<地下11階 第四の質問>

「あら……?」
魔女は小首をかしげた。
新たな通路は、百フィートもある水路によって遮られていた。
何処から通じて何処に向かうのか、魔法の水路にたたえられているのは雪解け水よりも澄んだ清水だった。
「むむ──」
ワードナは眉をしかめた。
魔法使いは水が苦手だ。
もっともそれは、吸血鬼のような魔力的な禁忌によるものではない。
単純に、泳ぎに使う体力が乏しいという理由による。
だが、魔女のほうは全く心配がないらしく、にこにこと水面を見つめている。
「綺麗な水ですね。──これなら泳げます」
法衣の胸元を緩めはじめた魔女に、ワードナは慌てた。
「ま、待て。まさか泳ぐのに服を脱ごうと言うのではあるまいな?」
いつぞやも、そんなやり取りがあったような気がする。
「もちろんですわ。──幸い、わが殿以外の人影もないことですし」
これまたいつぞやと同じような台詞を口にした妻に、悪の大魔道士は慌てた。
魔女は、ワードナと二人きりなら裸身をさらすことに躊躇しない。どころか、積極的に脱ぎたがる。
水泳は、夫に自慢の裸体を見せつけるのにまたとない口実だ。
きっと、服を脱いでから水に浸かる前に、あれこれ理由をつけては裸のままで夫の前をうろうろし、
二十回は抱きついて胸をすりよせ、そのうち十回はキスをせがむだろう。
それに乗る、という誘惑を、頭を振って撥ね退ける。
快楽に負けない──負けっぱなしの場合も多々あるが──のは大魔道士の精神力と、観察力による。
「……水の深さは2フィート程度ではないか」
「あら、本当ですわ」
魔女ははじめて気がついたと言わんばかりに、透明な水の下にはっきり見える石の床を見た。
蒸留水よりも不純物のない清水の中では、石床にこびりつくヌルヌルした汚れは皆無であった。
──もっとも魔女は、最初の何歩目かで、なぜか自分が転んでしまう事を知っていた。
怪我はしないが派手に転ぶ全裸の美女は、あられのない姿で尻餅をつく。
転んだとき、なぜか体の正面は夫のほうに向けられている。大股開きになるのは仕方あるまい。
透明な水に透けて見える魔女の秘所や、水面の上で水を滴らせる乳房は、いつもと違った魅力で夫の目を引くに違いない。
しかし、魔女の姦計は、夫の超人的なやせ我慢と照れによって阻まれた。
「向こう岸が見えておるではないか──マラーで渡れるわい」
妻の裸を想像して赤らんだ顔を見られまいと顔を背けながらワードナは転移の呪文を唱えた。
「まあ」
向こう岸に移った夫に、魔女は微苦笑を浮かべた。
獲物を逃がしたのは残念だが、夫のこういうところも可愛らしい。
見たくないはずはないのだが、見たいと素直に言えないところが魔女の心の琴線に触れっぱなしだ。
(──ならば、方法を変えてご覧になっていただきましょう)
向こう側でこちらをちらちらと伺うワードナを見ながら、魔女は唇に手を当ててほんの数瞬考え、やがてにっこりと笑った。
帯を解いて法衣の裾を広げる。前を割った裾を腰の辺りまで大胆にたくし上げた。
夫が息を呑んで絶句するのが離れていてもわかった。
「水深は2フィート、太腿の半ばまでですね。こうすれば服も濡れません」
その言葉通り、水路に入った魔女の脚は、半ばまで清水に浸かるだけですんだ。
魔女は慎重に歩を進めた。
白い太腿が、水面と水中に映える。
法衣の裾を思いっきりたくし上げているので、パンティまでもがちらちらと見えてしまう。
こうして歩けば、ワードナは、魔女が水路を渡りきるまで見守ってくれるだろう。
転んだりしたら、慌てて手を貸すに違いない。
なんやかんや言っても妻の事を気に掛けてくれる夫だ。
こちらを注意してみていてくれる間、太腿やパンティが視界に入ってしまうのは──仕方がないことだ。
北風と太陽。
魔女の配偶者は、露骨な誘惑や押し付けが過ぎると、そっぽを向きたがる性格だが
頭を使えば、ちゃんと向こうから見させることができる。
最近ますます夫の思考方法になじんできた自分を自覚して、魔女は満足げな笑みを浮かべた。

