洞窟の暗闇は……

 山奥の如し……

 その先に待つのは……

 ……青く澄んだ泉

 *  *  *

 暗い。寒い。
 底の知れぬ黒暗淵を、どこまでも落ち続けていた。
 凍てついた意識の中、体の表面が小波立つ奇妙な感覚だけが通り過ぎてゆく。
 やがて五感は完全に失われ、肉を持たぬ純粋な自我に還元される。
 刹那、光が射した。
 見上げると、はるか頭上彼方に、泉の表面を突き抜けた青い光が朧々と映っていた。
 その光がたちまちに拡大し、迫り落ちてくる。
 いや、そうではなかった。輝く水面に向けて、わし自身が浮上しているのだ。

 眩しい。しかし、不思議と暖かい。
 水の力がわが身を押し上げるのを感じる。
 五感が戻っていた。
 同時に、失われた肉が、急速に、別の形に再構成されてゆくのがわかる。
 体表が泡立ち、瑞々しい、張りのある皮膚が張られてゆく。
 縮こまったか弱い四肢。しかし、その内には確かな生命力が宿っていた。
 羊水にたゆとう胎児の如く、
 再び生まれ出ずることの歓喜が、全身を満たしてゆく。

 とぷん。
 拍子抜けするほど軽い音を立てて、わしは水面に浮かび上がった。
 口を開き、大きく息を吸い込む。
 生まれ変わったばかりの肺は、初めての大気を受け入れ、喜びに打ち震える。
 饐えた地下迷宮の空気であるはずが、まるで澄んだ高原のそれのように新鮮に感じる。
 息を吐きながら右手をかざした。
 まじまじと見つめた我が手は、皺深く枯れ木のようだった記憶の中のものとは似ても似つかぬ。
 ぼうと灯るロミルワの輝きをつややかに照り返し、流れる血潮に紅く染まっていた。
 
 成功だった。
 数えるほどの高位の賢者たちのみが成し得たとされる再生の秘儀。
 それを、「呪いの穴」の神秘の力を借りてとはいえ、わしは達成したのだ。
 握り締めた右拳に力がこもる。
 腹の奥から、会心の念が沸き起こってきた。
 わしは誰憚ることなく、その思いを言葉に乗せて、生まれ変わって初めての第一声を発した。

「ばぶう」

 *  *  *

 あらゆる魔術を体得し、知識を極めた。
 当代の賢者よともてはやされ、名声も得た。
 望めば、金も地位も好きなだけ手に入れることができたじゃろう。
 しかし、老境にさしかかった今、本当に欲しいものだけは、取り戻すことができなかった。
 それは、「若さ」。
 いかな賢者といえど、失われた若さへの執着だけは捨てることができぬ。

 わしはあらゆる文献を探り、秘宝を集め、若返りの秘術を見出そうとした。
 だが、独力では結局、その一端すら解き明かすことができなかった。
 途方に暮れたわしは、藁にもすがる思いでこの「呪いの穴」にやってきたのだ。

 地下迷宮には、しばしば人知を超えた神秘が宿る。
 先にワードナが地下十層の大迷宮を築きその最下層に篭もったのも、
 魔除けの力の解明にこの神秘を利用しようとしたからに他ならぬ。
 そうであるなら、地下迷宮でならば、若返りの秘術の鍵もまた見つかるかもしれぬ。

 生憎ワードナの地下迷宮は既に主を失い、トレボー王によって封ぜられ、
 大規模な改修を施されている最中であった。
 しかし、そこに頃合よく、リルガミンで「呪いの穴」が開いた。
 ダバルプスほどの力ある者が、その生命を賭して封印を解いた大迷宮。
 隠遁生活を捨てて挑む相手としては、不足はない。

 わしは冒険者どもに混じって「呪いの穴」の探索を始めた。
 ニルダの杖やら、ダイアモンドの武具やらは、どうでもよかった。
 今更騎士の称号が欲しいとは思わぬし、リルガミンが滅びようと知ったことではない。
 ただただ、若返りの秘術を求めて。
 そして、「呪いの穴」の地下四階で、まさに求めていたものを見つけた。
 青き泉。その不可思議な効能の一つこそ、「若返り」にほかならなかった……。

 *  *  *

「ばぶう」
 わしはもう一度声をあげた。
 ……ううむ、さすがにちと若返り過ぎたやもしれん。
 泉から抜け出し、脇に放っておいたローブを羽織る。
 羽織る、というよりは、くるまって引きずるような態になってしもうた。
 おまけに立ち上がろうとすると、直ぐに膝が折れて尻餅をついてしまう。

