ディルマと再開する4半刻(30分)前の事をマッケイは回想していた。……互助組合(ギルド)の
首領として、城塞都市・市民首脳懇談のための王の御前会議に出席した後、久し振りに歓楽街近くの
詰所に顔を出したのは、今にして思えば、幸運と天性の勘が成せる技だった。もしくは、ディルマの
比類無き純粋な信仰心に感動したカドルト神が格別にお応え召された御技の顕われかも知れない。

 「ああ、若、お久し振りです」
 「……ゴゥ爺、もう俺は『若』じゃないだろう? 」
 「あっしにゃあ、若は若ですよ。……マッケイ坊ちゃんの方がよろしゅうございます? 」
 「よせやい! もう! 坊ちゃんは無いだろ坊ちゃんは? 何か変わった事は無かったかい? 」

 詰所に、年期の入った老練な盗賊を住まわせて見張り番をさせるのは、当時の若手の筆頭だった
マッケイの発案だ。新入りを鍛えるのにも丁度いいし、豊富な経験から揉め事も無難に処理出来る。
『灰燼姫の乱』からの教訓である。……当時の首領は面子にこだわる余りに、一番の愚策であろう、
頭の悪い強攻策を取った。歓楽街を自らの縄張りと捉え、放火されたことを挑戦と取った低脳だ。
 己の息子であることを露知らず、ただの孤児として引き取ったマッケイを暗殺機械に育てた男。
在ろう事か城塞都市の変態貴族に男娼として差し出した男。憎悪など抱くのも、冒涜とさえ思える
男。肉親であるその男の存在自体を抹消した今現在、肉親同然と言えるのはこのエル・ゴゥだけだ。
 
 「ちと問題が起きてましてね……。新入りの山出しども、あっしが殺してもいいですかい? 」
 「……穏やかじゃないね、ゴゥ爺。俺に話してからでも遅くないだろう? 」
 「ぼやぼやしてると危ないんでさァ。ったく、田舎モンはこれだから嫌なんです、爺ぃだと
  初(ハナ)っから侮ってて、ロクに人の話を……」
 「ゴゥ爺・ゴゥ爺・ゴゥ爺? 急ぎなんだろう? 要約してくれよ、頼むからさぁ」

 何故孤児だった自分を拾い上げ、ニンジャ――昔は盗賊の技術だとばかり思っていた――の技を
仕込んだのか、わからない。ただ、城塞都市付近のホビット族で無いことは確かだ。何せ、貴族と
話せる礼儀作法やら言葉遣い等も全部このゴゥ爺から教育されたのだ。『エル・ゴゥ』はゴゥ爺の
本名ではないようだ。ただ、ゴゥですよ、と言う口癖から、ゴゥ。その万事ソツのない『仕事』の
手際の良さから尊称たる『エル』が付いて、人呼んで『エル・ゴゥ』。

 「じゃあ言いますぜ、心の準備をしといて下さいよ、マッケイ坊ちゃん」
 「出来た。早く話せったら! ナンだよ、勿体ぶってさ……」
 「……『灰燼姫』の身内、カント寺院の名物托鉢僧侶ちゃんを『部屋』に掻っ攫って来たんでさ」
 「―――――――――――――え? 」

 マッケイは顎が外れるかと思うくらいに間抜けにもあんぐり口を開けていた。同時に頭の中身が
『名物托鉢僧侶ちゃん』ことディルマの笑顔・仕草・姿一色に染め上げられていた。掃き溜めの中の良心。
誰もが、手を出さない事を歓楽街の住人全員の不文律と暗黙の了解で今まで見守って来た存在だった。

 ここ最近、『ワードナの迷宮』というカネの生る木を抱えた城塞都市の羽振りのよさを聞き付け、
他の街から流れてくる住人も増加したと言う議題があった。闇の世界の治安の維持も、狂王の側近
より、本日付けで仰せ遣ったばかりだ。くれぐれも『先の騒乱』のような事は起こさぬように、と
釘を、いや、エストック張りの太い奴を嫌味ったらしく刺されたばかりだと言うのに――!

