒されるなんて冗談じゃないわ!」
「へえええ、あんた、真面目に人のために働けるような善人だったんだあ」
「思想における秩序と混沌の講義をしたい? これは仕事なの。お金さえもら
えれば仕事はするわ。私はごろつきじゃないのよ、常識人なの」
「あんたから常識なんて言葉が聞けるとは思わなかった」
シーフは悲鳴がおさまるのを待ってから、ノームに次の質問をした。
「でもねモルグちゃん、その人って、このバカエルフと同じイービルなんで
しょ?」
「“しんずるかみでひとをみるべからず、そのおこないをみよ” おせっきょうに
あゆ。おっちゃん、とおっちぇもいいひと。ばかえるふ、とおっちぇもいやなや
つ、わゆいひと!」
すぐに頭上から“ばかえるふ”の鉄槌が降ってきた。シーフはこらえきれなく
なった。「これだからホビットは」というくノ一の悪態も聞こえないくらい笑い、あ
やうく躓きそうになった。
「ねえ、おばかノームさん。あなた、そのヒューマンに良いように利用されてる
のがわからないのかしら?」
くノ一にしては親身になった言葉をかけたつもりだったが、三歳児の知能を
もつノームは、相変わらず足を振り回しながら、「おっちゃんはひゅーまんだか
や、いいひとにきまってゆ! わゆいやつはみんなえるふ!」と叫び、くノ一か
ら追加の鉄槌を食らった。これにはさすがのシーフも笑えずに、眉を顰めた。
長い歴史の中で、エルフ、ドワーフ、そしてノームの三種族はヒューマンから
の理不尽な迫害を受け続け、その結果、この三種族間には(好悪は別として)
一種の非公式な同盟関係が生まれていた。犬猿の仲であるエルフとドワーフ
の間でさえ、共通の敵の前では友好な関係にある。ところが、このノームは
(比較的)友好関係にあるはずのエルフを心から毛嫌いし、ノーム族にとって
コボルドに次ぐ天敵であるはずのヒューマンを神聖視していた。
「あなた、とっても変ってるのね」
シーフの言葉に、小人は不思議そうな顔をした。
「エルフに嫌味な奴が多いのは本当だし、こいつが馬鹿なのも本当だけど(く
ノ一が睨みつけてきたがシーフは無視した)、こいつの言ってることは間違い
じゃないよ。あなた、その人に騙されているんじゃないかな?」
「もるぐはのーむだもん。のーむは、とっちぇも“ものぼえ”がいい。“いっちゅく
いっぱいのおん”はぜっちゃいにわしゅれない。のーむはとっちぇも……とっ
ちぇも……」
言葉に詰まったノームは、頭を傾けてなにやら深く考え込んだ。
「ぎい……えっと、ぎい……あっ、そうだ、“ぎいがちゃい”! のーむはとっ
ちぇも“ぎいがちゃい”の。おっちゃんにいっぱいおしぇわになった。もるぐ、
おんがえししなきゃいけない。あと、“おっぐ”にもおんがえししゅゆの」
「その前に私に恩返しするのを忘れてないでしょうね」
答えの代わりに、ノームは渾身の一撃をくノ一の太股にお見舞いした。
* * *
二人の間で最後の言葉を交わしてから、どれほどの時間がたっただろう
か。ハンクが告げる時刻が次々移りかわっても、どちらも、一言も喋らなかっ
た。彼は数分おきにもぞもぞと足を動かしていた。動かせば痛むのだが、じっ
としているとますます痛みが酷くなる。ハーマンは、開け放しの口から白い息
を断続的に吐き出す以外、石床から下半身に染み入るように伝わる寒さにも
身じろぎもせず石像のように坐っていた。二人の間には葡萄酒の瓶が境界線
代わりに置かれ、どちらも永らく手をつけずにいた。
唖の同僚の横でおとなしく座っている間に、彼のスクラップ寸前の脳みそも、
黒煙を吹き上げながらやっと快適な回転速度を取り戻しつつあった。その頃
には、壁際でくすぶっている間にうすうす感じていた――そしてできるだけ考え
ないようにしてきた――問題が、無視できない大きさにまで膨れ上がってい
た。ほんのすこしだが、彼は泣きたくなった。彼は頭の中で、実りのない問答
を繰り返していた。
『“三日間消息不明”』
『キーパーどころか、冒険者ですら“行方不明者リスト”に掲載されてもおかしく
ない時間がたっているじゃないか』
『あの馬鹿がおれを出し抜いたなんて可能性は考えなくていい、だが“例に
よって”ドジを踏んだという可能性なら大いにありえる』
『今までの“神隠し”の最長記録は八日間――これまでも何度か憐れな犬ころ
を放っておけない善人のお客に誘拐されそこなった。ありがたいことに、そう
いうことをする連中はどうしようもない抜け作ばかりだ。だからやつも新しい飼
い主のところを無事に抜け出してこれたんだ』
『今回はそうはいかない、フォークナーはもうとっくに帰ってきた』
『あの馬鹿を迷宮に置き去りにして』
『三日だぞ? おい、お前、万が一にも、あのどうしようもない馬鹿がこの迷宮
で生きていられると思ってるのか?』
『客にちょっとばかり乱暴に扱われただけでもしょっちゅう脱臼していた、それ
どころかおれがわき腹を突いただけで簡単に肋骨が折れるんだ。目から鼻に
抜けるような利口者ならまだし、オツムにいたっては犬並だ。地下で三日間も
あれが無事でいるなんて土台無理な話だ』
『ここで待つより、葬式をやるべきなのかもしれないな』
『名案だ。来るべき時のために神に媚びを売っとくのもわるくない。やつの門
出を盛大に祝ってやろう。チーズとサラミをはさんだパンに、ワインを添えて。
そうだ、ありったけの在庫で盛大に飲み食いしてやるぞ、クソ畜生め』
苦痛を伴った笑いがこみ上げてきて顔が自然に歪んだ。すぐ横にはハー
マンがいる。見られても大したことはないだろうが、それでも彼は笑うのを堪え
ようとした。案の定くしゃみの出来損なったような息が鼻から漏れたが、ドワー
フは身動き一つしなかった。
“ チリン チリン ”
ハーマンのベルが緩やかな音を立てた。何かが向こうからやってくるときの
合図だ。彼は体を前のめりに傾けて闇を睨んだ。黒々とした闇ばかりで何も
見えない。
「化け物か?」
“ コッ コッ ”
ハーマンはくるみの合図と共に眉を上げて首を振った。瞳孔が広がったド
ワーフの瞳が、闇の中でちらちらした光をはなった。
