<コズミックキューブ 地下3階>

疾風よりも疾く、影が走る。―迷宮の奥に向かって。
<生ける伝説>ホークウインドについてこれるものはいない。
自分たちよりも先に魔剣ハースニールを奪い去った相手に、もう少しで追いつくところで王の帰還命令が出た。
正統なる王・トレボーの命令は、<リルガミンの守護者>たる忍者にとっては絶対である。
たとえ命じられたことが市民の大虐殺であろうと、リルガミン城市の破壊であろうと変わらない。
―王とは王権であり、それはそれだけでリルガミンそのものであるのだから。
ましてや、トレボーは百年前からホークウインドの絶対的な主君である。
リルガミンの維持のために協力してきた公爵たちの暫定政権と忠誠の度合いは比較にすらならない。
だからこそ、ホークウインドは、地下迷宮から発せられたトレボーの命令を受けるやいなや、
自分の弟子であり従者でもある「ソフトーク・オールスターズ」の面々とともにその指揮下に入ったのだ。

(―あの<翼を持つ獅子>を操っていた者は何者か。)
全速で走りながら、ホークウインドは考え続けている。途中での命令変更を無念に思うわけではない。
命令は命令として従うが、あきらかに強力な敵については対策を練っておく必要がある。
……気まぐれな君主に完璧に仕えるためには、それは必要なことであった。
戦うまでにはいたらなかったが、それまでの追跡で「それ」が恐るべき魔物であることは容易に推測が付いた。
単に戦闘力があるだけでなく、人語を解し強力な魔法を使いこなす。
何よりも老獪な知恵を備えたあの魔物は、おそらくは迷宮最下層の化物にも匹敵していた。
それが、何者かの命令で動いているということは、その支配者はさらに手ごわいということだ。
「―っ!」
不意に、ホークウインドは跳躍した。
暗闇から伸びてきた巨大な手をかわして、闇の向こう側に立つ。
背後で、巨大な影がゆっくりと倒れるのを振り返って確認することはなかった。
「―アークデーモンを、すれ違いの一撃で斃すかい」
正面の闇の中から聞こえるしわがれ声は、感嘆のため息まじりだった。

