そろそろ日が暮れる。
日が完全に没するまでには時間があるが、城壁に囲まれた都市では日没の前に夜が訪れる。
既に通りに陽はさしていない。
大きな商家や大通りの街頭に専属の僧侶たちが灯りをともしていく。
城塞都市では今がもっとも暗い時間だ。
街には夕餉の匂いが漂い、城門そばの宿屋は最後の呼び込みに声を張り上げる。
もう少しすれば衛士たちの日暮れを告げる先触れと夜を告げる鐘の音が通りに響き渡るはずだ。
急がなければいけない。
訓練場近くの酒場兼安宿に急ぐ。
「ねー、アーノルド。そんなに急いでどこにいくのさぁ。よっていきなよ」
生臭い空気が道を漂い、生臭い男女が道を歩き、生臭い声が道を包み込む。
急ぐ余りにいつもは避けている通りを歩いていることに気がついた。
娼館通り、通称サッキュバスストリート。
少女愛好家から異種姦まであらゆる快楽を味わえるとの噂で名高い、この都市の名物の一つだ。
余談だが、この都市には他に2つの名物がある。
一つはボッタクリで名高い総合装備店。
一つは悪魔すら骨抜きになると言うこのサッキュバスストリート。
そしてもう一つが、俺の仕事場だ。
無視しても良かったが、お得意様の一つだ。
立ち止まって軽く話をするしかない。
「シニストラリ、悪いが仕事の時間なんだ。夜型の務めでね。他人様が楽しむ時間帯に働かなきゃならないのさ」
その通り。全く持ってその通りだ。
夜の生き物を自称する俺にとっては今からが活動時間。昼間は他人様が働き俺は惰眠を貪る。そのかわり夜は他人様のために俺が働く。
「そんなこと言ってー。アーノルド眠そうじゃない。今日は昼間働いたんじゃないの? だったらうちで休んでいきなよ。
アンタからは金なんか取らないからさ。朝まで子守歌を歌ってあげるからさぁ」
シニストラリがよってきて、こちらの腕に身を寄せる。同時に太ももの付け根を絡ませ、奥の部分を軽くこすりつけてきた。
「いいでしょぉ。あたしさ、アンタに助けられてから、ずーっと恩返しがしたかったんだから。たっぷり味わってよ」
古い話を持ち出されても困る。
アレはたんなるついで仕事だった。恩に着せるつもりも、恩を着せておくつもりもない。
助かりました、ありがとう。それですむだけの話だ。
どう断ったものか。
騒がしくなった店の方を見れば、たわわに実った極上の果実たちがこちらをうかがいながらなにやら楽しげに会話をしている。
サッキュバスストリートの名店中の名店。ドルーデ・アシュリーヌ。
この世ならざる夢を味わえる、まさに夢幻の世界だ。
耳を澄ますまでもなく話の中身はよく分かる。
店一番の遊女シニストラリが俺を店に引き込めるかどうか、それを賭けているのだろう。
「仕事に遅れると困るやつがいてね。性格の悪いやつだから、あまり待たせたくないんだ」
腕を引っ張り店へと連れ込もうとするシニストラリから、数歩離れる。
「シニストラリ。アレは単なるついでだった。恩に着ることなんか無いんだ」
腕を輪っかのままにして、眼を白黒させている彼女に告げる。
「で、でも。ねぇ、アタシじゃダメ? 別段それならそれで良いんだよ、他の娘を選んでくれれば。全部アタシが飲み込むからさ」
なおもすがろうとする彼女に、店の仲間たちが声をかける。
「諦めなよ、ニース。アーノルドは女嫌いで有名じゃないか」
良いタイミングだ。これで話を打ち切れる。
「悪いな。俺のは役立たずでね」
「嘘!アンタが立たないなんて信じられないよ。どんなやり方でも好みでも言っておくれよ」
まいったな。あんまり誤魔化してばかりでは通用しないか。流石に女たちは心の機微にさとい。
「正直に言うとな。俺は、女を喰っちまうのが趣味なんだよ」
がおーと両手を上げて襲いかかる振りをする。
