<地下11階 第一の質問>

「……待った?」
「──ううん、今来たところ」
女の子がそう聞いてきたら、男の子はこう答える。
ワードナ少年は、おそらくエセルナートで数百万回も交わされただろう挨拶をうまくやりとげた。
(「いただきます」と「めしあがれ」と同じ、だと思うんだっけ)
「男の子と女の子と待ち合わせ」において、
女の子が必ず遅れてくることも、男の子がそれをとがめてはいけないことも、いまひとつ納得がいかないが、
どうやら、それはこの世界を統べる根源的なルールの一つであるらしい。
さしあたっては、少年の年齢では、この返事を暗記すればいいようだった。
ものすごくぎこちない、まさに棒読みのセリフだったが、
それを聞いた修道女見習いの少女が、にっこり笑ったのを見ると、どうやら合格らしい。
──そんなごちゃごちゃとした感想はすぐに吹き飛んだ。
少女の笑顔を前にして。
ワードナは、最初の挨拶をうまくやり遂げることができるだろうか、と言う不安から解き放たれると、
すぐにもっと根源的な問題が舞い戻ってきたことに気がついた。
──胸がすごくドキドキする。昨晩は眠れなかった。
昨日の夕方に声を掛けられたときは、心臓が止まるかと思った。
きっと、「あの時」以来はじめて顔を合わせたからだろう。
明日いっしょに遊べるか、と聞かれたときはもっとびっくりした。
朝から待ち合わせて一日遊びに行くことと、少女がお弁当を作ってくると決まったときには、ほとんど呆然としていた。

(ワードナのバカ!バカ!すけべ! ──大きくなったらお嫁さんになってあげる!!)

「あの時」の別れ際、少女が投げかけた声を思い出して、ワードナは身じろぎした。
「──どうしたの?」
少女が屈託のない笑顔を向ける。
いつもながらすごく可愛いい。天使よりもずっとずっと美人。
(こんな子が僕のお嫁さんになってくれたら──)
ワードナは頭を振った。自分の考えすぎだ。きっと。
あれは、少女が深い考えがあって言った台詞ではあるまい。
独りよがりの想像を少女に悟られなかっただろうかと、びくびくしながら返事をする。
「ううん、なんでもない。──何処行こっか?」
「森の奥がいいかな。今まで行ったことのないところに連れてって!」
「うん!」
ワードナもにっこり笑った。
遊び場所は、はじめて見つけるところのほうが、わくわく感が増す。
わんぱくな少年は、森の中で通ったことのない道を幾つか目星をつけていた。
あの道の先にはきっと何かがある。
修道女見習いの少女が気に入るような素敵な何かがあればいいのだが。
先頭に立って歩き出そうと、少女の前を通るときに、少年は思わず立ち止まった。
少女の美貌をこっそり横目で眺めようとした視界に、何か新鮮なものが入ってきたからだ。
「あれ……」
少年は、小首をかしげた。
「なあに?」
少女も、小首をかしげる。
その乙女心が、これに少年が気付いてくれるか否かで、ひそかに大揺れなことをワードナは知らない。
「……花?」
ちゃんと気付いてくれた。少女は満面の笑みを浮かべた。
おバカですけべだけど、こういうところが少女の心を掴んで離さない。
──意を決してデートに誘って本当によかった。
少女の内心を知らず、少年は、ぽかんと口を開けてその笑顔に見入った。
少女の髪に挿された、ふうわりと優しい色の花。
だが、少年はそれを褒める言葉を口にすることができなかった。
賞賛の言葉を期待して待っていた少女の視線がとがりかけて、──すぐにもっと優しくなごんだ。
少年が、ピンクの花と同色だが、もっと素晴らしい色合いのものに魅入られているのに気がついたからだ。
少女の桜色の唇。
ワードナは、生まれてはじめて女の子とキスをしてみたいと切実に思った。