「貴様が―わが主の<敵>か」
ホークウインドは、姿を現した美女を見据えて言った。
「まあ、そんなところかね。ワードナは私の亭主。
 もっとも<私>はただの足止め。あんたの主の恋敵は、もう先を行っているさ」
地下4階の魔女はくつくつと笑いながら答えた。意味不明な説明をホークウインドが問いただすことはなかった。
「―斬る」
<伝説の忍者>は風をまいて飛び掛った。
「おっと―?!」
魔女は飛び下がった。
致死の一撃を抜きにしてさえ、ホークウインドの斬撃は物理的なダメージだけで巨竜をも屠る。
―それがわずか半歩、ダンスのようなステップを踏むだけで容易にかわされるとは―。
しかし、攻撃をはずした魔女の表情に、得意気なものはない。
「予想以上だよ、これは―。いつまでかわし続けられるか、ちょっと自信がなくなったよ。
 ……さすが、まぐれとは言え、<私>の亭主を一度斃しただけのことはある」
間合いを取ったホークウインドが、眇めた目で魔女を睨んだ。
「―まぐれ。……たしかにそうだな。
 百年前のあの時、運よく不意を突かなければ、私にワードナを斃すことは出来なかった」
アミュレット奪還隊を率いて迷宮に挑み、全ての仲間と部下を失ったこの忍者が、ただ一人勝利を勝ち得たのは
偶然の行幸によるものだったことは、トレボーとホークウインド本人だけが知る事実だ。
「しかし、―あれから百年。私は研鑽を積み重ねた。……今ならあの<魔道王>も実力だけで斃せる」
「……かもね。不老不死なだけでなく、あらゆる呪文と物理攻撃を無効化する忍者。たいしたものだよ」
ワードナ討伐後の百年もの間をさらなる修練に費やした伝説の忍者は、全ての攻撃を跳ね返す身となったという。
地下4階の魔女は片手を挙げた。一言二言の呪を口の中で呟くだけで、さらなる魔物が呼び出される。
渦巻く黒煙と瘴気とともに現れた魔物を見たならば、あらゆる妖術師が感嘆の声を上げるであろう。
―<悪魔の将>デーモンロードが、四体。
最高位の魔道師さえも、ただ一体を呼び出すのが限界といわれる魔界の貴人たちを無造作に召喚した女は何者だろうか。
しかし伝説の忍者は、それを見ても毛筋の動揺も見せなかった。
代わりに、ホークウインドは、奇妙な行動を取った。
四方を囲むデーモンロードから視線をはずした忍者は、魔女をまっすぐに見据えた。
その手が、自分の首筋に伸びる。首、肩、胸元。どのように動いたのか、闇色の装束が裂けた。
ミスリルを編んで創った鎖帷子が石床に音もなく落ちる。
「……ほう…」
地下4階の魔女が思わず声を上げた。
それほどの価値のあるものが暗黒の中に浮かび上がっていた。
白い裸身―完璧なプロポーションを持った女の身体。
ホークウインドは、今や唯一身にまとっているもの―頭巾を取った。
軽く頭を振ると、鴉の濡れ羽色の髪が闇にも鮮やかに舞った。
「<伝説の女忍者>ホークウインドか。―本気になったね」
生身の戦士が強力な魔物と戦う場合、その装備は重厚化する。鋼と魔力を重ねて身を覆い、守りとするのだ。
だが、侍と同じく<気>を読み、操ることができる忍者は、防具を身にまとわぬ時に最大の敏捷力を得る。
もちろん、その俊敏さによる防御能力が、魔力を帯びた鎧をも凌駕するには底知れぬ修練の積み重ねが不可欠だ。
魔法の粋を集めて作られた鎧―ミスリルの鎖帷子を纏うよりも強力な防御能力。―この忍者ならば可能だ。
この美しさが何よりの証拠だ。
象牙のような白い肌、大ぶりで形の良い乳房、引き締まった腰。黒い翳りの守る秘所。
何よりも、冴え冴えと冷たい美貌が、完璧なる物の存在を主張してやまない。
「……百二十歳にしては見事なもんだ…」
地下4階の魔女が感嘆の声を上げるのも当然だった。
美しき女妖術師<ソーン>の姿を持つこの女に、全裸の忍者は引けをとらぬ美しさを持っていた。
「十万歳―いや、もっとか? ―の女にそう言われるとは、な」
ホークウインドは無表情で返答した。
「いや、褒め言葉だよ。その年齢の娘っ子にしてはたいした色気だ」
魔女にとっては、伝説の忍者さえも随分と若い、ということらしい。
たしかに、妖刀<村正>の刀身を思い起こさせる美貌と肢体は、氷の冷たさを持ちながら、すさまじい官能美が宿っていた。
「―おや?」
地下4階の魔女が片眉をあげた。
女忍者を取り囲むデーモンロードたちが吸い寄せられるように動き始めた。―魔女の命令なしで。