「むう」
水路を無事に渡りきった魔女に、ワードナはなんと声をかけるべきか迷った。
むき出しの太腿は水滴をまとわり付かせてひどく色っぽい。
その上の、下着はちらちら見えただけなのではっきりと分からないが──色は白だった……か?
無性に気になる。
「……と、とにかく裾を下ろせ」
いや、下ろすな、もう少し上げてパンティの色を確認させろ──とは言えない夫だった。
妻のほうは、下ろしたいと思っている──もちろんパンティのほうだが。
欲望を素直に口に出せない夫に効果的な手段は、すでに考え付いていた。
「あの、わが殿?」
「な、なんじゃ」
「その──今、裾を下ろしたら、服が濡れてしまいます」
確かに、魔女の脚はびしょびしょだ。それではわざわざたくし上げて渡ってきた意味がない。
「むむ」
もう少しこの光景を楽しむ時間が延びたか、と鼻の下を伸ばした悪の大魔道士に、思わぬ言葉が掛けられた。
「もしよろしければ、私が裾をたくし上げている間に、わが殿に脚を拭いていただけたら──」
「──」
「も、申し訳ありません。わが殿にそんな事をさせようなど、不遜の極みでございました」
「い、いや、たまにはよかろう」
下僕のように脚を拭かせるとは! と怒っても良い場面だったが、悪の大魔道士は承諾した。
なにしろ、先ほどから気になって仕方なかった魔女の脚をじっくりと眺めるにまたとないチャンスだ。
問題は、妻の脚を拭くのによさそうな布がなさそうなことだった。
ワードナはローブの隠しをごそごそとやった。
驚いたことにおあつらえ向きの布きれを探り当てた。
いや、ちがう、これは──朝、彼の身支度の世話を焼いた魔女から渡されたハンカチだ。
綺麗にたたまれたそれは、柔らかく清潔で水もたっぷりと吸い取りそうだった。
ワードナは無言で作業を始めた。
「申し訳ありません……」
どんな荒ぶる神でも、たちまち怒りを納めそうな声で謝りながら、魔女は裾をたくし上げ直した。
「むう」
かがみこんで魔女の脚を拭く。
白く肉付きのよい太腿は、象牙のようになめらかだ。
ハンカチ越しに伝わる柔らかな手触りに、悪の大魔道士の心臓が早なる。
パンティは、純白。
飾り立てない程度のレース仕立ては、勝負用だ。
「ふむう」
ふくらはぎもこれまた柔らかいが、腿と違った弾力がある。
くるぶしの辺りまで拭き終わった。
できるだけ時間を掛けてゆっくりとやったつもりだが、堪能したと言うには足りなかった。
ここはひとつ──。
「あ、あの、後は自分で拭けます。ありがとうございました」
自ら仕掛けた状況とはいえ、夫に触れられ、触られたことで魔女は羞恥に真っ赤になっていた。
「黙れ、まだ足先が残っておるわ。座って、足を伸ばせ」
傲慢で、意外で、素敵な命令だ。
魔女は石床に座り込んだ。
ワードナが足首を掴む。
「きゃっ」
小さな悲鳴は、しかし拒否のものではない。
法衣のスカートの前を押さえる仕草さえも。
<魔道王>は掴んだ獲物をまじまじと観察した。
魔女の素足は、指の一本、足爪の一枚にいたるまで完璧な造形美の極致だった。
どんな神業を誇る名工でも、この足を再現する彫像は作れまい。
「ふむう」
ハンカチを丁寧に操って、指先についている水滴を拭き取る。
「──ひ……」
足指のまたは、人体の中でもくすぐったさに敏感な場所のひとつだ。
そしてくすぐったさは、性感に通じる。
ワードナが片方の足先を拭き終える頃には、魔女は目をぎゅっとつぶって快感の震えを抑えるのに必死になっていた。
法衣の裾を押さえる手も緩んだため、太腿の奥のパンティも丸見えだった。
ワードナはがんがんと早鳴る心臓をなだめながら、もう片方の足を拭いていった。
「ああっ……」
足指を拭き終え、足の裏を最後に一拭きすると同時に、魔女が押し殺した声を上げた。
「──」
魔女の片足首を掴んだまま、悪の大魔道士は鼻息を荒くした。
こちらも興奮しきっている。
興奮は蛮勇を呼ぶ。蛮勇は勢いだ。
ワードナは、前々から試してみたかったことを実行した。
陶磁器のように美しい魔女の足指に顔を近づける。
はむ。
思いもよらない感触に、魔女が目を見開いた。
「──え?」
夫が、自分の足先を口に含んでいる。
熱い舌が、足の親指と人差し指の間の敏感な皮膚を嘗め回す。魔女は電流に打たれたようにのけぞった。
足指への愛撫は、快楽の最高の奉仕の一つだ。
だが、相手の足を舐めるということは、衛生観念や上下関係の問題にも通じるため、ためらう男女も多い。
魔女の足には微量の汚れも付かぬだろうが、誇り高い夫がまさかそれをしてくれるとは──。
「むむ──、どうじゃ?」
拭き終えたばかりの足指をしゃぶり、指のまたに舌をからませながら悪の大魔道士が問う。
勢いにまかせてこだわりを捨ててみれば、これは意外とワードナ好みの性戯だ。
屈服の証に女王の足の裏を犬のように舐めるのではない。
羞恥に身悶えする女の恥部を蹂躙する支配者の愉しみだ。
その証拠に、ワードナに舐められている魔女の美貌には、
上位者の驕慢さではなく、快楽を耐える従順な下位者の表情が浮かんでいる。
──怯え、とまどい、羞恥、そして快楽。
ワードナはにやりと笑ってもう片方の足先も犯し始めた。
魔女は釣り上げられた魚のように夫の下で何度も跳ね回り、そのたびに絶頂に達した。