「いいよ。だから食べておくれって言ってるじゃないかぁ。意地悪だよアーノルドぉ」
「悪いが夕飯はすませてあるんでね。じゃ、またな」
身を翻し、つき始めた街灯の下を早歩きで進む。
後ろから切なげな溜息が追ってきた。
……惜しかったか。喰っちまっても良かったかもな。
店に着いた。
中をうかがうと、ぎりぎりで間に合ったようだ。
冒険者の酒場のひとつ。それが目的地だ。
何せ都市内の訓練場じゃ、どこの施設でも夕方までは新入りたちの試験と基礎訓練がみっちり詰まっている。
おかげで夕暮れ過ぎれば一気に混雑し、安い店じゃまともに座ることすら出来ない。
見渡すと目当ての一団がいた。
奥まったテーブル。トイレに近い不人気の席。
いわゆる半端者たちの指定席だ。
「よお、しょぼくれてるな新米たち。ちょっとばかり足りないだけでくよくよすんなよ」
そこだけ暗く沈んだテーブルに近づき、陽気に声をかける。
訓練場で全ての希望者が探索者としての資質を認められるわけではない。
かなり厳しい審査と特殊な訓練によって、始めて探索者として登録が許されるのだ。
とは言っても審査と訓練は年々進歩している。
昔は使い物にならなかった足りないやつら――通称「五足らず」も、今では大半がぎりぎりではあるが探索としての基本職につくことが許される。
それすら合格できなかったやつら。つまるところやくざ稼業に向いてないまともな生活へ戻るチャンスを与えられたやつらが、俺にとってメシの種だ。
「うるさいな放っておいてくれよ」
色白の坊やが睨んでくる。おお、なかなかの気迫。十分、十分。
見れば他のガキどももそれなりに小粒だが使い物にならないガラクタではない。となるとアレだな。
「くくく。お前ら訓練場を選び間違ったな。マーフィーの所に行っただろう」
「……何で分かるんだよ」
「はははは。あそこは外れなんだよ。どんなに資質に恵まれようが、アソコで訓練を受けると使い物にならなくなるのさ。
出来上がるのは良い木偶人形、新米たちの的だ」
訓練施設にも当たりはずれがある。
そもそも毎日あふれんばかりに都市を訪れる探索者希望者たちを公営の訓練場だけでさばききれるはずがない。
引退した探索者たちに免状を許し、私設の訓練場を作らせたのはもう古すぎて憶えているやつはほとんどいないぐらい前のことだ。
出身の探索者が成功を収めれば訓練場にも余録が入る。
金のあるところは人員も設備も整う。だからますます人が集まる。当たり前の話だ。
施設同士も得手不得手があるし、競争によって使い物にならない場所は潰れていく。
だが、都市の中で唯一潰れないのがマーフィーの訓練場だ。
都市の中にいる探索者に取っちゃ誰でも知っているぐらいの場所だが、余所からきた新参には見分けはつかない。
さらにマーフィーの所は免許だけは一級品で、忍者の訓練も受けられる。さらに新米には装備品一式と支度金まで出る。
毎日ある程度の割合でここを選んでは、訓練期間終了時に絶望する新米たちが生産されていく。
訓練場は基礎からたたき込む。それは反射の域にまで達する程の苛烈さだ。
それに耐えたやつは経験を積んでいければ、ある程度の力量を得ることが保証される。
逆に自己流でやっているやつは最初の成長が早かろうと、必ずどこかで壁にぶち当たる。
そうなれば一生そこ止まりだ。いくら努力しようが自分で基礎を歪めちまったら、完全にぶっ壊すしか直しようがない。
だが、完全に壊した状態から積み上げていけるやつなんて存在しない。
探索者としての旬は短い。もっとも大切な始まりを歪め、壁に行き当たるまで続けて、そこで粉々に砕かれる。
砕けたものをつなぎ合わす。外見からはまともになったように見えるだろうが、既に盛りは過ぎて中身はすかすかだ。
