<コズミックキューブ 地下2階・後編>

魔女は、うろうろと薄闇の中をさまよっていた。
足取りはしっかりとしているが、時々立ち止まってはあたりを見渡したり考え込んだりする姿は、この女には珍しい。
「……探し物は、みつからない」
歌うように呟く声を聞く限り、それほど深刻そうな様子ではなかった。
「<あれ>が見つからないとなると、手持ちの武器は、この<魔女の杖>と少々の術式。
 それに──この胸に溢れるばかりに貰った、わが殿からの愛」
目をつぶって豊かな胸元に手を当てた魔女は、闇の中で微笑を浮かべた。
夫にたっぷりと愛されているという、ゆるぎない確信を持っている若妻の微笑だった。
……だが、目を見開いてその後に続けた言葉を聞いたものがいれば、魔神でさえも戦慄を覚えたであろう。
「それさえあれば、世界の全てを敵に回してお釣りが来るけど、今回の相手には勝算が薄いわね」
ふと、魔女は立ち止まった。
柳眉をしかめて、正面の闇を見つめる。
「あらら、ずいぶんと早いご到着で──」
のんびりとした声に、地の底から響くような声が答えた。
「見つけたぞ、我が宿敵。──ワードナの首をはねる前に、貴様との決着を、つける」
闇の中から現れたのは、黄金の巻き毛を揺らめかす美女だった。
銀に光る装備──<コッズ・アイテム>に身を固め、黒い大剣を手にした地獄からの使者を前にして、
魔女はわずかな動揺も見せなかったが、しかし、トレボーの剣には注目した。
「<裏オーディンソード>。……なるほど<私>が斬られたのも無理はないわね」
「──妖刀村正の中に、さらに呪われ、さらに強力な<裏村正>があるように、
 聖剣オーディンソードにも、さらに呪われ、さらに強力な一振りがあった」
「噂には聞いていたけど、実在するとは思っていなかったわ」
「……むう」
<狂王>は不審げに眉間にしわを寄せた。
「……?」
魔女は柳のような眉をわずかに上げ、不思議そうな表情を作った。
「──貴様、本当にあの女と同一人物か?」
トレボーが言うのは、地下4階の魔女のことに違いない。
「もちろん。どうして?」
「あの女はこの剣のことを予測していたどころか、対策まで考えていたぞ。──おかげで手間取った」
「まあ、さすが<私>」魔女は涼やかに笑った。
「貴様は、予想もせなんだか」
「うーん」
法衣姿の美女はこめかみに手を当てた。同性すらどきりとするような仕草だった。
「……まあ、私のほうがあっちより若い──はず、だから。色々と違うのよ」
同一人物か、別人なのかは、当人たちしか知りえぬ事情があるのだろう。
そういえば、魔女は、自分=地下4階の魔女が敗れて首をはねられたことについて一言も触れない。
「小娘が物知らずなのは、年長者の余裕で我慢してね。──百年ぶりに目覚めたおばあさん」
ころころと笑って続けた魔女に、トレボーの瞳が怒りに燃え上がった。
「なるほど、別人らしいな。──あの女は敬意に値する敵だったが、貴様は違う。
 あの女は斃すまでに半日もかかり、我も敗れる可能性すらあったが、貴様は──」
「長くても半刻といったところかしら」
怒りの塊のような<狂王>の言葉を、タイミングだけですっとさえぎる。──挑発に関しては神業だ。
夫の好みに合わせてどんどん自分を変えてきた女は、敵に対しては無慈悲で冷酷なままだ──むしろそれが増してさえいる。
魔女がトレボーの背後を凝視ながら言葉を発したことに気づき、トレボーは嘲笑を浮かべた。
「……気になるか、<ソフトーク・オールスターズ−1>が? 貴様の分身は歯牙にも掛けなんだぞ」
たしかに地下4階の魔女は、トレボーが舌を巻くほど強力で狡猾な魔術師だった。
最強の冒険者たちでさえ、たとえ主君から傍観を命じられなかったとしても、あの戦いに割って入ることは不可能だったろう。
しわがれ声の美女は「その他大勢」を傲然と無視し、冒険者たちもまったく動けなかった。
しかし、目の前の魔女は、彼らの存在が気になるらしい。
冒険者たちもそれを感じ取ってフォーメーションを組んで対峙する。
相手の技量を軽視してはいないが、歴戦の戦士たちに、目の前の女と同一人物にすくみあがった面影は微塵も無い。
魔女と地下4階の魔女との差──雰囲気あるいは人間的迫力の差というべきものか。