 「つい先程、あっしの停める手を振り払って、地下に行きやした。今頃『部屋』に着いて――」
 「――――ゴゥ爺。すまないね。……『部屋』の次の『護衛全員』の人選を、頼めるかい? 」
 
 マッケイはゴゥ爺の顔を見ずに、『部屋』――性奴隷調教施設――の入口の前に静かに立った。
見る者に好感を抱かせてしまう、柔和な人間族の幼児を思わせる普段の笑顔がすっかり消えていた。
 一度決めたら風になれ――全てを消し飛ばす野分、全てを殺す風となれ。……ゴゥ爺の教えだ。

 「やれやれ、坊ちゃん直々に行くんですね? 気を付けて下さい、奴等はあっし子飼いの……」
 「一番の遣い手で、筆頭の教え子は誰だい? 『エル・ゴゥ』? 」
 「無論で『若』でさァ。何せあの『迷宮』から生きて帰ってますしね。半竹野郎たぁワケが違う」

 『部屋』から許可を得ずに出て行く女やその同行者を殺せ。『護衛』にはそう互助組合(ギルド)
から厳命してある。良家の子女を、政敵の指示で掻っ攫って『調教』し、性の奴隷にする闇仕事も
行なう組織にとって、『秘密』を厳守することは最優先課題だった。鉄の掟としてそれを維持する
には『特例』など作らぬのが原則だ。『首領』であろうと誰だろうと従わねばならぬ不文律――。
それを破るには、破った事を知る全ての者を殺さねばならぬ。……本来ならばこのゴゥ爺も……。
だが、最初に原則を破ろうとしたのはこのゴゥ爺だ。そしてそれに同調したのはこの『首領』の
自分、マッケイ。…『秘密』を共有しようと言う提案が『次の護衛の人選〜』の暗喩だったのだ。
そして、それは成立した。しかし、何故だろうか? マッケイは振り向き、ゴゥ爺に近づいた。

 「ゴゥ爺、何故、俺を停めない? 」
 「これもゴゥだからですよ。ゴゥだねぇ…」

 ゴゥ爺は照れくさそうに、鼻のあたりを掻いていた。形が良いが、若干低い鼻だ。肌の色が
微妙に黄色身を帯びているのが、差し込む日の光で今、はっきりとわかる。…マッケイと、同じ
肌理(きめ)の細かさを持った、老いてはいるが滑らかな肌だった。 

 「ゴゥ? 」
 「……こう書きます。マッケイ坊ちゃん」

 ゴゥ爺はテーブルの上に置いた水の杯に指を浸し、卓の上に『業』と書いた。東方の文字だろう。
何故そんな字が書ける、と見ると、ニヤリと片目を瞑り笑って見せる。解ってるんでしょ、と言う
仕草だ。そうだ。自分に見せる謎の親しみ。厳しい訓練中でも、隠せない、優しさに満ちた雰囲気。
怖くて聞けなかった、唯一のこと。

 マッケイは意を決して聞いた。迷宮の中でも、ここまで決意するほどに、怖くはなかった。

 「カルマ、のことだね。ゴゥ、じゃなくてゴウか。 迷宮で、侍のジョウに聞いたよ……」
 「あっしにゃぁ、娘がいましてね。素質がいい自慢の娘でしてね? そりゃあもう、期待して、
  厳しく技――と言っても、表技――殺しの技を仕込みすぎましてね? 厳しさに耐えかねて
  逃げられちまったんでさァ。父親のあっしは、慌てて泡を食って捜しに探して……」

 ゴゥ爺の、マッケイに背を向け、どこかせせら笑うような口調でも、湿っぽいものが隠せなかった。
孤児達の中で、何故自分だけがゴゥ爺にあの時、撰ばれ、拾われたのか? 素質もあるが、実は…!
はるか東方より、流れに流れて探し出せた、娘の忘れ形見、己の孫を探し出した父親がこの……!

 「もういいよ、ゴゥ爺――。もういい。もういいんだ。そう言う……ことか。俺の髪が黒くて
  真直ぐのも、やや吊ってる目も、皆とどこか違う肌も、そう言うことなんだね? 」
 「……娘はここで調教されて、理性を壊され、狂わされ、孕んだまま捨てられた――。そこまで
  調べ上げやした。餓鬼を孕ませた奴の正体も、拷問して聞きだしやした。なぁに、こちとら戦乱の
  東方仕込みの隠密上がりです。軽いモンでしたよ。ペラペラへらへらとすぐに喋りやがる……!
  いつか、娘の仇をこの手で嬲り殺してやるんだ、そう思って盗賊互助組合(ギルド)に潜り込み…」
 「忍んでる最中に、俺を見つけたんだね。東方のニンジャが凄腕な理由がたった今、解ったよ」
 「東方のニンジャを、あっし以外に知ってるンですかい、『若』? 」