「冒険者か?」
“ コッ ”
彼は身を硬くした。
「どこの旦那だ?」
ハーマンは腰を上げながら、素早くボードに走り書きをした。
『誰の旦那でもない』
彼は緊張を解いた。表情を緩め、ハーマンに倣って通行人に道を空けるた
めに尻を浮かせた。人垣の傍まで退いた彼にハーマンからの伝言が眼に
入った。
『おめでとう。あんたの小間使いは、新しい市場を開拓したようだ。あの子も一
緒だよ。帰ってきたぞ』
* * *
地下二階から階上へ通じる階段を昇り、ダークゾーンとは反対側にある扉
を通る頃になると、ノームはしきりに鼻をならし、そわそわと落ち着き無く辺り
を見回していた。突き当たりの角にさしかかり、輸送班の二人には見えない
アミュレットキーパーたちの集落が見えたところでノームは喜びの声を上げ
た。
「かえっちぇきたあ」
ノームはくノ一の腕の中でばたばたとはしゃぎまわった。
「はーまんのおじしゃんがいゆ。ねいぼーがねちぇる。しゃみーがごはんたべ
ちぇるゆ。わあっ、おっちゃんがまっちぇちぇくれたあ! あっ」
一秒ほどノームの表情が固まり、おずおずとくノ一の顔を覗き見た。
「ばかえるふ、だれのだんなしゃま?」
「人に物を聞くときぐらい言葉を選んだらどうかしら。あなたの賢い“おっちゃ
ん”にどんな教育を受けたの」
「アミュレットキーパーは雇っていないよ」
シーフが口を出した。
「あたしたちは他のパーティに居候させてもらっているから」
そう言葉を発したシーフの脳裏に血塗れのドワーフの顔が浮かび上がった。
ノームのほうはシーフの言葉の全ては理解できていないようだが、なんとなく
意味を読み取ったようで、感心したようにうなづいてくノ一を見上げた。
「おまえ、ばかだけど、とちぇもえらい」
「ええそうよ、えらいでしょ」
まともに小人の相手をすることに厭きたくノ一は適当な返事だけですませた。
「ねえ、あなた、仕事を変えてみる気はない?」
相方に睨まれるのを承知でシーフはノームに申し出た。くノ一は睨みこそし
ないが歩調を速めた。ノームはやはり理解できなかったらしく、不思議そうな
目でシーフを見返した。シーフは首を振ってノーム語で娘に話しかけた。
『あなたは訓練場を出たんでしょ。あたしたちと上に行かない? 上にいって、
酒場で働き口を探すの。娼婦としてじゃなくて、プリーストとしてよ。今は農繁
期だから就職はわりと楽よ』
そう言った後で、シーフはノームの頭にあった傷を思い出した。
プリーストというクラスはパーティにおける生命線だ。プリーストだけでなく、
神の加護を賜る全てのクラスにいえることだが、他のクラスの者が彼らに求
めるのは、神への忠誠心よりも、状況に応じて的確な行動をとれる判断力
だ。プリーストの立ち回り一つが、パーティの命運を左右するといっても過言で
はない。判断力のない、赤子同然のノームに勤まるような仕事ではない。真
剣に探せば貰い手も見つかるだろうが、この小娘を仲間にしたいと考えるの
がどんな人種なのかも、その後でこの娘にどんな生活が待っているのかも、
容易に想像できる。それでも、娘の今の生活よりは大分ましだろうが。
頭をよぎった暗い考えを悟られないよう、無理に笑顔を作り、シーフは言葉
を続けた。
『まだ昼過ぎだし、いまギルガメッシュに行けば今日中に――』
『いや』
即答だった。
『ぎるがめっしゅはとてもこわいところ。ここがいい』
それきりノームはそっぽを向いた。シーフは相方の表情を伺った。くノ一は
歩速を緩めないまま、振り返りもせず進んでいく。落胆したシーフは黙って相
方の横に並んだ。無言のまま三人はキーパーたちのひしめく集落へ到着し
た。
人垣が割れ、細い――といってもヒューマン二人が肩を並べて悠々と歩ける
ほどの――道ができた。前方に見える人間は皆、彼女たちと目を合わせない
ようにうつむいているが、シーフは、これから後方からの食い入るような視線
を痛いほど浴びるだろうと思うと辟易し、いつものように相方の服装にケチを
つけようとあれこれ頭をめぐらせていた。
人垣の入り口にたどり着いたシーフは、くノ一が放り投げる前に手荷物を受
け取ろうと、両手をくノ一の肘の下に差し出した。しかし、くノ一はそのまま歩き
続けた。
「あえ?」
うっかり寝過ごした乗合馬車の客のように、ノームはきょろきょろとあたりを
見返した。道半ばを過ぎても、くノ一は一向にノームを降ろす気配が無い。
「おろしちぇ」
ノームは足をぶつけて言った。
「おろしちぇ。ねえ、おろしちぇ。ここらよ、もるぐ、ここでいいの」
くノ一は歩みをやめない。まっすぐ前を見たままくノ一はシーフに語りかけ
た。
「ねえシャイアさん、あなたの“兄弟”で、ダウンタウンで仕事しているホセって
いう人のこと、知ってる?」
シーフは突然、板切れで殴られたような衝撃を受けた。ホセは、地方から出
稼ぎに来た女や、“個人的な都合”で働き口のなくなった女性冒険者に、歓楽
街での仕事を斡旋しているホビットの男だ。
「彼の話ではね、ブロンドのロックノームを“競り”に出したときは、それはそれ
はすごいプレミアがつくんですって」
くノ一は、腕に抱いたノームの金髪に手櫛を通した。顔をこわばらせていた
ノームが、くノ一の腕の中で肩をびくつかせた。
「ブロンドで青い目、素敵だわ、可愛いわおチビさん、最高よ」
言葉もなくたちつくしたシーフの目の前で、これまでにない優しげな仕草で、
幼子のようなピンク色の頬に、くノ一が頬ずりをした。
「ホセならいくら出すかしら?」
堪えきれなくなったシーフが声を上げた。
「冗談でもそんなこと言わないで。お願いだから――」
「ええもちろん、そんなことしないわ。あんなケチな女衒屋に買い叩かれるなん
て馬鹿なまねはしないわよ。オークションのやり方なら心得てるわ。何度も目
の前で見てきたんだもの。場所はマーケットの広場がいいかしら? いいえ、
やっぱり酒場ね」
言葉の意味は解らないが、今から何かが起こることを察したノームは激しく
暴れだした。
「やら!」
カエルを持つ細い腕に力が込められ、金属の置物が苦しそうに喘いだ。