「──ふん、満足したか?」
足先への愛撫だけで息も絶え絶えに横たわる魔女を見て、征服感に満たされた<魔道王>が聞いた。
「は…い……。とっても……」
うっとりとした声で魔女が答える。
「ふむ。足指の間は、強い性感帯だ。魔女の癖に知らなかったのか」
「はい、これほどまでとは──」
妻の返答に、ワードナはほくそ笑んだ。
また一つ、魔女の弱点を見つけた。悪くない。これからもちょくちょく使ってみよう。
──もっとも、ワードナの認識は微妙に間違っていた。
この魔女が忘我の極みに達したのは、足指への愛撫に弱いからではない。
それを行なった相手がワードナだからだ、ということに愚かな夫は思い足らない。
そのあたりに気がつけば、とうの昔に全宇宙の支配者になっているのだが。
自分がどれほどの存在をどれほど強力に支配しているか認識不足の男は、ご機嫌な様子で言葉を続けた。
「では、貴様は、これも知らぬだろうな。……足指の間で最も強い性感を持つのは、どの指とどの指の間だ?」
「え──?」
魔女は意表を突かれた。
親指と人差し指の間? 人差し指と中指の間? 中指と薬指? 意外に薬指と小指との間かもしれない。
夫の舌に舐められたとき、自分はどの部分への愛撫に一番官能を燃え立たせただろうか?
かすんだ頭で考えるが、答えに至らない。
「分からぬか。──答えはここじゃ」
すっかり調子に乗ったワードナが腕を伸ばして、魔女の法衣の裾に差し込む。
「きゃ──」
反射的に閉じる太腿の奥で、ワードナの手は下着の上から魔女の秘所に触れていた。
「親指と親指の間。──どうじゃ、文句なしの答えじゃろう」
してやったり、という表情の夫に、魔女は快感混じりのため息をついた。
今のジョークはウィットに富んでいたが、少し呆れた。ちょっぴり釘を刺してやらねばなるまい。
「……」
「……」
妻の沈黙に、調子に乗りすぎた自分を自覚して、悪の大魔道士は咳払いをした。
魔女の反撃が来たのは、その瞬間だった。
「うおっ?!」
悪のりしすぎた魔道士が、悲鳴を上げて自分の股間を見た。
白い脚が、座り込んでいるワードナのローブの中に入り込んでいる。
意外な力強さで男根が掴まれた。
「ふふ、親指と親指の間にある逞しい物──。殿方も、ここが一番の性感帯ですわね」
魔女は足指の間でワードナの男根を挟み込みながら、にっこりと笑った。
片足は男根の付け根を押さえつけ、片足は茎の半ばを掴んでいる。
力をこめて、上下にしごき始めた。
「うわわっ!」
先ほどの余裕は何処へやら、悪の大魔道士は情けない声を上げた。
「ふふ、いかがですか? 手でしごくのとはまた違った趣でしょう?」
遠い異国の女奴隷の中には、足指での男への奉仕を徹底的に仕込まれた者がいたと言う。
手よりも強く、またぎこちない足指は、男が自分の手でするのに似た感触があり、技巧を極めれば他に劣らぬ快楽を産む。
もっとも巧みな娼婦は、十年の年季が明けた時、生娘の身で神殿を去ったという。
誰もが彼女の足の神業に酔い、一人も性器を求めなかったのだ。
その売春巫女ですら、この魔女には遠く及ぶまい。
「わわわ、ま、待て」
「あらあら、そんなによろしいのですか? では、もっと強く──」
「おおおっ?!」
にこやかな笑みを絶やさず、両足を信じられないくらいに淫らに操る妻の前に、
調子に乗りすぎた夫は、すさまじい快楽と引き換えに下着の中で射精させられた。