 忘れもしない、迷宮の闇の中。1Fのダークゾーンの中で始末しようとした時、突然首に突きつけられた
手刀と、押し殺した声。『灰燼姫』ことシミアがプリーストブラスターで5回目の石化をし、持っていた薬も
使い果たし、御付きの侍、ジョウがさらに7レベル魔法を切らし、9階から毒を喰らい徒歩で戻る途中の、
絶好の暗殺の機会。今正に、暗殺命令に従わんとするマッケイに突きつけられた死神の手。

 『……黙って見ている心算だったが、手を出すのなら、このまま首を跳ねるぞ似非盗賊(シーフ)』
 
 気配すら悟らせぬ、その技量。気を読むはずの侍のジョウ、実は熟練のニンジャたる自分・マッケイが
察知出来ない隠行の腕。上には上が居る、と慢心していた心と、太いと思っていた胆が心底冷えた瞬間。
 あんなニンジャが付いて居るのだから、『灰燼姫』暗殺は得策では無い、と路線転換を図るきっかけでも
あった。その時の前後からゴゥ爺が何故か首領の護衛関係の情報を――マッケイの顔色を読んだだろう――
よく喋り、漏らすようになったのだ。そして、暗殺に着手。あの『灰燼姫』を手懐け、大人しくさせたと
言う実績を持って盗賊互助組合(ギルド)の幹部の信頼と、持っていた実権を奪い、城塞都市上層部には
暗黙の内諾を得て『首領』を『排除』した。それは――
      
      ……迷宮の中の、バブリースライムの切れ端を踏み潰すより簡単な事だった。



 「……まあね。東方のニンジャは正体を明かさないから名前や姿は知らないんだけど……。一人、いる」

 首領の暗殺を終え、迷宮の中のダークゾーンでの2回目の邂逅で『用は済んだだろう、パーティを抜けろ』
との押し殺した声は、一度聞いたそれと同じだった。幸い、ジョウとシミアや、加入したその三姉妹には
正体は露見していなかったので『俺、故郷に帰って幼馴染みと鍵屋をやるんだ』と嘘を吐いて抜けることが
出来た。餞別までくれて泣いてくれたシミアや三姉妹の後で、ジョウにしっかりな、と握手され、抱き上げ
られて胴上げされたときは、不覚にも涙を浮かべ、その後泣いてしまった。仲間っていいなぁ、と心の底から
思った瞬間だった。……あの心地良い、爽やかな青春は、誰にも奪えない自分だけの宝物だった。

 「……早急に調べときやす。冒険者の登録の閲覧許可、貰っといたことにしといていいですね? 」
 「それも任せるよ。――まだ『ゴゥ爺』って呼ばないといけないのかい、俺」
 「……あっしの本名はツヨシ。ゴウ、とも読めます――。急いでください、マッケイ坊ちゃん」

 ゴゥ爺ことツヨシはまた卓に『剛』と描いた。それが名を顕わす東方の文字なのだろう。ニッコリ笑った。

 「東方のニンジャは、心底信頼する人間にしか、本名を名乗りやせん。軽々しく本名――真名を明かせば、
  心を操る妖術や、災いを成す呪術を掛けられやすから」
 「俺――僕にも、あるのかい? その――真名は? 」
 「ありやせん。少なくとも、あっしは付けてやせんから。マッケイもあの時の『通り名』でやしたし。
  坊ちゃんに大事な人が出来たら、付けて貰うか、名乗ってあげなせぃ。……喜びやすぜ、きっと」
 「じゃあ、セイ、で。響きがいいんだ、この言葉」
 「…歳取るといけねぇなぁ! 糞ぉ! 」

 じゅるっ、とニンジャマスターのツヨシ翁は鼻を啜(すす)り上げた。怪訝な顔をして次を促すマッケイに、
鼻の下を擦って見せ、照れくさそうに含羞の笑みを見せる。モゴモゴと口籠もって話す内容に、マッケイは
不覚にも涙ぐんでしまった。

 「いえね、死んじまった娘も『セイ』なんでさぁ。こうこうのこうで、『セイ』。坊ちゃんの『セイ』は…
  これが良いでしょうね」

 卓に『星』と書く。空の星だ、との意味を言うツヨシは、マッケイのためにこう書いた。……『誠』、と。
聞けば、言ったことを必ず成就させると言う意味から、誠意、真実を表す文字だと言う。見たマッケイは、
作り笑いの仮面では無く、心からツヨシに笑いかけた。

 「じゃあ、行って来るよ、ツヨシ爺ちゃん」
 「ああ――言って来い、セイ坊」

 これが今生の別れかも知れない。本当の肉親同士の最後の会話を交わして、マッケイは地下の死地に赴いた。



 ――のだが。

 「ね、ねぇ、マッケイくん、あれ、あれ御尻のアナにズッポリ入ってるよぉ!? ……痛くないの? 」
 「うん、ばっちりキッチリ入ってるね。……あの顔を見れば解るでしょ、ディルマちゃん? あの蕩けた顔を」
 