「ばかばかばか! ばかえるふ、はなしぇええ!」
小さな顎の下にぴたりと手を添えて、くノ一は小人の耳元で囁いた。
『騒がないで』
驚くほど完璧なノーム語の発音だった。高い悲鳴はあがらず、ただ引き攣っ
た短い息だけが漏れた。シーフは声を荒げてくノ一に抗議した。
「降ろしな、今すぐに」
「あらどうして?」
歩みを止めないまま、くノ一はさも心外だというようにシーフに言った。
「シャイアさん、まさかこのガキがまだ“おぼこちゃん”だなんて思ってないで
しょ? このチビにとって、ここで家畜同然の生活をするのと、屋根の下で暖
かい食事にありつけるのとどっちが幸せかしら?」
シーフの顔が耳まで赤く染まった。
「私がやろうとしているのは慈善行為よ。このチビは寒さに震えながら酷薄な
客に待ちぼうけを食らわされることもなくなるし、私たちにも臨時収入がある
し、いいことしかないじゃない」
まるで母親が愛しい娘にするように、くノ一は優しく腕の中の娘の髪を撫で
つけ、小さな鼻をつついた。
「ね、おチビさん、デカブツ相手のおスペは得意でしょう? あなたなら、きっと
いい値で売れるわよ」
昇り階段まであと十フィートもない。くノ一の腕の中で震えていたノームは啜
り泣きをはじめた。
「いやああ……いやらあよう……いきちゃくないよう……ちゅれてかないで
……たしゅけちぇ、やらあ、さかばはやめらよう……ご主人様にみちゅかっ
ちゃう」
くノ一の後ろで足を引きずっていたシーフは、はっとして歩調を速めた。
* * *
キーパーたちは、目の前を歩く冒険者様に異常な注意を向けていた。目の
前の銀髪のエルフは、彼らにとってよき女主人であり、非物質的な施しをして
くれる善玉の冒険者だった。ところが、彼女が今行おうとしていることに、いつ
もとは違った意味で目を剥いた。エルフの腕の中にいる小人が、とある一人
のキーパーの召使であることは彼らにとって周知の事実だ。彼らは隣人の
子どもの一人が、質代がわりに連れ去られるときの村人のような心境で、こ
の事態を静観していた。
小人の雇い主はこの状況に狼狽していた。いろいろなことがいっぺんに起こ
りすぎた。召使が親切な冒険者様に助けられたところまでは良かったが、そ
の神の使いであるはずの冒険者様に彼の召使が持ち去られようとしている。
しかも今回こそは行ってしまったが最後、永遠に戻ってこないだろう。冒険者
様は偶然拾った珍しい生き物を売りとばすつもりだ。売り手も買い手も、商品
の逃亡を許すような間抜けな善人ではない。方や商品のほうは完全無欠の間
抜けな善人だ。
彼の前を三人が通過したときに、召使が彼のほうを見なかったのは幸運
だった。目の前を行くエルフは、些細なことで怒りをぶつける類の人間ではな
いが、イービルの戒律を持ち、もっぱら危険な冒険者と行動を共にすることで
有名なニンジャ様だ。今のところはとばっちりを食ったことがないだけで、いつ
最初の犠牲者が出るかわかったものではない。直接的な被害ではないが、彼
は、このエルフによって不幸になる最初のキーパーになりつつあった。
「いやら、たしゅけちぇええ……いやらよう、いきちゃくないよう……やだああ」
助けを求める甲高い声は徐々に遠ざかる。周囲のキーパーたちは固唾を
飲んで見守っていたが、誰一人腰を上げるものはいない。エルフの連れのホ
ビットは乗り気ではないが、どうやらこのパーティの主導権はホビットではなく
エルフの方にあるようだ。彼は人ごみでハーマンと目を合わせたが、ハーマン
は口元を緩め肩をすくめるだけで埒が明かない。ハーマンは『お前がいったと
ころでどうにもならないからな』と言いたげに、笑って見せた。
三人が階段を昇り始めた。じきに召使は、永遠に彼のあずかり知らない遠く
にまで持ち去られてしまう。彼は四つん這いのまま人ごみを掻き分け、階段の
下ににじり寄った。襟元が擦り切れ、垢と体液でできた粘土でてかてかと黒光
りする彼の下着は、体にべったり張り付いていた。額からは春先の氷柱のよ
うに汗がしたたり、動悸のせいで目の前が歪んで見えた。
と、ふいに彼の頭に、神の啓示がおりた。だが彼は浮かび上がったその案
件を即座に却下した。
“まてよ、お前、『あれ』を何年使っていないと思ってるんだ?”
視界から消えようとしていた白い背中が動きを止めた。びっこを引くホビット
の少女が、エルフに突っかかっている。まくし立てるホビットの高い声が、彼の
耳にまで届いていた。彼はホビットが、エルフをどうにか説得してくれるよう
祈った。語勢を強め息を荒げるホビットを、エルフの女は涼しい声で受け流し
続けた。二人は言い争いながら、じりじりと階段を昇っていく。
彼の眼に言い争う二人が間近に見え始めた。彼は二人のいるすぐ真下にま
でたどり着いた。エルフの生白い尻とホビットの細い足が見える。エルフの腕
の中で彼の小間使いが啜り泣いている。髪をポニーテールにした栗毛のホビ
ットの少女が顔をこちら側に向け、びっこを引く足で後ろ歩きをしながら器用
に一段づつ階段を昇っている。銀髪のエルフの顔は見えないが、恐ろしい剣
幕でまくしたてるホビットとは対照的に、歌うような声音で相方をなだめてい
る。
昂ぶったホビットが怒号を発した直後、エルフの右頬を平手打ちした。殴ら
れたエルフは、ホビットに左の頬を差し出してみせた。
「気の済むまで殴ったら?」という透きとおったエルフの言葉が彼の耳に聞こ
えた。両腕を激しく振り下ろす動作をして、憤然としたホビットはほとんど片足
だけで残りの階段を駆け上がった。
『今だ、やるなら今しかない』
“おれがマジシャンをやめて何年経ったと思う? おれにまだ魔法が使える
とおもってるのか? 使えたとして、あの的に当てられるとおもうか? 当て
られたところでどうにかなるとでも――”
彼の内で、ヒステリックでないもう一つの声が、急かすように囁いた。
『ぐずぐずするのは結構だが、有効範囲の境界線はもうすぐそこだぜ』
ままよ、と彼は左腕を振りあげた。神経を集中させ、記憶の底にしまわれた