「はい。十分に乾いたと思います」
水路の水で洗った後、巧みに調節したハリトで乾かした下着を手渡しながら魔女は優しく笑いかけた。
夫はすねたままだが、じき機嫌も直るだろう。
最初の一回は下着の中へ射精させたものの、次からの六回──魔女は都合七回、夫を快楽の奈落に突き落としていた──は
魔女の素足に精液を塗りたくる加虐的な愉しみをたっぷりと含んでいた。
魔女の足先は、小指の爪の先から指又の間ひとつひとつにいたるまで、ワードナの精液で汚され、犯し尽くされた。
つまり、夫も夫の好みのやりかたで十分満足したということだ。
本格的な不満までには至らない。
とはいえ、なんとなく気まずいものが二人の間に流れている。
魔女は夫に悟られないように、にんまりと笑った。
デートの半ばで軽いすれ違い──いいスパイスだ。
夫は、思いがけず妻に弱みを握られたことに対して、大急ぎで威厳を取り戻そうとする反面、
彼らしい不器用な方法で懐柔を打診するべきか否かに、灰色の頭脳に総動員をかけていることだろうし、
魔女は魔女で、「次」は、どれだけ自然に、上手に、さりげなくそれを受け入れるか、思案しているところだ。
どうやって関係を修復しようか、お互いが頭を悩ませる。──どちらも負けがない、素敵なゲーム。
思い掛けない質問と答えに呆れて思わず予定外の行動をしてしまったおかげで、
久々に夫が慌てふためきながら射精する表情を見ることができた。──相変わらず、愛おしい。
ちょくちょく拝みたいところだが、魔女が夫を嬲るのは、たまに、くらいがちょうどいい。
本質的に、魔女は夫に嬲られるほうが好みなのだ。
そっぽを向いたまま洗濯した下着を履く夫は、精力が回復しだい、魔女の肢体を攻撃的にむさぼろうとするだろう。
もちろん、魔女もそのつもりで待っている。
渋い顔で奥へと進むワードナの斜め後ろに、魔女は、済ました顔でぴったりと付き添った。