四体の<悪魔の将>が揺らめきながら近づいても、ホークウインドは微動だにしなかった。
十六本の手が伸び、自分を捕らえても。
―触れられるだけで発生するはずのエナジードレインは起こらなかった。毒も、麻痺も、石化も
無表情な異界の魔王が、目にこれだけははっきりとわかる感情―欲情を浮かべて自分の裸身まとわり付くのを
黒髪の女忍者は、さらに冷たく無表情に眺めていた。
種族どころか、住む世界すら違う魔神たちをも狂わせる美しい体が持ち上げられる。
デーモンロードが巨大で奇怪な男根を露出し、自分を貫こうとしているのをホークウインドは拒まなかった。
性器と肛門、それに両方の手にそれを受け入れた女忍者に、魔界の貴人たちは、今度こそ下等悪魔のように欲望を燃え上がらせた。
人界の者が誰一人解さぬ古代の言語で悦楽の感情を口走る四人の魔王は、すでに狂っているように見えた。
自分たちを犯すデーモンロードが、最高級の娼婦になぶられる未経験の少年よりもあっけなく果てる様を、
ホークウインドは、侮蔑以外の何も浮かばぬ冷たい瞳で眺めた。
<悪魔の将>たちの射精は激しかった。
濁った歓喜の声を上げて欲望を解放する。
―その瞬間、虐殺が起こった。
あてがわれるままに左右の男根を握りしめていたホークウインドの白い手がはじめて、意思を持った動きを取る。
男根は根元から断ち切られた。
切断面から異界の血と精液を噴出しながら即死した仲間を見ても、前後のデーモンロードは快楽におぼれてまったく反応しなかった。
その男根が、女忍者の性器と肛門の締め付けによって切断されるまで。
仰向けに倒れる残りの二体に一瞥を与えることもなく、ひらりと着地したホークウインドは、
無造作に自分を貫いていた男根を抜き取って投げ捨てた。魔王の男根は未練がましく脈動して精液を噴いた。
「すごいねえ。―体の中まで防御は完璧かい」
魔女は目を丸くした。
強力な防御を持つ者といえども、体の内部に同じだけの耐性を持っていることはまれだ。
また、戦いのときはともかく、休息や性交時には精神は弛緩する。
ましてや魔王との性交となれば。―しかし女忍者にとってはなんら問題のないことであるらしい。
「―でも、わざわざ誘っておいて最も苦痛のある方法でぶちのめすかい。まあ、あんまり性根は良くないね」
地下4階の魔女は塵となって魔界に還るデーモンロードたちを眺めた。
「……やっぱり、うちの宿六に会わせられない女だね。男根を切り取られたんじゃ、亭主は痛いだろうし、私もすごく困るよ」
魔女は自分の身体を抱いて身震いした。―多元宇宙の一つや二つが吹き飛んでも平然としているに違いない女が。
「…ワードナを、こんな方法で斃せるとは思っていない」
「お利口さん。私の亭主はそりゃもう、大したものだとも」
地下4階の魔女はにやにやと笑った。どんな形でも夫を褒められるのは嬉しいらしい。
冷静冷徹な女忍者が、さすがにやや面食らったように敵を見つめた。
視線に気付いて地下4階の魔女は咳払いをした。年甲斐もなくのろけてしまった、といった表情だ。
「…ええと、さて。―そろそろ決着と行こうか」
魔女はすっと身をかがめた。
石畳をぱんと叩く。
「―っ!」
四方に石壁がそそり立つのをホークウインドは冷静に見て取った。
斃せないのなら、―閉じ込める気か。
だが壁はただの石であり、魔力もこめられている様子もない。超人忍者にとっては薄紙も同然だ。
それに、魔女自身も中に居る。
ホークウインドは構えを取っただけで、壁が小部屋を作る様を見送った。
「……言っておくが、どのような術も、私には通じん。先ほど見せたことはその証明だ」
「だろうね。あんたには何一つ弱点がない。―遠い昔に捨て去っちまったからねえ」
「―?!」
ホークウインドが魔女の返事に戦慄を覚えた瞬間、できたばかりの小部屋の空気が渦巻いた。
輝く粒子が、魔女の足元に集まり、何者かの姿を形作る。―召喚だ。
「―!!!」
<伝説の女忍者>は動揺と恐怖の声を上げた。光り輝く影は、彼女の記憶と寸分たがわぬ姿を取っていた。
―醜い、脆弱な小人―ディンクの姿を。
「……さて、遠き昔に捨て去った自分の弱点―旦那に再会した気分はどうかい、ホークウインド?」
地下4階の魔女は残酷な微笑を浮かべた。―この女は、同性の敵に容赦はしない。

