齢十六にしてすべての呪文を身につけたマスターレベルのビショップ。
 エルフの少女アイルラスは、その光景をただ呆然と見詰めることしかできなかった。
「早くして! 何やってんの!」
「遊んでる場合じゃないのよ!!」
 前衛を務める友人達の声がどこか遠くから聞こえてくる。
 ……友人達と言っても、冒険を始めてすぐの頃幾度かパーティーを組んだ程度の仲だ。
 一度潜れば何週間も街で遊びほうける彼女たちに愛想を尽かして、馬小屋を使って毎日迷宮に入っていたアイルラス。
 その力量の差は非常に大きなもので、今回も彼女たちが昔の誼で頼んでこなければ、こんな浅い階層に潜ることなど無かった。
 だからこそ、見逃していたのだろう。
 だからこそ、気づけなかったのだろう。
「嘘ですよね……」
 ただ呆然と呟くアイルラスの目は、目前にいる二十体を超えるモンスター――ワーアメーバ達の中の一体に釘付けになっていた。
「ぎゃぁぁっっ!」
 隣にいたシーフが、ワーアメーバの触手に貫かれ絶命する。
「早くっ! もたないっ! ぎぅっ!!」
 前衛のファイターが、真っ青な顔で叫び声を上げる。
 毒を受けていることは理解できていた。
「何のため、連れてきたと思ってるの! 早くしなさいよ!!」
 サムライの声にもアイルラスは耳を貸さない。
 いくら力量を上げるためとは言え、彼女たちのレベルで挑んで良い階層ではないのだ。
 自分を連れて行けば大丈夫。
 そんな風に甘えていた彼女たちを心配するつもりは、アイルラスには最初から無い。
 それでも、見殺しにすることはなかっただろう。
 普段なら。
「……なんで、…………ミアキス」
 アイルラスの目は一体のワーアメーバに向いたまま。
 ……迷宮で行方を絶ったアイルラスの最愛の恋人、人間のロードだったミアキスが下半身をゲル状に変えて蠢いていた。
「死にたくないぃぃぃ!!」「ひぎっっ!!」
 ……前衛達が、悲鳴を上げて床に倒れた。
「……ミアキス」
 ずるりと、他のワーアメーバよりも先にミアキスが、前に出てきた。
 もはや、人間の意識を感じさせない濁った瞳を見詰めて、アイルラスはゆっくりと彼に近寄っていく。
「いいですよ、ミアキス……。私、ミアキスになら殺されても良い。食べられても良いですから」
 アイルラスが何もしないことに気づいたのだろう。
 他のワーアメーバ達が、友人達の体に覆い被さっていく。
 そして、その体を少しずつ溶かしていくのを横目で見た。
 自分もあのように殺される、あのように食われる。
 普通なら怯えるような状況で、アイルラスは微笑みを浮かべた。
 愛した人に殺されるなら、そして食われるのなら、ソレで構わない。
 心底そう思ったのだ。
 だが、ミアキスは動こうとしない。ただじっと見つめ合うことしかできない。
「ミ、ミアキスっ! 早く、早くして!!」
 友人達の死骸を食べていたワーアメーバ達が、一斉にアイルラスに視線を向けてくる。
 ミアキスになら食われても構わないと思っても、他の生物に補食されたくなど無いのだから。
 なのに、ミアキスは動かない。
 じりっと、他のワーアメーバ達が、にじり寄ってくる。
 ティルトウェイトを使えば、一掃することが出来るけれど、ミアキスまで巻き込んでしまう。
 それだけは絶対にしたくなくて。
 だから、続けて起きた光景にただ絶句した。
 アイルラスに向かって飛びかかってきた一体のワーアメーバ。
 ソレを、ミアキスがたたき落とす。
 それだけではなかった。
 アメーバから人間へとカタチを戻したミアキスが、ファイターが落としたカシナートの剣を拾い上げて、他のワーアメーバ達に斬りかかっていったのだ。
 ミアキスが剣を振るうたび、切り裂かれたワーアメーバの肉片が空を飛ぶ。
 それがミアキスの体に触れて、吸い込まれていく。
 一瞬呆然とその光景を見ていたアイルラスはすぐに、我を取り戻した。
「…………神々よ、我と我が最愛の人に祝福を、バマツ!」
 咄嗟に魔法をかける。
 自身とミアキスの体を、淡い光の膜が覆った。
 それが、ミアキスに効果を発揮したことに内心ほっとする。
 ミアキスが、自分のパーティーとして認識されている事だと気づいたから。
 それでも、攻撃系の魔法を使う気にはなれなくて。
 だから出来る限りの補助魔法を重ねがけする。
 ……ロードとして、非常に高い力量を誇っていたミアキス。
 アイルラスの補助があり、また高い回復能力を持つミアキスであれば、無数のワーアメーバも恐るるに足りなかった。