 弱ったのう。
 諦めて、はいはいで泉の周りを回ってみる。
 歩けないのは困りものだが、若返った体の具合はすこぶる良い。
「だあだあ」
 思わず笑みがこぼれた。ついでに、涎もこぼれた。
 ……泉の副作用で、ちいとばかり知性も退行してしまったのかもしれぬ。

 そんな調子で動き回っていたのがまずかった。
 とっととマロールで安全な地上に戻っておくべきだったのだ。
 泉に至る通路、その角を曲がったところで、
 わしはばったりと出くわしてしもうた。
 殺気立った一団。
 それは、地下四階を探索中の冒険者どもだった。

 *  *  *

 迷宮の角で鉢合わせ。
 わしにとってもそうじゃったが、冒険者どもにしても不意をつかれた格好じゃろう。
 ところが、奴らはこちらの出方を確認する素振りすらなく、唐突に剣を抜いてわしを取り囲んだ。

 ……なるほど、こやつらは《悪》の冒険者というわけか。
 まったく冒険者、とりわけ《悪》の連中は始末が悪い。
 とにかく刃物を振り回せばなんとかなると思っておる。
 こんないたいけな赤子に問答無用で切りかかってくるとは、つくづく嫌な連中だわい。

 先頭に立って手刀を振り上げたものの姿格好を見て、わしは更に確信を深めた。
 黒い、体に密着した仕立ての異国風のローブ。
 その姿で、丸腰で、しかも前衛となれば、これはもう忍者しか考えられぬ。
 忍者がおるなら、十中八九《悪》の戒律と見て間違いなかろう。

 さて困った。
 並みの冒険者風情に遅れをとるつもりはないが、忍者相手となると事情は変わってくる。
 奴らはその奇怪な体術によって一撃でこちらの首を撥ねてくるから、油断ができない。
 ましてやこちらは赤ん坊の体。なるべくなら一発でケリをつけたい。
 しかし、「呪いの穴」の地下四階までやってくる手合いがティルトウェイト一発で片付くとも思えぬ。
 となるとハマンしかあるまいか……こんな奴ら相手に代償を支払うのはなんとも業腹じゃ。

 その一瞬の逡巡が先手を許してしもうた。
 忍者が更に一歩間合いを詰め、手刀を振り下ろす……かに見えた。
 が、忍者は振り上げた手から力を抜くと、後続の戦士たちを押し留めるように真横に伸ばす。
「よせ」
 黒装束の忍者の口から、よく響く女の声が漏れた。
「お、おい」「なんの真似でえ」
 戦士たちは口々にそんな言葉を呟くが、女忍者は意に介さぬ風で、
 膝を付き、わしに手を伸ばしてきよった。
 敵意が消えたのがわかったので、わしはなされるままに身を任せる。
 女忍者の手が脇の下に差し入れられ、両手で抱えるようにわしを持ち上げた。
「この階層にこんな魔物はいない。
 ……どういうわけか知らないが、この子は本物の人間の赤ん坊だ」

 *  *  *

「チッ……本物の赤ん坊だから、なんだっていうんでえ」
 男たちのうちの誰かが、あてつけるように声高にそう漏らすのが聞こえた。
 女忍者は無言で、床に座ったまま腕を組み、身じろぎひとつ見せない。
 《悪》の冒険者一行はキャンプを張り、思い思いの姿勢で体を休めている。
 わしはというと、なぜか女忍者の太腿に座らされていた。
 
 はて、妙なことになったな……?
 布地越しにもわかるむっちりとした肉感に身を預けながら、わしは思考に耽る。
 無駄な戦闘を避けられたのは重畳。
 しかし、まさかそのまま保護されるとは思わなんだ。

 地下迷宮の中で赤ん坊を見つけたらどうするか?
 《善》のものなら、助け上げて街へ連れ帰るというのも、まああり得る話じゃろう。
 じゃが、こやつらは《悪》。出会い頭の勢いで斬り殺さなかっただけでも意外なのに、
 わざわざ拾って面倒を見るとは、不思議なこともあるものじゃ。
 第一、気味が悪いとは思わんのか。
 自分で言うのもなんだが、こんな場所に赤ん坊が一人でおるなど、どう考えてもおかしい。
 ここは熟練の冒険者でも油断できない「呪いの穴」の地下四階じゃ。
 二本足で立つこともできぬ乳飲み子が、いったいどうやって辿り着いたというのか。
 不審過ぎるではないか。
 わが身可愛さを優先する《悪》ならば、見捨ててしかるべきところじゃろう。

