地下迷宮を作る。
 その言葉を聞き、そのために雇われることを承知はした。
 それでもなおしばらくの間、マクシーンは、「作る」というのは何かの比喩ではないか
と考えていた。
 無理もない。地下迷宮は、その辺の急ごしらえのバラックとは違うのだ。
 一介の冒険者が、思いつきでおいそれと作れるような代物ではない。

 だが、マンフレッティはその翌日から、リルガミンの地下に隠遁するブラザーフッドの
修行僧たちと接触を持った。
 そして驚くほどあっさりと、あの得体の知れない神秘主義者たちから彼らの寺院の地下を
拡張する許可を得ると、破格の条件で建築家、石工、果ては罠の設置技術者やら人夫やらを
募り始めたのである。
 その頃になってようやく、マクシーンの理解も追いついた。
 マンフレッティは、本気で、国家規模の一大土木事業を始めようとしていたのである。

 狂気は人を惹きつける。
 大き過ぎる「ほら」ほど、他人を巻き込まずにはおれないものだ。
 マンフレッティの下には、実に様々の胡乱な人々が集まった。
 マクシーンより前から彼に付き従っていた五人のレディたちは別格としても、とにかく
異様かついかがわしい山師たちが、この狂気の事業に一口乗ろうと集まってきたのである。

 ドワーフの行商人、酔いどれ魔術師、アヒルのコンサルタントに、ドラゴンズフラゴンの
屈強な石工集団……。
 技術を売り込む者もいたし、自らの夢をマンフレッティの計画に継ぎ足そうとする者も
いた。
 中には、何がしたいのかもわからぬまま、気がつけばマンフレッティと懇意になっていた
ような者もいた。
 彼らの情熱や欲望はすべて、「地下迷宮」という、よくわからない何かの実現へと向け
られていた。その一点だけが共通していた。
 まるでリルガミンに眠っていた大きな力が、マンフレッティという歯車を得て動き始めた
かのように、マクシーンには感じられた。

 さて、マクシーンは戦士である。
 迷宮の礎石を切り出したり、罠を設置したりすることはできない。穴掘り人夫の真似事は、
彼女でなくてもできる。
 そもそも、彼女は何かを作り出すような仕事を生業としてきたわけではない。
 だが、マンフレッティの事業の中にも彼女の仕事はあった。

 主たる仕事は、地下迷宮に必要な魔物を狩り集めてくることだった。
 可能な限り凶暴で凶悪な魔物を、マンフレッティは必要としていたのである。
 人をやって金で済ませることもあったが、彼女でなければ無理な場合も多かった。
 珍獣ハークルビーストの捕獲を任されたときなど、マクシーンがどのような辛酸を舐め、
屈辱を味わったか、それだけでちょっとした冒険物語ができただろう。

 人間を相手にすることもあった。マクシーンのもう一つの仕事である。
 マンフレッティの事業は、控え目に言ってもはた迷惑なものであったし、敵視するものも
多かった。また、これだけ多くの頭のおかしな人間が集まれば、悶着の一つも起こる。
 そうして手荒な対応が必要になると、彼女の出番である。
 荒くれ者ぞろいの冒険者さえ畏怖する「ビッグ・マックス」の名前は、有効に活用された。

 マクシーンはそうした事業の裏の部分を受け持ちながら、マンフレッティに近い立場で、
マンフレッティという人間を観察し続けた。
 この男はいったい何者で、リルガミンに来る以前は何をしていたのか。
 とにかく得体の知れない部分が多すぎる。
 例えば、金だ。マンフレッティはこの馬鹿げた事業のために、惜しみなく金貨をばら撒いて
いた。その無尽蔵の富は、いったいどこから来ているのか。
 貴族か、豪商か。一介の冒険者であったという本人の弁が真実なら、いったいこれまで
どれほどの財宝を手に入れてきたというのか。

 この謎の男の過去を暴きたい。その思いは日増しに強まっていった。
 もちろん、最も手っ取り早い方法は本人に聞いてみることである。
 だが、これはすぐに断念せざるを得なかった。
 試してみたところで、まったくの徒労に終わるとわかったからだ。

 マンフレッティは「リルガミンに戻ってきた」と言っていた。多少なり、この街について
知っている様子からみても、かつてリルガミンにいたことは間違いない。
 リルガミンにいた頃も魔術師であり冒険者であったなら、そして、体の傷が物語るほどに
熟練した存在であったなら、たとえそれが十年やそこら以前のことであったとしても、
昔話の一つとして、同業者たるマクシーンの耳に入らぬはずはない。
 だが、マクシーンはかつてマンフレッティなどという名前を聞いたことはなかった。
 不思議だった。
 だから、知り合って間もない頃に尋ねてみたのである。

「昔リルガミンを訪れたことがあると、言っていたな」
「ああ。生まれは違うが、二度ほど、それなりに長くこの街にいたことがある」
「それはいつ頃の話なんだ?」
「何年前かは覚えていないが、女王が治めていたころのことだ」
「……女王?」
 聞き慣れぬ言葉に、その場では言っている意味がわからなかった。
 そして、しばらくして理解が追いつき、腹が立った。
 駄法螺で煙に巻かれたのがわかったからだ。

 リルガミンが女王を戴いたことは、マクシーンの知る限りただの二度しかない。
 マルグダ女王とベイキ女王。どちらもマクシーンが生まれるよりも遥か昔の話だ。
 どちらのことかと考えるまでもなく、真実であろうはずがなかった。
 「いったい何年生きているつもりだ」とでも受け答えれば良かったのだろうか。話したく
ないならそれはそれで構わないが、絵空事で誤魔化されるのは気分が悪い。

 過去に関する話題は、一事が万事その調子であった。
 事実であろうはずがないことを口にしてお茶を濁す。次第にマクシーンも取り合うのが
馬鹿馬鹿しくなってしまった。

 そう、マンフレッティという男は、大変な「ほら吹き」であった。
 明らかな嘘を、真顔で、平然と垂れ流すのだ。

 例えば、マンフレッティは地下迷宮、魔物、そして、魔法の品々について、実に該博な
知識を持っていた。
 地下迷宮を築く上で必要不可欠なこれらの知識を、マンフレッティは適切に披露し、
説明する。
 それだけならば、見た目に似合わぬ大変な賢者であると、関心もしたかもしれない。
 ところが、マンフレッティはそれらを全て、実際に体験したこととして話すのである。
 中には、彼の冒険者としての実体験に基づく知識もあるのだろう。しかし、遠い昔に
失われた品や魔物についてまで、同じように、目で見て手で触れたものとして語る。
 そうなると、この男の言動の大半はほらで、この男はそういう人間なのだと、納得する
しかなかった。

