「俺だったらダンジョンからの帰還を待ち伏せて馬小屋で一晩中視姦するね。」

酒臭い息を吹っかけながらカウンター席の男が俺にまくし立てた。
リルガミン最大の酒場である『GILGAMESH'S TAVERN』も現在の時刻はラッシュを過ぎ、
常連というよりは常駐している留守番組みばかりが座を占める。
この男の名前は“380”、奇妙な名前だと思うだろうがこのリルガミンにはこんな名前の人間が五万といる。
名前なんかよりも“銀行”という『職業』で呼ぶほうがこいつのことをより理解してもらえるだろう。
銀行―――特定のパーティないしギルドと契約してその財産を預かる生ける巾着袋
酒場で真昼間からエールをあおっているところを見れば、コイツがどういった類の人間かは
お察しいただけるだろう。まぁこいつと共に飲んだくれている俺も人のことを言えた義理ではないが。
野郎の荒い息を手で払いのけ、同じくらい酒臭い息を吐きながら、力ない笑い声とともに俺は答えた。

「ハハハ、命の危険無しに視姦できるからわざわざ“鑑定士”の身に甘んじてるんだろうが。」
ご紹介が遅れた、俺は“鑑定士”、冒険者が持ち込む宝を、祝福により授かった神秘眼によって
真の姿へと導く崇高な仕事、といえば聞こえはいいが、つまるところ不確定のアイテムに
値札をつける生ける計算機だ。本名は…いや、勘弁していただこうか。カスにだって体裁ってもんだある。
もう説明は不要だろう。お察しの通り俺たちは冒険者のなかでも最底辺、もはや探索などといった
本業から遠くかけ離れ四六時中、ここ、ギルガメッシュの酒場で飲んだくれるしか能のない生き物だ。
こんな俺たちの話の種といった専ら愚痴と猥談ばかり、今日の議題も俺が専属で鑑定士をしている、
とあるパーティのくノ一をいかにして(脳内で)捌くかというどうしようもない物だった。
(これがまたイイ女なんだぜ?ちょっと天然入っているがエルフらしく理知的な顔立ちの
素晴らしいおっぱいと太ももの持ち主だ。きっと処女に違いない。いや処女だ。絶対。)
最初の頃こそ勢い込んで襲撃計画まで真剣に語り合っていたが、
酒が回るにつれ徐々に現実的な方向へと会話が進んでいった。

俺の返答に要領を得ないのか、また野郎ががなりたてた。
「甘んじる?はっ、そいつぁ大層お偉い目線でいらっしゃいますなぁ、S.O.B(畜生野郎)さんよ。
 お?クソ、もう空だ。マスター、もう一杯!」
「お前、飲みすぎだぞ。」
「飲まなきゃやってられるか。」
「おい、まさかその飲み代“巾着袋”から失敬しているんじゃないだろうな?」
「へっ、バレやしねぇよ!下五桁の金なんざ奴ら一々覚えちゃいねぇのさ!
 ……飲まなきゃやってられねぇんだよ。」
野郎は空のジョッキをマスターに渡しながら同じ言葉を繰り返した。一瞬、野郎のマジな横顔が見えた。
俺はその声に答えられず押し黙ったままカウンターの酒樽を見つめた。
こいつの言うとおりだ。飲まなきゃやっていられない。
いくら安全と生活が保障されているとはいえ、俺たちは呼吸はしているものの
ただの巾着袋、ただの値付け機械、人間として見られたことなど絶えて久しい。

短い沈黙の後、運ばれてきたジョッキのハーフパイントを一気に流し込み、野郎はぼそりと呟いた。

「なぁ、お前、なんのために“ここ”に来たんだ?」
「はぁ?酒を飲むために決まってんじゃ……」
「ちげぇよ、なんのために“リルガミン”へ来たんだ?」
「そりゃ……」
野郎の真剣さに言葉が詰まった。
一呼吸おいて、俺はゆっくりと答えを搾り出した。
「そりゃぁ、“富”と“名誉”だろ?」
我ながら臭い答えだ。鼻先で野郎に笑われるだろう。
しかし、野郎は俺と目も合わせずかぶりを振って静かに言った。
「ちがうだろう、お前、昔俺に言った言葉を忘れたのか?
 ―――冒険だよ。」
あまりの突拍子もない言葉に苦笑が漏れた。
「ははっ…なんだ、そんなこと――」
「そんなことだぁ?おいテメェ、どの口で糞たれやがる!
 ああそうさ、確かに動機はその富と栄誉、つまるところ金さ!女さ!力さ!
 だがな、そいつを手に入れるには“冒険”をしなきゃぁなんねぇんだ!!
 手順を踏まずに得た宝なんざ所詮ただの“コレ”なんだよ!」
野郎は叫んで巨大なズダ袋を叩いた。袋の中の数億はあるだろう金貨が鈍い金属音を響かせた。
俺はなんともいえない表情を野郎に向けた。相変わらず野郎の目は真剣だ。
決まりが悪くなり、再びカウンターの酒樽へと視線を落とす。
こいつの悪い癖だ。飲むと時々思い出したように持論を展開する。
酒樽へ視線を向けたまま、目を合わせずに俺は立ち上がった。
「…やっぱお前、飲みすぎだよ。」
「どこへいく気だ?」
「帰るんだよ、まだ鑑定が終わっていない品物があるんでね。」
もちろん嘘だ。ここ数日専属パーティたちからの連絡は一切ない。
だが、こういうときは嘘でもついて逃げるに限る。
「けっ、帰れ帰れ!イカ臭ぇ“簡易寝台”へな!この畜生野郎が!!」

“お客さん御代……”というマスターの言葉と奴の罵声を全力で無視し、駆け足で酒場を後にした。
メインストリートを走りぬけ追っ手が来ないことを確認し、外気の温度差に鳥肌を立てながら
俺は法衣の袖を捲くり上げ路地裏に駆け込んだ。野郎が立て替えてくれるだろう、いつものことだ。



歩調をゆるめ、裏道のなだらかな坂を上り始めた。
戸外は重い雲が低く垂れ込め、移り変わる季節の狭間の香りを含んだ風が大通りを吹き抜け、
狭い裏路地の隅々にまで入り込んでいった。風の香りが、俺がこの地に来て七度目となる冬の到来を告げていた。

