――ここは、どこだ?



 肌色の華が繚乱と咲き誇る花園のど真ん中に突っ立って、俺はそうひとりごちた。
 旅塵に塗れたみすぼらしい冒険者である俺は、その花園の中ではひどく悪目立ちした。
 もちろん、花園なんて言っちゃあいるが、それは単なる比喩表現に過ぎない。
 ただ、俺は自分が突っ立っている場所をそうとしか表現することが出来なかった。
 いくつもの視線が無遠慮に突き刺さってくるのを無視しながら、俺は思い出す。

 俺がいるのはリルガミン。あの噂に名高き気狂いの王であるトレボーの城塞都市。
 そのメインストリートにある冒険者たちの酒場、荒くれの集うギルガメッシュの酒場。
 イカレた王から魔よけを盗み出した大悪党ワードナの迷宮に挑む命知らずの巣食う冒険者の巣窟。
 明日をも知れぬ我が身を酒で満たし、迷宮に散った仲間の安息を酒で満たす騒がしき憩いの場。
 荒んだ中にどこか優しさを秘めた、不器用な夢追い人たちが待つ、なつかしき第二の我が家。


 ……の筈だ。


「ねぇ、またちょっと胸、大きくなったんじゃない?」
「そうなのよ、戦闘のとき揺れて邪魔になるったらないわ」
「あら、あなた、ムダ毛の処理、忘れてるわよ」
「え、うそ? 今日はヴァンパイアロード様に会う日なのに〜」
「またシュリケン持たずにドレイン通い? よくやるわ、ホント」


 まるっきりでくの坊のように入り口を入ったところで突っ立つ俺の耳に、酒場の喧騒が届く。
 それはむくつけき男たちの酒焼けした愛すべきダミ声とは程遠い、甘く香る女たちの声。
 茫洋と酒場を眺める俺の目に飛び込んでくるのは、すこぶるつきの女たちの姿。
 しかも何の冗談なのかは知らないが、全員が全員、何も身に着けちゃいなかった。

 白い肌をした金髪のブルネットのエルフ女が、メロンほどもある巨乳を隠しもせずに談笑していた。
 褐色の肌をした黒髪のショートボブのドワーフ女が裸の腰に手を当て、豪快にエールを呷っていた。
 むしゃぶりつきたくなる脚線美をした、黒髪のポニーテールの人間の女が黙々と料理を口に運ぶ。
 毛が生えてないくせにしっかりとオンナの体つきをしたホビット女は、俺を指差して何か言っている。
 銀髪のロングヘアの高貴な顔立ちのノーム女は、俺を見て一瞬だけ妖艶な微笑みを見せた。
 ありとあらゆる種族のありとあらゆる女が揃っていた。一人の例外もなく、そう一人の例外もなく裸だった。

 そこには酒と熱気と汗の渦巻く、あのなつかしきギルガメッシュの酒場の面影はなかった。
 酔っ払って床でだらしなく寝ている髭面の盗賊も、汗の玉を散らして腕相撲に興じる戦士も。
 買ってきた女をはべらせる聖職者も片隅でゲロをぶちまける魔術師も金庫役の司教も居ない。
 居るのは姦しく淫らで奔放な姿を剥き出しにしながら咲き誇る、美しい裸の女たちだけ。
 記憶の中の面影を微かにすら留めない、そこは花園だった。飾らないからこそ美しい女神たちの花園だった。
 

「なんだ、こりゃ……」


 目の前の異様な光景に、酷く乾いた喉から出てきた感想はそれだけだった。
 俺は数多くの裸の女たちの最中に立ち尽くして、そんな間抜けな声を漏らした。
 だってそうだろう? いったい、こりゃあ何の冗談なんだ? 俺は夢でも見てるのか?
 ほんの2〜3年前まで、ここは魔よけ探索の最前線だった。過酷な迷宮で生き抜いた猛者の集う場所だった。
 ギラギラした目の男たちと、酸いも甘いもかみ分けた雌豹たちの居た狩場の只中の水場。
 それがどうだ? 今じゃ裸の女がところ狭しとひしめく、妙な空間になってやがる。
 しかもどいつもこいつも張り詰めた空気は微塵もない。まるで普通の酒場で談笑している風だ。
 羞恥心の欠片もなく、むしろ裸を誇りさえする雰囲気を漂わせて。さもそれが自然であるかのように。
 あの、あのギルガメッシュの酒場がこうなっちまったんだ。誰だって自分の正気を疑うだろう?
 