 ほかにも、人格上の問題点を上げればきりがない。
 口をついて出る言葉もそうだが、行動も概ね出鱈目であった。
 中でもマクシーンを閉口させたのは、女にだらしがない点であろう。
 愛妾を五人も――レディたちのことである――抱えていることからも察せるが、まず
それ以上に、行きずりの相手を節操なく抱き過ぎる。
 容姿も性格も、格別女に持て囃されるものだとは思えない。強いて言えば金離れが良い
くらいか。だから多くの浮名を流すという類のだらしなさではない。単に、来るものを
一切拒まないのである。
 それも、美醜や老若で分け隔てないという程度ではなく、本当に見境がない。
 ある一件があって、彼女はまざまざとそのことを思い知らされた。

 マンフレッティが突然いなくなることは、珍しくなかった。
 それ自体腹立たしくもあるが、その間、地下迷宮の建設に関するあれこれがレディや
マクシーンに押し付けられることになり、その計画性のなさに苛立つ部分もある。
 あるとき、またふらりと消え、そして突然帰ってきたことがあった。
 苦言を呈そうと居室に押しかけ、軋む寝台と、その上でかたまりになって蠢くシーツを
見て、マクシーンは目の前が暗転するほど激昂した。

 最初の晩以来、幾度となく抱かれたことはあった。しかしマクシーンとしては、情婦
ではなく戦士として雇用されたつもりであり、そうであるなら、雇主がどこの女と情を
交わそうとケチをつける道理はない。
 ただ、女とどうこうする前に、一言もなく出かけたことを詫びるなり、留守を任せた
ことを労うなり、自分やレディたちに言うべきことがあるだろうという、そういう話
である。

 だが激情に任せてシーツを引き剥がした瞬間、彼女は怒りを忘れ、ただ呆れ返ること
となった。
 寝台でマンフレッティと睦み合っていた相手を見たからである。
 見覚えのない、新しい娘であったが、それはもはや驚くにあたらない。
 問題は、娘に尻尾が生えていて、毛深い足先に蹄がついていたことである。

 絶句するマクシーンに、マンフレッティは悪びれもせずに言った。
「なかなか愛らしいだろう? グウィライオンというそうだ」
「な……んの、つもりだ」
「迷宮に放つ魔物として買い付けてきたんだがな、は、は、は、止めた」
 マンフレッティはそう言って娘の頭を撫でた。
 グウィライオンは、突然現れたマクシーンに怯え、震えながら、マンフレッティの腕に
取りすがっていた。
 救いを求めるように自分の主人を見上げ、犬歯の突き出た口で、舌足らずに「マ……
ンフ、エ、ティ」と呟く。
 その様子に毒気を抜かれたマクシーンを見て、マンフレッティはにやりと笑った。
「見ての通り、懐かれちまったからな」

 *  *  *

 知ろうとすれば徒労に終わり、理解しようとすれば肩透かしにあう。
 明らかに謎めいた人物であるにもかかわらず、その正体をつかもうとか、過去を暴こうと
することが、ひどく馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
 そういう人間と間近に接し続ける気苦労もあったろうか。
 自分と近い立場にあるレディ・ブレンダに、不満をぶつけてみたことがあった。

 レディたち五人は、マクシーンから見て、自分よりもマンフレッティに近しいと感じる
数少ない存在である。
 マンフレッティの周りに集まる人間は多いが、変わらずその側にいる者は存外に少ない
のだ。
 マクシーン自身と、レディたちと、あとはルビイの魔術師くらいであろうか。
 マクシーンは酒は嫌いではないが、アル中は好まない。したがって、マンフレッティに
ついての愚痴を話そうとすると、相手はレディたちしかいなかった。

「まあ、グウィライオンを?」
「ええ……呆れて物も言えません」
 街路を走る馬車の中。マクシーンは、レディ・ブレンダの護衛として、付き添いについて
いた。

 レディたちの仕事は、マクシーンのそれとは根本的に異なる。
 彼女たちは剣を振るったりはしない。
 彼女たちが働く場所は、もっと華やかで、煌びやかな場所である。
 典雅な社交術と人脈とで、リルガミンの権力者たちと折衝し、あるいは富豪たちの支持を
取り付ける。
 なにしろ街の地下に迷宮を作ろうというのであるから、そういった人種の顔色をうかがう
ことも必要になってくるのである。
 マクシーンが扱う荒事の類を事業の裏とするなら、彼女たちが受け持つのは事業の表。

 高貴で美しく、聡明。そのうえ、意外に強かで、交渉事には辣腕を振るう。
 レディたちは、戦うことしか知らないマクシーンには少々眩しい存在である。
 なぜマンフレッティなどに仕えているのか、本気で疑問に思う。
 だから、懸隔なく付き合うようになってからも、マクシーンは彼女たちに対しては言葉を
改めることにしていた。

「レディたちは、腹が立たないのですか?」
 マクシーンは少しだけむきになって問う。
 ブレンダは、その繊細なつくりの指を唇にあてて、本当に愉快そうに笑っていた。
 マクシーンの愚痴――マンフレッティが魔物を手篭めにしたという話――に対する反応が
それだった。

「ふ、ふ、ふ、だって、余りにもあの方らしいんだもの」
「ですが……その、レディたちがいるのに、見境が無さ過ぎるのでは」
 嫉妬のようなものは、ないのだろうか。
 釈然としない様子でなおも問うマクシーンに、ブレンダは少しだけ居住まいを正して、
真面目な面持ちで答えた。
「そうね。確かに、彼には女なら誰でも愛してしまうところがあるわ」
 そして、艶然と笑って続ける。
「けれど、彼を愛せる女は滅多にいないもの」
 落ち着きと、矜持を感じさせる言葉だった。

 そんな対応の違い一つにも、マクシーンは敗北感のようなものを感じてしまう。
 意地の悪い問いで食い下がってしまったのは、その悔しさの裏返しだろうか。
「つまり、レディはご自分はそういう女だと?」
「の、一人ね。残念だけれど」
 ブレンダはにこやかな、余裕に満ちた様子をいささかも崩さず答えた。
「恋人と呼べるのは六人。それでも多すぎるという意見はあるでしょうけれど、私は他の
五人のことは嫌いになれないの。だって、姉妹のようなものですもの」
 だから許せてしまうのだと、ブレンダは言っていた。

