「これはGARB of LORDS(君主の聖衣)ですね」
 それまで手にした純白の衣をためつすがめつしていた司教がおもむろに呟いた。
 ここは迷宮の最下層。簡易の魔方陣によって張られたキャンプの中で、四人の人影が思い思いにくつろいでいる。
 女君主、侍、忍者、司教の四人組は、小休止がてらに戦利品の鑑定をしていたところであった。
「本当か!」
 司教の言葉に歓声を上げたのは女君主である。
 床に座り込んでいた女君主は、身を乗り出して司教の手許を覗き込んだ。ゆるやかに波打つ金髪が揺れる。凛々
しい、という表現が相応しい整った顔立ちは興奮に上気していた。
「……これが……あの、伝説の」
 受け取った衣を両手で広げ、ロミルワの明かりにかざす。
 白地に紅の十字をあしらったそれは、膝丈のノースリーブのワンピースのようにも見える。いわゆるサーコートの
形状をしており、下に重装備をしても行動を阻害しないよう、股間の部分から裾まで深いスリットが入っていた。
(鎧だとばかり思っていたが……こんなに薄い衣だったのか……)
 女君主は夢見心地でそれを身に着けようとする。サーコートならば、鎧の上から被ってベルトを締めればよいはず
だ。しかし、早速衣に頭を通そうとする女君主に、司教の鋭い静止の声がかかる。
「お止めなさい!それはそうやって着るものではありません」
「……そうなのか?」
「そうですとも。GARB of LORDSは鎧の代わりに着るものです」
「代わりに?」
「ええ。分類上は鎧ですから。兜と篭手と盾以外は外して、直接纏ってください」
 司教が冷静に告げると、女君主は怒りと羞恥に顔を紅潮させた。
「ば、馬鹿な!そんな恥ずかしい真似ができるかっ!」
「でも強いですよ」
「やめだ、やめだ!私は着ないぞ。ボルタックにでも売ってしまえ!」
「なんだ」「どうした」
 女君主の声高な拒絶を聞きつけて、それまでめいめい休息をとっていた侍と忍者が集まる。
 司教は肩をすくめると手短に経緯を説明した。
「……なるほど。女君主よ、お前の言い分もわからんではない。だが、それは我がままというものだ」
「なにっ?」
 侍の言葉に女君主が気色ばんだ。
「ここが街中なら、お前の羞恥心も女としてもっともだ。……だがここは迷宮だ。俺たちは生き死にを賭けて迷宮を
探索している。生存の可能性を上げるためにも、ほんの少しでも戦力が増強できるなら、俺たちにはそれを拒むこと
はできない。できないはずだ。そうじゃあないのか?」
「そ、それはそうだが」
「GARB of LORDSは強力な防具だ。それを装備すればお前の戦力は格段に上がる。ということは、俺たちが生き残る
可能性が上がるということだ。それなのに、お前は小娘のような羞恥心を振りかざしてそれはできないと言い張るの
か?それが、戦士として正しい選択なのか?」
「せ、戦士として……」
 侍の理詰めの説得は女君主の心を大きく揺り動かす。
(自分は戦士であるよりも女であることを選ぼうとしているのか……?)
 巧妙な誘導に思わず逡巡が生じる。この薄い布きれだけを纏って戦うのが戦士としてあるべき姿……?だが誘導に
乗ったのはそこまでだった。その「あるべき姿」を脳裏に描いてみたところ、頭の緩い痴女にしか思えなかったから
だ。これは戦士としてどうとかいうレベルの問題では断じてない。