「冒険、……か。」
そんなこと言ってたっけ、俺。
奴の言う通りだ、こんな俺でも迷宮に潜り一端の冒険者を目指した時期もあったさ。
先ほど述べたとおり、初めてこの“迷宮の街”の土を踏んだのは七年前のことだ。
意外だろう、このナリで新参じゃないんだぜ?
ささやかな野心と、好奇心だけを携えてやってきた俺を出迎えたのはこの街の“洗礼”だった。
ご存知のように俺の職業は『司教』だ。
ああ、確かに上級職だろうさ、俺も訓練場出たての頃は浮かれてた。
現実はそんなものじゃなかった。
ありえないぐらい遅すぎるスペルの習得速度、膨大な必要経験地。
駆け出しの頃、僧侶は聞こえよがしに回復スペルを唱え、
戦闘での非貢献度に侍からも馬鹿にされ続けた。

レベル4になるまで、『DIOS』を憶えるまでの辛抱と鉄の意志でポーカーフェイスをつづけた。
毎度毎度、俺の目の前“だけ”で“何故か”プリーストブラスターを失敗する
ボケ盗賊の攻撃をかいくぐり、歯を食いしばりながら嫌味に耐え、RIPを回避し、
やっとこさレベル4に上がったものの憶えたスペルは『BADIOS』
即日戦士から『歩く地図帳』に加え『二文字余りの役立たず』という新しいあだ名が命名された。
それでも俺は恵まれていたんだ、泣き言を聞いてくれる人がいたからな。
俺と同じ苦しみを潜り抜けた司教職の先輩たちだ。
先輩たちは皆それを耐え抜いてここまで上り詰めたんだと励ましてくれた。
ああそうさ、気休めだよ。それでも俺に取っちゃ天から与えられた
何物にも変えがたい言葉、唯一の希望だったんだ。

先輩たちの優しさとは裏腹に、パーティの連中の嫌がらせはエスカレートしていった。
日に日に強力になる僧侶の呪文は身体に癒しを与え、俺の精神を蝕んだ。
俺がKATINOでモンスターを眠らせるたびに、ほくそ笑みと共に魔導師からMAKANITOをぶっ放されつづけた。

希望の貯金をくずしながら、俺は耐えた。
自分の力で出来る限りパーティに貢献するため、己の出せる最高の力で毎日を生き抜いた。
だからこそ、俺にしか出来ないこと――
パーティの誰にも不可能な“鑑定”だけは死に物狂いで成功させた。
レベルを超えた識別を可能にするため、あらゆる書物を読み漁り、
先輩に頼み込みパーティが手に入れるアイテムよりも遥かに上級の品物で
何度も練習した。瞬発的な集中力を出すため精神も鍛えた。
当時の俺は、自分よりも遥かにレベルの高いどんな司教よりも精巧な識別能力を持っていた。
今考えれば、俺はあのとき半分狂っていたのかもしれない。

パーティはそんな俺の努力を見てはくれなかった。
そうさ、連中の俺に対する評価は、自動計算機。さして今と変わりなかったんだ。
俺の“冒険”が終わりを迎えるのにそう時間は掛からなかった。



ある日、何十度目かの“あの”罠を盗賊がトチった。罠はもちろん“プリーストブラスター”
だが今回のは今までのとは違った。故意じゃあなく“事故”でだ。
いつもなら盗賊が俺にはわからないはずのサインを僧侶におくり(もっとも、バレバレだったが)
僧侶が出来る限り安全な場所に行った上で俺の目の前で罠をトチる段取りが
今回はサイン無しにいきなりトチった。狙い違わず、罠は僧侶と俺を襲った。
結果、僧侶は石化、俺は麻痺、そのままパーティは城へと帰還。
俺は僧侶とともに寺院へとぶち込まれた。
翌日、僧侶は助け出され、俺はその後一週間放置された。
その一週間、意識があり全ての生理機能が正常に機能しながら、
動くことだけが出来ない一週間は俺の精神を――尽きかけていた気力、思い描いていた夢、
ケシ粒ほどにまでなっていた希望を――破壊するのに十分な期間だった。
それが俺にとってそのパーティにおいて、いや、俺の人生において“冒険”をした最後の記憶となった。

 *  *  *

メインストリートから二本ほど奥に入ると石畳の道路から舗装の施されていない砂利道になる。
華やかな表通りではなくメッキのほどこされていない裏のリルガミンの町並み、
つまりは物乞い、浮浪者の溜まり場だ。裏通りに入った直後、何人かの浮浪者が
俺のほうへ一斉に目を向けた。ぎらついた視線を向けたのもつかの間、
腕に刻まれた習得呪術階位のシンボルと俺の顔を見てすぐに視線を落とした。
スペルユーザーはいかなるレベルであれここの連中は警戒する。
MAHALITOが使えればこの裏路地は安全な通路だ。
逆に言えば、新参者にとってこの裏路地は迷宮に勝る危険地帯になる。

気候の急激な変動があるときには少しばかりメンバーの変更があるが、
裏路地の面子はだいたい一定だ。無論、こいつらは全員生枠のリルガミン市民じゃない、
他所から来た冒険者の成れの果てさ。俺は確かに冒険者の底辺だ。だが下には下がいる。
底辺とはいえ俺や酒場のアイツのように、正規の手順で飯にありつける奴は
まだまだ底辺でもマシなほうだ。それさえも出来なかった奴らは皆こうなる。

こいつらがどうして生きているのかって?そうさな、理由はいくつかある。
冒険者として登録さえしていれば、週に三回の炊き出しの列に並ぶことが出来る。
また、訓練場から出てきた新人たちが、うっかり裏通りに迷い込んだ時には
その新人がそのままこいつらの飯の種になり、冒険者としてではなく『ここ』で
新人として迎え入れられる。飯の種は尽きない。冒険志願の連中はひっきりなしにやってくる。
そいつを門前払いせず全部受け入れるんだから、この街もえげつないだろ?
それでいてこの街は出て行く気を起こさせないんだから不思議だよな。
まるで力の強い老獪で魅力的な女が『街』の格好をしているようなもんさ。
訓練場では『冒険をするのならば、石畳の場所まで(※迷宮の床は石畳)』と教えられる。
何故はない。掟だ。訓練場ではそれ以上教えてはくれない。
本当の事を言って折角の“財源”となりうる冒険者の卵が恐れをなして逃げてしまっては困るからだ。
そのありがたい教えに対し疑問を抱いてうっかり『舗装されていない地面』に足を踏み入れれば、
ここのお仲間、一貫の終わり、そのまま残りの人生をここで過ごすことになる。

