「ユディが寝込んでる?」

 思わず俺は、言われた言葉をそのまま聞き返してしまった。
こういう返事は愚かに思えるから、意識的にしないようにしていたのに。
まったく、紳士失格だ。
 俺のそんな心中には全く構わずに、眼鏡司祭、春花が心配そうに言葉を継ぐ。

「うん、そうなの。
一昨日ロードから帰ってから、布団から出てこなくて。
何を聞いても生返事ばかりだし、ご飯を持っていっても全然手を付けないし……。
このままだと、あの子、ダメになっちゃうよ。
で、悔しいけど、ルノーなら何とかしてあげられるかな、って……」

 世話好きな春花は、誰かが風邪を引いたり体調を悪くしたりすると付きっきりで看病する。
しかし、それは大抵、明らかに原因が分かっている状態で、呪文一つで治ることも多々ある。
だが、今回は、呪文ではどうにもならないことらしい。
いつもは元気に揺れているツインテールが、何だか萎びて見える。
春花自身もユディを心配するあまり、気分が優れないらしい。
紳士を自称する俺としては、女性を苦しめる存在は許せない。
それが例え、見えないものだとしてもだ。

「任せとけ、春花。
キミのためにも、アイツのためにも、俺がどうにかしてやるさ!」

 春花の肩を左手で軽くぽん、と叩き、自分では最高だと思う笑顔を向けて。
びっ、と親指を立てた右の拳を、春花の目の前に上げたのだった。


 
「ユディ、見舞いに来たぜ〜」

 二度、連続したノックの音が聞こえた後、扉の向こうから聞き慣れた声が掛けられた。
・・・・恐らく、春花が今の私を心配して、ルノーを引っ張ってきたのだろう。
布団の中で、私は扉に背を向けると、掛け布団を耳まで引き上げた。

「・・・入るなら、入ってこい。鍵は開いてるから」

 ここで拒否をしても、ルノーはあの手この手を使って入ってこようとするだろう。
それなら、最初から受け入れた方が私としても楽だ。
そう思いこもうとするが、ルノーが来てくれて、なんだかんだで嬉しい自分がいる。
人に心配掛けてもらって嬉しいだなんて、まだまだ自分は未熟だ、と、
頭の冷静な部分が怒りを込めてはっきり言う。
それでも。
我ながら情けなくなるが、ルノーが入ってくる気配に少し気分が落ち着くのを感じた。

「で、どうしたんだよ」

 いきなりの直球過ぎる質問に、苦笑が零れる。
ルノーの、私のことを理解している優しさは嫌いじゃない。
遠回しに言われると、私が困ってしまうこと、重々承知しているのだ。

「・・・・・ルノーに言ったところで、どうしようもない。
これは、私自身が割り切らなきゃいけない問題だから」

 これは本当のことだ。人に何を言われた所で、結局、自分の心に整理を付けられるのは自分自身しかいない。
しかしルノーは、私のことを知り尽くしている。
私の頭の後ろ、布団の端辺りに、重いものが沈んでくる感触が、寝ている布団から伝わってきた。
大方その辺りに腰を下ろしたのだろう。
その振動で、私の自慢の金髪が、さら、と耳の辺りから滑り落ち、唇に覆い被さってきた。
その髪を、耳の後ろに掻き上げる程度の間を空けて。

「・・・あれか? パンドゥーラか?」
「!? 何で分かったんだ!?」

 さらりと口を開いたルノーに、思わず布団から顔を出してしまった。
あ、と気付いた時にはもう遅く、その布団の端を掴まれて、ばさ、と捲られてしまった。

「おはよう、ユディ」

 私と同じ色の髪、同じ色の瞳に、にっこりと微笑まれて。
私の身体は勝手に負けを認めてしまったらしい。
肩から力が抜けていくのが、他人事のように感じられた。
諦めて上半身を起こすと、勝手に溜息が口から漏れた。
この強引な男の、不器用で器用な優しさに。

「・・・・・おはよう、ルノー」

 恐らく、今の私はかなりの仏頂面をしていることだろう。
それでもルノーは、私に向かって笑いかけていた。
元気づけるように、労るように。

「ま、パンドゥーラと戦うまでは全く普通だったからな。そのくらいは分かるさ。
で? どうしたんだよ」

 部屋に入ってきた時と同じ、直球剛速球の質問。
今度は、ちゃんと答える気分になれた。
いつもは纏めている髪の端を、くるくると指先で弄びながら、唇を開く。

「・・・・パンドゥーラとの戦い、覚えているか?」
「あぁ、さすがに強かったな。・・・その、攻撃方法は酷かったけど」

 思い出すのも嫌になるが、話そうと思うと、意外と言葉が出た。

 一昨日、ヨハネセメタリーを探索し、ナイトフェザーからデータをコピーし終え、帰還しようとした時のこと。
ロードとセメタリーを繋ぐ、ロード側の転移門で、私達の隊を待ち伏せしていた魔族がいた。
パンドゥーラ。
私達学徒ですら名前を知っている、通称「毒婦」。
どうやらその女は、凛の姉、静流さんについての情報を握っているみたいだった。
あからさまな挑発を仕掛けられても、さすがに全員、すぐに引っかかることはなかったが。
しかし、何か情報を残すのではないかと考えた私達は、敢えてその挑発に乗った。