「いや、だ、騙されないぞ。これは戦士云々以前の問題だ。どんなに有利だからといって、こんな破廉恥な恰好で戦
う戦士などいるものか」
「なんだとッ!」
 怒声を発したのはそれまで沈黙を守っていた忍者だった。女君主は思わず、普段なるべく直視しないようにしてい
る忍者の姿をまじまじと見つめてしまう。忍者は全裸だった。
「お前は今俺の存在を否定した!なんだっ!そんな布きれ一枚。俺なんか全裸でいなければならないんだぞ!だが俺
は自分の恰好を恥じたことはない。これこそが忍者として辿り着くべき究極の姿だからだ!仲間のために、強く、裸
であることを俺はむしろ誇りに思っている!」
 お前の場合はただ露出趣味があるだけじゃあないのか。
 その言葉をぐっと飲み込む。裸の方が強いから恥をしのんで……?え、でもお前そんなにレベル高かったっけ?疑
問が渦巻きながらも、忍者の強い非難になんだか自分が悪いかのような錯覚を感じつつあった。
「で、でも、考えてもみろ。私が、こ、こんな破廉恥な恰好でいたら、お前たちだって、その、変な目で見るに決まっ
てるじゃないか……」
 弱弱しい抵抗を見せる女君主を、忍者は「くわ」と目を見開き一括する。
「じゃあお前は今まで俺をそんな目で見ていたのかっ!?」
「え?え?」
「そうじゃないだろう。わかってる。俺もお前も戦士だ。ただひたすらに忍者であろうとして裸を晒しているに過ぎ
ない俺を、お前が卑猥な目で見ているはずがない。だったら俺たちも同じだ!お前が最強の君主であろうと僅かばか
り肌を晒したとて、どうして俺たちが性的な視線を送るだろうか。いいや、送らない。送るはずがない。むしろ万の
言葉をもってお前の英断を讃えよう。ただ純粋に強さを追求するお前の気高い姿に、万雷の拍手を送ろうじゃないか。
だから、信じろ!俺たちを!この死と隣り合わせの迷宮で培った友情を!そして信頼の証として……脱げ!!」
「え?えええ?ええええええ?」

「……もう、いいぞ……き、着替え終わった」
 消え入りそうな女君主の声。紳士的に後ろを振り向いていた三人(うち一名は全裸で待機)は女君主に振り返る。
「…いい」「イイな」「いいですね」
 三人は感嘆の溜息を吐いた。
 額冠、篭手、ブーツ。利き手にカシナートを下げ、逆手に盾を持つその姿は色気もそっけもない普段のままだ。
 だが胴部に纏うのは白い布一枚。袖がないため白い肩も露だ。ベルトで締められた薄布は身体のラインをはっきり
と浮かび上がらせる。鎧の上からは想像もできなかったボリューム感溢れる胸、腰のくびれ、なだらかな尻のライン。
そして何よりも目を引くのは、中央に深く入ったスリットだ。もはや製作者の悪意すら感じさせる大胆な切れ込みか
らは、淡い金色の繁みが見えるような、見えないような。女君主はそれを見せまいと内股気味に腿を擦り合わせるが、
そのため今度はスリットから生白い太ももが飛び出し、余計に卑猥さを際立たせていた。
「盾で隠されてしまうのが少し惜しい感じだな」
「いやいや、これはこれで余計に羞恥プレイっぽくてイイですよ」
「あれだな。裸サーコートってヤツは裸エプロンに通じるものがあるな」
 小声で論評し合う三人を、耳の先まで紅潮させた女君主がそれでもきっと睨みつける。
「おい。本当に戦力向上のためなんだよな?いやらしい目で見てないよな?」
 侍、忍者、司教は大きく首を左右に振った。
「もちろん」「無論だ」「もちろんですよ」