 わしはすくと頭をもたげ、断を下した女忍者の顔を見上げた。
 他の連中の反対を押し切りわしを拾い上げたのはこの女忍者であった。
 してみると、この娘が一行の束ね役なのであろう。
 尖った顎、引き結んだ唇。鼻筋は通り、切れ長の目は静かに閉ざされていた。
 艶のある黒髪を後ろ頭高くで一本に束ね、
 後れ毛が一房二房白い額に垂れておる。
 忍者なんぞをしておるせいか、全体に険のある凶相が浮かんでおるが、
 よく見るとつくりは悪くない。
 ……まあ、なんにせよ、これはこれで楽しめる状況かもしれんな。
「あぶぶぶ」
 思わず邪悪な笑いがこぼれた。

 娘が無警戒に目を瞑っているのを良いことに、わしは視線をゆっくりと下ろす。
 首筋、鎖骨、と辿ってきて、組んだ腕に半分隠された乳房へと至る。
 ム、ム、ム……胸はあるような、ないような?
 見ただけではわからぬ。
 わしは好奇心の赴くまま、無雑作に手を伸ばして触れてみる。
 思いのほか硬い、味気ない感触がかえってきた。
 ……こやつめ、サラシを巻いておるわい。
 軽く舌打ちしながらも、なんとなく諦めきれず、未練がましく掌で撫で回す。

 と、視線を感じた。
 振り仰ぐと、いつの間にか両目を開いてわしを見下ろしていた女忍者と、視線が合う。
 女忍者はすっと目を細め、探るような目つきでわしを射竦めた。
 いかんいかん。ちと、赤ん坊らしからぬ振る舞いだったかもしれん。
 ここで疑われるのは面倒じゃ。
 無垢な赤ん坊のフリで誤魔化さねば。

 わしはつぶらな瞳で女忍者を見上げ、なるたけ舌足らずな声で呟いた。
「マ……マァ」
 こんなもんでどうかのう?
 すると、女忍者の腕がぴくりと撥ねた。
 ほとんど反射的にわしから顔を反らす。
 その横顔は、耳あたりまでほのかに紅潮していた。
 ……思ったよりも効果があったようじゃな。
 わしは試すように、左乳房に当てた掌をもっと大胆に動かす。
 だが女忍者は顔を背けたまま、微動だにしなかった。
 ただほんのかすか、その唇から甘い吐息が漏れる。
 押し当てた掌からは、女忍者の早鳴る鼓動が伝わってきた。
 わしはほくそ笑む。
 どうやらこの娘の心をがっちり掴むことができたようじゃわい。
 いたく母性をくすぐられたものの、男どもの手前、なんとか無関心を装っている……。
 そんなところじゃろうか。

 フウム……やはりな。
 わしは女忍者の反応から、ある結論を導き出した。
 この娘の本質は、《善》に傾きつつある。
 もともとそういう心根の持ち主であったのが、徐々に表に滲み出してきたのか。
 それとも、先ほどわしに手刀を振り下ろせなかったことが、決定的な契機になったのか。
 いずれかは知らぬ。
 だが、今この目の前の女忍者が、ある一線を越えようとしていることだけは、はっきりとわかった。 
 そうだとすると……、

「なあ、姐御。いつまでこうしているつもりだ? 探索はどうする」
 男たちの一人が、痺れを切らしたようにそう切り出した。
 その言葉には、はっきりと苛立ちが滲む。
 女忍者の顔が、ゆっくりと男の方へと振り向いてゆく。
 表情は、もとの殺伐とした凶相に戻っていた。
「……引き上げるしかないだろう」
 短く、しかし有無を言わせぬ明確な意志がこもった返答。
 それを聞いた男の顔が露骨にしかめられた。
 そこに一瞬、どす黒い感情が浮かんだのを、わしは見逃さなかった。

 だが、両者の睨み合いはすぐに解かれる。
 男が引いたのだ。
 目線を逸らし、「……正気かよ」と吐き捨てる。
 いかにも不満気であったが、男が女忍者に譲った、いや、敗れたのは明らかだった。

 おそらく、女忍者はこの中の誰よりも高い実力を身につけているのであろう。
 それが威圧となって、他の男たちを従えている。
 どの男も、自分一人だけで女忍者に歯向かう気概はないと見える。
 じゃが、両者のやりとりを無言で見守っていた他の男たちも、
 その不穏な様子から、内心では、問いを発した男に賛同しているであろうことが伺われた。

 これまで女忍者と男たちとの間で成立していたある均衡が崩れつつあるのだ。
 《悪》の一団の中で、ただ一人だけが《善》への道を踏み出した。
 ……となれば、残る者らとの確執は必至じゃろうて。
 わしは女忍者の胸を揉みしだきながら、男たちの行動を漠然と予感した。
 ま、いずれにせよわしには関係のないことじゃがな。 