ワードナは最初、転移の呪文を失敗したのかと思った。
床も、壁も、部屋の空気さえも、そこは地下10階の玄室とはまったく違うというのに。
(──何故だ?)
その正体に気がついて、<魔道王>は口をあんぐりとあけた。
寝台──玄室の寝台までもが転移され、自分と魔女はそれに腰掛けたままだった!
「まあ」
魔女はくすくすと笑った。
「な、なんじゃ、これは……」
ワードナはうろたえ、腰掛けていた寝台から立ち上がった。
転移の呪文は完璧だったはずだ。
いかなる神の奇跡を用いてもそのルート以外の侵入を拒む魔法の障壁を、完璧な計算のもとにすり抜ける。
玄室の真下に広がるこの地下11階には、かつて挑んだことも制覇したこともある。
光に満ちた荘厳な迷宮は、あるいは<デートコース>としてふさわしいかと思ったが、
ワードナが今いる場所は、彼の知る<地下11階>ではないようであった。
<魔道王>は、思わずデュマピックの呪文を唱えた。
結果は……まさしくここは<地下11階>だった。──おそらくは、彼の知らない<地下11階>。
なぜなら、部屋の中に響いた<第一の質問>は、ワードナの記憶にあるものと異なっていたからだ。

──我ははじまりに汝に触れしもの。
──我は汝の目を覚まし、汝に力を与えたもの。我とは何?

予想外の展開に、ワードナは眉をしかめた。
我と再び知恵比べをするつもりか、迷宮の守護者よ。──こしゃくな!
だが、前回と異なる質問は、容易に答えにたどり着かせなかった。
ワードナは脳細胞をフル回転させたが、インスピレーションが湧かなかった。
「むむ」
寝台の周りをうろうろと歩き回ったワードナは、やがてため息をついた。
「……一休みじゃ」
「それがよろしいと思いますわ」
魔女はにこやかに頷いた。
さきほどの花の件もあってか、デートのしょっぱなにワードナが彼女を放って黙考しはじめても、上機嫌のままだ。
もっともこの女は、夫の傍にさえいればいつでも上機嫌なのだが。
寝台の上に腰を下ろす。
「──」
「いかがなさいまして?」
声はすぐそばから聞こえた。
ワードナは無意識に自分が腰かけた場所が魔女のぴったり横であることに──もう驚きはしなかった。
寝台がたとえ百ブロック分の広さを持つものであったとしても、
ワードナが腰掛ける場所の隣に、必ずこの女が陣取っているだろう。
いや、おそらくは──そのように選択しているのはワードナのほうも同じだ。
悪の大魔道士は、改めて妻にからめ取られた自分を自覚した。
……まあ、なんだ。そう悪くはない。
「……そう言えば、貴様とは、この寝台の上ではじめて会ったのであったな」
虚空を睨みすえながら、<魔道王>はぼそぼそと呟いた。
「はい。懐かしいですわ」
そういえば、この寝台は、魔女と最初にキスした場所でもある。
耳元で聞こえる魔女の声、そして甘やかな吐息。
あのかぐわしい香りのもとが儂に近づいて重なり、──すべてが始まった。
横目でそっと盗み見ているはずだったのに、ワードナはいつの間にか半身をねじって魔女と正面から向かい合っていた。
魔女の美貌にはそれだけの魅力がある。
ワードナの目は、その艶やかな唇に吸い寄せられた。
口紅をさしていない桜色のそれを、<魔道王>はどうしてもそれを手に入れたくなった。
──はるか昔、同じような思いを抱いたような気がする。
あれはどこで、どんな状況だったろうか。その時に手に入れることができたかどうかも、思い出すことができないが。
しかし、今のワードナは欲しいものの入手には困らない。
魔女が微笑んだ。
目を閉じて、僅かにその顔を夫のほうに寄せる。
キスの受け入れ態勢──完璧だった。
そしてワードナは、欲しいものを欲しいままに手に入れた。