「…ホークウインドォォ……」
怨嗟の声を上げる小人の前に、伝説の女忍者は凍りついた。
遠き過去の日がよみがえる。同時に女忍者を守る全ての防御能力が崩れ去った。
「…なぜわしを捨てた…なぜ売った…」
百年前、<魔道王>を僥倖によって斃した後、ホークウインドは<リルガミンの守護者>となることを誓った。
その<契約>に従う<修練>を積めば、あらゆる攻撃と呪文を無効化する。
ただしその代償にはリルガミンに全てを捧げる事を誓わねばならない。
それには、ワードナの迷宮に挑む直前に結婚したばかりの彼女の夫―ディンクを捨てることも含まれていた。
……狂王自慢の忍者軍団の首領が、なぜただの市民を愛したのかは分からない。
<魔道王>に挑むことの恐怖を忘れるための錯覚だったのかもしれない。しかし、
「生きて還れたら、一緒に暮らそう」
そういって口付けを交わした気持ちに、嘘はなかったはずだ。
しかし―。
「……お前は、<守護者>の力を手に入れるために、わしを捨てた…」
小人はにちゃにちゃと口中に泥を含んだような耳障りな声をあげてホークウインドを弾劾した。
「…それだけなら、まだ許せる…。リルガミンの栄光の前には、たかがパン職人など…何の価値もないからな」
血を吐くような当てこすりに、女忍者はがくがくと震えた。
(―その先を言わないで)
声を出して嘆願したとしても、復讐者はそれを聞き入れるつもりはなかっただろう。
「だが、お前は…お前は……<契約>をさらに強化するために、わしを…醜い小人に変え、追放した」
最も愛するものを生贄に捧げることで強化される術は多い。<守護者>の制約もそうしたものであった。
「ちがっ…」
反射的に声が出た。しかし、言い切ることができない。
(あれは貴方を忘れるため…あなたを守るため…)
―<代償>としてディンクの命まで捧げれば、百年の修行を積まずして無敵の力を手に入れることができる。
祭司たちの執拗な誘惑に、ホークウインドは決して首を縦に振らなかった。
だが、事情を話さずに修練に旅立つ旨を伝えたときの、夫のさびしそうな、優しい笑顔が重荷だった。
「―次はいつ会えるのかな」
その言葉に応えることができない自分の弱さを断ち切るために、彼女はディンクを売った。

「おおおおおお…」
醜い小人が吠えた。血涙を流しながら。
ディンクが自分に突進してくるのをみても、ホークウインドは何もすることができなかった。
子供でも容易に避けたうえで、頭でもしたたかに殴りつけられるだろう弱弱しい体当たりに、
魔神の渾身の一撃を受けて微動にしない超人が、あっけなく転んだ。
白い裸体の上に、薄汚れた矮躯が重なった。
悪臭を放つ唇を、ホークウインドは避けなかった。涎まみれの舌も受け入れた。
ディンク―彼女の夫は不明瞭な呪詛の言葉を上げて<伝説の女忍者>を犯し始めた。
白い裸身は、夫の憎しみをこめた手や口に激しく反応した。
大きく形のいい乳房や引き締まった腹の上に蒼黒い吸い跡と血がにじむ噛み跡が広がる。
ねじくれた手がぴしゃぴしゃと叩き、爪を立てるたびに、腿や臀が赤くはれ、皮膚が破れる。
―魔界の王の攻撃を受けても毛筋の傷をも受けぬはずの女の体が。
<伝説の女忍者>は、百年の修練を積んだ超人から、その容姿と等しい年齢に戻ったかのようだった。
二十歳の娘―結婚したての女のごとく。
憎い女の裸身を責めていたディンクが身を起こした。
ぼろぼろのズボンを引き裂くようにして脱ぐと、股間にそそり立つ男根を妻の顔の前に持っていく。
「―っ」
小人は呪詛か、皮肉か、何か言おうとしたが、その前にホークウインドが身を起こした。
汚れと異臭にまみれた粗末な突起を、ためらいもなく朱唇に含む。
―昔、リルガミンを見下ろす小高い丘で夫婦の最初の交わりを交わしたときのように。
忍者としてのあらゆる鍛錬―性戯も含む―を極めた技術ではなく、
その優しい舌使いにディンクはのけぞった。濁ったうなり声を上げてあっけなく絶頂に達する。
射精の瞬間に腰を引いたのは、復讐のつもりだった。
「あっ…」
最後の瞬間に夫が去ったことにホークウインドは傷ついた表情と諦念を浮かべた。
その憂い顔に、ディンクは粘液をぶちまけた。
容姿も男根も哀れな小人だが、精液だけはたっぷりと出た。
黄色味がかった濁液は、女忍者―否、彼を裏切った妻の美貌と黒髪を汚した。
「ああ……」
贖罪に潤んだ瞳で、夫を見上げ、ホークウインドはそれを全て受け入れた。