 *  *  *

 結局、女忍者とその一行は、わしを連れて街に帰還した。
 一行の間にはずっと不穏な空気がわだかまり続けていたが、その日はもう遅かったこともあってか、
 宿に到着するや早々にそれぞれの部屋へと別れていった。
 
 そして今、わしは女忍者の個室のベッドの上におる。
 無論、部屋には二人きりじゃ。
 探索の装備を外し始めた女忍者を横目に、わしは思案に暮れた。
 ……とにかく今晩はこの娘の預かりになった模様。
 明日になればわしをどうするか話し合いがもたれるじゃろう。
 その前にとっとと抜け出して姿をくらませるべきなのじゃが……。

 コトリ。
 外された手甲と脚甲が、木台の上に無造作に置かれる。
 女忍者の手が腰の帯にかかり、慣れた手つきでこれを解いた。
 帯で締められていた、だぶつきのある黒いズボンが、音もなく床に落ちる。
 異国風の黒ローブの前の合わせがはらりと開き、
 なまめかしい肌が露になった。
 ……これは、抜け出すどころではないのう。
 女忍者は胸のサラシと股間の腰布だけという、実に煽情的な格好になると、
 わしが寝そべるベッドの端にちょこんと腰を下ろす。
 そして、濡らした布で体を清め始めた。

 なんと無防備な。
 いや、自分以外は年端のいかぬ赤ん坊しかいない状況なのじゃから当然ではある。
 しかし、それにしてもけしからん。
 実にけしからん体じゃ。

 若い女の裸を、こんなに間近で見るのは、何十年ぶりかのう?
 女忍者は存外に綺麗な体をしておった。
 よく見れば細かい矢傷刀傷がそちこちにありはしたが、
 ぴちぴちと張りのある肌は目を楽しませてくれる。

 もともと細身であるのを無理に鍛え抜いたせいか、
 腕や腹にはうっすらと筋肉が浮かび上がる。
 わしとしてはもっとこう、柔らかそうなのが好きなんじゃが。
 しかしその分、全体にすこぶる均整のとれた体つきをしておる。
 むっちり締まった尻や太腿はなかなかのもんじゃ。
 となると、やはり気になるのはサラシの下の……。



「……ん? どうした?」
 わしのねちっこい視線に気付いたのか、
 女忍者は少しだけ恥ずかしそうにはにかんでこちらを振り向いた。
 ……ほう、こんな笑顔もできる娘じゃったのか。
 だが今のわしの興味の対象は笑顔ではなくその下の乳。
「だあ、だあ」
 わしは渾身の力を振り絞ると、萎える膝を叱咤して立ち上がる。
 そして、女忍者の乳に掴みかかろうと、両手を思い切り頭上に伸ばした。
 ぬう、もうちょっと……。
「こ、こら、何をする」
 女忍者は、ふらつくわしを両手で支える。
 その顔に困惑が浮かんだ。
「……む、胸、か? 困ったな、私のからは何も出ないぞ?」
「ばぶう」
 ええい、母乳が欲しいわけではないわ。
 いいからその邪魔な布っきれを取って乳を見せい。
 女忍者の腕の中で、わしは年甲斐もなくむずかって見せる。

 その必死の思いが通じたのか、
 それとも食い入るように乳を見つめるわしに気圧されたのか。
「で、出ないと言っているのに……仕方ないな、ちょっとだけ、だぞ?」
 女忍者はそう言うと、顔を赤らめてサラシを解き始めた。
 
 布が解かれるごとに徐々にかさを増し、遂にその全貌を現した乳を見て、わしは絶句した。
 ……でかいのう。
 まあ、今のわしが縮んでおるせいで相対的に大きく見えるというのはあろうが、
 これまで見てきた数多の巨乳をファズボールに喩えるならば、
 今、目の前に顕現した巨大なそれは、まさにウィル・オー・ウィスプ級。
 そんなわけのわからない比喩はさておき……こりゃ、たまらん。
 わしは己を睥睨するその二つの塊に向けて、全身全霊を込めた跳躍を試みる。
 それはさながら大海原に漕ぎ出す冒険心に満ちた航海者のごとく。

「あ、ば、馬鹿。危ないっ」
 胸の谷間にしがみついたわしを、女忍者は両手ではしと抱え込む。
 するとどうだ。
 上腕に押された両乳が、まるでわしを包み込むようにこう、
 むにゃりと、いや、むっちむちと、いやいや、ぱふんぱふんと……。