口付けは優しく始まり、すぐに深く激しいものに変わった。
夫が積極的にキスをするようになったのはいつからだったろうか。
挿し入れられた舌を、自分の舌で愛撫しながら、魔女は甘くしびれる脳髄で考えようとしたが諦めた。
それを思い出すのは後回しにしよう──素敵な宿題。
今はこの素晴らしいキスに全てを捧げる。
魔女は自分の官能の焔が全身の細胞を焼き始めているのに気付いていた。
先ほどの沐浴中に抑えた情欲が、夫に口付けされた瞬間に素晴らしいスピードで燃え上がった。
頬を染めて口付けを返す妻の反応のよさに、ワードナはすぐに夢中になった。
キスの甘みを倍増し、相手の情熱にも火をつける相乗効果。
そう。この悦びのために、魔女は一人遊びを自分に禁じさせているのだ。
自分の情欲は、自分のものではない。夫のものだ。
その逆も然り、夫の情欲は、自分のもの。
──それを証明するチャンスはすぐにやってきた。
たっぷりとしたディープキスにひとしきり酔ったワードナが、甘くしびれる頭を振りながら唇を離す。
唾液の糸が長く伸び、お互いの唇と舌先がつながったままだ。
キスには、カップルの癖が出る。
言葉で取り決めたことがなくても、キスと「その次」への入り方は自然と二人の好みが反映される。
ワードナと魔女の好む手順は──この糸のつながりが途切れないうちに次の素敵な行為に移ること!
魔女は取り決めを忠実に守った。
身体をずらして、夫にしなだれかかる。
絶妙の体重バランスと密着面積の広さは、本来恐ろしく計算されつくされたものだが、
魔女の場合は、思うままに身体を動かすと自然とこうなる。女房の特権だ。
「むむむ」
ワードナは視線を中空にさまよわせた。
魔女と出会った頃から、こういう雰囲気は得意とするものではない。
しかし、<魔道王>は、全人類の中で最も高度な頭脳の持ち主でもある。──学習は怠らない。
そっぽを向きながら手を伸ばし、魔女の手を握った。
しっとりと柔らかな妻の手の感触。
魔女の微笑がいっそう深くなったのは見なくてもわかった。
「──うむむ」
悪の大魔道士はさらにうなった。
突然「次にしてほしいこと」ができてしまったのだが、この雰囲気ではとても言い出せそうにない。
なんだって魔女は、あんなキスをするのだろうか。
欲しくてたまらなかった口付けは、まさに手に入れる価値があったが、別の記憶まで喚起させてしまった。
そうだ。「あれ」も、この寝台の上で「はじめて」したのだった。
──いかん、早急にここを離れなければ。
この場所にいるだけで「あれ」を思い出してしまう。
ワードナは立ち上がろうとした。
「ああ、その、なんじゃ。──そろそろ行くか」
「はい、おおせのままに、わが殿。ですが──」
「な、なんじゃ?」
そういえば<質問>にまだ答えていない。
と言うことは、この部屋から出られないということだ。ワードナは焦った。
しかし、魔女は別の理由でワードナを引き止めたようだった。
「夫を、そんな状態で外で出したら、妻の恥ですわ」
自分とのキスで情欲を呼び覚まされた夫の、大きく盛り上がったローブの前に、
ねっとりとした視線を送りながら魔女は意味ありげに笑った。
「そういえば、この寝台で……はじめて「あれ」をしたのですわね」
「──」
「もしよろしければ、そちらのほうもいたしましょうか、わが殿?」
胸中の欲望を言い当てられてワードナが黙り込む。
夫の沈黙は肯定の意思表示。
魔女は艶やかさを増した笑顔で夫のローブに手をかけた。
──この寝台の上で、ワードナと魔女ははじめてキスをした。
もう一つ、はじめて魔女が夫に口腔性交を披露したのもこの寝台の上だ。
「──わが殿のお持ち物、本当にご立派ですわ。──最近はまた一段と……」
夫の性器をうっとりと眺めながら言う魔女の言葉は、心からのものだった。
もともとかなりの逸物であったそれは、確かに以前よりも大きく、硬く、形も整ってきている。
魔女が唾液と蜜液と粘膜による奉仕を繰り返した効果だった。
自分が丹念に育ててあげている愛しい器官を、魔女は丁寧に愛撫しはじめた。