 ふと、マクシーンはその言葉に引っかかりを覚えて問い返す。
「レディたち五人と、……あと一人は誰ですか?」
 内心では、まだ自分の知らない愛妾がいたのかという呆れ半分の思いがあった。
 ところが、ブレンダは意外そうに、しかし、優雅な微笑を浮かべて、マクシーンにこう
答えたのである。
「あら? 私の姉妹の勘定には、あなたも入っているのだけれど?」

 *  *  *

 自分が情婦でないという意識は、戦士であるという自負の裏返しである。
 つまり、体ではなく腕を買われたのだという自尊心であった。
 では、それとは別次元の問題として、自分がマンフレッティの恋人と呼べる存在かどうか
というと、それはブレンダに指摘されるまでは考えもしなかった問題であった。
 確かに抱かれてはいる。今となっては、自分を絶頂に導いてくれる唯一の男である。
 ただそれと色恋の問題は、一応別物であろう。

 R.I.Pの悪夢を見せられて以来、彼女の心を占めているのは、ただ自分の「死」に
関することだけだった。
 それだけを考え、それだけのために生きていた。
 あの恐怖こそが、彼女の恋人であった。

 そのことは、今も本質的には変わらない。
 自分がマンフレッティの側にあり続けるのは、やはり、この男から「死」に類する気配を
感じるからである。
 それは何かと考え始めて、そこでやはり、自分はマンフレッティについてあまりにも何も
知らな過ぎるという事実に行き着く。

 あの男の放つ「死」の匂いは何に由来するのか。
 あの道化の仮面を剥いでみたい。
 マクシーンが死にたがりの女戦士であった頃、自らを追い立てるようにして、より危険な、
より死に近い場所を求めていた。
 その一種の破滅願望と同じものが、マンフレッティに対して向けられた。
 本当に知ってしまったら、恐ろしいものが顔を出す気がする。
 だからこそ、知りたい。
 その欲求はブレンダと話して以降、より切実なものとなった。

 そして、マクシーンはある手がかりに行き着いた。
 地下迷宮が五層に達し、最期の「殿堂」の建設に着工した頃。
 マンフレッティと出会ってから、三年もの長い時間を経た頃のことである。
 一年、二年と、時間をかけて観察していなければ気付けないことに、マクシーンは気付いた。

 マンフレッティは、こと地下迷宮に関しては異常な行動力を見せる。
 見た様子は面倒臭そうであり、退屈そうであり、精力的な、という表現とは縁遠いように
思える。しかし、とりあえずその行動量を見る限りは、およそ怠惰とは無縁であった。
 ただ、極々稀に、それこそ年に一度という頻度で、そうした、彼の取り憑かれたような
行動力が、翳りを見せることがある。
 言葉は少なくなり、血色も悪く、年齢不詳の容貌が一気に老けたように感じられるのだ。
 だが、その様子は一日と続かない。
 部屋に引きこもったかと思うと、何事もなかったように出てきて、それで終わる。

 奇妙といえば奇妙である。
 だから何かと言われれば困るが、表立つ破天荒な言動よりは、その特異点のような行動に
こそ、この男の真実が隠されているように直感された。
 マクシーンは、その瞬間を見計らって、部屋に下がろうとするマンフレッティを追い、
そして彼の居室をのぞいてみたのである。

 秘密の糸口をつかんだという高揚と、ある種の罪悪感とを押し殺しながら、薄く開かれた
扉の隙間に目をあてる。そこから、室内の様子をうかがうことができた。
 中には、マンフレッティ自身にしか用途がわからない類の様々のガラクタが溢れている。
 その一角で、マンフレッティは屈み込み、一抱えほどの大きさの皮袋を探っていた。

 観察を続けていると、彼はそこから小さな石を取り出した。
 そして、それを拳に握りこみ、念じるようにして何事かを呟いたのである。
 瞬間、マンフレッティの全身がぼうっと淡い燐光に包まれた。
 やがて光が消えると、マンフレッティは使用済みの小石を無雑作に、納められていた
皮袋とは別の場所へと放り捨てた。
 それで終わり。ただ、それだけの出来事だった。
 しかし、その束の間の儀式の以前と以後では、マンフレッティの様子に顕著な変化が
あったのである。
 失われていた活力を取り戻したかのように、マクシーンには見えた。

 あの石は、何か特別なものなのだ。
 マクシーンはマンフレッティが去るのを待ち、そして、部屋に忍び込み、彼が石を取り
出した皮袋を探った。
 そこには、彼が使用したのと同じような何の変哲もない小石が、山ほどまとめられて
納まっていた。
 マクシーンはその一つをそっと懐に忍ばせ、マンフレッティの部屋を後にしたのである。

 *  *  *

 迷宮の最下層、地下五階の「殿堂」は、徐々に完成に近づいていた。
 溜息が洩れるほど悪趣味かつ悪質な幾つかの部屋は、既に内装まで終わっている。
 その内のひとつ――完成したばかりの「狂乱の部屋」で、マクシーンは、一人満足げに
部屋の中を見回し、仕上げの確認をしているマンフレッティを見つけた。

 マクシーンは、記憶しているピットの位置を注意深く避けながら、その背中へと近づく。
「納得のいく仕上がりになったか?」
 そう問いかけると、マンフレッティは既にマクシーンの存在に気づいていたものか、
振り返りもせず答えた。
「ああ。悪くない。この部屋にも何か売り文句を考えてやらなければな。
 今思いついたんだが、『今夜はお祝いの踊り』とかはどうだろうな?」
「……相変わらず、趣味が悪いな」
 マクシーンは室内を見渡しながら、うんざりした様子でそう返した。

 現在は照明もあり、各所の回転床も止めてある。
 だから、この部屋は真の姿を現していない。無駄に金をかけた内装とあいまって、貴族の
屋敷のダンスホールのようにも見えなくはない。
 しかし、この部屋が実際に稼動を始めたら、どうなるか。
 一度部屋に立ち入ったが最後、侵入者は回転床で方向感覚を狂わされた挙句、面白いように
ピットに落ちる羽目になるだろう。
 内部構造を知っているマクシーンですら、回避できる自信はなかった。
 まさに、死の罠。狂乱の部屋である。
 先ほどマンフレッティが口にした売り文句は、この部屋に入った者が、そうやって直進する
ことすらできずに自滅していく様を「踊り」に喩えたものなのだろう。

 マクシーンは溜息を吐いた。
「よくも、こんな悪質な罠を考えられる」
「オリジナルじゃあない。昔、ある地下迷宮で回転床とピットが組み合わされているのを
見てね。それの、まあ、発展だな」
 マンフレッティはいつものように、まるで自分が体験したかのように語り出す。