 その至福の感触にわしは素直に身を委ねた。
 なんたる法悦境。
 顔と言わず上半身全体が丸々乳に挟まれるというのは、乳児の体躯でしか味わえぬ体験じゃろう。
 乳房に一物を挟ませるという淫技があるが、
 思うに、あれはこの全身を乳に揉まれたいという願望を充足するための、
 色褪せた代償行為に過ぎぬのではなかろうか。
 あらゆる種族にとっての安息の地が、そこにあった。
 フヒヒ。
 そんなわしの様子をどうとったか、
「まったく……」
 女忍者は、そう呟きながらもしっかりと抱き止めた。
 ククク……まあ、今のわしはいたいけな赤ん坊じゃからな。外見だけは。

 しばらくそうしておったところで、突然、女忍者がぽつりと漏らす。
「お前、親は……いないんだろうな」
 重く、憂いを帯びた響きがあった。
 わしはなんとなく気にかかり、
 もぞもぞと頭の位置を動かすと、胸の谷間から女忍者の顔を見上げた。
 女忍者は、なんとも複雑な表情でわしを見下ろす。
 その口元に苦笑いを浮かべると、こう言った。
「は、は、は……私も、孤児だったから」
 そして、問わず語りの身の上話が始まった。



 ま、よくある話じゃな。
 孤児だった娘はケチな盗賊に拾われた。
 物心ついた頃から、スリのやり方や、詐欺の片棒の担ぎ方を仕込まれて育つ。
 そしてある時、突然こう言われる。
「もうスリはやらなくていい。今日から体を売れ」と。
 娘は逃げ出した。しかし、小娘一人で渡っていけるほど、世間は甘くはない。
 なにしろ身に付いているのは盗みの技術だけなのじゃから。
 盗賊になるよりはと、そんな理由で娘は冒険者になり、
 運良く生き延びて、忍者になって力を身につけ、今に至る、とそういうことらしい。
 もちろん、わしは半分くらいは聞き流して乳の感触に没頭しておった。

「毎日、薄暗い地下に潜っては、殺し、殺され……正直、気が滅入るよ。
 冒険者になっていいことなんて、何もなかったけど」
 独白はなおも続く。
「私には、これしかできないから」
 見上げると、女忍者は睫毛を伏せ、口の端だけで嘲るように笑っておった。
「あはは、お前にこんなことを言っても、しようがないのにな」
 チッ、辛気臭いのう。乳に集中できんわい。
 どれ、わしのテクニックで慰めてやるとするかのう……イッヒッヒ。
 
 わしは十分に堪能した谷間を離れると、次なる標的に向かった。
「あ、んっ……こら、暴れるな」
 身をよじり、頭を女忍者の乳の頂点に移動させる。
 そこには、色素の薄い、乳房の大きさからすると随分控え目な突端がついていた。
「だから、何も出ないと……ん、んあっ!」
 赤ん坊の小さな口に、吸うというよりはむしゃぶるようにして乳首を頬張る。
 完全に咥え込むと、それだけで口いっぱいになり、奇妙な充足感があった。
 フム。幼児の性感は口唇に宿るというが、なるほど真理であるかもしれぬ。

 ちゅう、じゅるっ、ちゅうう。
 口腔全体を使って吸い立てる。
 舌を怪しく蠕動させ、生えかけの乳歯で付け根を甘噛みした。
「ン! ……や、な、なんでこんな……フッ、んん!」
 母ならぬ女忍者の突起からは、当然何も出てきはしない。
 だがその代わりに、突起自体が見る見る硬くしこっていくのがわかった。
「……ん! ……んん!」
 背を丸め、わしを抱え込むようにして女忍者の体が小刻みに震える。
 感じているようじゃな。
 まったく、赤ん坊に乳を吸われてよがるとは、いけない娘じゃ。
 こんな淫乱な娘にはお仕置きしてやらねばなるまい。

 わしは片乳を口内で責め続けたまま、もう一方に手を伸ばす。
 こちらは何の刺激も与えておらぬのに、既に硬く張り詰めておった。
 その蕾をむんずと掴むと、掌の中で強めにしごく。
「……フッ、ふう、ん! ……んっ、あっ、ンン!」
 女忍者の上げる喘ぎはもはや艶声の域に達していた。
 わしは赤子のぷにぷにした掌を、老人の巧みさでもって蠢かせる。
 背中にそえられた女忍者の手先が、ひくっひくっと痙攣した。
 ……頃合は良いようじゃな。
 わしは口内の突起に歯を立てると同時に、もう一方をぎゅっと握りつぶす。
「! ……あ、あ、や、ンアッ、……はあんっ! んっ! んっ!」
 感極まった女忍者は、身を仰け反らせ、びくびくと肩を震わせると、
 わしを抱いたまま、背中からどさりとベッドに倒れこんだ。