「──そこの人たちは、やっぱり、いないほうがいいわよね」
魔女が動いた。すっと片手を上げた瞬間、<ソフトーク・オールスターズ−1>の前に青い光が走る。
「テレポーター!?」
シーフのモラディンが驚愕の声を上げた。
高レベルの冒険者にとって、迷宮の中でもっとも恐ろしいのは呪文攻撃でもドレイン攻撃でもない。
それらは魔法の品々で防ぐことが可能であるからだ。
だが、宝箱に仕掛けられたトラップ……その中でもテレポーターは発動してしまえば防ぎようが無い。
それゆえにもっとも厄介な、恐ろしいものとされている。
だが、時間を掛けて準備し、巧緻な発動体を仕込むことができるトラップと違い、呪文によってその効果を生み出すことは不可能と言われる。
味方に掛ける<マラー>の呪文と違い、転移を望まぬ敵を、無理やり転送するのはそれほどに難しい。
かろうじてある種族のモンスターを送還する呪文など、不完全なテレポートのみが呪文として可能とされている。
だが、魔女が無造作にかけた呪文は、まったくテレポーターと同一の効果を挙げていた。

「はい、行き先は石の中──ではなくて、地上にしておいたわ、安心なさいな」
魔女はにっこりと笑って、光に包まれて転送される冒険者に軽く手を振った。
本物のテレポーターでさえも座標は指定できないのに、その気になればこの女は<消滅>よりも確実な滅びを自分達に与えることができた
そのことを悟って冒険者達が戦慄した瞬間、彼らは地上へと転送された。
もはやあたりに他の人影はなく、ただ<狂王>と魔女だけが静かに対峙していた。
「なにか? 不思議そうな顔をしているけど?」
「……」
トレボーは無言で魔女をにらみつけている。
「──<コズミックキューブ>は<マラー>の呪文を通さないわ。あの五人が戻ってくるためには自分の足を使うしかない。
 最短距離を最速で来るとしても半刻はかかるわ。貴女と決着をつけるにはたぶんそれくらいで良い、はずよ」
「……わからぬな。それほどの力を持ちながら、貴様は何故あやつら如きを恐れた?
 それに、たやすく殺せるのに何ゆえせなんだ?」
「恐れてはいないわ。なぜ転送したのかは──そのうち判るわ」
魔女はにっこりと笑い、風を巻いて跳躍した。
トレボーは驚愕した。
まさか、魔術師であるこの女が最強の君主である自分の懐に飛び込んでくるとは!
一瞬反応が遅れたが、かろうじて黒の大剣が間に合った。
火花が散り、魔女の杖が妨げられる。だが、魔力と加速がついた杖の運動エネルギーはそれだけでは止まらなかった。
ガッ。
トレボーの頭上でいやな音がした。
「おお……」
<コッズ・ヘルム>と金の豪奢な巻き毛の下から、血がひと筋、眉間を流れた。額が僅かに割れたのだ。
「あら、残念。初手で貴女の頭蓋を割ることができたら最高だったのに」
魔女は冷たい微笑を浮かべた。──彼女の夫は生涯見ることがないであろう、この女のもう一つの笑顔。
トレボーは無言で大剣を振るった。
至近距離だが、この異形の女王の技量ならば、相手を真っ二つにすることも容易い。
しかし、トレボーが全くの不意を疲れた一撃を最小のダメージで防いだと同様に、魔女も<狂王>の一撃を避けていた。
ふわりと飛び下がる法衣は、しかし、次の瞬間、胸元を大きく切り裂かれていた。
「さすが──」
傷は負っていないが、肩からみぞおちの辺りまでの斬撃は、わずかでも避け損なっていたら致命的な一撃であったことを物語っていた。
「決着まで半刻──嘘はないようだな。」
自分が尊敬の念さえ抱いた地下4階の魔女とはほとんど別人格だが、今対峙している女が同等以上の実力を持っていることを
トレボーは素直に認めた。魔女がこれほどの覚悟で全力でぶつかってくれば、それくらいの時間で──どちらかが死ぬ。
「……む」
改めて覚悟を固めた悪の大君主が、魔女を睨みつけようとして、言葉を失った。
「何? ──あ……」
魔女は自分の体を省みて、<狂王>の視線の意味を悟った。
先ほどの斬撃で、魔女の法衣は切り裂かれ、そこから下着がのぞいていた。
見た者全てが息を呑むような美貌──清楚さと妖艶さを兼ねそろえた女にふさわしからぬ一品。
絶世の美女と何の変哲もない地味一辺倒の下着の組み合わせには、怒り狂ったトレボーすら一瞬唖然とするものがあった。