 ほらに慣れたマクシーンは、こうした話が始まると聞き流す癖がついていた。まともに
取り合うだけ馬鹿馬鹿しいからだ。
 だが、今日は違った。
「……どこの地下迷宮の話だ?」
 彼のほらに付き合うかのように、合いの手を入れて続きを促す。
「そうだな。あれはトレボーの……『狂王の試練場』だったか」
「邪悪な魔術師が魔除けを奪って篭ったという、伝説のあれか」
「ああ。かく言うおれも、その魔術師を倒した一人だがね」
「それは凄いな」
「もっとも、当時はそんな奴は何十人といた」
 そこでマンフレッティは大袈裟に肩をすくめて見せる。
「何度でも甦るからな。あいつは」
 そう言って話を締めると、ゆっくりとマクシーンを振り向いた。

 彼女を体の正面にとらえ、先ほどまでの法螺話とまったく変わらぬ調子で、言った。
「今日は、ずいぶん付き合いがいいじゃないか」
 そして、マンフレッティは笑った。
 口の端を吊り上げ、表情は確かに道化めいた笑いを浮かべている。
 だが、目だけは射すくめるように、なんの表情も浮かべずにマクシーンを見ていた。

 この男は、なんと恐ろしい目をするのだろうか。
 マクシーンは本能的な畏れを抱いた。
 その瞳の奥から、何か得体の知れないものが覗いている気がしたからだ。見つめられている
自分が、まるで無防備に感じる。
 彼女は怯え、そして、少しだけ濡れた。
 だが、誤魔化そうとは思わなかった。
 もう少しで、道化の仮面の下に手が届く。

「全部、本当なんだろう?」
 声が震えぬよう、意識してそう聞き返し、そして懐から小石を取り出した。
 マンフレッティからよく見えるようにして捧げ持つ。
「ボルタックは目を回していたよ。初めて本物を見る、と」
 緊張で少しだけ早口になりながら、付け足す。
「この一欠けらで、小さな城が買えるらしい。
 お前のガラクタ置き場に一山転がってると知ったら、卒倒するだろうな。
 若返りの効力があるそうだ。まるで御伽噺だが……」
 マンフレッティは表情を変えず、無言のままだった。
 マクシーンは怯える自分を叱咤しながら、一つの推測を口にする。
「『呪いの穴』や『龍の山』でなら、見つかるかもな」

 ボルタックに石を持ち込み、「若返りの石」という鑑定結果を得た。
 そのことはマクシーンに驚きと、同時に奇妙な納得をもたらした。
 伝説の時代に、伝説の地下迷宮を探索した冒険者たちなら、こうした魔法の品を得る
ことができただろう。
 一山も見つけることができたなら、伝説の時代から今日までの永い時を生き続けることも、
できたかもしれない。
 それが、彼女が導き出した結論だった。

「知りたいのか」
 マンフレッティが口を開いた。ひどく疲れ切った、老人の声だった。
 マクシーンはほんの一瞬だけ逡巡し、そして頷いた。

 *  *  *

 それは、古い物語だった。

 マンフレッティはその昔、狂った王の治める痩せた土地で生まれたという。
 やがて成人した彼は、食うために村を出て行かなければならなかった。
 若いマンフレッティには、金に換えられるものはその身一つしかない。だから、彼は
王のいます城塞都市を目指した。
 死の危険と引き換えに栄光が得られる場所――地下迷宮が、そこにあったからだ。
 学はなかったが知恵はあった。それを見込まれたのか、王の訓練場では初歩の魔術を
一つ二つ叩き込まれ、それだけで魔術師という肩書きを与えられた。
 マンフレッティは冒険者になったのである。

 その後のことは長い話になる。
 ただ、ほんのささやかな幸運の積み重なりが、彼と、彼と同じ境遇にあった何百、何千の
若者たちの命運を分けた。
 彼は邪悪な魔術師を討ち、魔除けを取り戻し、狂王の近衛兵になった。

 だが、その頃にはもう、マンフレッティは近衛の栄華を楽しめる人間ではなくなっていた。
 薄暗く、黴臭く、汚わいに満ちた地下迷宮。
 そこで、殺し、殺され、一握の灰になる危険と隣りあわせで過ごした日々は、彼を、彼の
仲間たち同様、ある種の中毒者にしてしまっていた。
 彼らは地下迷宮に取り憑かれていたのである。

 まだ見ぬ迷宮と、恐ろしい罠と、凶悪な魔物を求めて、マンフレッティは各地を流離った。
 地下迷宮を探し出しては、潜る。気の遠くなるような繰り返し。
 やがて年老いて、頭髪が抜け落ち、腰が曲がり、脚が萎えてからも潜り続けた。
 肉体は見る影も無く衰えていたが、魔術師であることが幸いした。
 ボロボロの体を引きずってでも、魔法の力でなんとか戦っていくことはできた。

 それは自殺のようなものだったかもしれない。
 だが、地下で死ぬのは恐ろしくなかった。
 怖いのは、ある日馬小屋で深い眠りに落ちて、そのまま目覚めることなく、冷たい骸と
なっていることだった。老い衰えた彼は、それだけを恐れた。
 安穏な寝藁の上で死ぬのは、嫌だった。
 地下で死にたい。
 悪辣な罠や、醜悪な化け物どもとの命のやり取り、あの究極の娯楽の中で死にたい。 

 そこまで語ったときに、マンフレッティはぼそりと、独り言のように呟いた。
「そうでなければ、あいつらに、なんて言われるかわからないからな」
「……あいつら?」
「昔の仲間さ。もう、顔も名前も思い出せない。なにしろ、灰の一粒も残さずに消え失せ
ちまったからな。
 二、三人だったか、それとも十人くらいはいたか。それすら覚えちゃいないんだ。
 そういう連中がいたのは、確かなんだが」
 マンフレッティは何かを追憶するように、視線を宙にさ迷わせた。
 その様子は、まるで磨耗しきった老人のようだった。

 最初にリルガミンを訪れたのは、その頃だった。
 彼は「呪いの穴」に挑み、そして、そこで魔法の石を見つけた。
 若返りの石。それは、無限の迷宮探索を可能にする。
 マンフレッティは夢中になって集めた。
 伝説の地下迷宮には果てしなく宝が湧く。人生を費やす覚悟と、危険を顧みない愚かささえ
あれば、どんなに貴重な品でも無数に手に入れることができた。
 やがて、彼は彼の飽くなき執着を満たすほどの若返りの石を手にしたのである。

 そしていずれ「呪いの穴」も制覇してしまうと、マンフレッティは再び流浪の旅に出た。
 ただひたすら地下迷宮を探し、潜る。
 老いては若返り、そしてまた地下迷宮を探し、潜る。
 そのうち、再びリルガミンに戻って「龍の山」に登ったこともあったが、彼にとって、
どこのどの地下迷宮を、なんのために探索するかなどという事柄は、もはやどうでもいいことと
なっていた。