「……ハア、……ハア、……ん、んんん」
 余韻に浸る女忍者が、荒い吐息を漏らす。
 わしは緩く上下するその胸の谷間に手をつき、
 上体を起こすと、女忍者の顔を見下ろした。
 険のある美形は、蕩けて緩みきってだらしない表情を浮かべていた。
 ううむ、随分敏感な娘じゃったな。
 夢中になって責めてしもうたが、この娘、素質があるわい。
 
 ふっふっふ、しかし世界広しといえど、
 女に気をやらせる赤ん坊なぞわしくらいのものじゃろうて。
 なおも呼気を喘がせる女忍者を眺めながら、わしは一仕事成し遂げた満足に浸る。
「ハア……き、気持ち良かった……」
 女忍者が呆然と呟く。よしよし、素直でよろしい。
 天井を見つめてしばらくさ迷っていた瞳が、ゆっくりとわしに向けられた。
「お前、いやらしいな……それとも、わ、私が淫乱なんだろうか……」
 瞳の中に感じてしまった罪悪感がくゆる。
 ……ククク、そうとも。
 お前さんは邪気のない赤ん坊の動きで気をやってしもうた淫乱なんじゃよ。
 さて、次は何をしてくれようか。

 ガタン。
 そこで、邪魔が入った。
 部屋の扉が勢いよくはね開けられたのじゃ。
「誰だっ」
 女忍者は咄嗟に身を起こす。
 片手でわしを抱え、もう片手でシーツを引き上げ胸を隠し、誰何の声をあげた。
 わしも無粋な闖入者を確認しようと振り返る。
 ……ま、大体察しはつくがな。

「へへっ……まさかガキ相手にお楽しみ中とはね」
 聞き覚えのある野太い声。
 部屋の戸口に立っていたのは、やはり、というか、
 地下で女忍者に突っかかっていた戦士の男じゃった。
 その後ろには、これまたやはりと言おうか、他の面子の姿も見える。
 総勢五名。「仲間」たちの全員が揃い踏んで、
 腰布一枚のあられもない姿の女忍者を無遠慮に見つめていた。

「お前たちか……こんな夜更けにどういうつもりだ」
「なに、ちょいと姐御と話をつけたいと思ってね」
 男はにやにやと笑いながら応える。
 追従する残りの四人も、同じような笑いを浮かべていた。
 下衆な笑い方じゃな。
 楽しみを邪魔されたのも不快じゃが、見ていてむかっ腹が立つわい。
「話? それなら明日聞く。とにかく今は……出て行け」
 女忍者の声は硬い。警戒しておるのじゃろう。
 それもそのはず、男たちは皆剣を佩き鎧を纏い、
 これから地下に潜ろうかというくらいの完全武装をしておった。

 だが男は女忍者の声など聞こえぬという風に、
 平然と部屋の中に踏み込むと、言葉を続けた。
「最近のあんたのやり方にゃ、ついていけねえ。
 ……んな薄気味悪いガキに、情けをかけるようじゃよう」
 そこで男はギロリとわしを睨みつけよった。
 ううむ、お前さんらにガキ呼ばわりされる歳ではないんじゃがのう。
「抜けてもらうぜ。姐御」
「……」
 女忍者は無言だった。
 凍りついたような無表情で男たちを見返す。
 その申し出が、この娘にとって慮外のものだったのか、
 それとも、薄々予測はしていたものだったのか。
 流石のわしにも読み取ることができなかった。
 ただ、わしを抱えるその腕が、少しばかり強張ったようじゃった。

「……で、よう。まあ、俺たちもそれなりに長く組んでたワケだしな。
 ただ、ハイ、サヨウナラってんじゃ、ちょいと寂しいわな。
 別れの『挨拶』に……へへへ、一人一人相手してもらおうと思ってよ」
 そこで男の手が腰の剣に伸びた。
 女忍者は反射的に立ち上がり、構えを取ろうとする。
 しかし、片手にわしを抱えておったせいか、俊敏には動けなかったようじゃ。
 一瞬、出遅れた隙に、後ろの男たちから魔法が飛んでくる。
 KATINO二発に、MANIFOか。これは念入りじゃわい。
 完全に不意を打たれ、女忍者が凝固する。
 見上げると、睡魔に襲われて半眼のその顔に、ひどく悔しげな表情が浮かんでおった。 
 万事休す、じゃな。