 決死の覚悟で入ったマッケイは、目指すディルマを見つけたのは良いが、調教部屋の各部屋を興味津々で
覗き廻るディルマの解説役と為っていた。助けられる余裕は無い、と言っては置いたが、流石は善の戒律を
持つ僧侶だった。拘束を解く真似をしてくれたり、逃げるよう促したりしてくれた。――勿論ディルマの見えない
ところで女の『後始末』をしたが――焦るマッケイとは裏腹に、まるで全てを探索しつくしてくれん、とばかりに
奥へ奥へと進んで行く。見るからに中(あ)てられて、頬を火照らせながらハァハァ息を切らせている姿は、
心を凍らせ覚悟を極めたマッケイすらもその気にさせてしまう純真無垢な『色気』を醸し出してしまう。

 「僕達に見てるヒマなんて無いの知ってる? ディルマちゃん? 」
 「はぁい……ごめんなさぁい……。――助けなきゃ! ですよね? 」
 「違う。逃・げ・る・の。他人に構ってる余裕なんて、無いんだよ? とっくに解ってるんでしょ? 」
 
 しゅん、と立った耳までへなっ、と下げてしまうディルマに、思わずカワイイと思ってしまったマッケイは、
自分の修練の甘さとその心の動きに動揺する。俺、もうニンジャ失格かもなぁ、と心の中でぼやいてしまう。

 「……捕まったら、ディルマちゃんも、理性を奪われて『ああ』なるんだよ? 為りたい? 」
 「うううん……やだ。ぜぇぇぇぇぇぇぇぇったい、やだもんっ! ……はぢめては……やっぱり……」
  
 慌ててブンブン首を左右に振り、ポツリ、と呟くディルマの姿にまた、キュン、と胸のどこかが切なく痛む。
短く肩の辺りで揃え、広がらぬように頭の形に合わせ少し裾際を切った金色の髪が、ランプの光を鈍く反射し、
揺れた。目の端辺りに、涙の珠が生まれては消えて行く。泣き顔が綺麗だった。……エルフ女って、虐(いじ)め
られるわけだ、と不謹慎にもマッケイは思う。安心出来るツヨシ爺ちゃんが管理する出入口からはもう、かなり
離れているのだ。処女の好奇心が恨めしい。

 『いいですぅ! いいですぅ! お尻のあな、お尻ズコズボされるの、いいんですぅ! 好きぃぃっ! 』
 
 扉からの、性奴隷と化したエルフ女の、元は冒険者の戦士だったろう快楽の雄叫びに、びくん! とディルマの背筋が
伸び、ピン、と耳の先も伸びる。もう慌てふためいて取り乱したいのだろうが、マッケイの見ている手前、そうも出来ない
逡巡が隠れ見えて、また、たまらなく保護欲染みた気持ちをマッケイは抱いてしまう。―――悪くない。守り抜くために、
命を懸けるに値する価値があると信じられる。それに、己の腕試しに奥の奥からの脱出も悪くは無い。ツヨシ爺ちゃんの
手塩に懸けたろう『部下』と殺しの技量を競い合い、殺し合うのも悪くは無いとさえ、思えてくる。

 「どうする、ディルマちゃん? 奥まで行って、みんなを助ける? 」
 「うん――! 助けなきゃ。だって、シミア姉様も必ずそうすると思うし、ジョウさんだって――」
 
 ジョウは僕と同じ中立の戒律だろ、何でジョウなんだ、とチクリとマッケイの胸が痛んだが、あえて気にしない振りをした。
それでも、生まれた疑念は渦巻く。迷宮の中での出来事、隠せぬジョウへの憧憬、何らかの己だけの秘密を持ってジョウに接する
ディルマの姿。……かなり気には喰わないが、まだ我慢が出来た。それは――ジョウが『とてもいい奴でいい仲間』だったから。

 「――わかった、付き合うよ。……さあ、一番奥へ行こうかディルマちゃん……? 奥から順番に助けて来たほうがいい」
 「!! ありがとうマッケイくぅん! 頼りにしてるねっ」

 喜色満面の、天真爛漫な笑みを浮かべ抱きつくディルマに、不覚にもキスしたくなる修行不足を自覚する、忍者マッケイこと
真名『セイ』であった。邪念断つべし、邪念断つべし。――マッケイは暗い闇を抱える己の心との闘いをはっきりと自覚していた。