 だが、彼の時間は果てしなくとも、地下迷宮の数には限りがある。伝説の時代は終わりに
さしかかり、遂に潜るべき地下迷宮がなくなってしまった。
 マンフレッティは途方に暮れた。
 どうしたら、また再び地下迷宮に潜ることができるか。
 考える時間は無限にあったから、ひたすらそれだけを考え続けた。
 やがて結論が出た。思いついてみれば、それはまったく当たり前の話だった。
 なければ、自分で作ればいい。

 彼は気の遠くなるほど長い時間をかけて蓄積した富と狂気とを携えて、自分の地下迷宮を
築くに最も相応しいと思える場所、彼が二度も地下迷宮の探索を経験した、このリルガミンへと
戻ってきたのである。

 *  *  *

「もうすぐ、完成する」

 マンフレッティはそう結んだ。
 長い話を聞き終えたマクシーンは、わかりきったことながら、尋ねざるをえなかった。
「完成したら……潜るのか?」
「ああ。おれは、おれの地下迷宮に潜る」
「死んでしまうぞ」
「ああ。死んでしまうな」
 マンフレッティは頷き、そして熱に浮かされたように語り始めた。
「ブレスに焼き尽くされるか。一瞬で首を刎ねられるか。ピットで体中を槍衾にされるのかも
しれないし、石の中で緩慢に窒息してゆくのかもしれない。
 そうして、おれは力尽きる。この黴臭い迷宮の底で、大いなる眠りを貪るんだ」
 その声には、どこか甘い響きが込められていた。
 まるで、恋を覚えたての少年が、自分の理想の女性について語っているようにさえ見えた。

「それが娯楽か」
「ああ。それが、娯楽だ」
 そして、マクシーンは理解した。
 なぜ、マンフレッティからは、あんなにも濃密な死の匂いがするのか。
 なんということはない。マンフレッティ自身が、死者だったからだ。
 マンフレッティという男は、とっくの昔に死んでいた。
 ただ己の墓穴を掘るためだけに、仮初の情熱でその骸を動かしているに過ぎないのだ。

「そのときは、私も連れて行け」
 マクシーンはそう呟いていた。
 言ってしまってから、少しだけ、自分のその言葉に驚く。
 だが、冷静に考えてみても、やはり間違いはなかった。

 かつてマンフレッティは、自分の娯楽に付き合ってくれる人間を探していると、そう言って
彼女に声をかけた。そして、彼女はそれを承諾したのだ。
 あれから長い時間をかけてマンフレッティという男を探り、そして今、少しばかりの驚き
をもってその正体に辿り着いた。しかし、考えてみれば結論は何も変わりはしない。
 彼女もまた、死に憑かれた人間だ。どのみち彼女の生き方では、いずれ遠からず死ぬことに
なるだろう。ならば、この男と、この地下迷宮でそうなるのも悪くはない。

 マクシーンは笑った。
「お前の娯楽に付き合えるのは、私くらいだ」

 *  *  *

 それ以来、マクシーンの中で何かが吹っ切れた。
 一度死んでからずっと見続けていた悪夢が、こういう形で決着するのだと、妙に納得
できたのである。
 彼女はその日がくるのを、指折り心待ちにさえした。

 殿堂が完成するというその日、マクシーンは一人で狂乱の部屋にいた。
 「開店」に向けて、ドワーフの石工たちは突貫工事で最後の仕上げを行っている。
 明日にも、すべての罠が起動され、すべての魔物が解き放たれるだろう。
 この部屋は、この迷宮すべては、もはや正気の人間にはうろつくこともできないような
死の世界に変貌する。
 そして、殿堂は最初にして最後の客を、殿堂の主その人を迎え入れるのだ。

 * ズン チャッ チャッ! *

 どこからか音楽が流れてきた。
 軽快な舞曲であった。
 例によって、マンフレッティの悪趣味な思いつきでこの部屋に付け加えられた趣向のひとつ
だった。
 まったく気違い地味ている。マクシーンは思った。
 彼の狂気を理解することも、彼の娯楽に付き添うことも、同じく「死」を知る自分にしか、
できはしないだろう。
 レディたちにだって、荷が重過ぎるというものだ。

 * ズン チャッ チャッ! *

 そう考えて、わずかに高揚している自分がいた。
 耳に届く奇妙な旋律が、不思議と心地よい。
 ここで、マンフレッティとマクシーンは死の舞踏を踊るのだ。
 そんな夢想に浸る。

 * ズン…… *

 音楽が止まった。
「誰だ?」
 人の気配を察知し、マクシーンは声を荒げる。
 自分の痴態を見られてしまったような、気恥ずかしさがあった。

「ここにいたのか」
 現れたのは、マンフレッティだった。
「最後の、確認をしていた」
 マクシーンは昂ぶりを悟られぬよう、努めて冷静にそう答える。
 マンフレッティが、ゆっくりと歩み寄ってきた。
 その様子には、なにひとつ普段と変わるところはない。とても、明日にも死にに行く者には
見えなかった。
 もっとも、この男はそういうものだろうと、マクシーンにはわかっていた。
 自分だけ浮ついているようで、多少腹立たしくはあるが。

 マンフレッティがさらに近づいてくる。
 彼の纏う「死」の匂いが、むっと鼻を突くほどの近さになった。
「どうした?」
 そう尋ね返す。予想を越えて縮まった彼我の距離に、思わず囁くような声になった。
 ふと、肩に手をかけられ、ぐいと引き寄せられた。マクシーンの長身が、手もなくよろめき、
マンフレッティの胸の中に倒れこむ。
「お前を抱きに来た」
 耳元でそう呟かれた。

 そして、息苦しいほどきつく抱き締められた。マクシーンは弱々しい抵抗の声をあげる。
「や……めろ、こん……な、ところ、で」
 体の芯に、すくみ、萎えるような震えが走った。

 マンフレッティの腕の中は、安堵や安らぎとは無縁の場所だ。
 冷たい何かに取り込まれ、侵され、蹂躙されるような感覚は、いつもマクシーンを怯え
させる。
 それは、首を絞めながら犯された最初の夜からずっと変わらない。
 だからこそ、マクシーンは幾度も抱かれ、数限りなく絶頂に導かれてきたのである。