 ある意味、パンドゥーラとの戦いは壮絶を極めた。
ディープキスして舌を抜こうとしてくるは、馬乗りになって胸を揉んでくるは、
前衛の男二人にいたっては・・・・女にはないアレを引き抜かれかけたらしい。
私達の隊は、前衛が男二人と僧侶の私、後衛が春花と、女の子がもう一人と魔道士のルノー。
そんな言葉にするのも躊躇われるような攻撃の数々に、後衛を晒す訳にはいかない。
絶対に春花とティアラを守る、と覚悟を決めて。
そこに、ルノーが呪文を詠唱をしているのが視界の端に入った。
そのルノーを、パンドゥーラがちらりと見たのを眼にした途端、身体が勝手に動いて。
気付いたら、錘を振り上げて突っ込んでいた。

「・・・・・・・・処女、奪われた」
「・・・・・・・・・・・・え?」

 ルノーの返答は、私が言葉を発してから、たっぷり10数えるくらいはあった。



 あの戦闘の時の私は、静流さんを探索する際に支給された軍服を着ていた。
女性の軍人に与えられる軍服は、丈の長いスカートだ。
あろう事かパンドゥーラは、錘を振り上げて接近した私の手を片手で掴み、
もう片手を一気にスカートの中に潜り込ませると。
その・・・・下着の股間部分を脇に寄せて・・・アソコに・・手首まで、潜り込ませてきたのだ。
咄嗟に蹴り上げたお陰で、そこまでですんだが、放っておいたら腕まで入ってきただろう。
スカートに隠れて、皆にはどうなっているかまでは見えなかったはず。そう信じたい。
・・・いや、今のルノーの反応を見る限り、見えなかったのだろう。

「あ・・・あの時、か・・・・」

 固まっていたルノーの思考が動き出したらしい。
私の言葉の意味が、あの時の攻防と繋がったらしく、頬を赤らめて僅かに俯いている。

 あの後、見事にルノーが覚えたてのティルトレイを発動させ、
何とかパンドゥーラを退散させることが出来たが。
正直、私は凄まじい激痛に襲われていて、春花がマハディアを掛けてくれるまで、全く動くことができないでいた。
当然だろう、経験すらない、愛されて解されてすらいないアソコに、明らかに比して大きいものを全て入れられたのだから。
皆には隠していたが、股間から太腿に何か熱い液体が垂れていくのも感じていた。
肉が裂けたのもあるだろうが・・・・・恐らく、「処女を喪った血」も混じっていただろう。
足首まで覆うスカートのお陰で、皆に気付かれることはなかったこと、それだけは良かったのかもしれない。
その時は、その痛みに構うだけで精一杯だったが。
学府に戻り、いざ自分の部屋に一人になると、パンドゥーラにされたことが甦ってきた。

「何だか・・・・・酷く、悲しくなってしまったんだ。
好きな男が出来たこともないのに、敵で、魔族で、しかも女に奪われるなんて・・・。
酷く、自分が汚された様な気がして、どうしようもなく惨めで、悔しくて、恐くて・・・・・」

 春花にすら言えなかったことを、ルノーに言えたことで、少しだけ心が落ち着いた。
何だかんだ言って、やっぱり私はルノーを一番信頼している。
それでも、話していく内に、身体が震えてきた。
ルノーが顔を上げて、私を見つめる。
自分が傷ついたような表情を浮かべながら、そっと私の頬に手を伸ばしてきた。

 優しく、温かい感触。
幼い頃から知っている、温もり。

「・・・・・我慢すんな。泣けよ」

 穏やかながら、強い声。

 私は、矢も楯もたまらずに、ルノーの・・・双子の兄の胸に縋り付いて、泣いた。
 
 腕の中で、声を枯らして泣き続ける双子の妹の頭を撫でながら、俺は思う。
コイツはもう、「そういうこと」を知ってる年齢なんだ、と。
今まで、紳士を気取りながらも、ユディを子ども扱いしてからかってきたが。
もうこれは、迂闊にからかえない。
下手なことを言うと、この傷がまた開いてしまうに違いない。
そんなことは絶対にしたくない。紳士の名折れ以前に、兄として、男として、いや、人間としてしたくない。
絶対、俺が守ってみせる。
幼い日、母さんがいなくなった日に立てた誓いが、心の中で甦った。
・・・・いや、甦ったんじゃない、奥にしまっていたものが、表に出てきたんだ。
大切に大切にしまいすぎて、忘れかけていた記憶。