こいつらは別に努力を怠っていたわけではない、才能が無かったわけでもない。
ただ単に、運が悪かっただけ、運がここでは全てだ。



坂の終わりが見えてきた。
それに比例して道の脇にいる浮浪者も数を増していく。
ゴミ捨て場を通り抜けた先、巨大なアーチの向こうにぽっかり空いた広大な敷地が出迎える。
リルガミンで営業を許可された唯一の宿屋、『ADVENTURER'S INN』だ。
メインストリートとは反対側、普段従業員か中堅以上の冒険者しか使わない裏口から建物の中に入る。
こちらは建物の北面、安部屋の並ぶ地帯はこの裏口から向かうほうが早い。
慣れた足取りで『A Cot(簡易寝台)』と書かれた細い通路へ向かう。

通路入り口ではボロを纏い、真っ青な顔で目玉ばかりギョロついた骸骨みたいな野郎が座り込んでいた。
この面には見覚えがある。俺の同業者だ。
俺と同じく、両の手の甲に聖別された司教のマーク(証)を持っている。
野郎はマークを見せ付けるように手の甲をこちらに向け、呆然と座り込んでいた。
邪魔臭そうに通り過ぎようとしたとき、俺はそいつがどうしてこんな場所に青い顔で座り込んでいるのか理解した。
手の甲のマークを見せ付けていたんじゃない、掌の中のものを人に見せないよう隠していたんだ。

こいつ、『詰み』をやらかしちまったんだ。『詰み』、鑑定士の専門用語、
呪いのアイテムの鑑定に八回失敗しちまったということだ。もう使い物にならない。
迷宮から出土されるアイテムのは強力な呪術がかけられたものもある。
下手に弄繰り回すとこいつのように呪いの餌食だ。解呪するためには、寺院に劣らずがめつい
ボルタックに売値とほぼ同じ値段の馬鹿高い解呪料金を支払わなけりゃならない。
鑑定士が契約するパーティが必ずその解呪料金を上乗せして払ってくれる
善人ばかりとは限らない。(性格が“善”っていう意味じゃないぞ。)
詰むまでやらされたということはこいつの契約していたパーティがどんな連中だったかは言うまでもない。
一応、外法な解呪手段として『転送屋』というアコギな商売をする輩も存在するが、
リスクが大きいせいか商売人の絶対数が極端に少ない。こいつのような貧乏人が
自力で見つけるのはまず無理だ。例え見つけても、ボルタックほどではないにせよ
結構な料金をせびられる。慈善パーティにでも拾われない限りこいつは今後あの坂の連中の
同族行きが決定されている。ここにいられるのも時間の問題だ。

宿屋の主人は頭のネジが何本かぶっ飛んでいるが商売のほうはきっちりしている。
『馬小屋』は“迷宮に潜る”冒険者のための施設だ。俺たちのような長期利用者は門前払いさ。
そりゃそうだ。でなかったら馬小屋は、銀行だの鑑定士だの荷物もちだので常時埋め尽くされちまうだろう。
もっとも、金を払った上でならば俺たちにも馬小屋は使わせてくれるが、
好き好んで馬の面を見て眠りたい奴などいない。
そういうわけで、簡易寝台は常に俺のような底辺層で埋め尽くされている。
蛸部屋のごとく詰め込まれるため、部屋が足りなくなることがない。

つまり、ここで生き抜くには最低でも、週に10ゴールドの金を稼がなきゃならない。
週10ゴールド稼げるかどうかが、坂の上で眠る者と建物の中で眠る者――
冒険者と乞食を分ける基準なんだ。

ロッティングコープスよろしくといった具合にうずくまり、
入り口の同業者は救いを求めるように目で俺を追う。
骨と皮しかない痩せこけた手には、まるで吸盤でもついているかのように
いくつもの指輪が吸い付き、掌から肘にかけて肉が変色している。
俺は無視を決め込み通路の奥へ向かう。
“指輪”じゃもう救いようが無い、こいつは完全に詰みをやらかしていた。
平常心と無関心を装い、心の中で土下座をしながらそいつの側を通り過ぎた。


痰壷から溢れた噛み煙草やら反吐やらで塗装され元の色がわからなくなった
黄ばみだらけの通路を挟んで、両サイドに『簡易寝台』の相部屋は並んでいる。
部屋は常時はみ出さんばかりの俺の同業者、もしくは似た境遇の連中で溢れかえっている。
抜き身の短刀を手に徘徊する小人、重力を無視して鎧が体に吸い付いている蒼白な男、
とにかく奇妙な連中で一杯だ。こいつら入り口にいるあの野郎のように“詰み”
までいかないにしろ“リーチ”がかかっちまった連中さ。

今まで俺は鑑定だけはトチった事がない。だが油断は禁物、明日はわが身だ。
俺もいつ、こんな姿になるかわからない。何日か、何ヶ月か、何年かに……考えるのはよそうか。
さらに先へ足を運ぶと、いつまでたってもMADIを憶えなかった小太りのドワーフ僧侶が挨拶をしてくる。
ここの連中はほとんどが顔見知りだ、俺はここではわりと古参なんだ。俺は髭面に挨拶を返した。
どこからか聞こえてくるこの気味の悪い歌は何なのかって?ああ、あれは呪文だ。
この時間になれば聞こえてくる、まぁここの音楽みたいなものさ。
安心してくれ、力なんか宿っちゃいない。例え力を宿しても、無害な奇蹟しか起こさない。
興味があるんなら髭ドワーフの向かいの部屋の中をちょいと覗いてみればいい。
呆けて馬鹿みたいに壁に向かって呪文を唱える顎骨のひしゃげた尼僧がいるはずだ。
二年前まではなかなかの美人だったんだぜ、今は見る影もないがな。
その女はな、今歌っている呪文と昔の面のせいで仲間に壊されちまったのさ。
「――ダールイ―――ザンメシーン―――ダールイ……ザンメシーン……ダールイ……」
カドルトとかいう悪魔みたいな神の神託の証が顕われなければ、どんなに正確な発音だろうと、
信仰の心があろうと奇跡は起きない。
最初に憶えたスペルがMILWAだったってだけで、女は仲間に、いや、この街に捨てられた。