「──随分と、無様な格好だな……」
「そう? 暖かいし、肩が凝らなくていいのよ、これ」
色合いどころか、デザインもあまりにも野暮ったい。
コルセットこそしていなかったが、法衣からのぞく下着は、魔女の大きな乳房をすっぽりと覆っている。
肩紐も幅広く、がっちりと上半身を固めているような下着だった。確かに保守的この上ない。
むろん、布越しですら息を呑むような美しさと色気が漂っていたが、
妖魔の女王もかくやと思われる美貌と、<狂王>が戦慄する実力を持つ魔女のものとしては違和感がないでもない。
この女は、法衣の下に、見た男全てがその場で射精してしまうような下着を身につけている、
──そんなイメージを、トレボーは漠然と抱いていた。この女の美貌に接したときから。
「──ちなみに、下の方は、おへそまであるやつよ。お尻もすっぽり」
妙齢の女同士の会話としては、ある意味敗北宣言に近いセリフを魔女はためらいもせず口にした。
毒気を抜かれた風に、トレボーが魔女を見つめる。
魂さえ掛けて悔いぬ決戦であったが、突き詰めれば、そこには一人の男を奪い合う(たとえ殺すつもりであっても、だ)
という女としての戦いの要素が色濃く流れていたはずではなかったのか。
魔女は、そうした戦いは放棄しているのだろうか。
──だが、魔女は、恋敵の複雑そうな表情を見て笑った。
あでやかに、意地悪に。
「──お馬鹿さん。主婦が一人でお出かけするのに勝負下着なんか着るものですか。一体誰に見せるというの?」
「!!」
「私が凝った下着を着るのは、わが殿といっしょのベッドに入り込むときだけでいいの。
 それ以外のときは、こういうもので十分。わが殿が大好きな、私のおっぱいとお尻──それを守ることが最優先。
 ──それに、女はお腹を冷やさないほうがいいのよ。特にこれから妊娠する予定の既婚者は、子宮を大切にしなきゃ」
魔女は胸を張った。「夫の昔の恋人」に対して、傲慢この上ない妻の言葉だった。
(女としての戦いにはもう勝負がついている。今更同じ高さに下って争う必要を認めない)
トレボーが抱いた一瞬の勝利の幻想を粉みじんに打ち砕く、冷酷な嘲笑だった。

<狂王>はわなわなと震えた。
これほどまでの侮辱を受けたのは──ワードナに求婚を拒否された時以来だ。
「殺す──前に犯し尽くしてくれるわ、魔女め」
「それはご遠慮していただきたいわ。──私、主人がおりますもの」
普通の返事が、もはや相手の精神にやすりを掛ける挑発の言葉になっていることを、魔女は十分自覚している。
トレボーは無言で篭手を外した。兜も、鎧も。
宿敵が身を守る<コッズ・アイテム>を脱ぎ去るのを、魔女は黙って、見つめた。
やがて、異形の女王の完璧な裸体が現れた。
股間の<サックス>は怒張しきっている。
人生最大の怒りと憎しみに加えて、地味な下着とはいえ、絶世の美女の半裸を前に、欲情が男根を熱くたぎらせていた。
「我が<サックス>の餌食としてくれるわ、あばずれめ。突き刺し、引き裂き、喰らい尽くしてやる」
「女の勝負はあきらめたの? 賢明ね。──でも男としても中途半端。そのお粗末なもので何をしようと言うのかしら」
魔女は鼻先で笑った。
トレボーは、ほとんど茫然自失になるまでの怒りに目をむいた。
史上最悪の暴君として、あらゆる罵りの言葉を受けてきた女だ。
しかし、これだけは経験がない。──この<サックス>をお粗末と言われることは。
「あら、失礼。殿方はお持ち物をあれこれ言われるのが一番失礼だったわね。
──でも私が知っているたった一本は、貴女のご自慢のものよりずーっと素晴らしいもの」
魔女は先ほど<狂王>を撲殺し損ねた<魔女の杖>を握りなおした。
見る間に木の棒が形状を変えていく。
トレボーの異形の男根より、大きさは小ぶりで、形も通常の範囲内だが、一般的なものから考えればたしかに見事な逸品だ。
「──それが、あやつの男根か」
<狂王>は、はじめて見る「それ」の正体を看破した。
「そうよ。だけどこれはそれを型取ったただのおもちゃ。──貴女を地獄に返すにはこれで十分」
「面白い。──我が得意とするものが殺戮だけと思ったか」
魔女の意図を悟って、トレボーが大剣までも捨てた。
「──本当は、女性がお相手と言うのも好きじゃないのだけど」