一つの韻文を口ずさんだ。周囲のキーパーたちが、驚きもあらわに彼を注視
したが、彼の目には映らなかった。彼は視界の向こうに消えようとしている白
い足首に全神経を傾けていた。体と同じように魔術も錆びれてしまったのでは
ないかという不安は、最初の一節を唱えだした途端に消え去った。独特の節
が彼がまだ魔術師であった頃の懐かしい記憶を呼び覚ました。魔力のほとば
しりが腕を伝い、手の平に小さな火球が出現した。
* * *
焼き鏝を押し付けられたような熱をくノ一は感じた。狙い違わず、彼の放っ
た火球はくノ一の足首で炸裂した。爛れるようなことは無かったが、溶かした
錫の飛沫が跳ねかかったような刹那の痛みが走った。階段を昇りきろうとして
いた彼女は火球の当たった足首に一瞬目を当てた。
くノ一が体をひねった瞬間、ノームが腕に抱いていたカエルが、いきなり、
まったくの突然に暴れだし、細い腕から抜け出してくノ一の顔に張り付いた。
直後、バランスを崩したくノ一の腕からノームがすり抜けた。
何が起きたかわからないままのくノ一がカエルと格闘している間に、小人は
階段を転げ、人ごみの中に落ちていった。小人が転げた瞬間に、人でできた
垣根は一斉に崩れた。
張り付いたカエルを壁に叩きつけ、くノ一が階段を駆け下りたときには、人
垣で造られた道が跡形も無く消え去っていた。
階段の真下にいたキーパーたちは、くノ一がいる間中、呼吸すらできずに、
上から降り注ぐ美しい獣の視線に耐えていた。くノ一の視線の先に居る人間
たちはどれも怯え、従順な様子を見せ、それでいて今しがた紛れ込んだ小人
の行方など知らない、HALITOを撃った人間もわからないとばかりに、うつむい
たまま、くノ一とは目を合せようとはしなかった。
長い間、彼女は群集と睨めっこをしていた。しかし、忌々しそうに舌打ちした
のを最後に、彼女はキーパーたちの視界から姿を消した。
* * *
彼は自分の放った火球が当たったかどうかも、それを期に召使が逃げられ
たのかどうかも見ていなかった。火球を撃った直後に床に突っ伏し、怒りもあ
らわに階下へと降りてくるニンジャの目に入らないよう祈りながら震えていた。
背中にずんと響く衝撃があった。緊張のあまり胃液が喉までせり上がった。
顔を上げた彼の首に、人形のような小人が「ばあっ」と言いながら抱きつい
た。彼は仰向けにひっくり返り、崩れるように手足をなげだした。
「ただいま」
首に抱きついた小人が、彼女にしては遠慮がちな音量で彼の耳元に囁きか
けた。やっと現状を把握した彼の中で突如として激しい怒りがわきあがった。
『このボンクラの能無しめ! てめぇのために、おれがどれほど危ない橋を
渡ったと思ってるんだ!』
彼は怒鳴りたいのをぐっと堪え、仏頂面のままだったが、手を小さな頭にの
せてくしゃくしゃになでた。
「おかえり」
小人は照れくさそうに彼の胸倉に顔をうめた。
背筋の緊張が解けたところで、彼はいきなり背中を叩かれた。
彼の心臓が胸の中でぐるりと一回転してから動きを止めた。視界が赤黒く反
転し、肌が粟立ち、体中の筋がガラス細工のように凍りついた。しかしもはや
これまでと覚悟した彼の耳に聞こえてきたのは、歌うようなエルフの声ではな
く、しゃがれた同僚の声だった。
「見直したよ」
その一言を決起に、各地から祝福する声が飛び交った。彼の居た壁際の
跡地に滑り込んだホビットが彼に近づき、湿気をたっぷり吸った噛み煙草を
無理やりつかませた。
「ほら、ひどぐちやりねぇぁ、おれぁあんだのこと誤解してたぜ!」
ホビットの口からまともに聞こえたのはこの言葉だけだった。あとはひどい
訛りのせいで、彼には五分の一も聞き取れなかったが、そんなことはお構い
無しに、ホビットは躁病患者のように早口でまくし立て、彼にタバコをすすめ、
雑菌で完全発酵したヘドロのような不味いビールを無理やり飲ませ、他の隣
人たちからの贈り物を勝手に相伴していた。
彼の拍動は停止寸前から、生涯最高の破裂寸前の速度にまで達していた。
やっと天井と床の見分けがつくようになった頃になって、自分が、通常の数倍
もの人口が密集した円の中心にいることに気がついた。我に返った彼は早々
にこの祝賀の列が引いてくれることを願い、目のいい小人どもがどさくさにま
ぎれて彼の荷物に手を出さないよう両手で背嚢を足元に押さえつけ、いつの
間にか背中によじ登っていた召使に二秒で降りろと手を使わずに伝えること
に躍起になっていた。
結局、彼がこの事件で得た収入はプラスマイナスゼロ。貰った分だけ、手の
早い隣人たちに持っていかれた。くたびれもうけだったが、彼は持ち物が減ら
なかったことと、疥癬もちの同業者に手を握られていなかったことに心から安
堵した。
祝辞が一頻引いたところで、彼の近所にいたキーパーが突然、短く叫んで
壁際から飛びのいた。叫びは徐々に他のキーパーにも伝染し、彼のすぐ傍ま
でやってきた。彼はぎょっとしたが、尻を床につけ、膝の下の荷物を押さえつ
けた姿勢のまま動くことができない。“それ”は初夏の栗鼠のようにあまりにも
素早かった。避ける間もなく、何か得体の知れないものが彼の膝に飛び込ん
だ。腹のところにずりしりとした重みを感じた彼は、その何かに目を移した。
それは青銅でできた一フィート以上もあるカエルの彫像だった。鈍い金属光
沢を放ち、金属の塊らしい重みがあったが、まるで生きているように彼の腹の
上を動き回り、滑らかに小人の懐に潜り込んだ。
「かえるしゃん!」
彼の背中にしがみ付いていた小人が黄色い声を上げた。彼は膝の下の背
嚢から手を離し、背中から小人を降ろすと、薄気味悪そうに巨大なカエルごと
小人を遠ざけた。
「なんだこいつは」
「んとね、かえるしゃん。ちゃいあがくれたの」
「なんだって?」
「んと、んと、ちゃいあっていうね、ほびっとのね、おんなのこが、かえるしゃん
くれたの。あっ、そうだ、かえるしゃん、もるぐのことたしゅけてくれたの!」
彼は肩をすくめた。相変わらず小人の返答は要領を得ない。
「なんだ。おれが手を出さなくても良かったわけか」
「おっちゃんもたしゅけてくえたの?」