「──何者じゃ、汝ら」
沼を去って、さらに森の奥へと入り込んだ二人の前に現れたのは、こちらも同じくらいの年恰好の少年少女だった。
小麦色の肌と袖と裾だけに刺繍が縁取りされている白麻の衣は、二人が異国の人と教えてくれる。
「ええと、僕はワードナ、この娘は──あれ?」
少年は少女の名前をまだ知らない自分に気がついた。
思わず振り返る。視線を合わされた少女はにっこりと笑った。
「私は……」
透き通るような声ははっきりしていたが、少年はなぜか少女の名前を聞き漏らした。
しかし、不思議と気にならない。少女の向けた笑顔の魔力だ。
──少年が、少女の名と正体を知るにはまだ早い。
「ふむ。わらわは……じゃ」
「ぼ、僕は、……」
異国の姉弟が自己紹介をするが、これも少年は聞き逃した。
「ここで、何をしているの?」
「む、このピラ…いや、山はわらわたちのものじゃ。去るが良い」
四方が等角に切り立った小山が、実は石作りの巨大な建築物の上に土と草木が覆いかぶさった物だと知らない少年は、
少女の所有権主張を、遊び場を先に発見した権利によるものと解釈した。
「独り占めはずるいよ。僕たちも遊ばせて!」
なめらかで急な勾配は、木板で作った即席のソリで滑るには最高だったし、
見知らぬ植物が生い茂る茂みは、何か不思議な小動物の影がちらちらと見え隠れする。
要するに、最高の遊び場所だ。
だが、小山の小さな支配者は、艶やかな黒髪に覆われた頭を強く振って拒絶した。
「だめじゃ。ここはわらわの──正確にはわらわのご先祖の墓……いや山じゃ。よそ者は早々に去ね」
「──姉上がそういうんだから、去ね」
「……そんなこと言わないで、いっしょに遊ぼうよ。みんなで遊んだほうがきっと楽しい」
「むむむ、むむ?」
思いがけない反論に、黒髪の少女はびっくりした表情になった。
「……みんなで遊ぶと、きっと楽しい?」
弟と顔を見合わせる。
高貴な身分の姉弟は、同世代の友人がいなかった。
互いが唯一の友達であり、みんなで遊ぶ、という行為を経験したことはあまりない。
「……そろそろ、お昼時ね。──お弁当作りすぎちゃったから、貴女たちも一緒にどう?」
絶妙のタイミングで、少女が頼もしい援軍を出した。
たしかに、少女が抱えているバスケットは、かなりの大きさである。
心をこめて作ったお弁当だが、量が多すぎた事を少女はひそかに気に掛けていた。
二人だけで食べるのも理想だったが、到底食べきれないだろう。
少年はきっと無理して限界まで食べようとするだろうが、それでも完食はちょっと難しい。
第一、無理して詰め込めば、せっかく作った物が味も何も分からなくなってしまう。
かと言って、残して捨ててしまうのも悲しい。
少女が「二人きり」と言うことにこだわりさえしなければ、その選択はこの場にいる全員にとってもっとも良いものだ。
折りよく異国の少年のおなかが鳴り、姉のほうが狼狽した表情になった。
従順な弟を朝から連れまわして遊んでいたが、昼食の事をまるで考えずに遠出したことに思い至ったからだ。
自分は我慢ができる。
だが弟は──我慢するだろう。姉の横暴に全く逆らわない素直な子だ。
だからこそ、自分のわがままでひどい目に会うことがあってはならない、と姉は誓っていた。
「──よかろう」
頷いた黒髪の少女に、他の三人はにっこりと笑った。
その協定は、双方に大きな幸せをもたらした。
少女が持ってきたお弁当は、とても美味しかったし、量もまるで四人で食べるのが分かっていたかのようにぴったりだった。
お腹がいっぱいになると、小山の所有者たちは、約束どおり客人に領土を解放した。
少年が考え付いた遊びは、姉弟が経験したことがないものだったし、
姉弟が普段やっている遊びはワードナたちが名前も知らぬものだった。
お昼御飯から一時間ほど、四人は夢中になって転げまわっていたが、やがてそれは意外な形で中断せざるを得なくなった。