 俺は、俺は入る店を間違えたんだと思った。必死に思った。ここはあの酒場じゃなくて、娼館だ。
 しかも入った瞬間からよりどりみどりの裸の美女が出迎える、少々変わったサーヴィスをするタイプの。
 回復の指輪やシュリケン、転移の輪がそこかしこに転がってるように見えるのは目の錯覚だ。
 足音ひとつ立てない娼婦や、ワインの口を素手でねじり切る娼婦だって世の中にゃごまんと居る。
 酔っ払いながら手持ち無沙汰に指先で穴を開けてるのは羊皮紙だろう。プレートメイルなわけがない。
 
 この場所にひしめく女ども全員が高レベルのニンジャだなんてことは絶対にありえねぇ!
 エールを空けながら魔術論や神学を戦わせてるのが、別クラスからの転職した連中に似ているのは勘違いだ!
 使い古した盗賊の短刀を見せながら自分の歳若さを自慢してる小娘の声なんざ空耳に決まってる!!
 
 異常事態を収拾できそうな結論に達した俺の、止まっていた時間がようやく動き始める。
 麻痺を食らったみたいに硬直していた体に感覚が戻り、頭が少しずつ動き始めた。
 そうだ、きっとあんまりに久しぶりなもんで道を間違えたに違いない。
 リルガミンのメインストリートは一本しかないんだが、そんなことは些細なことだ。
 大方ぼけっと歩いてたんでどこかの路地にでも入っちまったんだろう。そうだ、きっとそうだ。
 ぎくしゃくと動く手足にムチを入れ、踵を返して店を出ようとする。ここは俺の居るべき場所じゃない。


「ねぇ、お兄さん」


 店から出ようとした俺の背中に声がかかる。俺は、そのまま走り出したい衝動をこらえて振り向いた。
 娼婦相手に走って逃げ出す冒険者なんてのは居ないからだ。だから俺は本能の警告を無視して、振り向いた。
 きっと疲れて過敏になった神経が間違った警告を発してるだけだ。娼婦相手に、怯える理由がないじゃないか。

 裸の女たちの林の向こうに、古ぼけたカウンターがあった。そこだけはあの酒場を切り抜いたように、そのままの姿だった。
 そこには白髪の混じる髪を丁寧に撫で付けた無口な初老のマスターが居て、いつも無言でグラスを磨いている筈だった。
 郷愁に揺さぶられ、喘ぐように視線を彷徨わせながら、視界から妖艶な女たちを締め出し声の主を探す。
 今そこに居るのは栗色の髪をなびかせた、あどけない全裸の少女。体の凹凸はなきに等しく、胸のふくらみもない。
 代わりに小動物のような雰囲気を漂わせ、人に甘え慣れた、妙に男心をくすぐる声を響かせ、少女は俺を呼ぶ。


「ギルガメッシュの酒場にようこそ。ご注文は? お酒? 料理? それとも私?」


 昨日まで人の前で屁をたれる事をなんとも思っていなかった、どこか憎めないデブな叔父が居たとしよう。
 次の日そいつは、子供っぽい癖に妙に体だけは育った、くりくりとした瞳の愛らしい少女になって言った。
 「実はあなたのことがずっと好きだったの。お願い。私の、初めての人になって?」と。甘い声で。
 そのおねだりを忠実に実行できる奴を俺は心の底から尊敬する。俺には、そんなギャップはとても耐え切れない。
 俺の記憶の中の、落ち込む俺にエールを静かに出し、無言で慰めてくれたマスターの鏡像が音を立てて砕けた。


「あ、ちょっと、お兄さん!」


 だから俺は呆気なく意識を手放し、旅の疲れと精神的なショックのダブルパンチで真後ろにぶっ倒れた。
 最後に感じたのは、俺を受け止めた誰かの腕と、後頭部にあたる極上のやわらかい二つのクッションの感触だった。
 次に目が覚ますときに、この悪い夢が覚めることを願ったが、その願いを裏切るような芳香が四方から押し寄せてくる。

 
 ―――さらば、愛しきリルガミン。
 ―――さらば、愛しきギルガメッシュ。
 ―――あの灰と隣り合わせの青春よ、さらば、さらば。