細い通路のどん詰まりにある最高に換気の悪い個室、ここが俺の部屋だ。
『簡易寝台』は本来相部屋だが、専属鑑定士として雇ってもらっている複数あるパーティ一つが
個室を与えてくれた。つまり、この部屋がそのパーティの鑑定料代わりだ。
おかげさまで仕事があろうと無かろうと、屋根の下での安眠が保障されている。
雨の日はちょっとばかり不眠症になるけどな。

普通の『簡易寝台』をそのまま小さくし、雨漏りのする穴を開け、壁を崩れさせ、
よりかび臭い香を焚きしめ、日当たりを悪くしたような部屋だ。
唯一の明かりは小さなはめ殺しの格子窓、家具は古ぼけたテーブルと腰掛け、そして簡易ベッド
それがこの部屋と、俺の世界の全てだった。

 *  *  *


寺院から救い出された後、俺は宿屋に引きこもった。
再び冒険に行く気力などもう俺には残されていなかった。これしきのことでと笑うなら笑えよ。
これしきのことで、簡単に折れちまうほど俺は弱かったんだ。

パーティの連中は俺が抜ける事をあっさり了承した、但し条件付で。
自動計算機になること、たったそれだけ。戦力外通告は二言三言で済まされた。
短い会話を終え、簡易寝台を出る侍を見送り扉を閉めた後、俺は泣いた。
涙は枯れ果てたと思っていたのに、他の連中が見ている相部屋で情けないくらいわんわん泣いた。
相室だった連中は慰めもせず、蔑みもせず、ただ無関心を装っていた。
連中のほとんどが俺と同じ境遇だったということに気がついたのは大分後になってからだ。
その日を境に、俺の計算機としての人生の始まった。

唯一の救いが、そこいらの鑑定士よりは腕がいいという評判が立ち
様々なパーティから依頼が来たことだ。正直俺の所属していたパーティの見返りだけでは
食っていけなかったからな。

俺は本当に運が良かった。ああ、心底そう思っているぜ。
これでもここに到達するまではかなりマシな手順を踏んだほうさ。
もちろん俺だって人間だ、機械に徹することが出来ない事もしょっちゅうあったよ。
俺のところに鑑定を依頼しに来る連中は、皆前途に希望と言う名の光明を持ち、
戒律は何であれ今を楽しんでいる奴等ばかりだ。
連中の生きた目をみると、遅行性の毒のように時々昔のことが頭をかすめた。
これではいけないと何度か奮起しようと試みたこともあった。


今の俺の状況が、その試みが全て無駄に終わったと言う事を物語ってくれる。
最近では連中の目を見ても何も感じなくなった。
もう少しで俺は当初の目的通り本当の意味での機械になれるだろう。
死んだ魚の様な眼と独特の臭いを放ち、ZILWANで消し炭になれそうなあの連中のようにな。


 *  *  *


ノックの音が夢想を破った。
即座に俺は商売用の顔、卑屈な『鑑定士』になりきり扉に向かう。
おっと、その前にまずはクソ不味い毒消しを一気飲みしなきゃあな。客商売の基本だ。
へべれけ鑑定士に依頼をするお人好しなど居るわけがない。
相手はおそらく常連だ、ここで失望させて飯の種を手放す手は無い。
落ちぶれたとはいえ元冒険者、俺の精神は常に緊張し研ぎ澄まされている、自室限定で。
さらに引きこもり特有の動物的感も加わり客がだれであるかある程度察しがつく。
この部屋に到達するには先程俺の通った通路一本のみだ。
俺に気取られずここまで到達できるのは、常連客のなかでもたったひとつのパーティ、
もっと限定すれば二人しかいない。そのうちの一人のほうの可能性を心の中で思い描き、
軽やかなステップで入り口に近づき扉をあけた。

扉の向こうに見えた顔は神々しささえ感じられる銀髪のエルフくノ一
――――のパーティに所属している盗賊。ハズレだ、畜生。
立っていたのは栗色の薄汚い髪の貧相な顔立ちのチビ女。
おまけにこの季節だってのに裸足ときたもんだ。常識も何もない。
見てみろ、頭と根性悪そうなガキだろ?なに、可愛い?冗談よせ、騙されんなよ!
純真な少女だって?とんでもない!こう見えてコイツは俺と同い年だ。
最高に根性捻じ曲がった性悪女(性格は中立)だぜ。
コイツこそが俺の“元仲間”でありプリーストブラスターの解除を失敗しやがったバカ盗賊だ。
俺の所属していたパーティは俺の抜けた後(といっても何年も後だが)
メンバーはバラバラになり今では別々に活動している。
唯一コイツだけが、パーティを変えながらも俺のところに通い続けている。嫌がらせかクソ。
引きつった笑みを浮かべたまま、俺はできるだけ紳士にそいつに声をかけた。

「どーも、いらっしゃいませー。」
「なぁに、その心のこもっていないご挨拶は?
 ――っ相変わらずくっさい部屋ね!××××しすぎなんじゃないの?
 可愛いレディが来るんだからちょっとは自重しなさいよ。」
「はぁ、レディですか、時々いらっしゃいますが、今日はどうやらお見えになっていませんので。」
「眼ん玉ついてんの?そんなんで鑑定士のつもり?」
「これでも皆様にはすこぶる評判でして、いい眼をしてると仰る方もいらっしゃいます。」
「帰るわよ。」

帰れ。と言いたい。
あの日、寄付金を支払い俺を麻痺状態から救い出したのはコイツだ。
どうせリーダーから言付かってきただけだろう。
罪悪感にさいなまれてなどと意味不明なことをほざいていたが、
そうならなんで一週間も放置できたのか疑問に思われる。
とにかく、コイツはそれ以来何かと恩着せがましく人に当たりやがる。

かけろという前からすでに腰掛にふんぞり返っている小憎らしい盗賊の前で、
俺は平常通り商売面で対面する。
それほど高さのない腰掛だが盗賊の足は地面に届いていない。
いつも通り小っこい足を組みお決まりのポーズを取る。
なに見てんのと言った顔でこちらを伺う。誰がお前の足なんぞ見たいとおもうかクソガキが。