「どうしたの?」
三人の中で、最初に少女の様子に気がついたのは、少年だった。
「うん、……ちょっと、ね」
少女はなんでもない、と言う風に笑ったが、その笑顔が少しおかしいことは鈍い少年にもわかった。
「ねえ、あの子の様子が変なんだけど……」
ワードナはこっそりと黒髪の少女に相談した。
姉弟の姉のほうは四人の中で一番年上に思えたし、一番しっかりしていそうだ。
実際、小麦色の肌の美少女は、もう一人の少女を見るや、状況を把握した。
「なんじゃ──小用かえ?」
しかし、この場合の賢明さは、どうも国ごとに大いに方向性が違うらしい。
少女は真っ赤になった。
「しょうよう、って何?」
聴いたことのない単語だ。
少年は、もう一人の少年に質問したが、こちらも分からないようだった。
「教えて遣わす。──下々の言葉では、おしっこ、というらしい」
異国の少女は真面目な表情で答えた。
もう一人の少女は、耳まで真っ赤になった。
「なんだ、じゃあ、そこらの草陰で──」
ワードナは愚かな提案をしたが、少女から罰を受けることはなかった。
生活環境が異なる異国の少女が、事なげにもっと恐ろしい提案をしたからである。
「わらわたちも付き合おう。たしか下々の言葉で──連れション、じゃ」
これには少女どころか、ワードナさえびっくりした。

「──え、え? 僕らも?」
「当たり前じゃ」
「男の子と女の子が一緒に?」
いくらなんでもそこまでは、ワードナたちの常識にはない。
だが姉弟の国では当たり前のことなのだろうか。二人は平然とした様子で草むらの前に並んだ。
縁取りのある麻の貫頭衣を上にたくし上げる。
すらりとした脚があらわになった。
磁器のようになめらかな肌は、まだ性的な目覚めに至らない少年さえもどきりとするような魅力を持っていた。
「え、え? ──た、立ったまま? 女の子なのに?」
「むむ。わが国では王族の女のたしなみじゃが──そちらの娘はできぬのか?」
少女はふるふると頭を振った。
どころか、下半身をむき出しにした異国の美少女の破廉恥な提案と質問に、とまどっている。
小麦色の美貌と、桜色に染まる可愛い顔とを交互に見比べる少年の視線が、
貫頭衣の下でむき出しになっている足と、修道女見習いの服に隠された足とに移る。
──異国の少女の提案を受け入れれば、少女の足もああやって見ることができるのだろうか。
「い、いっしょにしない?」
ワードナの言葉に、少女は後ずさりした。
「いやっ、恥ずかしい──」
「何をしておる、早くせぬか」
異国の少女のほうは、弟と並んで、準備を整え終えていた。
後ろから見ると、足に劣らず滑らかな尻が半ばまで見えている。
「──っ」
少女が、さらに真っ赤になった。藪の小道を駆け下りていく。
「あっ、待ってよ──」
少年は反射的にその後を追った。

「む、一緒にせぬのか。──下々の者はこうして友諠を深めると聞いたのじゃが……」
去っていった新しい友人たちを横目で見ながら、異国の王女は首をかしげた。
自分たちも二人を追おうか、とちらっと考えたが、準備を整えた排泄の欲望は急速に美少女を支配していた。
「仕方ない。……や、そなたが付き合え」
「はい、姉上」
やがて、黒髪の美少女と美少年の足元で、落ち葉に液体がかかる、ぱらぱらという音が鳴り始めた。