 ……時間こそ掛かったモノの、ワーアメーバを殲滅したミアキス。
 その強さと美しさを感嘆と共に見詰めていたアイルラスは、だから気づけなかった。
 周囲に散っていた筈のワーアメーバ達の体が消滅していることに。
 ……その残滓が、ミアキスの足下に僅かに残っていることに。
「ミアキス!」
 愛した人が其処にいる。
 その想いに突き動かされて、思わず飛び出そうとするアイルラス。
「来るなっ!」
 なのに、ミアキスの放った怒声が、アイルラスの足を止めた。
「俺は、もうモンスターだ。君とは一緒にいられない」
「ミアキス?」
「俺のことは忘れて、幸せになってくれ……」
 びくりと、震えるミアキスの肩。
 下半身が徐々にカタチを失い、ミアキスの体が徐々に床に沈んでいく。
 それを見ながら、アイルラスは逆に近寄っていく。
「そんなの……無理ですよ」
 ぽつりと呟いて、その真後ろに立った。
「だって、私の幸せはあなたの隣にいることなんですから」
 その言葉はアイルラスにとっては真実。
 心を許した唯一の人を失って、なお生きる苦痛を味わうくらいなら、アイルラスは死を選ぶ。
「私は良いんです。あなたになら、殺されて食べられたとしても。それに……、二人で遠い山奥に隠れることだって出来るでしょう」
「……それは、無理だ」
 まだ振り返ってくれないミアキスの言葉に、胸の奥が痛みを覚えた。
 だけど、そのまま問いかけても答えが返ってこないことだけは解っていたから。
 ただ静かに続きを待った。
「…………迷宮の階層ごとにモンスター達の強さがある程度決まっているのは、結界があるからだ」
 唐突な、そして、始めて聞いた話に、アイルラスはただ驚くことしかできない。
「……無論、普通の冒険者には効果がないが、モンスター達はその結界を超えることが出来ない…………、俺は、死ぬまでこの階層から出ることは出来ないんだ」
 まるで血を吐くような重々しいミアキスの言葉。
 その言葉だけで、気づくことが出来た。
 何度も、試したのだと。
 何度も、戻ろうとしたのだと。
 だけど、結局ソレが全部無駄だったのだと言うことも。
「なら、私も此処に住めば良いだけのことでしょう」
 だからこそ、アイルラスは自らの想いを言葉に乗せて、ミアキスを背後から抱きしめた。
「私の幸せはあなたの側にいることですもの。あなたが何であろうと、何になろうと、変わりありませんわ。愛しています、ミアキス」
 くっと、ミアキスの肩に乗せた手に力を込めて、ミアキスをこちらに向かせた。
「愛しています。私の体も心も、力も技も有りとあらゆる全ては、あなたの為にあります」
 不意に抱きしめていたミアキスの体が膨れあがった。
 否、ゲル状に変化していた下半身が、倍以上の大きさになったのだ。
 しかも何本もの触手を一斉に生やしていた。
「アイルラス……、俺は…………このままじゃぁ……頼む、離れてくれ」
 触手の目的が、アイルラスには理解できた。
 それが、ミアキスの理性から離れた心のカタチだと言うことにも。
 だから、アイルラスは一歩後ろに下がった。
「すこし、待って下さいね」
 それだけを口にして、纏っていたマントを脱いで床に置いた。
 命の指輪を外して、その上に乗せる。
 ミアキスが何か言いたげにこちらを見ていて、ソレには答えることなく、アイルラスは身につけていた装備を外していく。
 転移の冠、レザーアーマー+2、僧侶のメイス、スモールシールドと、全ての装備を脱ぎ捨てて、普段着だけの姿になるアイルラス。