『てめえは今までなに聞いていたんだボケナス』という言葉の代わりに、彼は
一言、「まあな」とだけ言った。
「おなかすいた」
彼の膝に飛びつきながら、小人がぽつりともらした。
「何も持ってないぜ」
彼は、脇に置いた背嚢に肘をかけて言った。
「旦那が降りてこないんだ。食料はもう食い尽くした。おれだって腹ぺこなん
だ」
丁度良い具合に、朝食を消化した器官から雷鳴が轟いた。
「おみじゅはないの?」
「ああ。残ったのはこれだけ」
さも残念そうに、彼は葡萄酒の瓶を振って見せた。小人はしゅんとした顔で
肩を落とした。
それでもすぐに小人は笑顔を取り戻して胡坐をかいた彼の膝に座りなおし
た。もぞもぞと動き、しきりに尻の位置を調整してやっと腰を落ち着け、それか
ら片足に巻きつけた布をほどいた。布の中から、金貨が転がり出た。彼は慌
あわてて金貨を手のひらで覆った。小人は上機嫌のまま、彼の手から逃げた
金貨を拾い集めて、首に巻きつけた襟巻きの中に入れていた金貨と一緒に
手渡した。
「はい、きょうの“かしぇき”! じゅうにごーるど」
彼は手の中の金貨を数えた。八ゴールド。小間使いはお褒めの言葉を頂戴
しようと、彼の膝から覗き込んでいる。小間使いの柔毛をつかみ、床に叩き付
けたい衝動を抑えて彼は懐に金貨をしまいこみ、目の前にある小さな頭を二
回軽く押さえた。いいかげんこの能無しの小間使いに算術を教えなければな
らない。
彼の苛立ちなどお構い無しに、小人はうれしそうに膝の上でばたばたと足を
動かした。この三日間の出来事を報告をしたくてうずうずしている小人は、膝
の上から彼の顔を見上げて目を輝かせた。
「あのね、とっちぇも、たあくしゃあん、いろいろあっちゃの!」
* * *
召使の支離滅裂な話を聞き流している間も、彼は周囲からのじりじりした視
線に気付いていた。彼が同僚に囲まれて祝福を受けていたときにも、同じも
のを感じていた。祝賀の列にもみくちゃにされている間に、彼の背中によじ
登っていた小間使いの顔に唇をおしつける者がいたことや、筒抜けになって
いる小間使いの服の中に大胆にも手をいれ、冗談にしてはしつこすぎる手つ
きで撫で回している者がいたことにも気づいていたし、それが誰だったのかも
はっきり分かっていた。
そういった輩は一同に「いつ仕事を始めてくれる?」と無言のプレッシャーを
放っていた。なにせ、十日も女日照りが続いているのだから。
「そりゃあ大冒険だったな。ところで――」
頃合を見計らって彼は切り出した。と同時に今まで熱視線を送っていた連中
にも素早く目配せをした。
『紳士の皆々様、ご来場ありがとうございます。あなたの財布はパンパンです
か? けっこう、けっこう、それでは皆様、財布の紐を弛めて、間口をこちら
に、わたくしの目によおく見えるように!』
「あれはちゃんと付けているだろうな」
上気して薔薇色に染まっていた頬が一瞬で白くなった。だが、小人はすぐに
笑顔で答えた。
「うん」
小人の上着は彼の着古しをそのまま使ったもので、下に来ている服も皮袋
を細く切って作ったバンドで締めただけだけの完全な筒状だった。肌着も何も
着ていない。彼は小人に、襟巻きと上着を外させ、肉付きの良くない足の付け
根まで服をまくり、膝の間に手を入れた。
小人の股間から細い革紐が飛び出していた。革紐の両端は、小さな二つの
穴に押し込まれた猥雑な玩具の端につながれている。小人が彼に背をもたれ
ているせいで、前方から見れば、産毛もろくに生えていない割れ目に太い卑
猥な玩具が突き刺さっているのが見えただろう。ヒューマンの戯れにも使えそ
うな玩具は、未発達な幼い性器を痛々しいほど押し拡げている。
彼は革紐の真ん中を引っ張った。小人は猿のような悲鳴をあげて、くすぐっ
たそうに仰け反った。三四回軽く引いた後で、彼は陰門に突き刺さっていた玩
具をいきなり引き抜いた。小人は、腕に抱いたカエルをぎゅっと腹に押し付け
ただけで、声を押し殺した。長さは短いが、一インチ弱の太さはある黒い張形
が、未成熟な小人の性器からずるりと取り出された。どこか切れたらしく、張
形にはうっすらと血がついている。
「いたくないか?」
抑揚のない声で彼は小人に訊いた。小人は目を潤ませてうなづいた。
「ようし」
彼は右手の親指を立て、小さな赤い唇のすぐ下に持っていった。前々から
取り決めがあったように、小人はすぐさま彼の指にぱくついた。彼は、胸にも
たれさせていた小さな頭をおこし、イラマチオをさせるように親指を口から抜き
差しした。小人の顔を上に向けさせ、抜き差しするたびに少しづつ角度を変え
させる。小人は一心不乱にちゅうちゅうと吸いたてていた。
どうも口の中は湿り気がない。この三日間で口にしたものはお客の自家製
練乳ぐらいなのだから無理もない。ひょっとするとあの親切な二人の女冒険者
様がドリンクをご馳走してくれたかもしれないが。
彼は「爪の垢まで舐め取れよ」と言って、薄い小さなやわらかい舌に爪を立
て、ぐっと力を入れた。小人は顔をゆがめた。爪は舌の上をすべり、喉の粘
膜のすぐそばまで押し込まれた。嗚咽をもらしたり、歯を立てたりはしなかった
が、涙を溜めた青い目が彼に訴えかけてきた。それでも彼は小さな喉の奥ま
で指を突きこみ、しつこく往復させ、たっぷり粘液に浸されるのをまってから、
やっと指を引き抜いた。くぽっと音を立てて、飴細工のように艶のある赤い唇
から、濃厚な唾液にまみれた指がぬるりと滑り出た。
彼は下半身を丸出しにさせたまま小人を膝の上に立たせた。小人の目方は
三十ポンドもなかったろう――腕の中のカエルこみで三十五ポンド、この馬鹿
はいつまでこの妙ちきりんな人形を抱えているつもりだ?――が、それでも膝
はびりびり痛んだ。彼は自分の膝の下に挟んでいた荷物袋を引き出し、間口
を開けて小人に突き出した。
「そいつをこの中に入れろ」
「あんよ、いちゃいの?」
小人は心配そうに顔を覗き込んできた。
「ああ、痺れてしょうがない」
小人は彼の膝から飛び降りようとした。それより早く彼がブロンドの後ろ髪を