良くて数年経験を積み、中級者にもなれずに終わっていくだけだ。
テーブルで愚痴をこぼしあっていただろうガラクタを見回す。
年は揃って15歳前後。男女同数の二十人。しめて3編成とちょいか。
「やり直す方法があると言ったら、どうする?」
告げる。選択の道を。
「!?」
彼らの表情が疑問の形のまま固まる。
何を言われたのか理解した。その瞬間、脳が未知の事態に停止したのだ。
いくら過去の情報を調べても、答えなど無い。だから探し続ける。だが答えなど出てこない。だから止まる。
「やり直せる。そう言ったらどうする?」
「――どうやってだ」
ようやく彼らのリーダー格の少年が言葉を発する。
「簡単な話だ。おまえたちの体は筋が完全に歪んでいる。歪められている。そのままでは使い物にならない」
事実を告げる。
他には何もいらない。
事実のみを告げ、望みを聞く。
技法も情実も脅迫も哀願も同情も何も必要ではない。
事実だ。真実などと言う人の数だけあるまやかしなどではない。事実だ。それ以外必要なことなど無い。
「歪んだ骨子のかわりに、筋を通す。一本な。しばらく続ければ歪んだ骨子が矯正される。叩き直す事に比べれば確実だ。
そもそも訓練場とはおまえたちの体に基礎的なラインを形作るものだ。基礎となる骨子が出来上がればあとは容易い。
それが歪んでいるなら、かわりのラインを通ししばらくそれだけに従えばいい。体が覚えた頃には歪んだラインも矯正されている」
「――――」
声無く彼らは俺の次の言葉を待っている。詐欺師か救世主か、判断するためにだ。
「無論まともな方法じゃない。取引にのるにもリスクは当然つきまとう。だが――――」
――――もし探索者となる夢を捨てきれないなら。
――――リスクを負っても成し遂げたい目標があるのなら。
「四日間待とう。人間が出来てなくて気が短いんでな。どこかのやつのように四十日の間だ時間をかけるつもりなど無い。
「決心が付いたら四日後の夜までに俺の住んでいる家に来い。アーノルド・ポールに用事があると言えばこの界隈のやつなら誰でも案内する」
探索者が集う都市にはある問題が必ず発生する。
探索者間の階級差だ。
そもそも探索者は都市の定住者から見れば武装強盗と変わるところがない。
国家の軍事力により統制されている雇われ、つまり冒険屋なら問題がない。
だが都市の近辺に危険となる魔窟が存在し、その探索のために四方八方から探索者が集う状況では問題は山積みとなる。
文化や風習の違いによるトラブルから、はては迷宮探索時に財産を失い不法民となるやつらまで多種多様に問題を生み出し続ける。
成功しているやつは良い。
成功した探索者は金回りが良い。周囲に必ず還元し、いずれは都市の重要人物として定住をして要の人物になるのが多数だ。
成功すると言うことは周囲に認められると言うことだ。認められれば人間変わっていく。
元々一攫千金を目指すために探索者になるやつが大多数だ。
そう言うやつらは成功すると必ず決まって同じ事をする。
自分の子供たちに教育を与え、身分の高いやつらと婚姻させる。
そうやって正当な血筋を手に入れ、有り余る資産と探索で得た名声を元に誇りを積み上げていくのだ。
だが失敗したらどうなる。
仲間が死んだら? 寺院での蘇生は完全先払いだ。
迷宮で武装を失ったら? 武装を破壊する魔物がいないとは限らない。
仲間を助けるために救援隊に依頼して、結果ロストしていたとしたら?
そうやって落ちぶれていったやつらは、不法民となり犯罪に手を染める。
定住した都市の市民から見れば危険極まりない。だが恐ろしくて対抗できない。
ではその矛先はどこへと向かう?