「アイルラス……、何をして……」
 ミアキスの言葉には応えることなく、その普段着さえも全て脱ぎ捨てた。
 素肌に感じる迷宮の空気は僅かな粘りを持っていて、アイルラスの心を訳もなく掻き乱す。
 小振りだが非常に美しい形の乳房が、呼吸に応じて小さく震える。
 細く引き締まった腰も、小さな尻も全てが美しい形を保っていて、まるで生きた芸術品を思わせる。
 そんな自身の体のことは気にもとめず、恥ずかしさと心細さを感じているアイルラスは、静かにミアキスの側に近寄った。
「アイルラス……」
 うじゅると、ゲル状になったミアキスの下半身が蠢き、アイルラスの足下へ近寄ってくる。
「ミアキス、愛しています。愛して、んくっ! ふぁぁっっ!!」
 素足にミアキスの体が絡んだ瞬間、凄まじい快感が脳天まで突き抜けた。
 まるで、神経そのものを直接愛撫されているような気持ちよさに、液体が零れだしたことを自覚する。
 かくっとアイルラスの膝が勝手に折れた。
「っ!」
 そのまま、堪えることも出来ずミアキスの体に向かって倒れ込むアイルラス。
 ミアキスの体が大きく広がって、アイルラスの体を包み込んだ。
 同時。
「っ、ふぁぁっっっ!!」
 アイルラスの啼泣が上がった。
 全身をくまなく包み込まれ、優しくなで回されながら吸い立てられる。
 敏感な胸の尖端を圧搾され、胸全体を吸引される。
 その感触は、アイルラスにとって始めてのモノ。
「んっ、ふあっ! ひゃふっ、くぅ……、んぁぁっっ!!」
 目の前にあるミアキスの顔に、驚きが浮かんでいた。
 ……其処を残して、もはや完全に人の形を失っているミアキス。
 何も考えることが出来ずに、ミアキスの唇に吸い付く。
 一分の隙もなく包まれた肌。
 なのに、もっとも敏感な陰部と、不浄の門には一切触れてくれない。
 それが、アイルラスには辛かった。
 早く、貫いて欲しい。
 全てをミアキスに捧げたい。
 その思いを込めて、必死でミアキスの舌をしゃぶるアイルラス。
 自身理解していたのだ、もう体の準備はとっくに済んでいることを。
「んっっちゅっちゅぷっ……んぅっ、んじゅっ!!」
 ミアキスの表情が、変わっていく。
 耐える表情を浮かべていたミアキスが、諦念の微笑みを浮かべていた。
 その意味を悟るよりも早く、一息に菊座と陰門が貫かれる。
 痛みを覚えることもなく全て受け入れる。
 ほんの一呼吸を置いて、いきなり、全身が快楽の固まりに変わった。
 そう思うしかないほどの快感をたたき込まれたのだ。
 視界が白く明滅し、ただ全身を痙攣させるアイルラス。
「んくっ……んっ…………ぷはっ! はふっ! ひぁっ! ミアキス、イく、私、もう、もうっ!!」
 言葉を口にした刺激で、快感がはじけた。
 どぷんっと、胎に液体が流れ込んでくる。
 ソレを感じながら、ただミアキスを見詰めた。
 口の端からよだれがこぼれ落ちていることも、あまりの心地よさに失禁してしまったことも忘れて、アイルラスは笑みを浮かべた。
「ミアキス、愛してる、愛してる……あいしてる…………んっっ!!」
「俺もだ、アイルラス。愛している」
 不意に全身を先ほどとは違った感触の愛撫が走った。
 強制的に叩き付けられる快楽ではなく、どこか柔らかさを持った優しい愛撫。
 ミアキス自身の意志でしてくれているのだと、そのことに気づいた瞬間。
 アイルラスはまたも頂に達した。
 いつ果てるとも知らぬ、悦楽の宴が。
 静かに始まりを告げた。