「前からてめえを犯してやりてえと思ってたのさ。ま、頭に仰いでるうちは我慢してたがよ」
 男は油断なく剣を抜いたまま、わしと女忍者のもとへとにじり寄る。
「それに、甘ちゃんだが実力はあるからな……抜けたてめえが商売敵になるってのも、面白くねえ。
 なに、ちょいと犯して殺してカント寺院にぶっ込むだけさ。
 運が良けりゃ、誰かが蘇生させてくれるかもなあ?」
 ……まあ、戒律を違えて別れる場合、円満に解散となる方が珍しかろうな。
 それまでの遺恨があればなおのこと。
 特に五人と一人に別れるようなときは、私的な制裁が行われることも多いと聞く。
 まっこと、冒険者というのは野蛮極まりない連中なのじゃ。

 男たちが更に一歩を踏み出した。
 どの男の目も獣欲でギラついておる。
 魔法に束縛された女忍者の体が、小さく震えるのが伝わってきた。

 ヤレヤレ。
「俗世のこととは縁を切ったつもりじゃったが、流石にこれは見かねるわい」
 わしは大げさに溜息を吐いた。
 が、男は声の主を探してきょろきょろと辺りを見回すばかり。
 これこれ、わしじゃよ、わし。
 じれったいような間をおいて、ようやく男の目がわしに留まった。
 その顔が、信じられないものを見た、とばかりに歪む。
 ふ、ふ、ふ、まあその反応も無理からぬな。
 ……さて、一宿一乳の恩義を返すとするかの。
 とりあえず、宿の中ではマズイか。
「MALOR」
「なっ……」
 力ある言葉を紡ぐと、男の口から驚愕の叫びが漏れた。
 わしと女忍者の体を淡い燐光が包む。
 直後、内臓が浮くような酩酊感と共に、一瞬視界が光に閉ざされた。
 そして、次の瞬間には、わしは女忍者に抱えられたまま、
 宿屋の脇の裏路地に転移した。

 もっと遠くに逃げても良かったんじゃが、この際、片付けておいた方が後腐れなかろう。
 わしは固まったままの女忍者から身を引き剥がす。
 ついでに、その手に掴まれていたシーツを女忍者の裸体に掛け直してやる。
 小さな体には大仕事じゃった。
 それを終えるたところで、頭上から声が響いた。
「いたぞ!」
 宿の二階の窓――つまり、さきほどまでわしらがおった女忍者の部屋からじゃ。
 けたたましい足音が鳴った。
 わしは女忍者を背後に、宿の裏口に向き直ると、
 はいはいの姿勢で男たちを待ち受ける。

 目の前の木扉が乱暴に開いた。
 血走った眼の男たちが裏路地に飛び出す。
「この……ガキっ!」
 わしを見つけた男たちが激昂に吠えた。
 五人で取り囲み、じりじりと輪を狭めながらも、こちらを警戒してか及び腰のようじゃ。
 高位の魔術を操る赤ん坊。
 魔物か、何者かの目くらましか。
 目の前の存在の異様さに気圧されている様子が、手に取るようにわかる。
 
「なに、こう見えてお主らの四、五倍は長く生きておる。手加減はいらんわ」
 カッカッカと笑い飛ばしてやろうとしたが、
 意に反して「あばばばば」と舌足らずな笑いになってしもうた。
 だが、それはそれで男どもを怒り狂わせるだけの効果があったとみえて、
 戦士たちはそれぞれ凄まじい形相でわしに迫ってきおった。
 視界の端に、後衛の呪文使いどもが真言を唱え始めるのが見えた。
 ……猪口才な。まず、こやつらから黙らせねばのう。

「HAMAN」
 わしが許した音のみが伝わる、絶対沈黙の結界があたりを包む。
 これで魔法の使い手どもは無力化できた。
 MONTINOでも良かったが、まあ、確実を期すためじゃ。
 同時に、わしの体から生命力の欠片が抜け落ちるのがわかる。
 わし程の術者ともなれば微々たる損失に過ぎぬが、この程度の相手に使うのはやはり惜しい。
 結局、代償を支払うはめになってしもうたのう。

 沈黙の帳の中で、先頭に立つ男がいち早く反応を見せた。
 迷いなく剣を振り上げる。
 さすが、それなりに経験を積んだ冒険者じゃな。
 ……などと冷静に考えている場合ではない。
 男の剣がわし目がけて真っ直ぐに下ろされる。
「げええっ」
 背中に叩きつけられた強烈な斬撃に、ついついカエルが潰されたような声を漏たしてしもうた。
 痛い、痛い。
 本当に手加減がないわい。並の赤ん坊なら挽き肉になっておるところじゃ。
 ところがどっこいわしは並の赤ん坊ではない。
 見た目は赤子、中身は大賢者。
 リルガミンで、いやさこの世界で最強の赤ん坊といっても過言でないじゃろう。
 その辺の戦士の一撃なぞ気合で止めてみせるわい。痛いけど。

 じゃが、これでこちらも本気になれるというもんじゃ。
「TILTOWAIT」
 凄まじい爆発が起こる。
 男どもは吹っ飛び、両脇の建物の石壁が砕け散る。
 HAMANのおかげで音はしないが、大惨事じゃ。
 よく考えたらLAKANITOあたりでもよかったかのう?
 