単純だ。
探索者になろうとしてなれず、諦めきれずに都市に残留するガラクタたちにその怒りは向かう。
四日後、俺の住処にきっかり3編成、18人が訪れた。
どいつもどこかしら怪我をしている。
片腕をつるし顔を腫らした少年、手首にあざを作り自分の体を堅く抱きしめた少女。
何があったのか。
考えるまでもない。
「二人足りないな。男女仲良く故郷に帰ったか」
「……そろって死にました」
「一昨日路地裏で見つかったのがそうだったか。仲良くまわされていたそうだな」
定番だ。
故郷にさっさと帰ればいいものを、踏ん切りがつかずにうろうろする。
金と体目当てのやつらに襲われ、抵抗しても嬲り殺される。
「馬鹿なやつらだ。さっさと決心すれば良いだけだ」
俺の嘲笑いに、唯一無傷なお坊ちゃん顔が反論する。
一歩間違えば同じ身だ。他人事とではないのだろうが。
「なんでそんなことを言うんですか。一生がかかっているならだれだって迷います」
だれだって迷う?違うな。こいつらはそこからして間違っている。
「迷うから死んだ。迷わなければ生きている。おまえたち勘違いするなよ。あの穴蔵の中で迷えるなんていう贅沢があると思っているのか」
別に語気を荒くもしてないし責めるつもりもない。迷宮での当たり前のことを言っているだけだ。
だというのに、ガラクタたちには今さらながら後悔の色がにじみ出てきている。
何とも幸せな人生を送ってきたんだろう。
迷宮の中で迷う暇など無い。
戦うか、退くか。
和睦か、殲滅か。
右か、左か。
進むか、引き返すか。
信じるか、信じないか。
使うか、使わないか。
ありとあらゆる選択肢が次々と突きつけられる。それが迷宮だ。
「まあ、そのあたりはどうでもいい。おまえたちの人生だ。おれのじゃない。どうでもいいことに構う程人生は長くない。
契約に移る。条件が呑めなければそこまでだ。とりあえずついてこい。おまえたちの雇い主にあわせる」
きびすを返し、地下の通路へと向かう。
階段を下り、地下室にはいる。
壁の隠し扉を開け、さらに地下へと続く階段を下る。
行きついた先の転移地帯から、雇い主の待つ場所へ通じる回廊へと跳んだ。
「さあ、ついた。彼がおまえたちの雇い主だ。仕事は彼の自宅周辺の警備。報酬は捻れた骨子の矯正具の貸与と衣食住の手配だ」
薄暗い玄室。
王宮の応接間を超える広さのそこに、雇い主はいた。
磨き上げられた床。天上を支えるのは巨人族が数人かかってようやく手を結べる程の太さの柱。
壁にはドワーフたちが彫り上げた彫刻と雇い主に破れた探索者たちの石像。
迷宮最深部。
魔窟を作り上げた魔導師が紹介する雇い主だ。
流石にガラクタたちも声を上げない。
無理もないか。何せ周囲を魔物たちに囲まれてるんだからな。
「就業規則や待遇について聞いておくなら今のうちだぞ。まあ、対して細かいことは求めないとのことだが」
魔導師から送られた人員募集要項をめくりながら言う。
「希望職種があれば最初に言っておくこと。あとは功績により昇進有り。具体的に言えばLV1メイジがLV5に。
いずれはアークメイジもあり得る。ああ、組合の交渉により新たにLV3メイジ職が追加された。
これによりLV5までが遠いとの現場からの不満を解消。士気が向上し先月までの探索者撃退効率がかなり上がっている」
ん?なんだ?こいつら、まだ迷っているのか。
「お前ら、復讐したいんだろ。探索者には何しても良いぞ。殺そうが犯そうが好きにしろ。
探索者が持っている金品は半額が与えられるから、独立後の生活設計も立てられるぞ」
近くの魔術師に命じて、先月のMVP撃退者の記録を映し出させる。
そこにはガラクタたちと同じ年代の少女が、LV4シーフたちに言い様に組み伏せられている映像が映っている。
さらに探索者の男がハイプリーテスに踏みにじられ、むち打たれている様子も流れ始めた。
「矯正が終わったらお前らを好き勝手にした街のやつらにも復讐できる。悪い条件じゃないと思うが」
――――かくして本日の人材確保は終了。めでたく20人全員が就職した。
2人多い? 多くないさ。
魔導師はありとあらゆる護衛を求めている。
アンデッドの類もな。恨みを抱いて殺されたやつなんて、生者への憎しみを抱く怨霊にすぐなるしな。
さて、帰るか。
来るときは最下層まで直通で跳んで、あとは顔バスだが、帰りは面倒だ。
何せちまちま入口まで歩いていかなきゃならない。
運が悪いと探索者のやつに出くわしちまうんだ。
もっと運が悪いと、迷宮の守護者が防衛しているときに出くわしたりな。
ああ、噂をすれば影。
サッキュバスたちが探索者たちに負けそうだ。
面倒だが助けるか。取引先の従業員だ。見捨てるのもアレだしな。
不確定名:「夜の生き物」が現れた!
夜の生き物はいきなり襲いかかってきた!
夜の生き物はブレスを吐いた!
「なあ、シニストラリ。おまえわざと俺がさしかかるたびに不意打ちを受けてるだろう?」
「え!?そんなことないわよ!こいつら強かったんだからさぁ。ねぇ、また助けられちまったねぇ。これは恩返ししなきゃ」
「……絶対わざとだろ」