俺はガキは嫌いだ。起伏に乏しい貧弱な体しか持ち得ないガキに魅力など感じるか。
『小悪魔的な笑顔がたまらない』とか元パーティの変態魔導師が遠い目でほざいていたが
そんな変態野郎と違って俺はまともな性癖だ。
俺の好みは天然清純銀髪巨乳くノ一エルフ娘という平凡健全たる趣味である。
お前のようなつるペタ地帯が荒涼とつづく平野部のみの寸胴ボディに興味などもてるか!!
と喝を入れてやりたいがそれも出来ない。断じて俺がこのガキを恐れているわけではない。
まぁ確かに、コイツはレベル三桁超えで盗賊の癖に素手で俺を殺すことのできる生き物だが……
いや、だから、俺はこのガキの力を恐れているんじゃないぞ。コイツが客だからだ。
今日、明日の飯の種、ひいてはコイツによってもたらされるコイツのパーティのリーダー、
エルフくノ一との接触の機会をふいにするわけにはいかない。
感情に走るのは得策ではない、俺は慎重かつ理知的な男だ。

「それで、本日のご用件はなんでしょう?」
「ただあんたに会う為にこのあたしがくるとでも思ってんの?
 一日中ここで××××しかすることのないあんたにありがたーいお仕事持ってきてあげたのよ。」
空気吸うように癪に障る台詞を垂れ流しやがってこのアマ…
そんな俺の苛立ちなど歯牙にもかけず、ガキはバックパックのから小さな皮袋を取り出す。

いやーな予感がする。
感謝しなさいよと言わんばかりにもったいぶった手つきで皮袋から取り出された品々を見て予感が確信へ変った。
『指輪』だ、鑑定士の間でワースト三位に入る地雷アイテム
しかも複数の違った種類の指輪やジャンク(ガラクタ)まで混ざっていやがる。虐めか、そうか、死ね!
殴りたい。この後(妄想の中で)思いっきり殴った上で(妄想の中で)嬲り倒してくれるわ。
毎度毎度高確率で呪いのアイテムばかり持ってきやがって・・・!!!
だが、これがこの女の作戦。術中にまんまと引っかかるわけには行かない。
ここでぶち切れてしまうと、この女は難癖つけて鑑定料をやたらと割引しようとしてきやがる。ここは我慢だ。

「毎度ありがとうございます、えー引き取り日はいつ頃にいたしますか?」
「そうね、明日までにやっときなさいよ。もし失敗なんてしたら…」
「ええもちろん、契約の通り追加の御代は結構でございます。」
「へぇ〜そのくらい憶えていられる記憶力はあるんだ〜、呪文は覚えられないくせに〜。」

お前は、俺を、怒らせた。ただ嬲るだけで済まされると思うな!
全身緊縛オークの刑に追加で××××だこのガキ!
小首をかしげ、挑発的な笑みを浮かべるガキに向かい、俺はあくまで紳士に対応を続ける。
「はい明日ですね、かしこまりました。この度はご贔屓に預かりまして真に恐縮です。」
とっとと出てけと言いたい所だが俺にはこの紳士な一言を吐くのが精一杯。
「ちょっとー、折角お仕事もってきてあげたのに、お茶くらいださないの?」
「当方そのようなサービスの提供はしておりませんので、」
「なによその物言い。鑑定屋の分際で。」
「………」
普通の客なら我慢できる言葉、普通の客ならば。我慢しろ、俺。
「私も契約に無いサービスの提供はご遠慮いただいておりまして…」
「ふーん、柔軟性の無いわね、そんなんでサービス業つとまんの?ねぇ、か、ん、て、い、や、さん?」

誰の、お陰で、こんな、目に、あったと、思って、いやがる、この、アマ・・・
『おととい来やがれ』と吹っかけ殴り倒し全裸に剥いてそのまま酒場に放置したるわこのガキが!!
「大変失礼致しました、当方の努力不足でお客様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。」
俺は負けん、負けんぞこのガキがあああ!!報酬割引なんぞ許してなるものか!!
頭を下げた俺の頭上で、腰を曲げた俺とやっとこさ同じ位の背しかないガキが舌打ちをし、
忌々しそうに戸口へ向かう。ふ、勝った。今回も報酬カットは無し、ガキめ、ざまみろ!!
「ふん、忘れないでね、明日だから!」
俺はそのまま頭を下げ続けガキの面を見ずに、扉へ向かう。
「ありがとうございました。またどうぞ宜しくお願いいたします。」
何かまだ言いたげなガキを前にギリギリ紳士的と取れる絶妙な力加減で扉をピシャリと閉めた。


引きつった笑顔のまま指輪どもが置かれたテーブルを振り向き腰掛けに座る。
何はともあれ飯の種にありついた。さあ仕事だ仕事。
うん、泣いてない、泣いてないぞ。ちょっと鼻水が目から出てきただけだ。オーケイ、大丈夫。
鑑定時に心の動揺は禁物、ことにこんな禍々しい危険なアイテムを扱う時に雑念があってはいけない。
それにだ、明日になれば久々にあのくノ一の肢体を拝むことが出来る。
取りに来る時は必ずくノ一が自ら出向いて来る。
それを思えば、こんな程度の屈辱なんか大したこと無いさ、ハハハッ!!
ああそうだ、1分だけ向こうを向いていてくれ、顔面に垂れた鼻水をふき取りたいから。悪いな、ハハハ…

 *  *  *

細い通路の暗がりの中で、栗色の髪をポニーテールに結い上げ、
利発そうな愛くるしい幼子の顔立ちをした少女が、締め出された部屋の扉の前で立ち往生していた。
瞳と同じとび色のスカートからのびる小さな足には靴が履かれていない、
足の裏には柔らかい毛が生えていてそれが靴代わりになっているからだ。
バックパックを背負う姿は、十をようやく過ぎたばかりの少女と見紛う程だ。
子供ほどしかない背丈、子供のような顔立ち、裸足、それがこの種族、“ホビット”の特徴だ。
おそらく盗賊なのだろう、肩当の無い皮鎧を身に纏いベルトにダガーを下げた出で立ちからして間違いはない。

盗賊は、昔の仲間の部屋の前で再び扉をノックすべきかどうか迷っていた。
彼女はかつて自分の手で、この仲間の人生を葬った。
仲間は昔、陽気な人間だった。馬鹿みたいに正直で愉快な人間だった。
あの時は軽い冗談のつもりだった。それが元で仲間は廃人になった。

仲間はもう、彼女の事を仲間とは呼んではくれない。
どんなに挑発的な態度をとっても、鉄仮面のような張り付いた笑顔以外の表情は見せない。
笑顔でありながら、向けられる眼差しには怨みがこめられている。
長い間、仲間とはまともな会話を交わしていない。
あったとしても仕事の話か、こちらが一方的にからかい、相手が受け流すだけの言葉の応酬のみ。


「…またね。」
散々迷った挙句、盗賊は部屋の住人に聞こえぬよう小さく呟き、細い通路を音も無く駆け出した。

 *  *  *

個室は素晴らしい。誰の目も気にせず好きなだけ泣……鼻水が流せるからな。
それにしてもまた厄介な仕事の依頼だ、気乗りがしない。
こういうときは景気づけに一発抜……精神統一するに限る。
しかし何故か今はそんな気分になれない。何でだろうな、ハハハッ!!