 だが、今日は少しだけ勝手が違った。
「ん、ふっ」
 耳朶を優しく噛まれ、甘い鼻息を洩らしてしまう。
 かつてのマクシーンなら、暴力的な殺意を伴わない、こんな愛撫で感じることはなかった
だろう。
 しかし、マンフレッティは数え切れないほどマクシーンの体をこじ開け、快楽を刻み付けて
きた。そういう男にされているという事実が、呆気なくマクシーンを陥落させる。
 まるで「死」を知る以前に戻ったように、マクシーンの心を緩ませるのだ。

 ぴちゃり。
「っあ、あ、」
 襟元をはだけられ、鎖骨に舌を這わされた。
 粘膜の通った跡が、まるで弱い酸を浴びたかのようにじんじんと痺れる。
 マンフレッティの一方の手が、マクシーンの胸に伸びた。
 チュニックの薄い麻布の上から、乳房が揉みしだかれる。
「……くはっ」
 食い込んだ指の先が突端に触れて、マクシーンはぴくりと撥ねた。
 まるでその反応が呼び水になったかのように、胸の先からじわりと官能が広がる。
 爪弾くような執拗な指使いに、マクシーンは立て続けに、短く息を喘がせる。

「ふ……ん……ふっ……んん、」
 密着したまま、体のあちこちをまさぐられる。
 蕩けそうな快楽に全身を委ねたいのに、着衣の上からなのがなんとももどかしい。
「あ」
 ふと、マンフレッティの体が離れた。
 マクシーンは恨めしそうにその顔を追う。
 彼の空虚な瞳に、暗い情熱が宿っていた。
 彼女は、同じくらい暗鬱な熱を帯びさせてその瞳を見つめ返す。
 体の奥で燻り始めた肉欲の炎は、もう隠しようもなかった。

 マンフレッティはマクシーンを見つめたまま、自分の帯を解き、ローブを脱ぐ。
 マクシーンもそれに呼応して、マンフレッティの瞳に見入ったまま、己の上着を脱ぎ
放った。

 しなやかな女戦士の体が晒される。
 マクシーンは、自分の身体が凝視されているのを感じた。
 傷だらけの身体を視姦されている。それだけで、彼女の乳首は尖り、腰は震えた。
 マクシーンもまた、熱っぽい瞳でマンフレッティの裸体に見入る。
 古木のように硬い体。そこに、無数に刻み付けられた傷。
 そのどれもが、長い時間の中で、何度もこの男の命を奪ってきたものなのだ。
 マンフレッティが越えてきた死の山脈に思いを馳せ、マクシーンの花芯が濡れた。

 そのまま視線を落とし、そして、隆起したそこに釘付けになる。
 精悍にそそり立つそれは、とても齢が百を越えた人間の物とは思えなかった。
 自分が男を欲情させている。そのことに、マクシーンは安淫売のような愉悦を感じる。
 マクシーンはそこに吸い寄せられるように、膝を落とした。
 主人の前の奴隷のように、迷宮の石床に跪く。そして、禍々しい肉根の前に自分の顔を
導いた。

 もし、迷宮に残っているドワーフの誰かに見られたら。そんなことが脳裏をかすめる。
 だが、そう考えたときには、既に肉根を咥えこんでいた。
 熱い。口内が焼け付くように熱い。
 マクシーンはその熱を味わうように、ねっとりと舌を絡ませる。

 ぴちゃ。じゅぽっ。ぴちゃ。
 派手に音をたてながら、舐め、そしてすすり上げる。
 そうしたほうが男を喜ばせると知っていたからだ。
 そして、そうやってはしたなくしゃぶり上げるという行為によって、マクシーン自身も
また、口の中の物を切実に求めている己を自覚する。
 もはや他のことは何も考えられなかった。
 首から上は、ただただ男の肉根に奉仕することに夢中で、それだけに没頭していた。
 空いた手が我知らず股間に伸びる。
 革のパンツの上から、熱く滾った女陰をまさぐり、擦り上げる。
 男に奉仕し、自分を慰める行為に、マクシーンは我を忘れた。

 すると、没我のマクシーンの頭にマンフレッティの手が伸びた。
 緩やかに前後する頭部を、いとおしむように撫で、そのまま耳を、顎を伝い、首元へと
降りる。
 マクシーンの首筋。
 情交の度に絞められ、何度も男の手の形に痣をつけられたそこは、自分でも驚くほど敏感な
場所だった。
 マンフレッティの指先が、かりりと、いつも手を添えるその場所を引っ掻く。
「――っ!」
 マクシーンの体が、おこりにかかったように震えた。
 喉の奥深くまで飲み込んでいた肉根を、思わず吐き出してしまう。
「ぷはっ、んっ! んあっ! んんはぁっ!!」
 信じられないことが起こった。
 首筋を、ほんのわずか引っかかれただけで、マクシーンは絶頂してしまったのである。
 マクシーンの美しい背筋が弓なりに反り返り、その強張った姿勢のまま、断続的な痙攣を
繰り返す。
 びくっ、びくっ、と、最後の余韻を振り絞ると、マクシーンは床にへたり込んでしまった。

 朦朧とした意識のまま、男の手に導かれ、立ち上がる。
 そして、壁に手をついて尻を突き出す格好をとらされる。
「――はぁっ、――はぁっ」
 荒い息と共に緩やかに上下するマクシーンの背中は、流れ落ちる汗でぬめらかに輝き、
律動する背筋をひどく野性的で、美しく見せていた。

「んぁっ!」
 呼吸を整え終わるより早く、再び鳴かされた。
 マンフレッティの手が、背中の筋に沿って、そっとなで上げられたのである。
 手はそのまま無遠慮に体中を撫で回し、ひくひくと震える脇腹を越えて、腹面に回りこみ、
両の乳房を下から揉み上げていく。
「ふぅっ、……んっ、……ふぅん」
 マクシーンは鼻を鳴らした。
 ごつごつとした掌の感触が心地よい。

 ちろり。
 突然、頸部から肩にかけてを舐め上げられた。
 マクシーンに「死」を与えた、あの深く醜い傷のある場所。
 その薄い皮膚を、丹念に丹念に濡らされる。

 マクシーンは、不思議な恍惚を味わっていた。
 自分の体の最も醜い場所を愛撫される。それは芯に響くような穏やかな快感だった。
 そこを愛してくれるのは、この男だけなのだ。そんな思いがよぎる。
 傷があっても愛するとか、傷が気にならず愛せるとか、そういう男ならば、探せばいるの
かもしれない。だが、そういう問題ではないのだ。
 「死」が刻み込まれたそこを愛撫できるのは、やはり「死」を知る人間でなければならない。
 陶然となりながら、そんな考えがよぎる。