十分に怒張している男根が、さらに大きく硬く膨れ上げる。
ワードナはそっぽを向いている。妻の賞賛の言葉など、恥ずかしくてまともに聞いていられない。
それでも魔女が自分の男根を口に含む瞬間は見ずにはいられなかった。
「──では」
寝台に腰かけた姿勢のワードナの前で床にひざまずいた魔女が艶やかな唇を僅かに開いた。
夫の先端を含む。
「うおっ!」
声は出すまいと思っていたが、無駄な抵抗だった。
彼の妻は、フェラチオが得意だった。古代の王妃に技を習ってからはなおさらだ。
寝台の上に、湿った、いやらしい音が続いた。
魔女の口の中は、たっぷりと唾液が溜まっていた。
夫の男根に、それをぬるぬるとくまなく塗りつける。
「ううっ」
夫があえぎ声を懸命にこらえる様子を上目遣いで見ながら、魔女の動きが本格的になった。
少女のように柔らかい舌が、恋人の熱心さと、最高級の娼婦の技巧で奉仕する。
妻が夫を愛撫するのだ。
どんなに丁寧でも、どんなにいやらしくても、どんなに快楽を与えても、誰もとがめる者はいない。
魔女の熱心さに、ワードナはほとんど失神寸前になって耐えた。
──そ、そうそう簡単に達してなるものか。男の沽券にかかわる。
夫のやせ我慢に、魔女は一度口を離した。全てを読み取って浮かべた微笑はすばやく隠して。
自分の唾液でてらてらと光る男根にキスをする。
亀頭の縁や境目の溝の部分を舌先でゆっくりとなぞる。
自分がどう振舞えば一番よいのか、はよくわかっている。
「ふふ、わが殿ったら本当に我慢強いですわ。はじめていたした時よりもずっと……。
でも、妻としては、いつまでも堪えられると寂しゅうございます。……そろそろお情けをください」
「……よ、よかろう」
目の前がチカチカするのに耐えながらワードナは答えた。──なんとか夫の面目は守った。
配偶者の自己満足を優しく肯定した魔女は、男根を両手で包み込んだ。
夫の性器は、びくびくと脈打ち、今にも爆発しそうだ。
しかし、男の面子を保ったことでリラックスもしている。
再度のフェラチオに対しては、もう思い煩うこともなく純粋に快楽を受け入れるだろう。
それは奉仕する魔女の悦楽を増す。
「──おおっ」
妻が口腔性交を再開すると、夫はすぐに達した。
射精は勢い良く、量もたっぷりと出た。
はじめてした時よりも元気な奔流を、魔女は目を細めて口の中に受け止めた。
味も精子も、以前よりずっと濃い。
むせるような牡の匂いも、まるで若者のようだ。
魔女との結婚生活がワードナにとって有意義で幸せなものであることの証拠だった。
ぐちゅぐちゅ。
口の中に放たれた夫の精液を、とろとろと唾液と混ぜ合わせ、舌のもっとも敏感な部分で感じる。
たっぷりと味わってから飲み込んだ魔女は、最後にもう一度男根を口に含んだ。
じゅるじゅる。
尿道に残った残り汁までも粘液と言ってよいほどだ。夫はよっぽど興奮していたのだろう。
「──おいしかったですわ、わが殿。とっても素敵です」
にっこりと笑いながら答えた言葉は本心だ。満足げにため息をついた夫を見て、妻も深い満足感を感じている。
一方的な奉仕は、だが一方的ではない。この幸福感が、次のふれあいを充実させる源になるのだ。
次に妻の身体を求めるとき、夫は同じような悦びを抱いて妻に奉仕するだろう。
──永遠に連れ添う夫婦にはそんな交わりがふさわしい。

妻の笑顔から、ワードナは慌てて視線をそらした。
──この女の微笑は、奥が深い。
キスをするときと、セックスするときとでは同じようでいて別物で、やっぱり同じだ。
……たぶん、あの唇も。
夫の精液の残滓で艶やかに濡れる桜色の唇は、キスの前の艶やかさとは別物で、同じ物だ。
その時々で、別物にして同じ魅力を持つ──これが女というものだろうか。
妻についてもう少し、研究する必要がある。
ワードナは、少年のようなときめきが自分を支配していることを自覚した。

──我ははじまりに汝に触れしもの。
──我は汝の目を覚まし、汝に力を与えたもの。我とは何?

ワードナは咳払いをして答えた。

 「──唇(Lip)」

新たな通路が現れた。