無性に飲みたい。胃に穴があくまでエールを流し込みたい。
銀行野郎を怒らせちまったのは不味かったな。
だがじっとしてても気が滅入る。そこいらを一周してくればそのうち気も晴れるだろう。
俺はテーブルの上の指輪を皮袋に詰め、崩れた壁の隙間、
いつもの隠し場所に皮袋を押し込み俺は部屋を後にした。



『A Cot』の通路入り口には、まだ似非ロッティングコープスが座り込んでいた。
すれ違いざま横目で様子を伺う。奴はもうどこも見ていなかった。
呪われた指輪がいくつも吸い付く掌で顔を覆い、膝の間に頭を埋めて動かなかった。
そうだ、俺なんかまだマシなほうさ、こいつに比べたら俺はまだ運がいいんだ。
誰かに救われるのを待つことしか出来ないただ呼吸をするだけのこいつに比べたら、俺のほうが上なんだ。

先程よりも風が一層強くなってきたのか、裏口の戸はガタガタと軋み隙間から冷やりとした外気が入り込んでいた。
裏口を出て敷地と道との境界にあるアーチを潜り抜けようとした時、白く光る一片が視界に飛び込んできた。
今年一番の初雪だ。敷地ギリギリのところで野営をしていた物乞いどもは、いつの間にか奥に引っ込み
今はたった一人だけ、年寄りなのか若いのか分からないノームが歯をガチガチ鳴らしながらゴミ箱の上に腰掛けていた。
ふと、ノームと目が合った、顔なんて代物じゃない、皺だらけのただの小さい袋だ。
袋の隙間から濁ったガラス玉がこちらを凝視していた。
俺が目を背ける前に、皺だらけの袋がうつむいた。相変わらず、ヘボ楽師のように歯を鳴らしていた。

どんな仕組みか理解できないが、そのリズムは俺の中で妙な影響を及ぼした。
俺は走り出した。裏口へ入り『A Cot』の通路へ息を切らして走った。

ロッティングコープスはまだそこにいた。
物乞いに向かって冒険者どもがやるような蹴りの代わりに、財布の金貨を分けた皮袋で頭を小突いた。
ロッティングコープスは顔を上げた。死んだ魚の眼に、怯えた小動物の色が混ざっていた。
「10000ゴールド」
相手の目を見て、できるだけ静かに、だが聞き取れるように俺は言った。
「おい、どうした兄弟?10000ゴールドだ。とっととしまわないとあの連中に見つかっちまうぜ?」
言いながら通路の奥を指差す。ロッティングコープスが目を見張る。俺はさらに続けた。
「一度しか言わない、よく聞け。手前から数えて五番目、向かって左手の部屋にいる髭デブにこう言え。
 『DIALMAは最高の呪文だな、どん詰まりのS.O.Bの仲介だ。』
 あのデブはマスターレベル−1だ。俺の言っている意味わかるか兄弟?」
ロッティングコープスの顔に赤みが差した。俺の言葉に答えるように何度も頷き、何か言いたげに口をパクパクさせた。
「この袋に入っているのは10000ゴールドきっかりだ、一枚たりともケチるなよ。
 おっと、誤解するなよ、今回っきりだ、なぁ兄弟、それ以降は俺の知ったこっちゃない。」
俺はこう付け加え、ボロ布に金貨の袋をねじ込みながら立ち上がった。
ロッティングコープスはもう人になっていた。クズかもしれないが少なくとも人間だった。

目の前の野郎が人間になった途端、急に俺は正気に戻った。
“ああクソ、なにやってんだ俺、この夏一杯かかって貯めた金だぞ、畜生!”
“きっと今、俺は頭から湯気が立ってるんだろうな!”
“だが面が赤いのは自分への怒りのせいだ、照れてるんじゃない、断じてな!”

そそくさとその場を後にする俺の背中に、人間に戻った野郎の言葉が飛んできた。
訛りの強い異国語で俺にはほとんど聞き取れなかったが意味はなんとなく理解できた。

“……ま、いいか、どうせ捨てた人生だ、一度ぐらい選択を誤っても構わないだろ。”
ほとんど空になった財布を懐に俺は裏口をでて急ぎ足で裏路地の坂道を下った。

 *  *  *

「冒険、……か。」
坂を下りながら白い息とともにまたあの言葉が口から飛び出してきた。
畜生め、冒険なんて糞食らえだ。あの銀行野郎のせいで余計な事を考えるようになっちまった。
命を危険に晒してまで、何しようってんだ、ああそうだ、ふざけてる!
とにかく今は飲みたい。が、野郎を怒らせちまったからな、土産に毒消しでも持ってくればよかった。
まぁいい、大枚叩いてボルタックで買うとするか。どうせ明日には金が入ってくる。
銀行野郎の機嫌を長い時間損ねるのは色々不都合だからな。
畜生、なんて不手際の連続だ!これも全部下らない銀行野郎の言葉が原因だってのによ!

雪のせいか、いつもよりやたら明るく見える裏通りを抜け、砂利道から石畳の表通りに下り、
酒場とは反対の方向に俺は足を向けた。

カラン

ドアの中は外観よりも広く感じさせる奇妙な空間が広がっている。
店内には新人の冒険者と見得る何組かのパーティと、ハゲ頭ばかりの暇そうな後衛職集団が先客に居た。
壁には素人目にも分かるほどの鋭い切れ味を誇る名剣と魔力の篭った鎧の数々が掛けられ、
棚には収集癖をもつ店主がかき集めた奇妙なオブジェが所狭しと並んでいる。

『BOLTAC'S TRADING POST』
カント寺院の坊主に劣らず金貨好きの善良で親切なドワーフが経営する商店。
運と金さえあればここで手に入らないものはない。大抵はどちらかが欠けているか両方無いかだが。
どちらも持っているなんて言う野郎がいたら今すぐ石の中にでも突っ込んでくれ。