女忍者の顔をたっぷりと汚しても、小人の復讐心と獣欲は収まらなかった。
ホークウインドはそれを察して体勢をすばやく変えた。
後ろ向きに四つん這いになり、高く臀を上げる。
女忍者の秘所はすでにこぼれるほどに蜜にまみれていた。
「おお…おお…」
生白い臀をつかんだディンクは、粗末な男根を突き入れ、ホークウインドは声をかみ殺してのけぞった。
後背位、はるか昔に夫が一番好んだ体位だった。
女忍者の気弱な配偶者は性交にも消極的だったが、この体位で交わるようになってからは積極的になった。
力も身分もはるかに上の女が、自分に屈従しているのが一番目に見えるからだったかもしれない。
ホークウインド自身、夫にこの体勢で犯されるときが一番快楽を感じていた。
子供の親指のようなディンクの男根が内部でうごめくたび、女忍者は髪を振り乱してあえいだ。
その数十倍の大きさと硬度をもつデーモンロードの男根にも眉一筋動かさなかった女の痴態に、ディンクは興奮した。
何度か腰をゆすると、たちまち達する。たっぷりと膣内にぶちまけた。
「―んんっ!」
自分の内部に射精されたのを感じた瞬間、ホークウインドも達していた。
夫は昔から早漏だったが、不思議と絶頂はいつでも同時に迎えた。相性は良すぎるほどに良い夫婦だった。
心はともかく、肉体の百年の空白は、すぐに埋められた。
荒い息をついてディンクが男根を引き抜いたとき、ホークウインドは自然に次の行動に移っていた。
性器から大量に逆流する精液をぬぐう暇もなく、小人の前にひざまずいて、自分の蜜にまみれた男根を口に含む。
翠の黒髪が小さく一定のリズムで揺れ、やがてディンクがうめいた。
小人は、今度は男根を引き抜かなかった。
三度目とは思えない濃厚な精液がホークウインドの口の中に放たれる。
女忍者は大量の汚液をうっとりとした表情で飲み下した。
短い結婚生活の間、口で奉仕するときは、いつもそうすることにしていた。
最後の一滴まで妻に飲ませきった夫が、音を立てて男根を唇から引き抜くと、
ホークウインドはなまめかしい肢体をずらして、再び高く上げた臀をディンクに捧げた。
―後背位での性交と、口での奉仕。
二人の交わりは、互いが最高の快楽を得る、その行為の繰り返しだった。