魔女は夫の男根を擬した木の棒に口付けしながら呟いた。
本音を言えば、男も女も人も人外も、夫以外の存在はジャガイモかカボチャと同類項、と笑わない瞳が雄弁に語っている。
「でも、まあ同性が相手なら、ぎりぎり不貞にはならない──かしら? この女を滅ぼす非常手段と言うことで許してもらいましょう。
 もちろん、わが殿には今晩うーんと埋め合わせすることとして」
「我を女と呼ぶな! この<サックス>に掛けて、我は──」
「まだまだ未熟な可愛い女の子よ。そうね、恋に恋するお年頃。
 いらっしゃい、お姉さんが大人の愛を少しだけ教えてあげる。それを知ったら、地獄にお帰りなさい」
魔女は愛おしげに舐めあげた男根にかぐわしい息を吹きかけた。
<魔女の杖>で作られたワードナの男根が、複雑な術式と魔力を蓄え、生身のごとく脈打つ。
力強い脈動を手の平に感じた魔女は、それを持ち上げてうっとりと頬ずりした。
「……この男根でいかされたら、貴女はその場でこの物質界からさようなら、よ。亡霊さん」
「面白い。では我の<サックス>で貴様を貫いたら──」
「それは完全な不貞行為になるわね。どんな形であっても夫を裏切ったことになる以上、私は自害しますわ」
水のように静かな表情で凄まじい誓約を口にした魔女に、<狂王>が息を呑んだ。
この女が宣言した以上、それは嘘ではありえないことをトレボーはどんな宣誓よりも確実と悟った。
「それは──貴様のほうが不利ではないのか?」
「それくらいのハンディキャップはあげなければならないでしょうね、予定していた物が欠けている以上は。
 そうでもしないと、貴女を斃すほどの魔力を埋め合わせできないわ」
宿敵との邂逅までに探していた<あれ>が見つからなかったことが、影響を及ぼしているのか。
「なるほど、我の知らぬところでルールは公平と言うわけか。──ならば容赦はせん」
全裸の乙女は、半裸の若妻に飛び掛った。
そして、世にも妖しく美しい魔人同士の戦いが始まった。



<ソフトーク・オールスターズ−1>は闇の中を走っていた。
魔女の手で地上に飛ばされた後、すぐに地下4階に<マラー>の呪文でテレポートした。
「──地下4階のあの女ならともかく、先ほどの魔女ならばどこかに我らが付け入る隙もあろう」
それがどれほど間違った認識であるかを、彼らは知らない。
表面上はどこか甘く柔らかな雰囲気の若妻を相手に、今彼らの主君が地下4階の魔女を相手にした時以上の
戦慄と畏敬を以って対峙しているところだ、ということも。
おそらくは、先刻彼らを決戦場から追い払った真の理由とともに、彼らには想像もつくまい。
「この速度なら、二人の戦いが終わるまでに十分間に合う。我らの一手が<狂王>陛下の勝利を呼び込む!」
その傲慢な勘違いの発言をさえぎる影があった。
「──いやあ、その前に、俺っちたちの相手をしてくんなよ」
闇からの声に、最強の冒険者たちは愕然と立ち止まった。
「なんだ、あんた達も一人欠員じゃないか。──ちょうどいい、俺っち達も今ちょうど一人面子が足りないところでさあ」
道化師は、振り返って背後を眺め、くつくつと喉の奥で笑った。
そこは、先ほど彼の主人が大慌てで目的地に走り去っていった通路だった。
「──何しろ、うちの大将、やっと素直になって重い腰をあげたところでね。あんたらに邪魔させたくないんでさあ。
 あっちの痴話喧嘩が終わるまで、同じ<一人欠け>同士、楽しく遊ぼうじゃないか!
 ……そっちが<オールスターズ−1>なら、こっちも<オールスターズ−1>。相手に不足はないと思いますぜ?」
言いたい事を言って<地獄の道化師>が下がると、譲られた場所に新たな影が現れた。
青い礼服を完璧に着込んだ美しい男が、進み出て大仰にお辞儀をする。完璧なまでに古式の礼法にのっとって。

「Welcome to your doom,fool!! 
 ──冒険者達よ。貴様らの相手は、この<B10F・オールスターズ−1>だ!」

マイルフィック、グレーターデーモン、ブラックドラゴン、フラック、そしてヴァンパイアロード。
かつて<ワードナの迷宮>の最下層で、冒険者たちを恐怖と死の深淵へと突き落とした伝説の魔物たちが、
最強の冒険者たちの前に立ちふさがった。