ひいて引き戻した。
「降りるな、早くしろ」
簡潔な命令だ。
めずらしく小人は強情を張った。だが彼が二度目に袋を持ち上げたときに、
名残惜しそうにカエルを袋の中に入れた。
「終わったら返してやる」
手早く袋の間口を締めた彼は、ぐるり周囲を見回した。大丈夫、お客様には
ちゃんと見えている。
小人の背筋をしゃんとさせ、まっすぐ前を見ているよう指示し、足を肩幅まで
開かせた。小さな割れ目の始点に粘液でぬらぬらした指を置き、爪先で陰核
をしごくように滑らせる。小人の体が、彼の膝の上でぐらぐら揺れた。黒い玩
具が小さな尻から生えた紐にぶらさがり振り子のように揺れている。彼が支え
ているから何とか持ちこたえているようなものだ。そのまま、指は凶悪な玩具
が突き刺さっていた隙間に滑り込んだ。
「ふあぁぁ」
小人は背を丸めようとしたが、彼の左手が小さな頭をつかんでぐいと引き上
げた。小人の内部は、玩具が押し込まれていたにもかかわらず、軽い抵抗が
あった。それでも彼の指は、ずぶずぶとめり込んでいく。
オークションの参加者の一人が名乗りを上げた。袋状の紙包みを、彼にも
見えるよう高く掲げる。
『ベーコンか? いや』
包みがめくられると、なんと中から出てきたのは魅力的な色に日焼けした腸
詰の燻製だった。胃袋の辺りから、じんわりとした欲求がこみ上げてきた。だ
が、まだ競りは始まったばかりだ。あせることはない。二三人が、さらに胃酸
を分泌させるような素晴らしい品を提示してみせたが、お客のほとんどはまだ
様子見といった風だ。
「ちゃんと毎日入れていたんだろうな」
小人は黙ったまま、またうなづいた。矮小なノームの膣では、彼の親指でも
最奥にある豆粒のような肉瘤に楽々届いてしまう。一突きで、内側のやわら
かい肉がびくびくと痙攣し、指の付け根に、あつい、とろりとした粘液が滴っ
た。最初のうちはゆっくりと動かす。それだけでも小人はかすれた声をあげ、
細かい震えが膝に伝わった。
軽く指を出し入れしていた彼は、大きく首を左右に振り、短い連続した舌打
ちをして芝居がかった声で言った。
「固いな。お前、おれの居ないところでずっとさぼっていたんじゃないだろうな」
「あっ、あっ、しゃぼっちぇえ……ないもん、ちゃん、と……ふぁっ、いれちぇた
もん……」
「ただ突っ込んでただけじゃねえか。みろ、入れただけでぎっちり締め付けてく
るぞ。はっ、こんなガキのマンコで、お客様にご満足いただこうなんざ思ってん
のか? なんのために、こんな上等な玩具を貰ったと思ってる」
親指の爪先で子宮の入り口を引掻きながら彼は訊いた。
「あっ、ふああっ、らあっ、らっちぇええ……」
矮小で幼げな体躯ながらも、胎内には複雑な肉襞があった。膣の中で、か
すかにざらつく盛り上がった肉の山を滑る彼の指に、ミジェット特有のやわら
かく未成熟な襞がきつく絡みついた。幼い陰門から溢れた愛液が泡立ち、激
しく出入りする指に纏わりつく陰口は、充血して桃色に染まっていた。
この興行はもう何度も繰り返された出し物で、いつもなら彼の目は小間使い
にではなく、ほとんどお客の側に向けられている。だが今日は、小間使いのか
細い喘ぎ声とぐいぐい指を締めつける熱を持った肉壷の感触に、すこしばか
り気を動かされた。なにせ贈り物が絶えてから十日もたっているのだ。彼はペ
ドファイルではないが、年端も行かない子どもにファックする人間を見て怒りや
吐き気を覚えるような善人でもない。
彼はできるだけ意識をお客の側に向けるよう努力しながら、股間の布地に
手を掛けた。周囲から若干失望したような溜息があがった気がしたが、彼は
構わず片手でズボンのボタンを外した。ここの人間が、いまから食おうとして
いる林檎の虫食いや歯形を気にするような上等な人間でないことはよくわ
かっている。それに、このショーが逆に商品の値を吊り上る効果もあることも
彼は知っている。溜息をついた連中も、どうせすぐ購買意欲を取り戻すことに
なるだろう。
「毎日入れていたと言ったな」
彼は膣から指を引いた。かわりに脇の下に手を入れて小人を持ち上げる
と、足を目一杯に広げさせた。小さな体を折りたたんで、顔だけは前を向かせ
る。彼は指でかき回され蕩けきった陰門に狙いを定めた。花弁ともいえない
幼い肉の襞が震え、激しい前戯の余熱が勃起の先端にじんじんと伝わる。
「たしかめてやるよ」
容赦なく彼の勃起は小さな襞の内側にめり込んだ。小人は甘えた犬のよう
な声で叫んだ。幹のところをわずかに飲み込んだだけで、彼の侵入は止まっ
た。
「おい、こいつはどういうことだ?」
彼は小人の体を上下に揺すった。小さな肉の中で鈍い打撃音が響いた。揺
するたびに、小さな頭はがくがくと振り回され、イの字にゆがめた口の端から
涎が滴った。子供用の玩具の家の門を攻城戦用の破城槌でノックしているよ
うなものだ。
「くそひでぇな、前より悪くなってるじゃねえか。もっと足広げろよ」
彼は赤子のように足を広げている小人の体をいっそう揺すった。小さな体か
らは汗が一斉に噴出し、押し入ってくる巨大な槌の攻撃に顔を歪ませている。
幼い陰門を出入りする亀頭の首に、泡立った愛液の白い輪ができ、小さな体
が上下するたびに、その輪がするすると移動した。
「おれは言ったよな? お客様に喜んでいただくには、毎日精進しろと、オナ
ニーは毎日欠かさずやれ、ご褒美を突っ込んでもらったときは自分で動けっ
てな。オナニーをサボってたどころか、毎日つっこんでたってのも嘘っぱちだ
ろ?」
「ああっ、い、いじゃい、よう、あちゅい、あちゅうういよう、おっちゃん」
彼は泣き叫ぶ小人の後ろ髪を毟りそうなほど後ろに引いた。
「おれは聞いてるんだぞ、どうなんだ?」
「あ、あああ、いれる、いれちぇる、ちゃんちょ、いれてちゃよおっ、う、うそちゅ
いちぇないよおう」
「じゃあこのひでえマンコはどうしてだ?」
動きを弛めて、亀頭でやさしく柔襞を一面にこねくり回す。絡み付いていた
入り口の肉唇がきゅんと締まった。
「具合はガキなくせに、いっちょまえに感じやがってよ。“本当にお前はおちん