「あのね、ワードナ……」
藪の中に少女を追った少年は、木陰にしゃがみこんだ少女から、かなきり声を浴びせられた。
いわく、それ以上近寄ってはだめ
いわく、こっちを見ないで。目を閉じて向こうを向いて。
いわく、音を聞かないで。耳をふさいで。
数秒間に立て続けに出された命令に大人しく従う間に、少女は懸案事項を解決したようだった。
ほっとしたような表情を浮かべて近寄ってきた少女が、ワードナの袖を引っ張りながら、少年に声を掛ける。
「こういう具合に、女の子がもじもじしてたら、男の子は気を利かせるものなのよ」
「うん、わかった。──ごめん」
どう気を利かせるのかは、いまだに良くわからないが、少年はともかくそう答えた。
「あの女の子の国では、きっと、女の子が男の子と並んで、あれをするのが普通なのかもしれないけど、
ここではそうじゃないの。──女の子は、立ったままでもしないからねっ!」
「あ、やっぱりそうなんだ」
異国の少女のあっけらかんとした言葉と態度に、認識に対して漠然とした疑問を抱いたが、
自分と常識は間違っていなかったらしい。そして少女の常識は自分のそれと同じようだった。
「だから、レディのそういうところを見ようと思わないの、わかった?」
「う、うん。だけど──」
「だけど?」
「ええと、僕が見たかったのはおしっ……いや、そういうところじゃなくて……」
少女が眉を潜めたのを見て、少年は慌てて言葉を変えた。
「──そういうところじゃなくて?」
「ええーと、その……立ってしたら、君の足が見られるかなあ……って」
少女は目を丸くした。
これも女の子相手に言っちゃいけないことだったかな、
と少年は言ってしまってから後悔したが、どうやらそうではなかったらしい。
「まあ、ワードナったら、意外とおませさんなのね。──それなら、いいわよ」
少女はくすくすと笑った。
足を見せるのは、「そういうこと」の範疇でなく、許容範囲にあるらしい。
少女はいたずらっぽく笑いながら、法衣の裾をたくし上げた。
象牙色の脚があらわになった。
木漏れ日の下で、異国の王女よりもなめらかな肌が白くまぶしく少年の脳髄を直撃し、すぐに紺色のスカートの中に消えた。
「──はい、おしまい」
くらくらとするワードナの手を引いた少女は、藪の小道を戻り始めた。

「帰ってきましたよ」
草むらの向こうに頭だけ見える少年と少女を見つけて、弟がにっこり笑った。
「むむ、バスケットを置きっぱなしであったからの。──よかった」
忘れ物をどうしようかと頭を悩ませていた姉は、ほっとしたような顔になった。
二人が笑いながら坂を上ってきたのも良いことだった。
さっき二人が去っていったのは、どうも自分の提案がまずかったような気がして、王女は気にやんでいたところだった。
戻ってきた少女と少年とに、お礼とお別れの言葉を交わす。
名残惜しげに二人を見つめた黒髪の美少女は、ふと気がついたような表情になった。
「わらわとしたことが、うっかりとしていたが、ひょっとしてそなたら──<でぇと>の最中かえ?」
「ええ」
少女の答えに、王女はバツの悪そうな顔になった。
「そうか。ならば、あれは良くない提案であったな」
連れションは、あくまでも友人同士のコミュニケーションであって、恋人関係にある男女が混じるとふさわしくない。
「気にしないで。──よく話し合ったから、大丈夫」
「む。いつかこの借りは返す。──そなたが困ったとき、わらわはいつでも駆けつける」
誇り高い王女は、頷きながら宣言した。
昼下がりに美少女ふたりが交わした約束は、どのような形で果たされるのだろうか。
姉弟と別れ、少女と手をつないで小山を降りていくワードナにはわからないことだった。

どこかで問いが為され、どこかで答える声がした。

──我は長き道を汝のもとまで歩みしもの。
──我は人の体のすべてが、その上に乗りしものなり。我とは何?

 「──脚(Leg)」

新たな通路が現れた。