 ……迷宮を巡る冒険者達の間に、一つの噂が流れ始めていた。


 悪の鎧を身につけているファイターと、鎧下だけを纏った何も身につけていない男――おそらくニンジャだろう――、そして、皮鎧を纏っているプリースト――あるいはビショップとおぼしき男達は、玄室のドアを蹴り開けると同時に、一斉に笑みを交わしあった。
「よしっ、今日はついてるぜ」
「ワーアメーバと、ローブを着た女? けけっ、こりゃ久々にご馳走だな」
「おいおい、こんな浅い階のじゃ面白みなんて全くねぇぜ?」
 僅か三人でいくら浅い階層とは言え迷宮を彷徨いている。
 その点だけでも、彼らの実力が高いことはうかがい知れた。
「……私達には、戦うつもりはありません。おとなしくここから去りなさい」
 だから、目の前のローブを着た女の言葉に、彼らは一斉に下卑た笑みを浮かべた。
 彼らにとって、友好的な態度を取っていようが敵は敵だ。
 いつも通りに蹂躙する。その意図を確認しあって、ファイターが剣を抜いた。
 真っ二つの剣を構えてニヤリと笑うファイター。
 それは隣に立つニンジャとビショップも同じ。
 彼らにとって、迷宮にいる女達はえさでしかなかった。
 街に戻って娼婦共に金を払うより、迷宮で動けなくなるまで痛めつけた女性魔導師や、女性型モンスターをいたぶる方を選んでいた。
 だから、今回もいつもと変わらず、魔法を封じて動けなくした後、イヤと言うほどいたぶる。
 それだけの筈だった。


 本来ならありえないビショップとワーアメーバのパーティがでるという噂。
 しかも、そのワーアメーバは幾本もの伝説の武器を操ってくるのだという。




 武器を構えるファイターと、素手で構えを取るニンジャ。
 プリースト――いや、ビショップがカティノの詠唱を始めた瞬間。
 信じられない光景が、彼らの眼前に現出した。
 ワーアメーバの体から伸びた五本の触手が女性の背後へと伸び、それぞれに剣を持ったのだ。
「っ!? ワーアメーバが武器だと!」
 思わず叫びながら、ファイターは迫り来る剣撃辛うじてはじき飛ばす。
 更に左右から迫る剣。
 ……カシナートの剣や、エクスカリバー、悪のサーベルに、切り裂きの剣、真っ二つの剣まで備えたその剣の群れを、辛うじて躱していく。
「くそっ! 坊主、呪文はまだか!?」
 思わず叫びながら視線を巡らせて、ビショップが恐怖に凍り付いたように動いていないことに気づいた。
「坊主っ、何してやがる!」
「あ、あり得ん……、逃げるんじゃ! まずい!」
「へっ! こんなお宝逃して逃げれるかっての」
 ビショップの怯えたような声音に、ニンジャが答え飛び出そうとする。
 同時に、女の声が響いた。
「……神の御名の元、凝固せよ。マニフォ!」
 プリースト系でもレベルが低い魔法、敵の動きを僅かな間止めるマニフォの呪文。
 彼らのレベルなら、この階層に現れるプリーストやビショップのマニフォなど、無効化できる筈だった。
 なのに、動きが完全に止まっていた。
 それは、どうやら仲間達も同じらしい。
 そのことにファイターが気づくのと同時に、ワーアメーバが剣を引いた。
 それどころか、ビショップの陰に隠れていく。


 そして、そのビショップが、最強の魔法を使いこなすのだとも言われていた。
 浅い階層にいるはずのないマスターレベルなのだと。


「………………煉獄に荒れ狂う炎よ。裡に秘められし憤怒を持って、異界の門を殴打せよ……そして、」
 長い呪文の後聞こえてきたその章節に、彼らの全身に等しく恐怖が走った。
 機知世界全ての魔導師やビショップを集めても、使いこなせる術者は十指に余る程度と言われている強力な魔法が、紡がれていることに気づいたから。
 彼らのビショップでも、辛うじてマダルトが唱えられる程度。
「……なんで…………こんな階に…………マスター……ビショップが」
 辛うじて動いた唇に呟きを乗せるファイター。
「門を開き、全て食らう赤き奔流となり荒れ狂え。ティルトウェイト!」
 煉獄の炎が。
 ファイター達を消滅させた。


 全ては噂に過ぎない。
 二人以外に真実を知るものはいない。
 真相は全て闇の中に眠っている。


「……ミアキス、愛してる」
「……ああ、俺もだ」