「なあ……隊列を、変えないか?」
 先頭を歩く女君主が言い辛そうに切り出した。
 後ろのスリットからちらちらとのぞく生尻を食い入るように見つめていた侍が慌てて視線を逸らし答える。
「何を言う」
「さっきから……なにか、視線を感じるんだ。気のせいだと思うが……」
「といってもな。ムラマサ持ちの俺が三番手なのは確定だし、前衛二番目の戦力であるお前が先頭に立つのが最も理
に適っている。地下での隊列の定石じゃないか」
「わかっているんだが……」
「見損なうな。俺たちが武装した仲間をいやらしい目で見るような人間だと思っているのか?」
 そう言われると返す言葉がない。女君主は押し黙って再び内股歩きを始めた。
 だがそれでも二三歩もすればまた強烈な視線を感じ始める。女君主は我慢できずに抜き打ちで背後を振り向いた。
「っ!!」
 そこでやや前かがみ気味で自分の尻を覗き込んでいた忍者と目が合う。
「忍者!きさま!見ているなッ!」
 流石に言い逃れできない状況であった。しかし忍者は胸を張って答える。
「ああ、見ていたとも」
「なっ!」
「だがそれはお前の新しい武装に隙がないか観察していただけだっ!エロい目で見ていたわけではないっ!」
 堂々と言い放つ忍者に女君主は疑惑の視線を向ける。その視線が忍者の表情を読めない黒覆面から下に下りていっ
たところで、訝しげな表情を浮かべていた女君主が硬直した。固まった喉の奥から搾り出すように詰問する。
「……本当にいやらしいことは考えていなかったのだな?」
「当たり前だ!俺を誰だと思っている!」
「性的に興奮したりはしていなかったんだな?」
「何度も言わせるな!忍者の鋼の精神を舐めるな!」
「……じゃあその股間にぶら下げている小汚いものの有様はどういうわけだ?」
 不審の目を今や爆発寸前の怒りに変えて、女君主は不快気に忍者の股間を指し示す。
 そこには隆々と天を突かんばかりに勃起した忍者自身が聳え立っていた。裸身であるばかりに、曝け出された局所
は忍者の精神状態を何よりも雄弁に語っていたのである。
「むっ!い、いかんな。どうやらさっきの戦闘で部分的にマニフォをかけられてしまったらしい。大丈夫。お前の手
でディアルコしてくれればきっと治る」
「……言うことはそれだけか?」
 慌ててわけのわからない言い訳を口にする忍者に女君主の口調は冷ややかだ。座った目でカシナートをきつく握り
締めている。
(殺られるっ!?もはや口先で誤魔化せるレベルではないというのか……っ!)
 まごうかたなき殺気を感じた忍者は必死で起死回生の策に思いを巡らせる。とにかくこの場を凌がなければ。女君
主は胸を轟然と反らして怯える忍者を見下ろす。その時忍者に天啓が閃いた。女君主の胸部、純白の薄布一枚で覆わ
れたそこには確かに二つの突起が存在を誇示していた。
「そこだっ!!」
「!ああんっ」
 音速で突き出された忍者の二本の人差し指が狙いたがわず胸の突起を押す。
 女君主はあられもない声を漏らした。
「……ふう。窮地は脱したな」
 ――ざしゅっ
 まるで冷や汗をぬぐうように右手が添えられた忍者の首が宙を舞った。
「そんなわけがあるかっ!」
 怒り狂った女君主の斬撃であった。
「ク、クリティカルヒットだ」
「どうやらGARB of LORDSの追加効果みたいですね……」
 唖然とする侍と司教。血飛沫を浴びながら振り向いた女君主は修羅の表情を浮かべていた。
「もうお前たちは信用しない。いいか、もしまた妙な真似をしたら……二度目があると思うなよ」



「……腹が痛い」
 女君主がぼそりと呟いた。
 暴君の一言に萎縮しきった三人がびくりと震える。
 もう女君主の卑猥な衣装に目を止めるものはいなかった。
「……地下に入る前に済ませてこなかったのか?」
 今さっきカドルトで首をつないだばかりの忍者が尋ねる。
「くそっ、こんな馬鹿げた恰好で腹を冷やしたせいだ!」
 通常、冒険者は空腹で地下にのぞむ。探索中に生理現象が起こらないようにするためである。短期的な活力なら治
癒の呪文で十分にまかなえるから、無防備に地下で排泄する危険を避けるためにもこのような心得ができあがった。
もっとも、緊急の場合には地下で処理することもありえる。もとより死体が大量に発生する地下迷宮が伝染病の巣窟
になったりしないのは、汚わいを専門に処理するモンスターの存在や、迷宮主の魔法的な力のおかげであり、たとえ
迷宮内で排泄したとしても一日も経てば跡形もなくなる。後は純粋に身の危険と……羞恥心の問題であった。
「処理してくる。……わかっていると思うが、妙な気は起こすなよ」
 女君主はそう言い残すと迷宮の角に消えていった。
 残された三人に重い空気が漂う。そう、思いは同じだった。今のあられもない服装で、さらに無防備な姿をさらす
女君主。よこしまな思いが浮かばないといえば嘘になろう。だが先ほどまざまざと見せ付けられたクリティカルヒッ
トの恐怖が三人を踏み止まらせる。口車に乗せて破廉恥な恰好をさせたのに、あと一歩を踏み出せない。そんな身動
きのとれない重苦しさが三人を支配していた。