ぽ大好きなんだな”」
「ひぃっ……はああう、はい、らいしゅきれしゅ、“おちんぽらいしゅきれしゅ”」
狭い陰門により深くえぐり込むように突き刺して、彼は小人の頭を下に向
かって押さえた。
「ならなんだこのマンコは? 訓練を怠るとは、これが大好きなおちんぽ様に
対するお前の礼儀か?」
「あああああ! ほ、ほんとらよ、う、うしょらないの、ほんちょ、ほんちょに、
じゅっちょ、まんまに、いれちぇたの」
彼は恥丘と下腹部の境目を拳でぐっとおした。「ゲッ」という悲鳴が上がり、
小人が顔を下にしてうずくまろうとした。彼は髪をつかんで再び前を向けさせ
た。
「おちんぽ大好きなくせしやがって、ひでえ怠け者だな。てめぇが一人で訓練
できないからおれが手を貸してやってるんだぞ」
「うあぁ……ご、ごめんなしゃい……ごめんなしゃい」
「ならお前はどうするべきなんだ?」
太い幹と幼い膣との結合部がお客の目にも良く見えるように、彼は小人の
両手首をつかんで吊るし上げた。小人はべそをかいたまま動かない。彼は小
人の顎をつかみ桃色の両頬をつぶすように力を入れた。
「笑え、いつもいってんだろ。ほら、ケツ振れ」
小人は彼に従った。小人にとって自分の腕ほどもある太さの男根の上で、
二つの熟れた桃のような小ぶりな尻が輪を描いて踊りだした。顔を楽しそうな
表情にゆがめて、幼い声でか細い喘ぎをあげる。ただ青い目だけ、日照りの
時の小川のように細い涙の筋を作っていた。空中で蛙のように押し開かれた
足が、幾度となく地面に落ちそうになり、そのせいで彼は小人の尻を赤く腫れ
あがるまで叩かなければならなかった。一打ち尻を叩くごとに、小人は猿のよ
うな悲鳴をあげ、地面すれすれだった小さな足がぴょこんと飛び上がる。その
度に小さな膣は締まり、彼はこみ上げる射精願望を堪えるのに一苦労だっ
た。
オークションの動向を眺めていた彼は心の中で満足そうに頷いた。やはりこ
のショーの効果は抜群だ。値は一気につりあがった。飛び入りの参加者まで
増えている。
「やめろ、くそったれ、相変わらず最低のマンコだよ」
彼は小人の尻にぶら下がっていた革紐を引いた。水を縁まで一杯に入れた
小瓶からコルクを抜いたような感触がして、彼の膝に腸液でぬめった玩具が
落ちてきた。
「こっちの具合もみてやる」
彼は幼げな膣に抜き差ししていた一物を引き抜き、代わりに巨大なビーズ
が抜け落ちた穴にあてがった。裏返って飛び出しかけていた内壁が、亀頭に
押され、内側に送り戻された。使い込まれた膣のように弛んだ孔は、淡い抵
抗のみで一物を中ほどにまで飲み込んでいった。
「いだあああ! ああじゅい、あじゅいっ、おっぢゃん、あじゅいいい」
小さな菊門は、元の持ち主がたっぷり使い込んでくれたおかげで、ヒューマ
ン相手でも前戯なしで挿入できる。小人がまた足を伸ばしかけたので、今度と
いう今度は、彼も拳骨で尻を殴りつけた。
「くそったれ、おい、なんだこいつは!」
陰門を使ったときと同じように、彼は頓狂な声を上げた。しかし、膝の上の
小人にはどうやら彼の声が聞こえていないらしい。
「いじゃい、あじゅいぃ、おっぢゃん、いやら、おくしゅいないちょだめ、だめら
よう、おくしゅいい、いじゃいい、あじゅいよおう……うわああ」
彼は小人の体を持ち上げ、背後から思いきり突き上げた。
「“だめ”だと? おい、お前今なんて言った?」
「ああ……ああっ、ごめんなしゃい、ごめんなしゃい、もゆぐ、ばかれしゅ、ごめ
んなしゃい……わゆいこれしゅ……ああっ」
「おれがいつそんなこと言えといった」
彼は心底胸をむかつかせて怒鳴った。何度注意しても、相変わらずこの馬
鹿は昔の“ご主人様”の所にいた頃の癖が抜けきっていない。小人がすすり
泣きそうになったので、彼は背を丸めて、胸の高さにある真っ赤に染まった小
さな耳に口を近づけた。
「おい」
彼は膝に落ちた玩具をとりあげ、苺色に染まった尻を殴りつけた。悲鳴が響
き、小さな尻に張り形の形の白い斑点が浮き上がる。斑点が紫色の痣に変
わる前に彼の追撃が加えられた。
「ゆるゆるケツマンコがてめぇの唯一のとりえだろ?」
ごっ。
「たった三日だぞ?」
ごっ。
「マンコのほうはまだ我慢してやる。だがこのケツ穴はなんだ?」
ごっ、ごっ。
「こんなガチガチにしやがって、鶏にファックしたほうがまだましだぞ?」
ごっ、ごっ、ごっ、がっ、がっ。
「おい、てめぇ、聞いてん、のか?」
がつん、がつん、がつん、がつん。悲鳴は割れ鐘のように壊れた音に変わっ
ていた。やわらかい小さな顎からは涙と涎と鼻水の混じった液が筋をつくって
垂れている。
「あいぃ、あひぃ、きいじぇんがあう、あいぃ、きいちぇましゅ、きいちぇ、きい、
ぎああっ、ごめんなしゃい、ごめんなさひぃっ!」
がつん。
「何度同じことを言わせる気だ?」
彼は小人のぱっくり割れた陰部に玩具をごりごりと擦りつけた。喘ぎとも悲
鳴ともつかない細い声があがる。しかし、次に聞こえた声は間違いなく喘ぎ声
だった。彼は玩具を、拡がりきった小人の陰部に一気に突きたてた。
「おれは誠意を見せろと言ってるんだ。お客様にがばがばにしていただいたマ
ンコとケツ穴を、たった三日で台無しにしやがって」
深々と突き刺さった玩具を、掌でぐりぐりと押し付ける。掌の窪みにはすぐに
淫水の水溜りが出来上がった。なにせこの小人は長い間“あの旦那”に飼わ
れていたのだ。痛みも罵声も、快楽を増徴させる糧にしかならない体なのだ。
尻には蚯蚓腫れができ、目にはまだ涙の筋が残っていたが、もはや小人の
口から出る声は、よがり狂う獣じみた声でしかなかった。
「てめぇは、お客様にどうやって報いるつもりなんだ?」
「えぁっ、えあぁ……」
言いながら彼は小人を吊るし上げている腕を激しく上下させる。小さな喉か
ら溺れ死ぬ間際の断末魔のようなくぐもった音がこぼれた。彼はいままで陰
部に押し付けていた掌で小人の顎を掴んで下を向かせ、耳に口を近づけて周
囲に聞こえないほどの声で小人の耳に囁いた。
「おい、いつものだよ、早く言え、どうした? 三日ぶりで上がってんのか?