「へい、いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか?」
“またお前かよ、今日も毒消しなんだろ?”と言う表情を浮かべ、
カウンターから店主が声ばかり愛想良く挨拶をした。
「毒消しが二本ほどあればあり難いのですが。」
後光が差すほど紳士的な顔でオーダーをする俺。
“『毒消しありませんか?』ってか、酒場で『酒はありますか?』って聞いてるようなもんだなこのボケが”
という表情を浮かべつつ、ドワーフは店子の集団に向かい激を飛ばした。
「へい、ただいまお持ちいたします。おい!毒消しだ!ちょっくら裏へ回ってこい!」
弾かれたように、一人のホビットがそそくさと裏手の貯蔵庫へ向かう。
「少々お待ち下せえ。」
それだけ言い残し、店主は俺のすぐ後ろにいた新米冒険者の方へ向き直る。
“さっさとどかねぇか朴念仁”というドワーフの心の声に答え
俺は笑顔のまま無言でカウンターを空け渡す。ちょっと涙が出てくる。



さてと、店子が戻るまでちょいと店内でも見て回るか。
ふむ、相変わらず品揃えは一級品だ。高級品に混じり所々にガラクタを置くところに店主の小粋な悪意を感じる。
カウンターのすぐ後ろの棚は展示品のコーナーだ。新人の冒険者の為に在庫の見本が一部展示されていて、
商品を指差すだけですぐさま店子が駆けつけてくれる。
カウンターから向かって右手の上段には埃をかぶった『非売品』の棚があり、
呪術の篭められたアイテムたちが陳列されている。
国策で新人司教への教育のためにわざわざ並べているとか言ってたな、
トレボー万歳だ、俺も昔ここで散々眺めて勉強したなぁ。
それにしても、ここの店主は“死の指輪”を250000Gも出して買い取って何する気なんだ、
そういや、あのロッティングコープスどうなったかな――、
などと、とりとめも無い事を考えていると、後ろから肩を叩かれた。

街で俺に話しかける奴なんてろくなヤツラじゃない。
大体が日銭も碌に稼げない同業者か乞食だ。
ふっ、いくらせびっても残念ながら今日は一文無しなんだぜ、と言うべく後ろを振り向き俺は絶句した。

「お久しぶりね」

自分の目を疑った。そこに立っていたのは法衣姿のエルフだった。
輝く銀髪を自然のままに垂ろし勺杖を握る姿は神聖な巫女を思わせるほどの神々しさを放ち、
藍玉色の目が涼しげに、しかし悪戯っぽく微笑んでいる。

彼女こそ、俺が専属で鑑定係りを勤める“善”のパーティの長、エルフのくノ一である。
本当に久しぶりである。あまりの嬉さに漏らす所だった。どうやら本日は“お出かけスタイル”の様相だ。
流石に“いつもの”格好で街中をうろつくのは不味いからな。というか死んでも俺が許さん。
街中のヤツラにあの姿を晒すくらいならば俺が彼女の服となり彼女を卑猥な視線から守ってやる。
というかむしろ服になりたい。クソ羨ましいぞ法衣が。法衣に嫉妬するとは思ってもみなかった。

厚い法衣の上からでもそれとわかる豊かな胸部の膨らみ、襟元の鎖骨ラインからして
恐らく法衣の下は“何も着ていない”のだろう。俺の鑑定眼を信じろ、首をかけてもいい。
それにしても、いつもの格好も良いがこれはこれでまた新鮮だ。
脳の映写機能をフル回転させ現在のくノ一の姿を脳裏に焼き付ける。よし、永久保存版だ。
所要時間1秒足らず。今ほど“司教”としての記憶力に感謝すべき時はない。

「今日はお出かけ?」
緊張しすぎて声が出ない。乾いた舌でやっとこさ声を搾る。
「え、ええ、友人に土産を買おうと思いまして」
嘘はついていない。というか、もっとマシな気の効いた言葉思いつけないのか俺。
「あ…、忙しいところ話しかけちゃったかな?」
「いえいえ!決してそんなことはありませんよ!」
本心をこれでもかと込めて全否定。しかし少々声が上ずりすぎた。
いかん落ち着け、俺は冷静な男、そうだ落ち着け。
「あのね、実は貴方に合わせたい娘がいるの。」
ああ、なんという美しい声・・・・聴いているだけで脳がとろけそうだ。
「はい、こちらが例の司教さんよ。」
素晴らしい、まるで鈴を転がすような・・・・む・・・ああ、なんだ同伴者がいるのね。
「は、はじめましてっ!」
なんだ、女か、びびらせやがって。
ふん、まぁなかなか可愛い娘なんじゃないのかな。
しかし、このくノ一さんに比べれば・・・・ん?

一瞬、神々しいくノ一から挨拶をしてきた元気の良い声に視線を投げ、
俺はすぐまたくノ一に視線を戻そうとした。が、
思わず眉をしかめて、紹介された?むすめ を凝視した。 
なんだこいつは。いや、確かに可愛い、それは認めるよ。
法衣からはみ出た肌は満遍なく日焼けした小麦色、肩上で切りそろえた黒髪、
ピンで留めた前髪からくりくりした瞳を覗かせている。
筋の通ったというよりは若い娘らしい柔らかな曲線を描く鼻筋、元気な声の割には控えめな唇、
法衣の上からわかる体のラインは、年の割には肉付きの良さそうな体躯であろうことを示している。
少なくとも、人間の男ならば躊躇せずにお持ち帰りする娘だろう。

そう、確かに可愛い、だが……どこか違和感が……


こいつはなんて種族だ?
エルフじゃない。そんなのオークだってわかる。
人間……にしちゃ小さすぎるぜ?ホビットだといくらなんでもでか過ぎだ。
ノーム?論外だ。こんなキングサイズのノームがいてたまるか。
……いや、待て待て、それだけはないだろ。うん。

俺が頭の中で問い悩むうち先に答えが啓示された。

「紹介するわね、こちらが新しくパーティに入った“フラウド”。」
「フ、フラウドです!ドワーフの司教です、よ、よ、よしくおねがいしますっ!」
「ああ、はいよろしく……?!」
ドワーフ・・・・?ドワーフ!?
待て待て待て待てまてまてマテマテマテマテマテマテマテ!!!
嘘こけ!!お前ぜったい種族詐称してるだろう?!こんなドワーフがいてたまるか!
まだ『発育異常のホビットです』と言われたほうが頷けるぞ!
ドワーフっていうのはだな、男であろうと女であろうと髭デブチビと三拍子揃い踏みの
ビア樽に足くっつけたような生き物なんだぜ?
こんな可愛いのがドワーフだなんて俺は認めん、断じて認めんぞおお!!!