 しばらくそうされていたろうか。
 やがて、男の舌が離れる。
 そして、乳房に添えられていた手が、ゆっくりと腹部に下ろされていった。

「ん、」
 いやましに期待が高まる。
 男の手がマクシーンのベルトにかかり、それを手早く、器用に外してしまうと、革のズボンを
ゆっくりとずり下ろしていった。
「うあ……」
 声が出た。
 股間に張り付いていた生地が離れるときに、マクシーンの濡れそぼったそこから、だらしなく
愛液が糸引いたのを感じたからだ。
 なんていやらしい。
 男にも、マクシーン自身にも、淫乱な自分を見せ付けてしまったようで、羞恥に震えた。

 そして、ズボンが膝まで下ろされたところで、マンフレッティの手が離れた。
 ぐにゃり。
 一瞬の間を置いて、マクシーンの双臀が荒々しくつかまれる。
 筋肉と脂肪が絶妙の配合で入り混じった尻肉は、マンフレッティの指を深々と埋め、同時に
弾くようにそれを押し返す。
 マクシーンは、鷲掴みにされた尻肉が、まるで何かをねだるように、ふるふると悦びに
打ち震えるのを止められなかった。

 来る。そう直感した。
 ずにゅり。
「う、うあああああぁっ!」
 マクシーンはあられもなく叫んだ。
 なんの予備動作もなく、溜めもなく、貫かれた。
 濡れて、緩んで、蕩けていた肉弁は、むしろ吸い込むように易々と、闖入者を迎え入れて
しまう。
 だが、器の準備ができているということと、その持ち主の心構えができているということ
とは、必ずしも一致しない。
 マクシーンは突然叩きつけられた暴力的な快楽に、意識が吹き飛びそうな衝撃を受けていた。

「ひっ、んん、んんふっ、はっ、んっ、ふあぁぁっ」
 自分の最奥まで打ち込まれた肉杭が、ずるりと抜き出され、そしてまた打ち込まれる。
 マクシーンはその動きに翻弄された。
 腰が打ちつけられる度に、全身に衝撃が走り、バネのように撓む。
 快楽が頭まで突き抜け、五感を痺れさせる。
 ぎりぎりと、壁についた両手に力を込める。
 そうしていないと、自分がばらばらに砕けてしまいそうだった。

「んっ! んはあっ! ふっ! んうあっ!」
 男の動きに合わせて楽器のように音を鳴らしながら、マクシーンの意識は快楽に染まって
いった。
 痺れるような官能の中で、マクシーンの体の芯がきゅっと締まる。
 辛うじて残された自我が、朦朧とした思考を始めた。
 自分はマンフレッティを求めている。
 彼女の体の反応が、何よりも雄弁にそれを語っていた。
 その感情は、なんなのか。

 愛しているのかと言われたら、否定はしない。そういう要素も、あるだろう。
 だが、自分とこの男との間にある結びつきは、もっと強固で醜いものだと、彼女は感じて
いた。
 それは同じ経験に根ざしている。自分とマンフレッティとでは、量も程度も異なるかも
しれない。しかし、同質のものだ。同じ、「死」にまつわるものだった。
 それは、同じ傷を負い、同じ娯楽を知るもの同士の、切実な結託なのだ。

 絶えず考え続けてきたそれらの物事が、明晰に言葉にはできない一塊の意味として、
犯されるマクシーンの心に浮かぶ。
 そして、それは一つの狂おしい欲求となって、彼女の口から迸った。

「く、……首を……し……め、て」
 夢中になって振り返り、喘ぐ吐息の下からそれだけを紡ぎ出す。
 恍惚が死に漸近するそのやり方は、マクシーンに絶頂を教えた。
 そして、おそらくはそういうやり方でだけ、マンフレッティも達することができる。
 だから、その行為自体は、それがいかに異常なやり方であろうとも、少なくとも二人に
とっては常のことであった。
 だが、それをマクシーンから求めたのは初めてだった。

 背後から差し伸ばされた男の手が、マクシーンの首に絡みついた。
「んぐっ……か、はぁっ……」
 絞まる。
 それは麻痺と苦痛と、頭がおかしくなるような快楽とをもたらす。
 マクシーンは狂ったように腰を振りながら、締め上げられた喉の奥から苦悶の声を
搾り出した。
 殺してくれ。
 私を殺してくれ。
 そんなどうしようもない欲望が、マクシーンの内で燃え上がる。

 すると、男の手に篭る力が増した。
 まるで自分の願望に答えるような動きに、マクシーンの膣肉がぎゅっと締まる。
 そして、彼女の耳元で声が囁いた。
「殺してやる」
 それを聞いた瞬間、マクシーンの視界が暗転した。
 彼女の中で何かが弾けた。
 全身から汗が噴き出した。
 びしゃっ。
 貫かれたままの陰唇から、小水が飛び散った。
 そのままだらだらと内股を伝い垂れ落ちる。
 マクシーンは白目を剥き、失禁し、絶頂し、そして気絶した。

 *  *  *

 暗闇の一室で、二人の男が酒を酌み交わしていた。

 一人は、真紅のローブに身を包んだ赤ら顔の男。
 見るからに年老いているが、それは度を越した深酒で内臓をやられているためかもしれない。
実際は、存外若いようにも思えた。
 もう一人は、道化のような衣装を纏った男。
 顔立ちは若いが、枯れ果てた物腰が老人のそれだった。こちらは逆に、見た目よりも年老いて
いるのかもしれなかった。

「そいつはおそらく……聖なる側面にかかわる場所だ」
「たぶんな。なんてことはない。おれはブラザーフッドの連中に利用されていたわけさ。奴らの
ための通り道を、作ってやったようなものだ」
「それでも、行くんだろう?」
「ああ。それでも、地下迷宮だ。やっと見つけた、地下迷宮なんだ。
 知らない地下に踏み入るときは、いつだって恐ろしい。暗闇の中に何かが潜んでいると思うと、
肝が冷える。こうしてそれを想像してみるだけで、いてもたってもいられないんだ。
 ルビイ。それは殿堂では……おれの殿堂では、味わえないことだったんだよ」

 そして、会話が途絶えた。
 二人の老人はしばらく黙々と酒杯を傾けていたが、やがて真紅のローブの男が口を開いた。
「気をつけてな、マンフレッティ」
 マンフレッティは笑った。切なく優しい笑みだった。

 *  *  *

 マクシーンは、いつも情交の後の朝はそうであるように、朦朧とした意識で目を醒ました。
 一瞬、何年も前の蘇生の記憶と混線して、心配そうにのぞきこむ仲間たちの顔を探して
しまう。これもまた、いつもの通りであった。
 そして、夢うつつの中でしばらくたゆたった後で、ゆっくりと身を起こす。