「―お愉しみのところを悪いんだけどね」
四つん這いになった女忍者の前に、地下4階の魔女が立った。
「お盛んなところを見せ付けられて毒気が抜かれちまった。やめるか、河岸を変えるかしよう」
快楽に霞んだ瞳で見上げるホークウインドに、魔女は一本の鍵を突きつける。
「…この部屋の扉の鍵だよ」
いつの間にか、魔女の背後に頑丈な青銅の扉が出現していた。
東西にも南北にもきっかり1ブロックの小部屋には似つかわしくない大扉は、どんな衝撃にも耐えられそうだった。
「私の作ったこの部屋は特別製でね。私が出て行った後、この鍵であの扉を開ければ、壁ごとなくなって解放される。
―でも、もし、扉を閉めてしまったら、あんた達は永久に出られなくなるよ。
まずいことに、あんたは不老不死だし、あんたの旦那も呪いで死なない身体だ。文字通り永久の牢獄だよ」
魔女は鍵をホークウインドの目の前に放り投げた。
「扉を開けるなら、鍵穴に差し込んで左にお回し。―喧嘩の続きといこうじゃないか。
……一応言っておくけど、右に回したら二度と出られなくなるよ。―じゃ、外で待っているよ」
それだけを言うと、地下4階の魔女は扉を開けて小部屋から出て行った。
石床に落ちた1フィートもある青銅の鍵をぼんやり見つめるホークウインドの瞳に、突然強い光が戻る。
<伝説の女忍者>は、背後からディンクを犯された姿勢のまま、這いずってすすんだ。
ホークウインドの蜜壷に魅了された小人は、引きずられても気がつかなかった。
ひざを進めるたびに女忍者の表情に理性と冷静さが戻っていく。
鍵を拾い、扉にたどり着いたとき、ホークウインドは<生ける伝説>の威厳を全て取り戻していた。
立ち上がった女忍者の手が、鍵穴に鍵を差し込み、迷いのない動きでそれを回す。
―右側、扉を閉める方向へ。

扉が消えた。―永久に。
ホークウインドは冷静そのものの表情でそれを見つめ、振り返った。
おびえたような目で見上げる醜悪な小人に優しく微笑み、両手を広げた。
「ごめんなさい。……許してもらえるとは思わないけど、―それでも、ここに居させて」
猜疑と困惑に凝り固まった小人の表情を悲しく見つめた女忍者は、意を決して言葉を続けた。
「―もう、全部いい。……リルガミンも、トレボー王も。百年前に破ってしまった約束を果たさせて。
―ここで、一緒に暮らしましょう。あなた……」
もはや<リルガミンの守護者>ではなくなった女は、夫を抱きしめた。
黒髪の美女の嗚咽が小部屋に流れる。
小人はしばらく彫像のように動かなかったが、やがて不明瞭なささやきを妻に与え、その唇を相手のそれに重ねた。

「―めでたし、めでたし、という奴かい」
青銅の扉にもたれかかって、背後から聞こえる物音に聞き耳を立てていた地下4階の魔女はくすりと笑った。
「ま、何がどうあれ、元鞘と言うのが、一番具合いいもんさ。―うちの宿六の<刀>だって、私の<鞘>が一番お似合い」
鼻歌を歌うように言ったことばの後半は、ワードナが聞けばぎょっとしたに違いない。
「今日は機嫌がいいから、少しおまけしてやるかい」
魔女は寄りかかっていた扉から離れ、その緑青が吹いた中央部をぽん、と叩いた。
扉は消えて、ただの石壁になった。
宣言どおり、ホークウインドは永久に閉じ込められたのだ。
……扉が消えた瞬間、中に閉じ込められたもう一人の人物が呪いを解かれ、
汚猥な小人から若いパン職人の姿に戻った事を知る者は、当事者二人を除けば、全宇宙にこの魔女しかいない。

にやにやと笑った地下4階の魔女は、ふと、後ろを振り返った。
「やっと本命さんのご登場かい。―待ちくたびれたよ」
怒りのオーラを焔のごとく身にまとった女君主は、ゆっくりと近づきながら黒い大剣を抜き放った。
……狂王トレボーと、魔女の邂逅に、コズミックキューブは静かに激震した。