・・・・・・ん?今なんか、とんでもない言葉まで一緒に言われた気がしたぞ。
・・・シキョウ?・・・しきょう?・・・・・・・・・・司教!!?

さっきのは取り消しだ。ドワーフなのは認めよう。
ところでお前、ドワーフで司教とか、絶対職業選択おかしいだろ?どういうセンスしてるんだ?
しかし娘の手の甲あるのは俺と同じ聖別された真新しいマーク。間違いない、《司教の証》だ。
まて、そんな馬鹿な、いやでも、だって……



文字通り、眼の前がまっくらやみになった。



「あ、あなたがあの“有名”な『簡易寝台のS.O.B』さんですよね?」
ああ、俺の破滅の元凶が何か言ってる。
っておいまて、それは俺の本名じゃねえぞおい、俺の名前は『Son Of a Bitch』じゃねぇっての!
というか“有名”ってなんだよそれ、俺何したの?
「あの、街へ来て最初の一ヶ月で鑑定学を極めたっていう……、
 一般職のマスター未満のレベルなのに、どんなアイテムだろうと一睨みで
 忽ち正体を暴くという伝説の……」

なにそれしらないそんなひと。

うん、たしかに今まで呪いを引いたことはないよ。でもね、ミス無しなんてことはないの。
一ヶ月?ショートソードを五分以内で鑑定できるまでにどんだけ時間かかったと思ってんの?
たちまちってなに、一睨みでアイテム識別できたら俺こんなに苦労しないっての!

あああああ、死にたい。生きる原動力となりうるくノ一との触れ合いが、
この娘の為に二度と叶わぬものと……ああ…ああああ…

「――・・なの・・・・だから・・――として・・・・・あなたに・・――・・・・」
くノ一の声すらももう碌に聞こえない。
こんな所で、こんなことで我が命散りゆくとはあああ……

「ねえ、」
気がついたらくノ一の顔が俺のまん前まで迫って俺の顔を覗きこんでいた。
お別れのキスですか?初めてなのでできればディープでお願いします。
ついでにそのまま舌も噛み切ってくれると嬉しいな♪
……ってはは、落ち着け俺、まだ壊れるには早いぜ。

「は、はい?!」
「気分でも悪いの?」
「あ、いえ、ちょっと眩暈が……」
「大丈夫?」
「ええ、はい、大丈夫、ですよ。」
全然大丈夫じゃない。
しかし心配そうに顔を覗きこむくノ一の顔はこんな状況であるにも関わらず
俺の精神に癒しと興奮をもたらす。ああ、こうなったのもすべては貴方のせいです。
責任とって今日はロイヤルスイートで俺のそっちの初陣を祝福して下さい。

「ほんとうに大丈夫?パーティの僧侶にMADIをお願いしてもらうけど…」
「いえ、平気ですから、」
「でも、ポーションぐらいおごらせて頂戴よ。」
なんて優しい言葉だろうか、どうせなら口移しでお願いします。あ、下の口でも結構ですよハハハッ!!
はぁ…本当なら小便だだもれになるほど嬉しい言葉のはずなのに、どうしてこんなにも悲しいのだろうか…
「いえ、お気遣いだけで、俺は大丈夫ですから。」
と言いつつ目を上げるとそこにはもうくノ一の姿はあらず、あの娘の姿のみ。
フラックなみの敏捷さで周囲の空気をサーチ、いた、カウンターでポーションを注文するところだ。
戻ってくると同時に再び俺に声をかける。
「自分よりレベルが上の人間には素直に従わなきゃダメよ、おごらせて貰ったから。」
「ははは、すみません、本当に……」
「だから今回の条件はちゃんと飲んでね。きっとよ?」
「は・・・はい?」
「だーめ、約束。」

じょうけん?なんでしょうか、ぼくへのかいこせんこくですか?

俺の様子をどう受け取ったのか、
くノ一はパーティの新司教として迎え入れる娘をつれてボルタックを後にする。
見送る俺の脳内には葬送曲が鳴り響いた。


あああ……ダメだ…… もう、お終いだ……

 *  *  *

宵の口、俺は再び酒場へ顔を出した。
俺はカウンターで酔いつぶれていた銀行野郎をたたき起こし土産の毒消しを手渡した。
「へっ、なんだよ、これで帳消しにしろってか?」
「いいから飲めよ、大事な話があるんだ。酔って聴いてなかったなんてのは無しだからな。」
野郎が舌打ちとともにコルクを空ける。不味そうに毒消しの小瓶を飲み干すのを待って
俺は今夜の計画を語り始めた。

 *  *  *

小一時間かけて、俺は計画の仔細を語った。
粗方利き終えた野郎は薄いパンチを一口飲み込み、重たい口を開いた。
「ようやくやる気になったか、畜生野郎が。」
「そのあだ名は今日で終わりさ、今夜俺は生まれ変わる。」
「ふん、その程度でいい気になるな。」
「違うね、今夜決行するのはそれだけじゃない。」
「…なんだと?」

一呼吸置いて、俺はこの計画の最終目的を告げた。
「ぶっかける」
「………なっ…!」
絶句する野郎の前で俺は陶々と続けた。
「盛大にぶっかけてやる、あの柔肌一面にベットリとな。」
「馬鹿野郎!そんなことをして、気付かれずに済むとでも…」
「なぁ…お前言ったよな、どんなお宝だって、冒険をしなきゃ何の価値も無いって、
 もう俺は命なんて惜しくもなんともなくなっちまった。だったらせめて、最後ぐらい、
 この街へ来た目的を果たしても罰はあたらないだろう?
 命を懸けても、やり遂げなきゃいけない冒険が目の前にあるんだ。
 しかも、チャンスは今しかないんだぜ。」
「ケッ、冒険てのはな、結末がわからないからやるもんだ。
 終わりがわかってるのは冒険じゃねぇ、ただの自殺行為だ。
 それになぁ、俺にそんなこと打ち明けて、どうしようってんだ。」

「俺の……墓を、頼みたい。そうさ、お前の言う通り先は見えてるよ、だけど俺はやる。
 だから頼んだぜ、墓石には俺の本名じゃなくこいつを刻んでくれ。
 《Rotten Son Of a Bitch ここに眠る》 ってな!」