 寝台の上だった。
 娯楽の殿堂の中の、従業員用の――つまり罠はしかけられていない――一室。
 ふと、昨夜のことを思い出す。
 どうやら、わざわざ狂乱の部屋からここまで運び込んでくれたらしい。
 そこで、自分の身がすっかり清められていることに気付いた。汚れた衣服はすべて脱がされて、
体液などの跡も綺麗に拭い取られていた。そんなことはまったく初めてのことであったので、
少しだけ驚く。

 ガンガン。
 戸を叩く音がした。
 急き立てられるような様子に苛立ちながら、寝台から降りて、被っていたシーツを身に巻き
つける。
 さすがに全裸で応対するわけにはいかないが、この程度隠してあれば十分だろう。
 至って彼女らしい、無防備な思考でそう考え、そして扉に向かう。

 木扉を開くと、一人のドワーフが、室内に転がり込んできた。
 見慣れた顔だ。ドラゴンズフラゴンの職人の一人である。
「どうした」
 マクシーンが問いかけると、ドワーフはせわしなく室内を見回した後で、おずおずと
切り出した。
「へえ、その、マンフレッティの旦那の姿が見当たらないんで」
 一瞬、その言葉を耳にしたマクシーンの心に、かすかな小波が立った。
 いわれのない胸騒ぎのようなもの。
 彼女はそれを咄嗟に押し殺す。なに、あいつが決まった場所にいないのはいつもの
ことだ。どうせどこかをほっつき歩いているのだろう。そう言い聞かせる。

 そして、別のものに意識を向けようと、ドワーフに問うた。
「急な用なのか?」
 場合によっては、マンフレッティが見つかるまで自分が対応しなければならない。
「へえ、あのう、昨日報告した件について、まだ指示を伺ってなかったんで」
「昨日? 報告?」
 そんな話は聞いていない。マンフレッティは何も言っていなかった。
 仕上げの工事で何か問題でも発生していたのだろうか。
 魔物が逃げ出したとか、罠が誤作動したとか。あるいは、また温泉でも掘り当てて
しまったのかもしれない。

 物問いたげなマクシーンの表情を見て、ドワーフは言葉を続けた。
「聞いてねえですかい。迷宮を掘り当てちまった件でさあ」
 迷宮を掘り当てた。
 これは少々理解に時間を要する話だ。
 この殿堂自体が迷宮であるわけだが、つまり工事の過程で、それが別の、さらに地下に
あった迷宮とつながってしまったということだろう。
 その事実にようやく辿り着き、小波だった胸騒ぎが無視できないほど大きなうねりに
なってマクシーンを襲った。

「……な、に?」
 新しい地下迷宮が見つかった。
 マンフレッティが見当たらない。
 この二つの事実は、いったい何を意味するのか。
 ある一つの解答が浮かぶ。マクシーンはそれが浮上してくるのを必死で妨害しようと、
あらゆる別の可能性に思いを馳せた。
 だが、結局のところ、彼女はマンフレッティという人間をよく理解していた。
 考えれば考えるほど、最初に浮かんだ解答こそが正解なのだという、嫌な確信が深まる
ばかりだった。
 彼は地下迷宮というものを求め、それが世に見出せなくなったがゆえに、この殿堂を
作った。ならば、もし別の、本物の地下迷宮が見つかったらどうするか。
「一人で、行ったのか」
 呆然と、そう呟いていた。

 *  *  *

 一日が経ち、二日が経ち、一週間が経っても、マンフレッティは戻らなかった。
 娯楽の殿堂は、その最初の招待客となるはずだった人間を欠いたまま、レディたちの
手によってひっそりと開店された。
 マクシーンはというと、ブレンダに請われるままに、その殿堂の門衛となった。

 マンフレッティの後を追い、新たに発見された地下迷宮――地下六階以降に潜ろうと
考えなかったわけではない。
 だが、すぐに思い直したのだ。

 もし、自分まで探索に行ってしまったら、この殿堂はどうなる?
 ここはマンフレッティがその心血を注ぎ、狂気を傾け、自分やレディたちとともに築いた
理想の地下迷宮だ。だからあいつは、いずれ必ず帰ってくる。
 そのときまで、殿堂を守る者が必要だ。

 しようのない男だ。マクシーンは思った。だが、留守を預かることには慣れている。

 彼女は、マンフレッティが戻ってくることを疑わなかった。
 マンフレッティは常人の何倍もの長い時間を死にそびれてきた男なのだ。そんな男が、
あっさり死ぬなどとは考えられない。
 それに、彼が死ぬ場所はここしかないのだ。
 この殿堂は、マンフレッティに究極の娯楽の中での死を与えるために、それだけのために
築かれた場所だった。
 ならば、死ぬときはここに戻ってきて死ぬはずであるし、戻ってきていないということは
まだ生きているということである。そうでなければ、おかしい。

 そうして、マンフレッティが姿を消して、数え切れないほどの夜を越えた。
 それでもなお、マクシーンの確信は揺るがなかった。
 濁った水の底に少しずつ澱が溜まっていくように、むしろ時を経るごとに、確信は深く、
強くなっていき、やがてそれは彼女の中での真実となっていった。

 *  *  *

 目の前の冒険者たちの顔には、一様に不安と怯えと、そしてほんのわずか、期待するような
表情が浮かんでいた。
 「娯楽の殿堂」という言葉に良からぬ妄想を働かせているのかもしれない。
 そこまで愚かではないにせよ、この殿堂の奥に、なにか――宝物や、少なくともその
手がかりのようなものがあると考えているのかもしれない。

 マクシーンはフルフェイスの奥で、低く、暗く、くぐもった笑いを洩らす。
 彼らに教えてやらなければならないだろう。
 ここがどういう場所であるか。

 生に倦んだ男が、自らのためにこしらえた墓標。
 ここは、ただそれだけの場所なのだ。
 得られるものなどあるはずもない。失うことが目的の場所なのだから。
 マクシーンは、まるでレディたちに接するときのような丁重な口調で、迷い込んだ彼らに
たった一つのことを告げる。
 ここに足を踏み入れるということが、どういう結果をもらすかということを。

「死んでしまいますよ」

 そして再び、フルフェイスの奥で低く笑った。

 墓標は時を刻まない。
 地下迷宮の凍りついた時間の中で、埋葬されるべき死者の到着を待ち続ける。
 空しく口を開いた墓穴を閉ざすこともできず、朽ちることも許されず、ただ長らえ続ける。
 マクシーンも待ち続ける。
 いつか戻ってくるマンフレッティの、最期の娯楽に付き合ってやるために。

(おわり)