「……よもや、ホークウインドが敗れるとは思わなんだ。初手で最強の駒を失ったぞ」
トレボーの怒りの声には、確かに感嘆が混じっていた。
破壊と殺戮に明け暮れた<戦争王>は、同時代のいかなる将軍・軍師も及ばぬ天才的な戦術家でもあった。
その賞賛の対象は、歴史上の大軍師たちにむけたものよりも深い。
「最初に相手の<女王>を倒しちまうのがチェスの必勝法さね。―おっと、あんたのほうが<女王>だったっけ?」
地下4階の魔女は、銀色に輝く<コッズ・アーマー>の胸元をまじまじと見つめた。
持ち主の身体に合わせてその形状を変える魔法の鎧は、その胸乳のあたりを大きく盛り上げている。
大きさだけなら自分を上回るかもしれないその量感に、魔女はちょっと嫌な顔をした。
―ワードナは、大きな乳房の女が好みだ。
「……まあ、うちの宿六は、柔らかさとか張りとかにもこだわるから、大きさだけの問題ではないさね」
自分に言い聞かせるようにうんうんと頷き、自分の胸元を押さえた地下4階の魔女に、トレボーが怒りの眼差しを向ける。
―エセルナート史上、もっとも道化が仕えにくい王の第一位は、この女の指定席だ。
からかわれることを何よりも嫌う<狂王>が怒号を上げることなく、無言で剣を構えたのは、相手の力量を察知しているからだ。
「後ろの五人は来ないのかい?」
トレボーの後方で待機している<ソフトーク・オールスターズ>をちらりと見て魔女は質問した。
「無駄なことはせん。―あやつらも<バラの貴婦人>も貴様の前では赤子も同然。ホークウインドですらあのザマだ」
「お利口なこと」
魔女は手を挙げた。それが開始の合図だった。

―剣と魔法、すさまじい戦いは、数刻にも及んだ。
……やがて、よろめきながら立ち上がった方は、銀に輝く鎧装束と、黒い大剣を持っていた。
地に転がった世にも美しいもの―地下4階の魔女の生首を見据え、地獄から黄泉還った<狂王>は剣を杖に身体を支えた。
「あと、もう一人、こやつがいるのか。―それを斃した後は、ワードナ、貴様の番だ」
美しく驕慢な顔は、消耗しきっていたが、その瞳だけはぎらぎらと迷宮の闇の中で輝いた。



「……あ…」
何度も階段やシュートを上り下りし、自分がどこに居るのかすら分からぬ暗闇の中で小さな声が上がった。
「何だ?」
ワードナは振り返ったが、魔女の顔は見えなかった。ダークゾーンだから当たり前だ。
「何でもありませんわ、わが殿」
魔女の返事に、ワードナは目を眇めた。
「嘘をつくな。今声を上げた瞬間、手に力がこもった」
<ダークゾーンのルール>は健在だ。
悪の大魔術師の指摘どおり、魔女は一瞬、夫の手を握る力を僅かに強めた。
「……まあ…そんなことまでお分かりに…」
魔女は意外に機嫌良さげな声を上げた。
夫が自分の変化に敏感なことが嬉しいらしい。
「むむ」
話の接ぎ穂を失ってワードナはそれ以上の追求を断念した。
―先ほどから魔女の様子がおかしいのは分かっている。
先刻<自動アイテム販売機>でクレンジングオイルを買ったときも、魔女はまったくうわの空だった。
「あ…<明るい家族計画>の自販機ですか。それなら私たちには不要ですわ、わが殿」
ワードナが財布をごそごそやり始めてから自販機に気がついたのか、魔女はとんちんかんなことを言った。
魔女が言った魔品に心当たりのないワードナは片眉をあげて妻をにらみつけたが、返答はさらにとんちんかんだった。
「あ、いえ……。たまにはそういうやり方でなさりたいのでしたら、私も別に反対は……」
大真面目な顔には、いつものような確信的な微笑がない。本当にまちがえているのだ。
根本的な間違いを指摘すると、魔女は大慌てになった。これも今までにないことだった。
……やはり問い詰めようとワードナが意を決したとき、ダークゾーンが途切れた。
「この先をいけば、あとは一本道です。手榴弾をお忘れなく、わが殿」
魔女はにっこりと笑った。
その笑顔にワードナはなにか胸騒ぎを覚えた。声をかけようとしたとき、魔女は身を翻した。
「しばしのお別れです、わが殿。すぐに―夕飯までには戻りますので、先に進んでいて下さいな」
あっけにとられる悪の魔術師の目の前を、法衣姿が闇に溶けていった。
―妻が、最強の敵に決戦を挑みに行ったことを、ワードナは知らない。
―あるいは、これが今生の別れとなるのかも知れないことも。