「……俺は行くぜ」
 重い沈黙を打ち破るように忍者が立ち上がる。侍は咄嗟にその腕を掴んだ。
「正気か?また……死ぬぞ?」
 だが忍者は静かに頭を振る。
「付き合ってくれとは言わんさ。だが……俺は気付いちまったんだ。目の前に財宝がある、そして、死の危険もある。
今の状況は、俺が生まれて初めて地下迷宮に潜ろうとした時の状況にひどく似てやがる。……そこで冷静に己の命を
顧みれる人間なら、そもそも地下に潜ったりはしちゃいないはずさ」
 訥々と語る忍者の言葉には、衒いも誤魔化しもなかった。だからこそ、それは二人の男たちの心を打った。
 侍は頭を掻きながら立ち上がる。
「ちっ、恰好つけやがって。馬鹿野郎が。お前一人見殺しにできるかよ」
 司教も立ち上がった。
「覗きをするならディルト(暗闇)の使い手は必要でしょう」
 二人の顔にはどこか誇らしげな微笑が浮かんでいた。
「お前ら……っ!」
 黒覆面で隠された忍者の素顔は伺えない。だが、侍と司教には、確かに忍者が笑っているのが感じ取れた。



 女君主の消えた角の手前で、司教はディルトの呪文を唱えた。
 薄墨のような暗闇がたちこめ、三人の姿を迷宮の闇の中に押し包む。
 闇を纏った三人は、忍び足に手探りで角を曲がる。
(……暗闇にまぎれるのはいいが、これでは俺たちの視界まで遮られてしまうな)
(大丈夫ですよ。屈んで顔だけ暗闇から出す感じで……)
 押し殺した声を交わす。
(……よし。まず俺が試してみよう)
 やや潜行していた忍者は、ほぼ地面に腹ばいになるようにして、首だけを突き出した。
 目の前が一気に晴れ渡る。顔だけ闇から抜け出たのだ。
 だが、暗闇を抜け出た忍者の視界は、白く柔らかい何かによって遮られた。
 ――むにっ
「ひあうっ!!」
 裏返った奇声を発したのは忍者ではなかった。
 聖衣をたくしあげ、しゃがんだ姿勢でまさにことに及ばんとしていた女君主が、突如尻に何かが押し付けられたの
を感じ、思わず声を漏らしたのである。
「しまった!」
 一拍遅れて現状を把握した忍者が尻の主を見上げる。
 だが、女君主は既にその手にカシナートを握り終えていた。
 ――ざしゅっ
 鋭利な刃物が肉と骨を寸断する重い音が響き渡る。暗闇から突き出された忍者の首が驚愕の表情のまま宙を舞う。
「忍者!」
 慌ててまろび出てきた侍と司教が目にしたのは、頭部を失って地面に崩れ落ちる忍者の身体。そして、カシナート
から血風を迸らせる女君主の姿だった。女君主は冷ややかに、余りにも冷ややかに二人を見据えると、起伏のない口
調で淡々と告げた。
「二度はないと言ったはずだ」
 それは峻厳な罰の執行を宣言する刑吏のような一言だった。二人は瞬時に、もはや弁明の余地もなく、酌量を乞う
ことすら許されていないことを悟る。侍は小さく溜息を吐いた。それは己の運命を自嘲するかのようであったが、ど
こか成し遂げた男の満ち足りた響きも含んでいた。
「やりすぎたな」
「……ええ。でも」
 司教は笑った。それは死を覚悟した者のみが持ちうる凄絶な、そして透き通った微笑だった。
「本望です」

 その後、カント寺院に三体の死体が運び込まれた。
 同時にボルタックの商品棚に、法外な値札がつけられた新商品が一つ並べられることとなる。
 「GARB of LORDS」。その純白の輝きは、今でも女君主を仲間にしたすべての冒険者を魅了して止まない。