おれだって自分にムカっ腹がたってしょうがねえんだよ、でもこうでもしなきゃ
飯がくえねえ、わかるだろう?」
実際彼は自分に腹が立ってしょうがなかった。興行を始めてからずっと、こ
のちっぽけな頭をひねりあげ、獣姦小屋の雌鶏のように引き千切りたい衝動
を抑え続けていた。興行主が雌鶏を使って金儲けをしていることは間違いな
いが、お客のほうでは見世物小屋の主が雌鶏に飯を食わせてもらっていると
思っている。
『おれが、腐ったオツムのちんけなガキにお飯を食わせて“もらっている”だ
と? このおれが、ちんけでバカなクソガキに?』
顎にかけた手に力が入る。が、すぐに手は小さな顎を離れ、小人の左腿の
下にすべりこんだ。
『我慢しろ。このガキの頭を肩からぶっちぎれば、おれは一生ここで暮らすこ
とになるんだぞ。今は、我慢しろ』
「死ぬほどはらぺこなんだよ、なあ、たのむよ」
『絶対にぶち殺してやる、このクソガキ』
彼はオークションの動向を遠目で眺めた。これがただの出し物だということ
を忘れた善人のお客たちが値を吊り上げあっている。事実、この出し物は真
に迫ったものだった。
「おが、おぉ……ぎゃぐじゃ……おきゃくしゃま」
力なく垂れていた小人の足が持ち上がる。傍目から見れば、歩くことを憶え
てまだ二年しかたっていない幼児だ。どこをさわっても、やわらかいすべすべ
した肌しかないいたいけな幼子だ。その幼子が玩具を咥え込んだ陰門をみ
せつけ、垂直に勃起した肉棒を菊門に挟み、貪るように腰を振っている。拡げ
られた菊門からは、赤い水が陰茎を伝いちょろちょろとした流れをつくってい
る。
「おきゃくしゃまぁ……おきゃくしゃまの、おっひいおひんひん、くらしゃい、いっ
ぱいくらしゃあぁい、おひんひんらいしゅきな、ちっひゃいおひりに、まんまんも
おひりも、おひんひんれぶかぶかにしちぇくらしゃい、おひんひんれぇえ……」
オークションは終盤に入った。ブランデー漬けのプラム、こってり油をぬった
鴨の足、麻袋一杯の洋ナシ、二インチの高さのサンドイッチ――中身は?
スライスした玉ねぎ、厚切りハム、水牛のチーズ、ペパロニ、レタス、たっぷり
グレイビーソースのかかった焼肉――けっこう、けっこう! 酒のボトル――
手信号で中身がスパークリングワインだと客が主張している、巨大なブロッコ
リーを掲げるものもいる……残念だが、おれはあの街の出身じゃない、それ
から……青いボトル。
彼は目を細めた。青いボトル。彼はそれを掲げている男の顔を見た。
『やあ、サム。よければ、その素敵なボトルの中身を教えてくれないか?』
サムは手信号でボトルの中身を示して見せた。
『W』、『A』、『T』、『E』、『R』。
Water、水、み、ず。
彼――そして人類の大半――が、この世で最も尊いと考えている液体。す
ごいじゃないかサム、もちろんそれって飲めるほうの水だよね?
サムが水の入ったボトルを掲げてから、競りに参加していた者たちが次々と
首を振って手を下ろした。
競りが終わったことを見届けた彼は、お客にもはっきり聞こえる声で膝の上
で尻を振る小人に言った。
「ほら滋養剤だ、ありがたく受け取れよ」
言うなり、吊るし上げていた小人の腕をいきなり下に引きおろした。詰まった
悲鳴が聞こえたが、彼は射精することと、商売用のとびきりの笑顔のでお客と
手信号で会話をすることに意識を取られ、そちらに注意が廻らなかった。小人
の肩が脱臼したかもしれないが、そんなことは大したことではない。何せ彼に
はアミュレットがあるのだから。
『落札、おめでとうございます! この全自動マスかきマシーンは三十分だけ
あなたのもの! 発送代は着払いでお願いいたします!』
鼻を啜り、彼の胸に背をもたれてぐったりとしている小人に、彼は身を屈め
て小声で囁きかけた。
「サムがお前に用があるらしい。どうも水をくれるようだ。いってこれるか?」
「うん」
左腕をだらりとさせて、顔を歪めている小人は鼻にかかった細い声をだし
て、こくりとうなづいた。
「用が終わったら、もらい物には手をつけずにすぐ戻ってくるんだぞ」
落札者のドワーフのところに行かせる前に、彼は出荷前の準備をしながら
小人に言い聞かせた。何度も繰り返したやり取りだったし、これまで一度も、
彼の許しを得ずに小人がもらい物に手を出したことはない。これは警句という
より、一種の儀式のようなものだ。小人は彼に玩具を押し込んでもらいなが
ら黙ってうなづいていた。
サムのところへ行く前準備の間中も、小人は物欲しそうな目で荷物袋を見つ
めていた。
「人形はおいてけ」
彼は首を振って荷物袋を手元に引き寄せた。すぐに小人は自分にできる限
りの申し立て――つまり、しょぼくれた目で見つめるという行為――をして見
せた。
彼は早く仕事に行くよう手振りで急かした。
「サムは人形じゃなくてお前に用があるんだぞ。こいつを持っていけば邪魔に
なる。安心しろ、逃げ出さないようちゃんと見張っといてやるよ」
小人は不安そうにでこぼこと蠢く袋を何度も見つめていたが、彼の視線に追
い立てられ、無様な蟹股歩きで人ごみの中を駆けて行った。
召使が遠くに消えたことを確認して、彼は袋からカエルを解き放った。
袋を飛び出したカエルは目を回したように、しばらく床の上でのたうってい
た。やっとのそのそと起き上がると、いきなり彼の膝の上に飛び上がった。首
をかしげ、青銅の目玉でじっと彼の目を覗き込む。
彼は膝を揺すって薄気味悪い動く置物を振り払おうとした。それでもまとわり
つくので、今度は腕を振り回してなぎ払った。カエルは彼の腕をかわし、一目
散に北の通路に逃げ出した。
すこしのあいだ、彼の眼に飛び跳ねるカエルが放つ鈍い金属光沢のちらつ
きが見えていた。が、やがてそれも徐々に遠ざかり、最後には通路の闇の中
に溶けて見えなくなった。