 昔していたみたいに、そっとユディの背中を抱き寄せる。
ふわ、と髪から、服の隙間から、慣れきったユディの香りがした。
僧侶とは言え前衛のせいか、女にしては筋肉が付いていて。
それでも、男に比べれば全然少ないし柔らかいし、肩や胸、鎖骨の線はまろやかで女らしい。
乱れた金髪が背中や胸元を覆っていて、きらきらと部屋の明かりに艶めいている。
寝間着の合わせから覗く谷間が、しっとりと汗ばんでいて・・・・・

 ・・・・・あれ、俺、何考えてるんだ?
ユディは妹で、生まれた時からずっと一緒で、風呂なんか8歳くらいまで一緒に入ってて・・・・
あ、俺、コイツの裸、もう9年も見てないんだ。
そりゃ、変わるよな。
俺の胸板に当たってる、柔らかい二つの感触は、良い感じに大きくなってるし。
抱き締めた感じ、腰は良い感じに締まって、尚かつ、腰から下は良い感じに肉が乗ってて・・・

 ・・・・・って、あれ、俺、本気で何考えてる?
まぁ待て俺。
俺は紳士だ。女性とは敬愛すべき存在で、守るべき存在だ。
しかもユディは双子の妹だ。可愛いユシアディーカ。
母さんが死んだ後、魔術を学んで母さんの仇を取るといった俺に、
聖術を学んで俺を守ると言ったユシアディーカ。
それからユディは、俺の前ですら泣かなくなった。弱い所を見せようとしなかった。
どんなに辛くても、どんなに悲しくても、泣いたら俺が心配する、と分かっていたから。
そのユシアディーカが、俺の腕の中で、泣いている。
本当に久しぶりに、俺の前で弱さを見せている。
細い肩を、震わせて。つやつやしたほっぺに、涙を乗せて。

 ・・・・・・おいおいおい、ちょっと待て、俺!
今、ユディはパンドゥーラに処女奪われて傷心の身なんだぞ。
そんな妹に、俺は一体何を考えてるんだ!
あの時、俺は離れた位置からフォーレスを詠唱していて、
そんな俺を守るかのように、ユディは俺とパンドゥーラの間に立ちはだかって、走り出した。
で、スカートの中に手を突っ込まれて、身を引き裂かれるような叫び声を上げていて。
・・・・気が付いたら、フォーレスの詠唱を止めて、ティルトレイを詠唱し直していた。
たった2回しか使えない、最強の攻撃魔法を。
しかも、2連続で。

「・・・ルノー?」

 少し落ち着いてきたのか、腕の中のユディが、俺を見上げる。
目の端や瞼が赤くなってはいるものの、その瞳は涙に洗われて、美しい琥珀の色をしている。
これが俺の瞳と同じ色だとは、にわかには信じがたい。
更には、俺の名を呼ぶ声は、泣きに泣いて掠れていて、何処か低いのに艶めかしくて。
その声が滑り出してくる唇は、泣き疲れたか、僅かに震えて、綺麗な桜色に上気している。
いや、唇だけじゃない、頬や首筋、鎖骨までもが、校門で咲き乱れていた桜と同じような色になっている。
埋め尽くすような桜色、むせかえるような香り、満たされるような温もり。
ダメだ、ユディは妹なんだ・・・・・・妹?
イモウトって、何だ?
目の前にいるのは、ユディ。ユディは、俺の、何なんだ?

「・・・ユディ」
「ルノー、どうした?」

 少しだけ力を取り戻した瞳が、俺を見つめる。
吸い込まれそうなほどの、深い琥珀の色で。
その瞳は、俺の迷いを映し出したかのように、不安そうに揺れている。

 そうだ、俺たちは、双子だ。
別れた魂。別れた翼。
それが一つに戻ろうとして、何が悪い。
当たり前の事じゃないか。
何でこんな事に、今まで気付かなかったんだろう。

「ユディ。大丈夫だ、俺が消してやる。
心の痛みも、女の傷も、全部、全部俺が消してやる」

 安心させるように、微笑みかける。いつものように。

 腕の中のユディが僅かに藻掻いた。
それが引き金になって、俺はユディを、布団に押し倒していた。