 男たちは焼けただれ、粉々になった鎧を身に食い込ませながらも、なおも立ち上がる。
 まあ一発くらいでは足りんじゃろうと思っておったわい。
「TILTOWAIT」
 ええい、もう一つおまけじゃ。
「TILTOWAIT」

 やがて、巻き起こった粉塵が落ち着き、見通しが晴れる。
 裏路地にはもはや動くものはなく、
 見るも無残な五人分の死体のみが転がっていた。
 やれやれ。
 わしはマディを唱え、背中の傷を癒す。
 瓦礫に埋もれた石畳の上を難儀しながら這い、背後の女忍者へと近づいた。

 女忍者はシーツにくるまれたまま、傷一つなく、穏やかな寝息を立てていた。
 それだけ確認できたので、わしは背を向ける。
「朝になって人が来る前には、目を醒ますんじゃぞ」
 と、言っても聞こえぬか。
 さて、わしも身を隠さねばな。
 また妙なことに巻き込まれるのはごめんじゃ。

 *  *  *

 早朝の薄明の中、女忍者は目を醒ました。
 そして直ぐ、あの赤ん坊の姿を探す。
 だが、周囲には瓦礫と、かつて「仲間」であった者の骸が横たわるばかり。
「あれは……夢、だったのだろうか……?」
 一人呟く。
 いや、そんなはずがなかった。
 沈みゆく意識の中で、確かに女忍者は自分を守って戦う赤ん坊の姿を見た。
 あれは現実だった。自分がこうして無事生きていることが、何よりの証拠だ。

 そう、自分は仲間に裏切られたのだから。
 女忍者の目が物言わぬ骸たちの上に留まる。
 地下に潜るための、互いを利用し合うだけの結束だったのはわかっていた。
 それでも、彼女の幸薄い人生の中で、初めて対等に付き合えた仲間たちであった。
 悔しくもあり、悲しくもある。

 だが、思ったほど喪失感はなかった。
 裏切られた後の出来事が強烈過ぎて、そうした複雑な感情は吹き飛んでしまっていたのだ。
 あの赤ん坊はいったい何者だったのだろう?
 地下迷宮で拾った赤子が、自分を救ってくれた?
 MALORにHAMAN、おまけにTILTOWAIT三発?
 あり得ない。あり得ない。
 いくらなんでも荒唐無稽だ。誰に話しても信じてはもらえないだろう。
「……は、は、は……はははっ、はっはっはっは」
 気がつけば女忍者は腹を抱えて笑っていた。
 なんだかもう、出鱈目だ。
 笑いながら、女忍者は、もうあの赤ん坊と会うことはないだろうと確信していた。

 ひとしきり笑うと、すくと立ち上がる。
 もう、この街にはいられなかった。
 この惨状が警備兵に見つかったら、自分も取調べを受けるだろう。
 それはまずい。なにしろ、正直にあったことを説明しても、信じてもらえないだろうから。
 街を出る。それならば、冒険者もやめるということになる。
 どこか別の場所で、別の生き方を探さなければならない。
「『私には、これしかできない』か……」
 確かに、最初はそうだった。他に選択肢はなかった。
 でも今はどうか。
 力を身につけた。多少の金貨もある。
 もっとマシな、別の生き方ができるのではないだろうか。
 仲間に裏切られ、自分を地下に繋ぎ止めていたものがなくなって、何か吹っ切れてもいた。
 不安はある。しかし、未練はない。

 とりあえず宿に戻って、服と財産を取ってこなければ。
 そう考えて、女忍者は一歩を踏み出す。
 その顔には晴れやかな微笑さえ浮かんでいた。

 *  *  *

 去ってゆく女忍者を、物陰から見つめているものがあった。
 だぶだぶのローブに身を包んだ、赤ん坊。
 その唇から、奇妙に老成した、満足げな言葉が漏れた。
「その若さでその美貌なら、地下迷宮より似合いの場所は、きっとあるはずじゃよ」
 そして、小さな手を伸ばし、女忍者の背中に向けて静かに聖印を切る。

「若人に祝福(カルキ)あれ」



(おしまい)